1.推しの義妹に転生した。
「喜べマグノリア! お前が王子の婚約者に決定したぞ!」
いつも眉間にしわがよってるのがデフォルトなお父様が、珍しく超ご機嫌に帰ってきた。
心なしか、黒いおひげも上を向いている。
「これで我が家の悲願達成も近づいた」
にやぁっと、唇の片方だけを持ち上げる。らんらんと輝く黒く鋭い瞳が片方歪んだ。
……ものすごーく、ご機嫌なご様子だ。
「それは、おめでとうございます。義父上」
一つ年上の義兄のカイルが、白くて端正な作りの顔の切れ長の目を細め、隙のない笑みを浮べ追従する。
「さすが我が国を導くノワール宰相だ。僕も義父上のお力になれるよう、より一層身を引き締めねば」
「カイル、国を導くのは国王陛下である、我々はただお支えするのみ」
「それは失言でした。……今は、ね」
カイルはわざとらしく眉を下げ、銀縁の眼鏡をかちゃりと上げる。
「ふ、ふ、ふ、気が早いぞカイル」
「ははは」
「ふはははは! はーっはっは!」
この、悪役丸出しのやりとり。私、マグノリア・ノワールの家の平常運転である。
昨日まで疑問に思わなかったのが不思議だ。
私は人形姫の名にふさわしく無表情を装いながら、内心では超動揺していた。落ち着かなければと紅茶のカップを手に取る。音は立てなかったが、紅茶の表面がほんのわずかに波打つ。
そっと二人を観察する。
バロン髭がチャームポイントのお父様、銀縁メガネがチャームポイントのお義兄様は、二人とも黒髪黒目で眼光鋭く顔立ちも美しく、表情までもよく似ている。
お義兄は私の従兄に当たる人で、少し前に後継として我が家の養子になった。
……そして本日めでたく、私がいわゆる、悪役令嬢となる事が内定したらしい。
なぜわかるかって?
……今朝、思い出したのである。
前世でハマっていた乙女ゲームを。
そして、我がノワール家の未来を。
+++
昨日の夜の事だ。
私――まだ記憶が蘇ってない――は、悲しみに暮れていた。
誰も、私の気持ちなどわかってくれない――
マグノリアは物心ついた頃から従兄のカイルが大好きだった。初恋だった。カイルはとても賢く優秀で、宰相であるノワール公の右腕となる事を期待されていた。はっきりと婚約はしていなかったが、大人になったら結婚するのだと思っていた。
しかしカイルは、一年前に正式にノワール公の後継となる「資格」を得た。そして、マグノリアと結婚することなくノワール公の養子となり、義兄となった。
マグノリアは、憧れの人と一つ屋根の下に暮らす事になり最初は浮かれていたが、カイルはさらに距離を取るようになった。なぜなら兄となったカイルには、妹マグノリアを王子アルフレッドの婚約者に仕立て上げる計画があったからだ。
王に嫁ぐのは五公爵の血縁者と決まっている。
マグノリアは五公の一人ノワール公の娘であり、年齢も王子と近くてちょうど良い。父も、娘とカイルを結婚させる必要もなくなったため、乗り気だった。
――なぜ私の気持ちを考えてくれないのだろう。
幼いころから、ずっとカイルだけを見つめていたのに――
王子との婚約の話が進むにつれ、マグノリアの心は押し潰されていった。
そして昨日の夜。ついにマグノリアは神に祈った。
「どうか私の心を亡くしてください」
涙を流しながら眠りにつき、そして目が覚めた時。
私は確かに、心が──魂が、変わっていたのだ。
初恋の人に利用される悲劇の少女であるマグノリアは、おそらくその時死んだ。そしてその記憶と身体に目覚めたのは、この乙女ゲームのヘビーユーザー……というか、マグノリアの義兄である「カイル」というキャラ推しの、オタク女子の魂であった。
「え、やば」
目が覚めて、記憶に魂が入った時。私はすべてを理解した。今、大事なことは一つだけだ。
……一つ屋根の下にカイルがいる……と言う事。
皆さんなら耐えられるだろうか。
人生で一番、自分の癖のツボを押さえたキャラクターが、同じ屋敷にいるのである。
と、とりあえず、一回落ち着こう?
もぞもぞともう一度、布団……いや、天蓋付きのベッドに潜り込む。高級なすべらかな肌触りのシーツ。さすが国を統べる五公の一、ノワール公の屋敷……
……もしかして、このシーツ、カイルのシーツと一緒に洗ったりしたのだろうか……
はっ!! これって、実質、同衾ではないだろうか!?
「むりむりむり……」
真っ赤になってじたばたとベッドから這い出す。
そのままシュミーズ姿でふかふかの絨毯が敷かれた床に転がった。
さらっさらの銀髪が肩をくすぐる。
その肩も、しなやかに伸びる腕も、細い指も、雪のように白い。きっと勇気を出して立ち上がれば、姿見には猫のように少し上を向いた大きなアメジストのような瞳が映っている事だろう。
……しかしこの心持で、ちゃんと、あの無表情なマグノリアの、いわゆるレイプ目が表現できているとは思えない。
「ま、まって、え、むりだって、え、だってこれ、え、え、」
語彙などは消滅した。カイルの家の構造は、設定資料集で完璧に把握している。ええと、ここがマグノリアの部屋で、あっちに窓があるなら、北がこっちで……
「ぐ、ぐへ、ぐふ」
口元を抑える。油断すると叫びだしてしまいそうだ。今は早朝、カイルは朝が弱いと言う設定がある。しかしそれを悟られないように、早めに起きて、一時間くらい部屋でぼんやりしているのだ。きっと今、その時間だ。
尊い。
気持ちがあふれた私は、我慢できなくなって、カイルの部屋がある方向にゆっくりと、土下座した。
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このゲームは、「グランディーア物語」と言う。
五柱の聖霊が護る王国を舞台にした中世ファンタジー、というか、ジャパニメーションファンタジーな世界観だ。
五柱の聖霊とは、ブラン、ノワール、ルージュ、ブルー、ジョーヌ。
分かりやすく五色である。
聖霊の神託で選ばれた五人の聖霊公爵を五公と呼ぶ。王家だけは世襲制だ。
マグノリアは現ノワール公の娘、カイルは現ノワール公の兄の息子で、三年前にノワールの神託を受けた。……ややこしいね。
そんな設定の世界で、ブランの神託を受けた少女が王都にやってきて、攻略対象の皆様と愛を育みつつ、ノワール一家の反乱を収めつつ、なんやかんやあって幸せになるというものだ。
最初は乙女ゲームだったが、結構人気でアニメにもなった。ただ、アニメは改変がものすごくて、設定とメインストーリーが下敷きになった全くの別ものだった。だってロボット出てくるんだよ、意味わからん。
私はその中で、『カイル・ノワール』推しであった。
カイルの魅力に触れておこう。なお、長くなるので、次の段は読み飛ばしていただいても構わない。
少し長めの黒い髪。黒髪は正義である。つややかではなくてマットなのがさらに良い。前髪は緩く後ろに流し、おでこを出している。おでこを出しているキャラはいい。自分への自信が感じられる。白い、形のいいおでこは美青年の証である。細い銀縁の眼鏡の奥で妖しく光る切れ長の黒い瞳。銀縁眼鏡に切れ長の目が嫌いな女子がいるであろうか。いや、いない。細い身体、細いあご、薄い唇。全体的に細くて薄い。あまり背は高くないが、ほかの攻略対象と並ぶと華奢ではかなげで、なのに誰よりも尊大で態度がでかくて、それがとても可愛らしい。線の細い見た目と尊大さのギャップはセクシーである。王子と対象になるようにデザインされた、黒い衣装。まさに黒い王子。闇の貴公子。黒と金と紫でまとめられてオシャレである。薄い唇を片方だけ上げた、嫌味な笑顔。これが迫ってくる壁ドンのスチルほんとやばかった。PCの壁紙にしたが破壊力がすごすぎて1分で戻した。ものすごく近づくと、黒い目の奥がかすかに紫色に光っている。カイルの瞳の色は紫と答えるのはガチ勢の証である。
そして、見た目通りの、清々しい悪役なのである。
私は悪役が好きだ。ちなみに悪役の中でも、策を弄して策に溺れるタイプのキャラが好きだ。どこまでも自分の欲望のために暗躍する。その欲望も地位とか名誉とかそういう俗っぽいものでいい。カイルはその動機も明白だ。カイルはただ認めてもらいたい。自分が優秀で賢く誰よりも優れていると、すべての人に認められたい。だから生まれだけで王位就く王子アルフレッドが憎くて仕方がない。しかしアルフレッドと幼馴染だと言う事も他人に認められるポイントであるから表面上はとても仲良くしている。その表情の下にあるドロドロした感情。美味しい。ご飯にかけて食べたい。しかし自分にも厳しいカイルは本当にアルフレッドの数倍努力している。頑張っているのに認められなくて悔しい思いがそっちに行っちゃったんだね、ああ、そばに行ってよしよしとしてあげたい、いや、私如きにそんなことされて喜んだら解釈違いなのでだめだ。であるから、孤高の存在として、一人でにやりと笑いつつ、眼鏡をくいっと上げつつ、活躍していただきたい。カイルはノワール公に嫉妬する父に厳しく、同い年の王子アルフレッドと比べられながら育った。アルフレッドよりなんでもできるのに、生まれた時からすべてを持っているアルフレッドの補佐にしかなれない。そのやるせない気持ちとノワール家の悲願である王制廃止が重なり、クーデターを企てるのだ。そして無残に散る。私の好きをすべて詰め込んだ、そんなキャラクターなのである。突然ですが性癖発表ドラゴン。「君と会うのがもう少し早ければ……いや、何でもない」とか言う敵キャラ。
……はい。ここまで読んでいただけたら光栄である。読んだうえで、ソウダネ、ワカル、と思った方はチャンネル登録と高評価をお願いしたい。
……要するに、わかりやすく、悪役インテリ眼鏡である。
ストーリーのクライマックスでクーデターを起こすのが、カイルと、カイルに操られた父だ。それをヒロインは、その時いい感じだった攻略対象とともに解決する。
凄く頑張って――かなり不自然に動いてカイルルートに入り、カイルとの親密度を上げまくれば、反乱の首謀者は父になり、カイルはヒロインと結ばれるが、後継の権利を剥奪され聖堂で働く事になる。
これ以外のルートでは、犯罪者として処刑か逃亡。
父に至っては、処刑ルートしかない。お父様、悪役モブだもんなあ。
ちなみにマイベストエンディングは、カイルルートに入って親密度が足りないと見られる、拉致監禁エンドである。カイルがヒロインを人質にして裏社会へ逃げるバッドエンドだ。
そこに愛は無い。
最高である。
やはり悪役たるもの、女にうつつを抜かしてほしく無い。自分の野望のために手段を選ばない、それこそが悪役の道というものだ。
しかし。
そこで私は頭を抱えている。
いくら私がそういうのが好きだからと言って、この先数年後に、家族が首を落とされるのをわかっていて、黙ってみていて良いのだろうか?
いくら悪の花と散るキャラが好きでも、家族にそうはなってもらいたくない。幸せに人生を全うしてもらいたい、と、私は思う。
父は、悲願とかそういうのに夢中になりすぎているだけで、そんなに悪い人では無い。 ………多分。今の所。
少なくとも、マグノリアは大切に育てられた。母はマグノリアが二歳の時に病気で亡くなったが、父はその分可愛がってくれたとおもう。すこし不器用ではあったと思うが。
最近は、マグノリア自身がお父さんキライなお年頃なので、マグノリアのほうが父を避けていた。
王子との婚約も、カイルの口添えもあったが、父がマグノリアのことを考えた結果である。
そんな家族が破滅する事を知って、何とかしないわけにはいかない。
こうなったら、なんとかして運命を改変する、というのが、転生令嬢の道だろう。
私は計画を練り始めた。