2枚の期待はある日突然
「はじめまして、成宮壮太くんだよね?」
「はい、そうですけど……」
小学6年生の夏。マーチングの県大会でのパフォーマンスを終え、写真撮影を終えた後だった。マーチング関係者にしては場違いな程にきっちりとしたスーツを身にまとった男女に声をかけられる。隣には少しだけそわそわと落ち着きのない顧問の姿。
「私、こう言う者です」
よくある様な台詞を吐いた女性に丁寧に両手で差し出された名刺を受け取った。
「アキハラエンターテインメントという芸能事務所でタレントのマネジメントをしております、鈴浦と申します。……ほらあなたも」
「あっ、すみません。壮太さん。同じくマネジメントをしております秋原 と申します」
そうして2枚の名刺を受け取る。無縁になったはずの世界の人間が何故こんなところにいるのだ。
「芸能事務所……」
「はい。壮太さん、単刀直入に言わせていただきます。芸能界に興味はない?」
「……」
興味があるもなにも、と黙り込む。目の前の2人はいくら芸能関係者とは言えど知るはずもない。
自分が、その世界にいた事を。
「先日の地方放送で弟があなたのことを見つけまして。この通り弟は新人で駆け出しですが、私もその番組を拝見させていただいて、ぜひお話だけでもと先生にお願いして伺いに参りました」
鈴浦と秋原は姉弟らしい。言われてみれば目元や立ち振る舞いは面影がある。
ずっと黙り込んでいるのも感じが悪いと顔を上げた。自分は今一体どんな顔をしているのだろう。
「タレント、ってことですか」
「はい。タレントと言うよりは、僕は壮太さんに俳優が向いているんじゃないかと強く思います。ご検討いただけませんか」
ちょっと、と鈴浦が秋原の腕を強く叩いた。
「すみません、急に言われても混乱しちゃいますよね。壮太さんはもちろん未成年なので、壮太さんだけのご判断ではこちらも動けませんので……。返事は後日で結構ですので、もしよろしければ、名刺のところまでご連絡お願いします。いつでもお待ちしていますので。保護者の方にもよろしくお伝えください。お忙しい中お時間ありがとうございました。先生もありがとうございます。それでは失礼致します」
頭を下げた鈴浦に続き、秋原も慌てて同じように頭を下げる。前を向いた鈴浦は前髪をかきあげ、にこりと笑って去っていった。
「壮太、ごめんね?てっきりお父さんお母さんの関係者かと……」
「……いえ」
顧問はなにか勘違いしていたようで、通りでこんな関係者以外立ち入り禁止のところまで入ってきたという訳だ。
「……芸能界に僕の居場所はないくせに」
顧問に聞こえないようにそう言い残して、チューバを担いで他の部員たちの元へ向かった。