七曜の花 -水の花ー (残)
「すまない。どうしてもその花が必要なんだ」
「でも・・・」
「無理を言っているのは十分に分かっている。でも、君以外に頼ることはできないんだ。その花がないと俺は破滅してしまうんだ。お願いだ、ジュネ」
「・・・分かったわ。愛するあなたのお願いだもの。なんとかしてみるわ」
夜の海上に二人の影が、忍ぶように漂っていた。
「でも、今すぐにとはいかないわ。次のお世話当番の来週になるわ」
「ああ、それでかまわない。こちらも用意しておくよ。二人で、地の果てにでも逃げよう。でも、無理だけはしないでおくれ。一番心配なのは君のことなのだから」
「ありがとう。ベネトン。きっとあなたのもとに花を届けてみせるわ」
「ありがとう」
そう言って、二人は別れた。
そして、それぞれが帰るべき場所へ、帰っていった。
人であるベネトンは陸へ、人魚であるジュネは海底へ。
その花は海の底に咲いている。
人魚たちに守られながら、海の神の寵愛を受け、青く咲き続けているのである。
人間たちにその存在が知られたのは、ある探検家の伝記によるものであるが、数々の偽物の存在によって、その花を追い求めるものは少なくなった。
しかし、その数少ないものの中に一人の男がいた。
名をベネトンという。
ジュネの花の世話当番の日がやってきた。
ジュネが思っていたよりもスムーズに、花を奪い去ることができた。
日頃のジュネの勤勉さが功を奏したのであろう。
高鳴る心臓を抑え、彼女はベネトンのもとへ急ぐ。
「ジュネ!」
低く囁くようにベネトンは名を呼んだ。
普段より大きな船がそこにはあった。
「ベネトン!」
「こちらへ。大きな水槽を用意している。これで一緒に逃げよう」
「分かったわ」
ジュネはベネトンに抱きかかえられ、船内の狭い水槽の中におさまった。
水槽の中でジュネは想像した。
これからのことを。
決して楽な未来ではないだろう。
だが、愛するものと二人寄り添って生きていけるのだ。
これほど幸福なことはない。
ジュネが想像の羽をはばたかせていると、笑い声とともにベネトンがやってきた。
「ベネト・・・」
ジュネは彼の名を最後まで呼ぶことができなかった。
ベネトンの隣に女がいたからだ。
「隣りの女は何?」
「ああ紹介がまだだったね。彼女は俺の恋人のカーラだ」
「恋人?私に囁いた愛しているという言葉は嘘だったて言うの?」
「いや、愛しているさ。俺の大事な商品なんだから」
ジュネの顔はこわばり、全身が金縛りにあったような衝撃が走った。
「この花だよ」
「本当に本物なの?」
「ああ、本物さ。もし信じてくれなくても人魚と一緒なら、信じてくれるさ」
「それでも駄目だったら?」
「人魚だけでも珍しいものだ。それなりに金になるだろ?」
「それもそうね」
ベネトンたちは来た時同様、笑い声をあげてジュネのもと去っていった。
自然とジュネの瞳からは涙が流れた。
情けないやら、悔しいやら、悲しいやら。
ただただ涙は、溢れてくるのである。
「まったくもって情けないわね」
ジュネの目の前には、花に宿る精霊がいた。
「あなたは泣くしか能がないの?何でもっと言い返さないの?何なら私が今から行って、あの男の頭かち割ってやろうかしら!」
憤慨する精霊に、ジュネは目を丸くしていた。
「でも一番ムカつくのは、人魚に花の世話をまかせっきりにしてこんな羽目になっている私自身ね」
「いえそんなことは。今回のことはすべて私のせいでございます」
しゅんとするジュネに対して、鼻を鳴らす精霊。
「まあ、いいわ。それよりも早くここから出るわよ」
「え?一体どうやって?」
「その花を飲み込みなさい」
「そ、それでは精霊様は一体どうなるのです?」
「私のことなんか気にしないで早くしなさい。時間は刻一刻と流れているのよ」
「はい」
ジュネは精霊の言われるがまま、花を飲み込んだ。
それがどのようなことになるのかも分からず。
ジュネは水槽から出た。
たどたどしく両足で体を支え、何とか船外に出ることができた。
人間の姿になっても、海の中で息ができるらしく、ジュネはなれない足で必死に泳いだ。
そして水底に。
「お前はしたことの重大さを分かっているのか?」
「はい」
ジュネの前には海の神がいた。
ジュネはただひれ伏すだけで、何の弁明もせず、そこにいた。
「ではこれからどうなるのかも分かっているな?」
「はい」
「そうか。ではこれより刑を執行する。誰かこの者を連れて行き、岩に張り付けにして、串刺しにするがよい」
「すまない」
刑を執行するものが、そうジュネに言った。
「いいのよ。私が悪いんだもの。あなたは気にしないで」
「できるだけ苦しまないようにするから」
「ええ、お願い」
海の神も残酷なことをするとジュネは思った。
目の前にいるのは、ともによく過ごした友人だった。
しかし、誰にもみとられずに死にいくよりは、幾分かましかとも思った。
「では、刑を執行する」
友人の手に握られた槍は、深々とジュネの体を貫き、その傷跡からは血が漂っていた。
血の匂いに誘われて、サメが早々とジュネの周りをまわっている。
そんな中、血のもやとともに精霊が現れた。
「まったく、ひどい目にあったわ。・・・そこの人魚。早くそいつの臓物から花を取り出しなさい。早くしないと花が溶けてしまうわ」
友人は苦虫をつぶしたような表情でジュネの腹をえぐる。
出てきたのは、花の種。
「それを植えて、また一から育てるのよ。分かったかしら?では、私は忙しいから後はお願いね」
そそくさと消える精霊。
あとに残されたのは人魚たちと花の種だけである。
今でもその花は人魚たちに守られそこにある。
海のそこで青く咲き誇っているのである。