幼き夢は途絶えて
物心が着いた時から自分は俳優になると思っていた。テレビの中にいる、母以外の女性と自分の手を絡める父の姿だとか、自分たち以外の子供を抱きしめる母も、それでも自分の両親であることに変わりはないと思っていた。自分も近いうちに子役として、そしていずれかは俳優としてテレビの中に入り込むものだと思って、素直に稽古を受けていた。
子役を始めてしばらくしてから、真緒が頻繁にメディアに出るようになった。きっかけはバラエティ番組の再現VTRで、人気女優の子供時代を演じたことだった。あまり壮太の記憶にはなかったが、VTRの後にはスタジオでは真緒の演技が話題になったらしい。
「あの子供時代の女の子、えらい演技上手やったなぁ!」
「馬場さんの幼少期を演じていたのは、子役の"鳴宮真子"ちゃんです! 実は真子ちゃん、お父さんはあの超人気俳優の鳴宮壮亮さん、お母さんは女優の野咲耀子さんだそうです〜!」
「「ええ〜ッ!」」
「もう、お母さんに似てえらいべっぴんさんやったなあ。将来が楽しみやわ」
大御所の芸能人も絶賛したようで、自分の姉は5歳という幼さで瞬く間に時の人となった。
長男はキッズモデル鳴宮陽稀。そして双子の長女と次男は子役、鳴宮真子と野咲壮真。こんな芸能1家であるにも関わらず、大々的に両親が公表しない理由は簡単なものだ。父と母、兄、そして双子はそれぞれ事務所が違う。ただそれだけだ。両親は、家族ですか?と聞かれたときにそうです、と言って認めればいいだけ、と言うスタンスだった。両親が自分の子供たちをあまり自発的に発信をしなかった理由は、もう1つ。陽史は中学生、真緒と壮太は小学生までと期限付きの条件で芸能活動をしているからだ。この期限は両親、と言うよりも父が決めたもので、理由は父曰く、学業の時間を奪ってまで将来の選択肢を狭めて決めつけたくなかったから。そのために、キッズモデルや子役にしては珍しくも芸名を名乗らせていた。小学校に入学してもなお、本人たちが本当に続けたいと言った時には、学業を両立させることを条件に続けさせるつもりでいたと言う。今思い返せば、子役になってから引退するまで、ふとした時に
「辞めたくなったらいつでも言いなさい」
と言われていた気がする。
それでも少し真緒の方が早く先を歩いただけで、自分が"野咲壮真"として輝ける時代はそう遠くない、そう思いながら演技の稽古も、ほんのたまにあるちょっとした仕事も、全て楽しんでいた。マネージャーは真緒の多忙さに、現場へ送迎するとすぐに真緒の仕事へと走っていったことを鮮明に覚えている。
「壮真くん、ごめんね。お仕事終わりにまた迎えに来るから。ちょっと真子ちゃんの方に行ってくるね」
そんなことがいつまでも続けば、子供ながらに大人は自分よりも真緒の方が売れるから大切なんだ、とひねくれるようになった。
ただ、当時他の子供よりもどこか精神年齢は高かったのか、その原因が自分の実力不足であることが確かであるという認識はあった。変に大人である壮太は、演技について考えるようになった。5歳頃にもなれば、母の映画を何本も確認し、父のドラマを見直す。話の内容は今思い返せば半分も理解出来ていなかったかもしれないが、テレビに釘付けになって何度も表情を確認した。その成果が実ったのか、ドラマやCM、ちょっとしたVTRに出演する機会が増えた。それでも鳴宮真子の存在は大きく、事務所の判断は、野咲壮真と鳴宮真子が比べられないようにするため、双子であることをメディアに公表せず、認めないようになった。大人の気遣いはどうしてこうも下手くそなのだろう。当時から今思い返しても、やはりそう思ってしまう。
そして小学生になるタイミングで、壮太はやっとドラマのレギュラー出演が決まった。これには自動的に、小学生になっても子役を続けなければならなくなった。それは真緒も同様で、壮太のドラマのオファーが来る半年ほど前から教育番組のレギュラーをしていた真緒は、最低でもあと半年はレギュラーでいなければならなかったから。
初めてのドラマ撮影現場は壮太にとってはどれも新鮮で、ようやく掴み取った演技の仕事には両親も大喜びした。
あれ程演技の研究と練習を重ねたはずなのに、撮影が始まればどうも空回りしてしまう。優しかった両親も現場へわざわざ足を運んだと思いきや壮太の演技に対して厳しい目を向けて去っていく日も続く。ほんの少しの役のはずなのに、細部までこだわり抜く大人たちの目が怖くて、何度もNGを出してしまう。それでも若手のキャスト陣の励ましと共に心を何度も折りながら何とかクランクアップしたのだ。
クランクアップしたその日、母が近くのスタジオで翌年公開予定の映画の撮影をしているので壮太に来て欲しいと連絡があり、マネージャーの車で1人、母の撮影現場に向かった。
「"ママ、死なないで。さくら、いい子にするから。行かないで"」
そこにいたのは、カメラや大人たちに囲まれて、大声で泣きわめく1人の少女だった。声を掠らせながら、子供らしく泣くその少女は、カット、と一声かかるとけろりと涙を引っ込めた。
「うららちゃんとってもいいよ!」
「ありがとうございます!」
少女の名前は、紅本うらら。その名を聞いたことが無い者はいないほどの人気を誇る天才子役。歳は壮太たちの3歳上だ。
「壮真、来たのね。うららちゃん、すごいでしょ」
自分のことを芸名で呼ぶ母が気付けば隣にいた。次々とシーンを撮影しては、すぐに監督からのOKを貰うのだ。先程までの自分とは大違いで、大人たちは感心したように微笑ましく彼女を眺める。撮影を巻きで終わらせてしまうほどだ。
「それじゃあ、休憩とりまーす。次、耀子さんスタンバイお願いします」
「はーい。壮真、うららちゃんとお話しててね。ママ撮影してくるから」
「えっ。やだよ。ママってば!」
母は壮太の返事を聞かずに、また後でね、と去っていった。結局その日は撮影が終わるまでうららと話すことはなく、ひたすらキャスト陣の演技を眺めていた。
「おまたせ! 壮太、うららちゃんと話せた?」
「ううん」
「そう?じゃあ最後に話そ!ちょっとだけ!恥ずかしがってたらなにも始まらないよ。おいで」
私服に着替えた母はセットを崩し始めた現場で壮太の手を引いた。だけどうららには会いたくなくて、抵抗して1歩も動かない。
「やだ」
「え〜?なんで? お芝居のお話出来るお友達作るチャンスだよ?」
そう言ってさらに手を引く母のことを意地悪だと思った。
「やだ。行かない! 帰る!」
地団駄を踏んでやだ、嫌だと駄々をこねる。わかってしまったのだ。"本物"の演技が。オールアップしたばかりのドラマを、この見学中に何度撮り直したいと思ったことか。
「わあああん、やだあ」
「どうしたの、おねむ? 壮ちゃ〜ん。もう……」
物心が着いた時から、自分は俳優になると思っていた。テレビの中にいる、母以外の女性と自分の手を絡める父の姿だとか、自分たち以外の子供を抱きしめる母も、それでも自分の両親であることに変わりはないと思っていた。しかしどうやら違っていたようで、自分は演者の皮を被ったただの子供で、本物は真緒やうららのような子だ。自分には才能がない。向いていない。俳優にはなれない。そんな現実をうららが証明したかのように突きつけてくる。テレビの中の両親は両親ではなく、それぞれ鳴宮壮亮、野咲耀子という全くもっての別人で、むしろ普段の両親が嘘の姿だと思い込み、みじめな気持ちになる前に去りたかった。
「しょうがないなあ」
そう言って母は、壮太を抱き上げて、スタッフに挨拶をして現場を後にした。
そしてその数ヶ月後。"鳴宮真子、学業専念のため芸能界引退"と書かれた記事と共に、鳴宮真子、そして、野咲壮真が芸能界から姿を消した。