あなたに会いたい
「ねーえ、まだ壮ちゃんから連絡来ないの?」
授業を途中で抜け出し、うららは制服姿にスクールバッグを持ったままマネージャーと番組の収録に向かっていた。テレビ局をだらだらと歩いていると鈴浦にばしりと背筋を伸ばすように叩いて促された。
「来てないわよ。……まあ、忙しいでしょうねこの時期は。あの子の学校、かなりの強豪校らしいわ」
「電話ぐらいすぐできるでしょ? ……てか、そもそも俳優やる気ないのかも……!? だめ、絶対そんなのだめ!」
「こら、大声出さない。いつも言ってるでしょう。常に周りから見られてる意識をしなさいって。ここは家でも事務所でもないの」
「……は〜い」
不貞腐れたうららを見て、まだまだ子供だと鈴浦はため息をついた。
*
「おはようございます!紅本うららです。本日はよろしくお願いたします」
衣装に着替え、メイクを済ませて鈴浦と共にスタジオへと足を踏み入れる。だらけていた先程とは切り替え、中学生から女優の紅本うららとなる。姿勢を伸ばして、笑顔で挨拶をすると、スタジオ中のスタッフや出演者が振り向いた。
「うららちゃん!大きくなったね〜いくつになったの」
「ご無沙汰してます! いま中3です!」
「来年は高校生か〜」
「えへへ、受験生です」
馴染みのある司会者と会話をしながら席に着く。うららの席はゲスト席の右端。残りの5席はまだ埋まっていない。早く来ないかと何度も時間を確認する。
「「おはようございます!」」
「おはようございます、NightBeatと申します」
「よろしくお願いします!」
男性が数人スタジオ内に入ってくる。各々が色んな方向へ頭を下げ挨拶をするため、なかなか自分の座る席まで辿り着かず焦れったくて思わず立ち上がる。
「おはようございます」
「あっ!紅本さん。おはようございます。サニーズ事務所のNightBeatと申します。リーダーの日下部です」
「アキハラエンターテインメントの紅本うららです。もちろんNightBeatさん存じ上げています!この度はCDデビューおめでとうございます。本日はよろしくお願いします」
にっこりと笑って会釈する。大手サニーズ事務所の期待の若手グループ、Night Beatだ。年明けにCDデビューが決まり、サニーズJrとしての肩書きに卒業を控えている面子だ。おそらくそのCDデビューの告知として番組のゲストに呼ばれたのだろう。
「ありがとうございます。紅本さんもいつもドラマ拝見させていただいてます」
「ああ、見てくださってありがとうございます。あの……紅本じゃなくて呼びやすいように呼んでください。うららでもなんでも。ほんとに気を使わないで敬語もやめてくださいね」
「いやいや、でも……」
幼すぎる頃から芸能界にいると、こんな風に距離が生まれてしまう。年齢ではなく芸歴で上下関係が決まるとは言われているため気を使われてしまう。……とくに、こう言ったアイドルがメインとなるこう言った大手の事務所には。このグループの中には、うららとは10歳近く年が離れる者もいる。もし自分が逆の立場であれば、いくら芸歴が先輩とはいえ10も年下の中学生に敬語を使って先輩として敬うのは耐えられない。
「紅本さんって聞き慣れなくて。それに言いにくくないですか?くれもとって。未だに同年代の子役仲間たちにはうーちゃんって呼ばれてるくらいですし、下の名前で呼んでくださった方が嬉しいです。……あ、でもそんなことしたらみなさんのファンの方心配しちゃいますかね……?」
うららの言葉を聞いて、緊張していたメンバーたちの顔が緩んだ。
「……じゃあ、うららちゃんって呼んでもいいっすか? みんな裏ではうららちゃんって呼んでたんすよ〜!」
「もちろん、そう呼んでください!」
初対面相手でも距離を縮めていく。うららはそれが得意だと自負しているからこそ、人脈をすぐに自分で広げられるのだ。
「……すみません、うちのうるさいのが」
リーダーの日下部が、呆れたようにため息をつく。真面目な性格のタレントは、敬語じゃなくてもいいとは言ってもやはりこうなる。
「いえ。……あまり、年上の人に気を使わせたくなくて。それだけです。日下部さんも好きなように呼んでください」
「……じゃあ、うららちゃん。ありがとうね、ほんとに」
「収録10分前でーす!」
「じゃあ、よろしくお願いします」
グループ内のメンバー数人はバラエティ慣れをしていないのか表情が強ばっていたが、収録が始まる頃には少しだけ肩の力が抜けていた。子役から女優と言う肩書きに変わったとは言えど、子供の自分に出来ることはこうやって癒して出演者の緊張をほぐすことくらいだ。うららは満足気に着席する。
「隣、失礼します」
「あっ、よろしくお願いします」
隣の席に着いたのは偶然にもうららが用のある人物だった。
───篠田涼真。デビュー発表をされる前から注目を集めている、NightBeatの中でも人気度の高い演技派アイドルだ。グループが全体的に平均身長が高く、壁のように感じていたがその中でも彼は身長が高い方だ。
「篠田さん……あの」
「えっ、あ、はい。なんでしょう」
あまり浮き沈みのない性格だと聞いていたが、驚いたように慌ててこちらを見る。
「あ、すみません急に。篠田さんにお聞きしたいことがあって」
「……僕も、聞きたいことがあります」
あの、と口を開いた途端、まもなく収録開始と合図が出された。
「すみません、また収録終わりに。この後時間は大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫です」
「じゃあ、また後ほど」
彼は静かに表情を変えずに頷き、お互いカメラの方を向いて背筋を伸ばした。
*
「ごめんなさい、お待たせしました」
「あ、いえ。全然お気になさらず」
鈴浦が別件でうららの元を離れ、局内で時間を持て余していたため、その隙を狙って互いの楽屋前で待ち合わせをする。制服に着替えたうららを眺めて、不思議そうな顔をする。
「学校の制服なんですけど……夏服ダサいですよね」
うららの着用する制服は薄い水色のカッターシャツに紺色のプリーツスカート。東京の中学校では地味な方のどこにでもある制服のスカートをひるがえして見せた。
「あっ、いや、そんなつもりじゃなくて。……ほんとに学生さんなんだって思って。高校生、だっけ?」
「いえ、中学3年生ですよ」
篠田は収録中の会話を聞いていなかったのか興味がなく忘れてしまったのか、印象とは違う少し抜けた性格に思わずくすりと笑ってしまった。
「あ、そういえば中学生って言ってましたね……。それで、話って」
「あ、そうですよね。すみません、今日お会いしたばかりなのに……。あの、えっと……。篠田さん、4、5年前にひまわりテレビ系列のドラマに出演されてましたよね?」
初対面の中学生にいきなり昔の話をされると気持ち悪がられるかもしれない。"紅本うらら"としての印象やイメージを何よりも大事にする事務所と鈴浦がこの場にいればおそらく後に事務所で怒鳴られていることに間違いはない。それでもどうしても尋ねたいことがあるのだ。
「えっ……と、"ホシコイ"のこと……?」
「!そうです、ホシコイ! あの、その時の共演者の子役の子、覚えてますか?」
思わず篠田に詰め寄る。本当に鈴浦がこの状況を一目見れば、自分には暫く自由は無いかもしれない。
「子役って、ユウキくん役の……」
「野咲 壮真くんです! その子のことで聞きたい事があって」
「壮真くんの……」
顔を顰めて俯いた篠田。何かを知っているのか、自分と同じように探しているのか。それとも……自分の事務所に勧誘しているのか。焦って更に問い詰めた。
「そうです! 何か知りませんか?壮ちゃんのこと。連絡先とか!」
「それは───」
「お〜い"しの"! 早く食べないと差し入れ無くなるぞ……ってお取り込み中?」
「いや、違うけど」
「別に恋愛はどうこう言わないけど、デビュー前の意識持てよ〜。中学生相手にも迷惑かけんな」
「だから違いますって、日下部くん」
NightBeatのメンバーが楽屋から顔を出した。興奮していたうららは少しだけ冷静になり、リーダーの日下部が楽屋の中から少し怒ったように声をかける。明らかに自分が篠田に対して距離が近い事に気付き、慌てて3歩下がる。
「すみません、ほんとに……」
「いやいや。大丈夫ですよ。……場所、変えます?お腹空いてない?」
「え?」
*
人気の少ない通路の端に置かれたソファーに少しだけ距離を置いて座る。急に篠田が立ち上がったかと思いきや、近くの自動販売機で飲み物を買っていた。
「はい、これ。よかったらどうぞ」
「え、あ、ごめんなさい……ありがとうございます」
手渡されたのはコーヒーやジュースではなく、ただの天然水。まるで彼の性格そのものを表しているようで、目の前にいる男性は、どこか不思議なオーラを放つ。それでもいくら中学生とは言え女子である以上、言わぬ勘違いを防ぐためにこうやって人気のない場所を選ぶところが彼がアイドルであることを思い出させられる。
「壮真くんはその時小学校1年生ぐらいで、携帯は持っていなかったから連絡先はわからない。携帯持ち始めたら交換しようって言ってたんだけど、そのまま壮真くんと鳴宮真子ちゃん引退しちゃって。……でもそれで言ったら、紅本さんも野咲さんから聞いたりしてないの? 仲良いんじゃなかったっけ」
「"壮ちゃん"と"まあちゃん"が芸能界引退してすぐくらいはよく遊んでいました。でもその後は耀子さんの地元の方に引っ越しちゃって。たまにお仕事で耀子さんとか鳴宮さんとご一緒してるんですけど、聞く度にはぐらかされちゃって、もう今はその話すらしなくなって。2人にも、2人のお兄ちゃんにも結局4年くらい会えていません」
「そうだったんだ。じゃあなんでまた探してるの?」
うららは自分が壮真の連絡先を探している理由と経緯を説明した。
「───じゃあ、今は壮真くんは関西でマーチング?してるんだ」
「はい。……あのままだったら他の事務所に取られちゃうって、私焦っちゃって……。それで事務所側としては、ずっと壮ちゃんからの連絡をいつでも待ってる状態なんですけど、あのまま壮ちゃんの方がなんにもなかったみたいにしそうだから、私から連絡したくて、壮ちゃんたちの所属していた子役事務所の友達とかにも聞いたんですけど、やっぱり駄目で……」
「……そっか。紅本さんは、なんでそこまでして連絡したいの? 壮真くんとお仕事がしたいから?」
「……そうかもしれません。でも、本音は、壮ちゃんに会いたいから。ほんとは、お芝居辞めないで欲しかったんです。いつか共演するつもりだったから」
「……そっか」
篠田はそう言って、手に持っていたりんごのジュースを開けた。
「あっ! ちがう……」
「えっ、なにがですか!?」
その様子を見ていたうららは、この知り合って数時間の間で1番の大声をあげた篠田を凝視した。
「間違えた。りんごジュース渡そうと思ってたのに、紅本さんに水渡したよね、俺。うわ、かっこ悪……」
肩を落とす篠田。クールそうな一見ではあるが、どうやらかなりの天然のようだ。
「あはは、いいですよ、奢っていただいただけでも嬉しいです」
思わず笑いが込み上げてくる。自分よりも数十センチも高い身長も、今では小さく見えてしまう。
「あんまり笑わないで……」
耳まで真っ赤にしながら顔を覆う。しばらくその様子に笑っていると、制服のポケットの中がが震えた。
「……あ、すみません、ちょっと電話出てもいいですか?」
「全然、どうぞ」
「すみません、……あ、賢人さんだ。もしもし?」
「"ケント"……?」
《うららさん、お疲れ様です! 姉が打ち合わせ長引くそうなので代わりにお迎えに来たんだけど……いま楽屋ですか? ほんとに申し訳ないんだけど、楽屋の向かい側がサニーズの楽屋だから通りづらくて》
「あっ、そっか……。いま廊下でしの……───知り合いとお喋りしてました! 駐車場に行くのでそこで集合します?」
どうやら元同僚のNightBeatのメンバーとばったり遭遇してしまうのは、退所してから2年ほど経った現在でも難しいようだ。
《いいですか? ごめんなさい! 地下駐車場のエレベーターのすぐ隣に停めてます!》
「了解です。もうちょっとしたら行くので、ちょっとだけ待っててください」
《わかりました! うららさんもお気をつけて》
「はーい。……すみません、お迎え、来ちゃいました」
「そっか。やば、もう1時間経ってるね」
「わ、ほんとだ……。すみません、長々とお時間頂いてしまって。あ、篠田さんもお話あるって仰ってましたよね?」
「あー、いいや。ちょっと聞きたかったことがあったんだけど……」
「すみません、私ばっかり話しちゃって。お話、歩きながら聞いてもいいですか?」
2人で楽屋の方面へと向かう。
「……あの。秋原、元気ですか」
「秋原さん……ですか?」
思わず足を止めると、少しだけ気まずそうに彼も足を止めた。まずいとすぐさまわからないふりをする。
「うん。秋原賢人。いるでしょ? 元ジュニアの」
言い逃れのできない程丁寧なご説明だ。逃げられないこの状況に、屋内で冷房が効いているはずなのに汗が一筋流れる。
「すみません、社員の個人情報は……」
「……言えないよね、ごめん。……賢人とは同期なんだ。たった2人だけの。向こうの方が2歳年上だけどね。───紅本さんと俺、ある意味似てるのかもね」
「え?」
「俺も、賢人に会いたいから。俺はサニーズに連れ戻すつもりはないよ、お互い良い大人だし、あいつはマネジメント、俺はアイドルを自分で選んだわけだし。……だけどね、これだけは覚えといてね」
そう言って、篠田は携帯を取り出した。
「会いたいって言う自分の気持ちだけが先走っちゃったら駄目だよ。1度引退した身だし、本人の意志を忘れないで。壮真くんがもうお芝居やりたくない、芸能界に戻らないって言うなら、無理やりにならないように、ね」
「……」
言葉が見つからずに黙り込む。そんなうららを見て、篠田は優しく微笑んだ。
「……でも、会いたいよね。わかるよ。……ねえ、LINEやってる?」
「あっ、はい。やってます。……いいんですか?」
「うん。俺も壮真くんのこと何か分かったら聞きたいし。……ああ、そう言うこと?大丈夫だよ、さすがに年離れすぎてて疑われたりしないよ。テレビで俺のことはメール友達とでも言っていいし」
「はあ……」
人気のない場所に移したのはどうやら周りの目を気にしているのではなくただ単に落ち着いた場所で話がしたかったようだ。年齢差と言うよくわからない丸められ方に、うららは篠田の差し出したQRコードを読み込んだ。
「ありがとうございます。追加しました」
「ん、ありがとう。またどっかで共演できたらいいね」
「はい。メンバーの皆さんにご挨拶行けなくてすみません。ありがとうございましたってお伝えください。CDも買いますね」
「あはは、言ってくれたらタダであげるよ」
「いえ、今日の収録でファンになったので。ちゃんとオタ活させてもらいます」
冗談交じりに言うと篠田はくしゃりとした笑顔で笑う。ファンはおそらくこんなギャップにやられているのだろう。
「じゃあ、またね」
「はい、またどこかで。お疲れ様です」
篠田が楽屋へ向かう角を曲がったところで、うららも携帯をポケットに入れ、エレベーターに乗り込んだ。
『本人の意志を忘れないで』
うららが恐れていたことを突かれた気がした。自分や事務所は壮真が俳優として活躍して欲しいと願ってはいるが、当の本人が嫌だと思うなら無理にさせる権利はない。だとしたら、うららにできることは壮真が芸能界に、演技に対して未練があるのかどうか、本音を探ることだった。
「うららさん、お疲れ様です」
「賢人さん、お待たせしてしまってすみません」
エレベーターが開くと、そこには秋原が立っていた。
「いえ。こちらこそすみません、僕の私情で……荷物は姉から預かっています。どうぞ乗ってください」
「お願いします」
地下駐車場を出て、車を走らせる。秋原は若い世代にはなかなかいない程落ち着いている。ブレーキもゆっくりと余裕があり、本当に気配りができる人物だ。
「今日、ブランチの収録でしたっけ」
「そうです。おいしいのいっぱい食べましたよ。パンケーキ食べました」
「うわ、いいなあ。お腹すいてきた。……NightBeatと、一緒だったんですね」
少しだけ後ろめたそうに聞いた秋原。ハンドルを握り直したのをうららは見逃さなかった。
「はい。あの、賢人さん」
「賢人さんがもし、日下部さんとか、篠田さんからサニーズに戻ってきてタレントしてくれって言われたら、どうしますか?」
「……」
黙り込んでしまった秋原。都内を走る車の中で、気まずい空気が流れる。
「すみませ───」
「僕は、期限を決めていたんです」
「期限?」
「大学卒業までに、タレントとして、アイドルとして売れる見込みが無ければ、サニーズを辞めてもっと好きなことをしようって。大学生の頃には、もう気持ちは裏方に行ってましたね。最後は事務所の人とか同期と喧嘩別れみたいになっちゃったけど。退中途半端に使えないまま残るタレントになるくらいなら、少しでも興味があることをしようって。……完全に未練がないと言えば嘘になるけどね。センスの塊って言われる社長の反対を押し切ってまで退所して、父親のところに戻ってきて。自分が今頃、NightBeatのメンバーだったら、って考えたことは正直あるよ。でも、やっぱり僕は歴代のサニーズの先輩とか、篠田みたいにはなれないと思うから。それなら、少しでも可能性がある子とか夢を見ている子を一流にしたいんです。うららさんをマネジメントする姉の姿を見て、特に。……でも、どうだろう、わかんないです。篠田に戻ってこいって言われたら、もしかしたら気持ちが揺らいじゃうかも。少しでも未練があったら、スカウトだとかそういうチャンスは本当に人生を大きく変えるものだと思うよ」
「……そう、ですよね」
気付くと自分の中学校の目の前を通っていた。うららは見慣れた景色に、窓にもたれかかって目を瞑った。
「……篠田さん、会いたがってましたよ。賢人さんに」
聞こえていないのか、聞こえていないふりをしているのか。自分も聞こえるようにはっきり口にした訳では無い。しかし、目を開けてちらりと秋原の背中を見れば、少しだけ悲しさを背負っている気がした。