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陽真のせかい  作者: 星野 美織
想うだけで、それが夢
7/12

変わる、変わっていく

 関西大会に向けての練習が始まり、しばらくすると9月になり、2学期が始まった。放課後、ランドセルを背負ってエナメルバッグを肩から掛けて、大荷物のまま体育館へ向かう。

「成宮、見いひんうちにまた伸びたな」

「そう? わからんけど、先生見いひんうちに縮んだな」

 こら、と担任に軽く頭を叩かれる。

「大人をからかうな」

「ごめんて」

 そのままぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる担任。もう、と強引に引き離して髪を整える。

「いまからまた練習か?」

「そう。月水金はブラバンが体育館借りてるから。10月入ったらミニバスに火曜日体育館譲ってもらうって言ってた。土日も1日練習するねん」

「ほんまに忙しいな。ちゃんと休む時は休みや」

「わかってるよ。ばあちゃんと同じこと言わんといて。もう6年生やで? ちゃんと自分の体調管理ぐらいできるよ。練習始まるから、じゃあ。さよなら」

「はい、さようなら。って走んな!」

 ばたばたと走り去る壮太。担任は、ふ、と小さくため息をついた。

「6年生やから……やと思うで、壮太」

「壮太、新しいシューズ届いたで」

「先生。ありがとうございます」

 チューバにテナードラム、そして今回のカラーガード隊の中で1番大きいフラッグ。5年生の頃からマーチングリーダーを務めながら、壮太は部の中で1番パートの掛け持ちが多い。そのため準備にも時間がかかってしまい、校内の特別に作られた楽器庫と体育館を2回往復しなければならなかった。私服からジャージに着替え、ようやく準備が終わった頃、教員になって4年目の副顧問が本番用の黒いマーチング用のシューズの入った箱を壮太に差し出した。

「25センチって、今年の春頼んだのより2センチもでかいけど、大丈夫? 逆に靴擦れするで」

「うん、それで合ってます。大丈夫」

 受け取ってすぐに箱から出す。大丈夫とは言ったものの、本当は今の自分の足の大きさよりも少し大きめの物を購入したのだ。あと半年と少しだけしか履かないマーチングシューズを何度も買い直していては両親に申し訳がないから。年度の初めはすんなりと履いていたマーチングシューズが、県大会の頃には窮屈になっていたのだ。初めは足が浮腫んでいるだけだと思っていたが、そのうち頻繁に靴擦れを起こすようになり、本番以外は昔兄が履いていた靴を履いていた。靴のサイズが合わなくなってきた、と顧問たちに報告した頃には既に県大会が1週間前に迫っていて、とてもすぐに用意できるサイズでもなかったのだ。当然大人たちにはなぜもっと早く言わなかったのだと酷く怒られた。

「まあ、おっきくてもまだ足でかなるかもしれへんし、中敷きとかで───」

「あ、ぴったり。先生、サイズ丁度です」

「……嘘やろ?」

 副顧問は驚いて、屈んで25センチサイズの靴を履いた壮太の靴のつま先を親指で押した。

「え、俺24センチと間違えて注文した?」

「ううん、25センチって書いてますよ、箱にも」

 ありえない、と言うように声を出しながら副顧問は壮太の足やシューズが入っていた箱を何度も交互に確認する。

「どうした? サイズミス?」

 副顧問と壮太のやり取りを目にして、顧問が駆けつけた。

「いや、先生……。壮太、新しいシューズのサイズぴったりなんすけど、25センチなんですよ」

「どれ? ……ほんまや。お前、ほんまにでかなったな。入部したての頃こんなちっちゃかったのに」

 大人たちが驚くのは無理もなかった。以前から身長は徐々に伸びていたが、6年生になってからは更に急激に身長が伸び、手足も大きくなり衣類が全て変わった。昨年購入したTシャツはぴっちりと余裕がなくなり、ズボンに関しては丈が足らずくるぶしが裾から顔を出す。陽史が今の壮太と同じ年頃、同じように身長が伸びて買ってはすぐに買い直して困っていたため、着ていた期間が短かった衣服を壮太のために大切に残していたものの、それすら小さくなってしまった。今は陽史と服を共用したり、価格の安い物を購入したり。きっと中学2年生や3年生になれば、兄の身長に追いついているのだろう。

「壮太くん、おはようございます」

「おはよう」

 パーカッションのスティックやマレットを手に、丁寧に立ち止まって挨拶をする新入部員の低学年の後輩たちに目を向けると、その子たちの身長は自分の腰元にも及ばなかった。

「今度保健室で、ちゃんと身長を測り直してきなさい。場合によってはユニフォームもサイズアップしなあかんくなるから」

「はい」

「よし。ほんなら、今日も頼むで。マーチングリーダー。よし、全員集合ー!」

「「はーい!」」

 身体的に急成長して、問題は衣類のサイズだけではなかった。

「ガード! ゆうちゃ───んん、げほっ。ごめん、ゆうちゃん右足もうちょい後ろにして」

「壮太なんてー? 聞こえへん!」

 声が出しづらくなった。声変わりが始まり、すぐに裏返って前で指示を出しても声が通らなくなってしまった。6年生になってからはマイクを使って指示を出すようになった。

「壮太、歩幅広すぎやわ。揃えて。1人だけ飛び出してる」

 マーチングの基本は、1歩62.5センチ間隔で歩く。しかし、身長が伸び、さらに腕や脚も長くなったことによりその基本感覚が狂ってしまい、列から飛び出すことが増えた。フラッグを上に投げ回して受け止める演出も、上手くフラッグを取れなかったり、頭にぶつけることも。

 マーチングリーダーとして部員たちを引っ張る役割を果たすが、どんどん自分自身が周りとずれを生じるようになってしまった。練習が終わったあと、少しだけ居残って、体育館でテンポをつけて1人で歩く。帰り道でも俯きながら歩いて、感覚を取り戻そうと必死になる。

「───痛っ、……」

 そのうち、足の裏が固くなり、ひび割れる始末だ。少しでも歩けば痛みが響き、思い切り踏み込めない。金曜日の練習終わり、最後まで居残りをしていた壮太は1人体育館で靴下を脱いでそっと足裏を確かめていた。

「……なんで、僕ばっかり」

 ぽつりと無意識に呟いた言葉に驚いて、呆然としてしまう。そのうち涙が溢れて、思いが止まらなくなる。

 どれだけ先生やコーチに叱責されても、6年生───いや、マーチングリーダーになった頃には絶対に泣かないようにしていた。自分が泣いてしまえば、後輩が、部員がどうしようもなくなるから。だけど、今はたったひとり。少しだけ泣いてしまうことを許して欲しい、と願いながら、嗚咽を漏らしながら、昨年全国大会で手にしたタオルに顔を(うず)めた。

 大人になることは、どうしてこんなにも辛いのだろう。もっと嬉しくて、わくわくするものだと思っていたのに。他の部員やら同級生たちよりも早く低くなる声も、骨張ってきた頬も、伸び続ける身長も。いつの間にか鏡を見れば、自分の全く知らない誰かになっていそうで、怖くてたまらなかった。

 泣いているところを顧問に見られてしまい、その日は小学校まで車で陽史が迎えに来た。

 その日の夕飯は、祖父母と兄弟しかおらず、両親の声はなかった。米は何故か赤飯で、理由を聞くと、祖父は「2人がどんどん大人になってるから」とだけ言って微笑んだ。

 真緒は大人になることは苦ではないのだろうか。陽史は苦ではなかったのだろうか。2人を見ると、平然と赤飯を口に運んでいた。

 変わっていくことが怖いのは、自分だけなのだろうか。早く大人になりたいと願う周りに対して、自分は今をずっと永遠に続けたい。そう願ってしまっている自分がおかしいのかと、変わっていく自分に嫌気がさした。


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