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南極へ

 そこはつい先程まで戦場だった。

 今はつかの間の平和という静寂に包まれている。

 人々の脳裏には耳鳴りのように銃声が響いているだろう。

 ひそひそとしか話し声がしない。

 そんな中、一人浮いた人間がいた。

 今から会社にでも出勤するのではないかと思うほど、しわひとつないスーツ姿の青年。

 彼の名をイーグルという。

 端正な顔にかかった少し大きめの銀縁眼鏡のずれるのを直しながら、彼は身支度をしていた。

 イーグルが自分の荷物を背負い、出発しようとしていたその時、

「・・・」

 自分を見つめる視線に気がつき立ち止まる。

 視線の先には少女がいた。

 戦渦に巻き込まれて、親とはぐれたのだろうか?

 ズタボロの格好の少女はゆっくりと近づく。

 イーグルは懐の拳銃に指をかけた。

「食べ物はない」

 少女は何も言わず、イーグルの前で立ち止まり、彼を見つめていた。

 しばらく見つめあった後、イーグルは少女に拳銃を向けた。

 それを待っていたかのように、少女は静かに目をつむる。

 ぱんっとひとつ銃声が鳴った。

 周囲のものが反射的に自分の獲物を取り出し、イーグルに向けた。

 少女の頬には一筋血が走っていた。

「来るか?」

 少女はコクリと頷く。

 イーグルは少女の名をラビとする。



 某年、某月、某日、ラビは戦っていた。

 敵は目の前の山盛りのサラダである。

 ラビは時にマヨネーズを使い、時にドレッシングを使い、次々に敵を胃の中へ放り込む。

 難敵セロリの筋を抜き、マヨネーズ付けにしてついにこの戦闘に終止符を打った。

 そして、彼女は戦果であるイーグル特製のチョコレートをトッピングしたシュガートーストをほお張るのだった。

「ラビ、口を拭け」

 イーグルは二枚目のイーグル特製トッピングチョコレートのシュガートーストをほお張りながら、ラビを注意する。

 イーグルの口元も汚れてはいるのだが、そこは突っ込まずに素直にラビは頷く。

「食べ終わったら、下に行くぞ」

 ラビは真剣な表情で頷く。

 その顔はチョコレートで髭をつくっている。


 

 そのアパートメントの地下二階、その施設はある。

 そこでは絶え間ない銃声と硝煙の匂いが支配していた。

 そこは射撃場。

 次々と出てくる人型に向けてラビは発砲している。

 教科書に載っているかのような背筋のピンと整ったきれいな姿勢でラビは的に向かっている。

 その後ろで二人の男が腕組みをして真剣なラビの姿を見守っている。

 一人はイーグル、もう一人はベアという大柄な黒人である。

 ベアは無表情でラビを見つめるイーグルとは違い、ラビが一発撃つごとにクルクルと表情を変える。

「なかなか筋がいい。これならもうじき使い物になりそうだね。ねぇ、イーグル?」

「いや、まだまだだ。的を絞ってから撃つまでの時間が長い。撃っていて、疲れてくると姿勢がどんどん歪んでくる。これじゃまだ使い物になんかならないさ」

 ベアはやれやれと首を振る。

「イーグルは一体ラビをどうしたいんだい?イーグルがラビを連れてきたときは、イーグルにこんな趣味があったなんてって驚いたけれど。別にかこって楽しんでいるようにも見えなかったから、何か作戦で彼女を囮や使い捨ての道具のように使うのかとも思いもしたけど、そうでもない。彼女に銃の使い方まで教えて、もしかして彼女を僕たちの仲間にでもするつもりなのかい?いや、そんなはずないか。今のラビの銃の腕前なら仲間内では上手いほうだ。十分に一人で暗殺でも出来るほどに」

 イーグルは懐の銃を抜き、撃った。

 ベアは背筋にスローで汗が流れていくのを感じながら、ため息をついた。

 イーグルはラビのすぐ後ろにつき、ラビと同じ的を撃っていた。

 ラビよりの早く正確に的に銃弾は吸い込まれていく。

「やれやれ、もっとクールになれよ。イーグル。野兎一匹に何そこまで熱くなってるんだい。僕の愛しのイーグルはもっと孤高で気高くかっこいいぜ。まったく、本当に何がしたいんだい?イーグル」

 ベアは射撃場に二人を残し、去って行く。

 二つの銃声はやがて一つになり、ラビはただイーグルの射撃の見本に見とれていた。

(俺はクールさ、ベア。いつでも。俺は師匠と同じことをしているだけ。俺を生かし、育ててくれた師の真似事をしているに過ぎない)

 銃を撃つたびにそこには師の面影がよぎる。

 構え、撃つスピード、リズム、それは自分であり師でもある。

 銃を撃つたびに死した師がそこには現れる。

(師匠は何かを残したかったのかもしれない。今まで奪うことしかしていなかったから。今の俺と同じく)

 イーグルはラビを見る。

(こいつは次の俺。そして次の師匠でもある)

 ラビは咎められたと思ったのか、また銃を構え撃ち始めた。



「帰りは遅くなる。先に何か買って食べておくといい」

 テーブルの上にお金を置き、イーグルはラビに仕事に行くと伝える。

 ラビは了承したと頷く。

 ラビはイーグルが部屋を出て行ったのを確認してから、テーブルのお金を鍵付きの引き出しがついたオルゴールにしまう。

 ラビは何かを確認したように一人頷くのだった。

 それからしばらくラビはいつも通りボーっとしていたら、コンコンと玄関のドアがノックされる。

「やぁ、ラビ。僕だ、ベアだ」

 ラビはとっさにベッドの下に隠れる。

 ハッカで声色を変えた狼ではないかというふうに、恐る恐るベットの下の隙間から玄関の方を覗き見る。

「ラビ?開けるよ?いいかい?」

 ベアの大きな足が床をきしませる。

「ラビ。仕事だよ。イーグルのお手伝いだ。出ておいで、ラビ」

 ベッドの下から首だけラビが姿を現す。

 巣穴から顔を出す小動物のようで、思わずベアは破顔する。

「早く支度しといで。僕は下で待っているからね」

 それだけを告げるとそそくさとベアは部屋を出て行く。

 残されたラビはベッドの下から抜け出し、服についたほこりを払う。

 首をかしげ、少し考えた後、ラビは拳銃を手に部屋をあとにするのだった。



 イーグルは見晴らしのいいその部屋に陣取った。

 大通りに面したそのビルの十六階。

 スコープ付のライフルに迷彩をかけてかまえ、ターゲットを待つ。

 ゴキブリのようなてかてかした高級外車から降りてくるはげづらの男。

 点火したらよく燃えそうな贅肉を蓄えている。

 スコープごしに見えるのは、もはや人ではない。

 ただの標的。

 いつもどおり迅速に。しかし、的確に相手に照準をつける。

 引き金を引く寸前、そこに人が現れる。

「ラビ!」

 イーグルは思わず叫んでいた。

 イーグルの撃つはずだったターゲットに拳銃を向けるラビ。

 イーグルの指は思考よりも早く動く。

 ラビに拳銃を向けたターゲットの護衛三人を続けざまに、撃ち落す。

 身をかがめてラビに迫る二人を撃ち。

 ターゲットを逃走しようとする車ごと破壊。

 経験が警鐘を鳴らしている。

 これ以上はやばい。

 場所がばれれば、自分の命も危ないのだ。

 いつもならとっくに引き上げている。

 暗殺に一秒もロスは許されない。

 それだけシビアな任務なのだ。

 しかし、指は止まらない。足は動かない。

(ラビ、ラビ!何してるんだ。馬鹿が!)

 心でつぶやく、指は止まらない。

 もはや撃っている相手が敵かすら判別できない。

 道を阻むもの、ラビを追うもの、そこには一切の躊躇はない。

(早く逃げろ。もっと早く)

 ラビの姿がもう視認出来なくなってから、ようやくイーグルはその場を離れた。



(もう駄目かもしれないな)

 イーグルは体中についた硝煙の臭いを気にして、人気のない通りを選んでラビの元へと急いだ。

(ラビ、ラビ!)

「らしくない、らしくないよ。どうしたのさ?」

 迷路のような細い路地。

 声のしたほうにとっさに構えようとするイーグルだったが、既に相手の銃口はこちらを向いていた。

「焦ってズンズン進むのはいいけれど、いかんせん周りに気が届いていない。僕が敵だったら、声をかける前にズドンさ」

 道幅とちょうど同じくらいの巨大な体躯、聞き覚えのある声、

 ベアだった。

「ラビは?ラビを知らないか?ベア?」

「ラビ?やはり彼女か。君をおかしくしているのは」

 巨体がゆらりと動いたと思ったら、一瞬で間を詰めていた。

「なぜ抜かない?君の抜きの速さは僕が良く知っている。数々のミッションで、何度君に助けられたか?まるで西部劇でも見ているように鮮やかで、美しかった。でも・・・」

「ラビは?」

 イーグルの語気は強くなるが、ベアの張り付いたような笑顔はものともしない。

 そして、ベアは拳を固めた。

 それが何を意味するかイーグルは分かってはいたが、体は動かなかった。

 気がつけば、息苦しさと痛みが襲っていた。

「失望、そんな言葉がもっともふさわしい。あこがれていたんだよ、僕は。強い君に、美しい君に。それがなんだい、女の子一人に見る影もないじゃないか?」

 イーグルはゆっくりと銃口をベアに向ける。

 しかし、そのことを気にも留めずゆったりとした足取りでベアは近づき、イーグルの両の腕を鷲掴みにした。

「安全装置ぐらいはずしなよ?本当に君は馬鹿だな」

 そして、鈍い音と共に両翼は砕かれた。

 イーグルの絶叫をベアは狂喜の瞳と、哀愁の表情で見つめていた。

「ラビ・・・」

「そんなに会いたいかい?なら会わせてあげるよ」

 遊び飽きたおもちゃを捨てて、ベアはイーグルに背を向けた。

「彼女の死体とね」

 イーグルの体にカッと血がめぐり、今まで鈍かった体は水を得た魚のように躍動する。

 ベアが一歩踏み出すかの間に背に蹴りを放っていた。

 革靴に仕込まれたナイフは、見事にベアの心臓を突き刺し、致命傷を負わせる。

 何が起こったのかわからず、ベアは信じられないような瞳でイーグルを見つめる。

「君が暗器を使うなんて知らなかったな。僕の知らない君がいた。ただ、それだけのことだったんだね」

 ベアの体が砂埃を上げて、地に沈む。


 

 イーグルは何とか自宅に戻っていた。

 負傷した状態で闇雲に探すのは得策ではないと判断したからだ。

 もしかしたら、もう自宅へラビが戻っているんじゃないかと淡い希望も抱きながら、玄関を何とか開く。

「ラビ・・・」

 静かな部屋に声を押し殺したような泣き声が聞こえた。

 安堵感を覚えながら、ベッドの前に膝まづく。

「ラビ。出ておいで」

 目をぐしぐしとしながら、ベッドの下からラビは出てくる。

 乱れた髪、汚れた服、赤く晴らした瞳。

 必死に逃げてきたのだろう所々に小さな傷がある。

 怒られると思っているのだろうか、しゅんとうつむいたまま黙している。

 いや、怒らねばならないとイーグルは声をかけようとした。

 何故あんなことをしたのか?

 自分がとった行動に対して、どんな影響が出たのか。

 そして、声は暖かな雫となりて、頬を伝う。

「痛いの?・・・怪我。してる・・・」

 抑えきれない小さな嗚咽に気づいて、ラビはイーグルに声をかける。

 抱きしめたくとも、両の腕は思うように動かず、声は声にならず、ただ首を振るしかなかった。

 ラビの小さな手が頬の涙をぬぐう。

 少し冷たい感触がほてった心に心地よく、涙はなおも止まらない。

「怖いの?・・・大丈夫・・・もう、怖くないよ」

 ポツリポツリと発せられる言葉は、まるで子供をあやすかのように。

 イーグルは小さな肩に身を預けゆっくりと、まどろみの中へと溶けていった。



 イーグルが気がついたのは三日後、体はいまだ熱っぽく、医者からは全治三ヶ月と診断された。

 その三ヶ月間、ラビはイーグルの世話を甲斐甲斐しくした。

「何故、掃除する前より汚れるんだ」

「何故、レトルト食品で食べれるものが出来ないんだ」

「何故、着せてくれる服は決まって後ろ前反対なんだ」

「いや、さすがに風呂まで手伝ってもらわなくても、一人で何とかするから」

 その三ヶ月間、周りの状況は急激に変化していった。

 自分たちの組織の親元である組織が壊滅状況になり、組織は解散しつつあった。

 疎遠になっていく仲間たち。

 このまま普通の生活に慣れていくのも悪くないと思いかけていた矢先、一本の電話がかかる。

 そして、最後のミッションが下された。


 

 豪華客船ペンタリア。

 世界六大大陸めぐりと称された、この遊覧旅行は出発をスエズ運河とし、終着点を南極とした、一風変わった旅行プランとなっている。

 案件は要人暗殺。

 壊滅寸前の組織にとっては一矢報いたいという心意気なのだろうが、肝心の何時その要人が船に乗り込むという情報がないので、二人は普通に旅を楽しんでいた。

 その要人が乗り込んできたのは喜望峰。

 終着点の南極のひとつ手前の停泊先であった。

 喜望峰を出発してから二日目の夜、盛大な爆発音とともにミッションは開始された。

 イーグルはターゲットの部屋に激しくノックをする。

「襲撃です!早く避難してください!」

「ああ、分かっている」

 相手の返答は緊急時だというのにのんきな返事である。

 部屋から出てきたのは、燕尾服姿の初老の老人。

 にこやかな笑顔とともに、銃をイーグルへと向けていた。

「さあ、入りたまえ。襲撃犯君」

 イーグルは手を頭の上に組んで、おずおずと部屋に入っていく。

 広い部屋であったが、燕尾服姿の人間が所狭しと詰め込まれていて、本来の広々とした開放感など微塵も感じさせない。

「やあ、ごきげんよう。私が君のターゲットというわけだ。さあ、それでは何故君が襲撃犯かわかるのか?その疑問に答えよう」

 ガラス製の高級感あふれるテーブルに立っている燕尾服姿の青年が語り始める。

「この船はわれわれの組織の重要な拠点であり、ほとんどの乗組員が我々の組織に属している。だからこそ、君たちをマークすることなど簡単だったというわけさ。この襲撃のことも筒抜け、まったく運がないねえ君は」

 その青年は高笑いとともにオペラのようにイーグルに語りかける。

「無論君のこともリサーチ済みさ。我々の仲間になれ。これは命令さ。断れないだろ、この状況じゃあねえ」

 イーグルは辺りを見回す。

「ああ、そうだな」

 イーグルは青年に対して手を差し伸べ、握手を求める。

「素直でよろしい」

 青年はよっと声をかけテーブルから飛び降り、イーグルに近づく。

 イーグルは手を引き、懐に手を入れた。

 周りの人間が引き金を引くよりも速く、銃を抜き撃つ。

 踊るように、燕尾服の男たちがみな崩れ落ちる。

 イーグルは何事もなかったようにスーツのよれを直す。

 そして、ドアノブを引こうとした瞬間、勝手に扉は開いた。

 目の前にまたもや燕尾服の男。

 しかしイーグルが銃を抜く前に、男は白目をむいて倒れた。

 倒れた男の背後にはラビが息を切らして立っていた。 

 手には消火器が握られている。

「・・・大丈夫?」

 イーグルはやれやれとため息をつきながらも、ラビの手を引いて急ぎその場を去った。

 周りには敵しかいない。

 けれど不思議とイーグルの中には不安はなかった。

 イーグルはその理由を知っていた。

 それは・・・



 豪華客船ペンタリアに搭載されていたペンギンという潜水艇を奪い、何とかイーグルたちは逃げおおせていた。

 疲れ果ててしまったのかラビは、イーグルの懐で丸くなって眠っている。

 乱れた髪をイーグルはかきとかし、額に静かに口付けした。

(イーグル君は一体何をしたいんだい?)

「ベア、今ならちゃんと言い切れるよ。俺はラビを守りたい。ずっと、いつまでもこいつを守っていたいんだ」

 イーグルは懐で眠る小さなぬくもりを静かにかみしめていた。


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