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ミルフェット家の系譜

とある令息の結婚事情

作者: 日向百々吉

曽祖父の代より受け継がれた土地は領都に隣接した小さな管轄区で、街との間に大きな川を挟んで利便性が良いとはいえない。

主な仕事が領の文官であったので土地の返還を願い出た事もあるらしい。

もっとも、土地の管理も仕事の一環であると却下され現在に至る。


王都近隣であれば代わりを申し出る者はいくらでもいるだろうが、田舎の地では使い勝手の良い人員を配するのが常套手段である。


幸い、神山に程近く信仰に篤いこの地では、神の加護の下、穏やかな営みが続いている。

霊峰に住まう夫婦神──昼を司る雌神と夜を司る雄神──が、この世を満たす霊氣の均衡を保ち安寧へと導いているわけだ。

時を遡れば、神意に沿わず水害に悩まされた事もあり、その記憶によって里では高台に住まう習慣が色濃く残っている。


当代子爵である父は、口数の少ない真面目な気質で、上からの評価は良く、周囲にも恵まれ、うまい具合に領地を回していた。

そのお陰で、王都での学園生活も贅沢はできずとも相応に過ごすことはできた。

華やいだ街で得るものは数多く、私は3年間の寮生活を経て帰郷した。


学園卒業後、父に就いて領地や役人の仕事を覚えているところだ。


目下のところ、私──パトリック・コックスカイの嫁取りが問題となっている。


高位の貴族であれば幼少期に婚約する者も多いが、下位貴族においては稀有な例だ。

学園に通う間に縁を繋ぐか、卒業してのち縁故を頼るのが通例となる。


家政に秀でた令嬢を望むならば、縁談は早ければ早いほどよい。

研鑽を積んだ令嬢ほどより良い条件を求めるし、場合によっては就労に身を寄せる。

王都での暮らしを夢見る者も少なくないのが現状だ。


学園での友人関係は良好であったと思う。

嫡子である者は次々と縁を結び、そうでない者も節度ある付き合いを楽しんでいた。


私も気のよい友人の紹介で幾人かの令嬢と交流を持った。

しかし、寡黙な父に似て言葉少なな面が災いしたか、発展を臨むことはできなかった。


婚姻に関していえば、徐々に周りの認識は緩いものとなり、家督を継ぐ頃合いで年の離れた娘との良縁があればよいだろうと変化していった。

領主にも挨拶を通しているので良いように取り計らって貰えるだろう。


20歳を前にして父の代理も任されるようになった頃、見合いの話が降って湧いた。

昼と夜を分つ日にお相手の令嬢が領地に訪れるという。



・・



「貴方がパトリック様?お噂よりもずっと地味な方ね」


開口一番にあんまりである。


小鳥のように小首を傾げ、午後の麗らかな陽を纏うご令嬢は可憐な少女だった。

夕餐に合わせた薄桃色のドレスがよく似合っている。

美しくハーフアップに纏めた髪は亜麻色で、ゆるりと巻いて艶やか。

長い睫毛が縁取る若葉色の瞳は、陽光の煌めきを宿している。


一瞬、視線が合うと、目元を緩め花が綻ぶような表情を浮かべる。


お相手のアンジェラ嬢は、隣の領に居住するミルフェット伯爵家の末娘だ。

この度の件は、“娘主導の政略があって然るべき”という彼女の強い意向を周囲が後押しし、伯爵が説き伏せられた形になっているそうだ。


一行を出迎えたのは仲介役の領主伯爵邸で、先方は父親の伯爵とその次男を伴っていた。

ミルフェット伯爵はこちらで夕餐を共にした後、明朝には職務のために王都邸へと発つ。

アンジェラ嬢は、その兄を目付けに我が邸を訪れて数泊する予定だ。


夕餐までの間、双方の父親は領主伯爵と話を詰め、私たち若者3人は庭を散策する事になった。


領主邸は高台にあって庭園からの眺望も素晴らしく、時間を潰すには相応な場所だ。

眼下には緑の萌出た平原が広がり、大きな川の流れと幾つかの川筋が見える。

遠く山裾から緩やかに稜線へと繋がる風景は、心を平穏へと導いてくてくれる。

柔らかな風が肌に心地よい。

視界の端に木立の中で光と戯れる小鳥の姿が映る。


「美しい神山ですわね」


円やかな鈴の音が耳朶を打つ。

山並みの奥の澄んだ青に白い衣の裾を広げた神山がその姿を現していた。


「わたくしの生まれ育った町は静かな山間にありますけれど、このような素晴らしい眺めは見られませんわ」


薄らと上気した頬に年頃の少女らしさが垣間見え微笑ましい。


「子爵邸は川向こうになりますので、船渡しもお楽しみください」

「まぁ。わたくし、川を船で渡るのは初めてです。

パトリック様は出仕の際にも船を使われるのですか?」

「通いは馬で浅瀬を行き来しています。何かと融通が利きますので」


若葉色の瞳が景色を追ってゆっくりと動く。


この機会にと恥を忍んで自分が選ばれた理由を問うてみる。


「あら、書面でお伝えした通りでしてよ。

パトリック様が一番条件に沿っていたのですわ。

わたくし、流行りの物語にあるような“真実の愛”は求めておりませんもの」


臆面もなく明け透けにものを言うご令嬢だ。

側に控える令息に視線を向ければ、目元を僅かに緩めて佇んでいる。

あくまで評定者として静観の姿勢に徹するようだ。



翌日のアンジェラ嬢は、若い娘らしからぬ控えめな衣装に身を包んでいた。

上質すぎるきらいはあるが悪目立ちはしない。

令嬢の物見遊山と少々侮っていたが、考えは改めたほうが良いだろう。


「わたくしのサロンはこの辺りに作りたいと思いますの」


敷地内の雑木ばかりの一画でアンジェラ嬢がにこやかに宣言する。

この縁談には幾つかの取り決めが伴うが、こちら側からすれば破格の内容だ。

サロン棟の敷地提供もその内のひとつであり、資金面の心配もいらないとなれば否やはない。


屋敷周りの案内も庭だけに留まらず、奥の高台にある墓地や使用人棟にまで及んだ。

本邸では屋内の隅々まで足を運び、使用人とも言葉を交わしていた。


恵風のような訪問者は、3日間の滞留ですっかり打ち解けて帰郷したのだった。


巷には『偽装婚約』なるものが存在するらしい。


高位貴族のご令嬢の中には、早くに自身の将来を決定づける事を良しとしない者もいるようで、親の監視が届かない学園でのトラブルを避ける為に仮の婚約者を定めることがあるようだ。

側近くに置かないことで直接の追求を逃れられるような人物が妥当なのだとか。


学園入学を間近にした15前の令嬢が、年の離れた格下の田舎貴族を選ぶのは良い落としどころだろう。

虫除け程度の役には立つだろうか。


とはいえ、この婚約は書面も交わし届けも出す正式なものだ。


父と共にミルフェット伯爵邸へ縁談の手続きに向かったのは、樹々の緑が深まる頃だった。

歓待してくれたアンジェラ嬢は始終機嫌良さげであった。



・・



婚約が整うとアンジェラ嬢から文が届くようになる。


学園や王都での生活への期待、暑い陽射しの下での準備の進捗。


繊細で美しい筆跡は、詩文を綴れば界隈の注目を集めることだろう。



入学式の様子、授業の事、友人との交流、王都の流行り、日々の些事。

事業を起こした経緯、協力者について、こちらの領都への本拠地移転計画。

サロン建設向けての段取り、結婚式に思い描く事柄。


いつしか、私は彼女からの便りを心待ちにするようになっていた。


こちらから伝える事は多くなく、苦し紛れに季節の移り変わりを認めた。

せめて、受け取るだけにならないよう気をつけた。


『パトリック様と縁が結べたお陰で、王子殿下からのお茶会へのお誘いを辞退する事ができました』


文面を目にした瞬間、心臓を掴まれる感覚を味わった。

同時に、離れていても多少の役立つこともあるのだと安堵した。



最初の誕生日には領都の宝飾店で購入したペンダントを贈った。

緑柱石をあしらった、ささやかな物だ。


母に領都で評判の店を紹介され足を運んでみると、アンジェラ嬢の瞳の若葉色が目に留まった。

店主と話しをすれば、贈り物に相応な質の良い物を並べてくれる。

どれをとっても、あの若々しい煌めきを宿す彩りには届かず、最終的に最初に目にした石に合わせた仕立てをして貰った。


礼状には『次回はぜひ灰簾石を』とあり、店に通い手頃な物を見繕って貰った。

伯爵令嬢に見合うとも思えない質素な物であるが、店主の計らいでペンダントと揃いのイヤリングを用意する事ができた。


三度目の誕生日には、少し意匠の凝った髪飾りを贈ろうと店主に相談すれば、金黒曜石に灰簾石をあしらうことを薦められた。

正直、落ち着きすぎではないかと思ったが、店主の目利きを信頼して任せることにする。



アンジェラ嬢が学園卒業を迎える前に、彼女のサロン棟が完成した。


庭園を臨む広い談話室と配膳室、書斎を配置した建物は、渡り廊下で本邸横の出入り口へと繋がる。

庭園の噴水周りでは開花期を迎えた花が彩りを加えていた。

雑木の土地が、領主の屋敷に紛れ込んだかと錯覚するような品の良い空間に生まれ変わった。


学園の卒業パーティーにまつわる手紙には、次兄がエスコートをする事、衣装についての詳細、贈った髪留めで髪を飾った事が綴られ、『パトリック様をサロンの最初のお客様としてご招待します。一緒にダンスを』と認められていた。



・・



昼と夜を分つ日に多額の持参金を携えて若き花嫁がやってきた。


婚義は、領都にて領主伯爵、及び、双方の両親の立ち合いのもと、静かに執り行われた。

上位貴族であれば一族を集めた披露パーティーが賑やかに催される事だろう。

私たち新たな夫婦は、昼餐の後に軽く談話の時間を過ごし、両家の父母を残して子爵邸へと移動する。

馬車で川辺まで降り、そこからは二人で乗った馬を引かれて川を渡り屋敷を目指す。


どこまでも高く透き通る青に白を纏う神山が映える。


邸へ続く道を行けば、里の者達が舞上げた祝福の花弁が降り注ぐ。

陽光の中を踊る花弁がどこまでも続くように思えた。



共に夜を過ごす部屋で、寝台に腰掛けた花嫁が薄灯りに照らされ浮かび上がる。

高く結い上げていた亜麻色の髪は薄絹を纏った華奢な肩越しに流れ落ち、芳香が辺りを漂っていた。

見上げる眼差しの奥に覚悟の色が見てとれ、贄を前にした獣になったような錯覚に捉われる。


不安気な小鳥は鳥籠の扉を開け放したままに飛び立つのを待てばよいだろうか。


「いまなら、まだ立ち止まれますよ」


意を決して言葉を投げる。

最後通告のつもりであっただろうか。


「この日を心待ちにしていたのは、わたくしだけでしょうか?」


小首を傾げた女の真っ直ぐな瞳に哀れな獣の姿が映り込む。


「やっと、わたくしを見て下さいましたわね。

そういうものだと聞いていましたけれど、これ程に心許なくなるとは思いませんでしたわ」


長い睫毛の下で瞳が揺れる。

か細い肩が僅かに震えていた。


「眩しすぎて視界に入れる事ができなかったんだ。すまない」


静かに腕を伸ばし、壊れ物を扱うように抱きしめる。

ほんの一瞬、彼女の身体が強張り、縋るような腕が背中に回された。


どちらからともなく唇が重なる。


「貴女をこの手に迎える事ができて夢のようだ」


鳥籠の扉が再び開くことはあるだろうか。


私は彼女の可憐な瞼にそっと口づけを落とした。



・・



日を置いて、新妻の招待を受けた私は、指定の正装を纏い彼女のサロン棟へ向かった。


柔らかな午後の陽射しを受けて夜会服で出迎えるアンジェラは一枚の絵画のようだった。

テラスに向けて開け放たれた窓から芳香が漂い鼻腔をくすぐる。


高く結い上げた亜麻色の髪が光に縁取られ、細い首とデコルテが澄んだ空気に晒される。

どこまでも爽やかな空気が返って扇情的でさえあった。


肩口は控えめに隠れ、細い腕を長手袋が覆う。


色彩を抑えた質の良い生地の上に重ねられた繊細な刺繍を施した薄地が、華やかさを加わえている。

部分的にあしらった黒に近い茶のラインが線の細さを際立てていた。


淡い灰色に薄く青を掃いた色合いが落ち着いた女性らしさを醸し出す。

年頃の娘らしい花のような彩りのドレスも似合うだろうに。


「パートナーの色を纏うのは乙女の夢ですのよ」


口元に笑みを乗せ、彼女はその場でふわりと回ってみせる。


ドレスと同じ色彩をしたペンダントとイヤリングが目に留まる。

髪の飾りも彼女に贈った金黒曜石と灰簾石の髪留めだった。


「卒業パーティーはそのドレスで?」

「パトリック様に一番に見て頂きたかったのですけれど」


にこやかに傍に立った彼女は私を見上げ、長手袋をした左の手の甲を差し出した。


「こちらは仕立て直しましたのよ」


フィンガーレスの手袋から覗くしなやかな指に小さな緑柱石のリングが嵌められていた。


「わたくしの色を見つけて下さって、とても嬉しかったのです。

色鮮やかなものはいくらでも持ち込まれますのに」


熱を宿した若葉色の瞳が揺れる。


「常に身につけられるので、物語の主人公のようだと皆さんにも好評でしたの」


確かに、ご令嬢方が懇意にする店で取り扱うのは社交に相応しい豪奢な物が主流だろう。


「お友達の希望もあって、わたくしが事業を始めるきっかけにもなりましたの。

協力者も太いのでご安心なさってくださいね」


悪戯気にそう告げて小首を傾げると、過ぎた日の少女が重なって見えた。


「それでは旦那様、わたくしの夢の完成にご助力くださいませ」

「仰せのままに」


たおやかな手を取って緩やかにステップを踏み始める。


オーケストラは、テラスから差し込む光と花の香と小鳥の囀り。


夜の帳が下りるまで飽きる事なく踊り続けた。

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