WaterFall
流れ落ちる水は轟音を立てて、落ちていった。
弾むようにしぶきが飛び散り、波紋を生む。
波紋は幾重にも重なり、やがて一つになっていく。
そして、私の足首にそのリズムを刻むのだ。
見上げるとそこには虹が。
さんさんと降り注ぐ日の光と水の共演である。
波の長さの違うさまざまな色は、折り重なって歌うのだ。
虹のコーラスを見ながら、そのしぶきの一つ一つに目を凝らす。
一定に聞こえるしぶきの音は、よく聞くと違う。
カンタービレ。
そこはもっとピアノ。
だんだんと、そう、クレシェンド。
私は彼らの前で指揮を振るように、囁く。
水上の舞台に観客は、私だけである。
悠久に続くその演奏会は、終わりを知らない。
その圧倒的なまでの存在感を感じ続けた結果、私は水の中に落ちてしまう。
水の中で気づく、演奏は舞台の上だけで行われているわけじゃない。
まるでショーの合間に飛んでいく飛行機のように、泡たちが私の前を次々に通り過ぎていく。
水の中には魚やら生き物がたくさんいた。
どうやらここのお客さんは、恥ずかしがり屋らしい。
あら、こんなところにいたのね、それじゃあ、またお会いいたしましょう。
と澄ました挨拶をして、私は水面から顔を出した。
目線を変えると、その存在自体は変わらないのに、大きく見えてしまう。
矮小な自分と卑下していたのは、水の中だったからだろうか?
また波紋が、私の首筋にリズムを刻む。
気持ちがいい。
煩わしいことは何も考えず、こうしていられる、それだけで私は幸せだった。
栖坂月先生
続けて読んでくると、どうしても違和感が(笑)
ついさっきまでシマパンとか書いていた人には思えません。
山羊ノ宮先生は、こういう詩的といいますか、短くて韻を踏むような文章も向いてますよね。私にはない才覚だと思います。同じように短くとも、こういう感じにならないんですよね。何というか、正確性を求めて野暮ったくなるような印象でしょうか。良い意味で適当というか、事実を無視するような描写ができるからこそ、このような文章になるのだろうと思います。
学術書と違って、書くだけなら簡単なのですが、良い物を書くのはむしろ難しいですよね。そんなことを思ってしまいました。
また来ます。それでは