魔女ジルルキンハイドラへの誘惑
深い森の奥に一人の魔女が住んでいた。
魔女の名は、ジルルキンハイドラ。
その姿は幼女の姿をしているが、数百年の歳月を生き、その知識は海よりも深く、ありとあらゆる妙薬の知識をもっていた。
そして、遠くを見渡せる千里眼をもち、彼女の知らないことなどこの世にはないとさえいわれている。
俗世を嫌い、一匹のペットと暮らしている。
ペットの名はトットルッチェ。
人語を解する稀有な黒いライオンである。
ある日のことである。
一人の商人が訪れた。
「すみま・・・」
「待ってました!」
商人が玄関の扉を開く前に、ジルとトットルッチェは飛びだした。
まるで子供のように目を輝かせる二人に、商人はにっこりと笑った。
「お待たせしました」
ジルは商人にテーブルの席をすすめ、自分も反対側の席に座った。
そして、テーブルの上に置かれる品物にうっとりしていた。
「それではまずトットルッチェ様の分ですね。依頼書通りのものが入っているか確認してください」
商人は袋の中から長さの違うねじやバネを取り出した。
「うん。わかった」
「では、こちらが先日いただいた依頼書ですね」
商人は紙を一枚トットルッチェに渡す。
トットルッチェは紙を見ながらねじを一本ずつ数えるのだった。
「そして、こちらがジルルキンハイドラ様の依頼のものですね」
「はふ〜」
「あの、ジルルキンハイドラ様?」
「ふえ?」
「ご依頼の品、こちらでよろしかったですか?」
「はい!もちろんです!こんな素晴らしいものありがとうございます。いますぐお代もってきます」
「満足していただいて何よりです」
ジルは奥から金貨の入った袋を取り出し商人に渡した。
「おじちゃん。悪いんだけど」
「なんでございましょうか?トットルッチェ様」
「これ長さが一本違うよ。ほらここ、数が合わない」
「それは失礼いたしました」
「うー。また入荷するまで待たないといけないのかー」
「いえいえ、これは短くするだけですから大丈夫でございます」
商人は懐から変わったハサミを取り出し、ねじの長さを測って印をつけ、パチンと切った。
「すごい!何それ?」
「ねじを切る道具でございます」
「もしよかったらでいいんだけど、それ僕に売ってよ」
「申し訳ございません。こちらは売り物ではございませんので」
「そうかー」
うなだれるトットルッチェ。
「ですが同じものが手に入りましたら必ずお持ちいたします」
「ほんと?!」
一転して喜々とするトットルッチェを商人は微笑んで見ていた。
「それではまた。何かありましたらお気軽にお申し付けください」
商人はぺこりと会釈して帰って行った。
「ジル。ちょっとジル!ずっとほけっとしてどうしたの?」
「ああ、トットルッチェ何?」
「もういいよ。というかその本の山なんなの?古文書とか、薬の調合レシピとか?」
「ううん。これはもう滅んでしまった国で書かれた物語なの」
「ふーん。面白いの?」
「うん!これなんかすごいのよ!ポリリンヌっていう作家が書いたものなんだけど、これは彼女の処女作の地底戦記アシュラ王っていう作品の幻の七巻。作者の死後、遺書と一緒にこの原稿が出てきて本になったんだけど、版権を争っていろいろなところで争いが起きて、結局自費出版になっちゃたものだから冊数が限られていてまず手に入らないレアものよ。あと、これなんかは・・・」
「僕、材料揃ったから新しい罠作ってくるよ」
「ちょっと!トットルッチェ!まだ話し終わってない!」
数日後、商人がまたジルのもとへ訪れた。
「駄目!来ちゃダメ!」
「トットルッチェ様!?」
商人が玄関を開けると、トットルッチェが飛び込んできた。
奥からゆらりゆらりとジルが現れる。
「ジルルキンハイドラ様?!一体どうしたのですか、ジルルキンハイドラ様は?」
「あれからずっと本を読んでいて、一睡もしていないんだ」
「あれから。ずっとですか?」
「うん。ずっと。だからまた本を渡したら、絶対寝ずに読み続けるに違いないんだ」
「うへっ、本・・・本♪本」
「だから早く逃げて、おじちゃん」
「逃がさないわよ・・・私の本」
異様なジルを前に二人は後ずさる。
「誠に申し訳ないのですが」
「何?おじちゃん」
「今回本は持ってきていないのです」
ジルの歩みが止まり、硬直する。
商人は懐から変わったハサミを取り出した。
「先日、トットルッチェ様に依頼されたものです」
「あー。ねじ切るハサミ!ありがとう、おじちゃん」
「いえいえ」
「今お金持ってくるから」
トットルッチェは奥から金貨の入った袋をくわえて、商人に渡した。
「それではまた何かありましたら、お気軽にお申し付けください」
商人はぺこりと会釈して帰って行った。
「本・・・ない」
「うん。そうみたい。残念だったね、ジル」
その瞬間ジルは静かにその場に倒れた。
「ジ、ジル?!」
ジルは、穏やかな寝息を立てていた。
「ああ、おはよ。トットルッチェ」
「なんか言うことあるでしょ、ジル」
「私は本が好き」
「・・・違うでしょ。ほんと心配したんだから」
「ごめんなさい。私が悪かったわ。トットルッチェ」
「うん。分かってくれればいいよ」
「これからは徹夜は一日おきにする」
「懲りてないでしょ」
「だって私本が好きだもん」
その後ジルルキンハイドラ様を見つけても、本を与えてはいけないという噂が広まった。
栖坂月先生
魔女三部作、読ませていただきました。
三つ目は少しネタ的に弱い気がしましたけど、短編集として考えれば全体的にレベルの高い作品であることは間違いないと思います。軽快でありながら、しっかりと謎を含ませて展開し、最後は綺麗に締められています。本当にストレスなく、作品を楽しむことができました。
長編にするの内容的には難しいと思いますが、シリーズ化はアリのような気がしますね。これで終わってしまうのは、ちょっと惜しいような気すらします。
また来ます。それでは