Re:十年後の自分への手紙
背中に翼がほしかった。
たとえ背中に翼に生えたとしても空は飛べるわけではないだろう。
人の体は飛ぶには重すぎるだろうし。
その体重を飛ばすだけの力があるだろうか。
それでも翼がほしかった。
空を飛んでどこへ行きたかったのだろう。
何かから逃げたかったのだろうか。
生きていれば煩わしいことなんて山ほどある。
生きることから逃げたかったのだろうか?
だからそんなにも死にあこがれたんだろうか?
一言いっておくことがある。
死ぬことは君が思っているほど美しいものではないし、
崇高なものではない。
すごく身近にいて、まるで気がつかないほどのものである。
苦しいし、痛いし、
まして歯医者に行って、あうあう言っている君には耐えきれるものではない。
生きる権利があるというのなら、死ぬ権利もあるはずだ。
君はそういった。
生きようという意志と同時に、死にたいという欲求も並列して存在するのだとも言った。
その通りだと思う。
私も過去そのような経験をしているから、そのことには否定しない。
しかしだ。
ならばなぜ君は今生きているのだ。
君は知らねばならない。
生きるという欲求の根幹の深さを。
よく考えてみるがいい。
人がこれほど歴史を積んでいるのにまだ自滅していない理由を。
それはひとえに生への執着心の表れであろう。
こんなくだらない世界生きている価値ない。
君はそういった。
はっきり言おう。
社会の価値と君が生きる価値とはまるっきり別物である。
社会がどんなに腐っていようと、君が死ぬ理由などにはなりえない。
生きる理由とは自身の中にこそあるのだから、外に求めるものではない。
まして他者に求めるものではない。
もう一度言おう。
自分の存在価値は、自分で決めるものである。
落ち込んでいるのなら、歌いなさい。
声をあげて思いっきり泣いてみるのもいい。
苛立っているのなら、笑いなさい。
声をあげて、思いっきり笑いなさい。
そして、ゆっくりでもいい。
立ち上がりなさい。
私は待っているから。
そして語り合おう。
自分たちの価値を、将来の夢を、この世界のことを、たくさん、そうたくさん語ろう。
私はそんな日を来るまでずっと待っているから。
未来の自分から過去の自分へ愛をこめて