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陽真のせかい  作者: 星野 美織
想うだけで、それが夢
11/12

これは僕の世界を守るため

「オス……? 」

「オスグット症候群。正式にはオスグット・シュラッター病って言うねんけど、その可能性が高いかなと」

 翌朝9時。少し自宅から離れた整形外科は、祖父母宅からは近い場所にあった。よくわからない片仮名が並んで、不安になって隣にいる陽史の方を見る。

「運動部ではないんやんな?」

「あっ、……はい、でも、マーチングしてて」

「どんなことしてるの?」

 この痛みの症状に病という文字がついていることからじわじわと怪我では無い、と言うことはどうすればいいのか、と頭の中をぐるぐると駆け回っていた。

「壮太?」

「えっ。あ、えっと、マーチングで……いろいろやってます。もちろん歩いてるし、走り回るし、ダンスもします。楽器もいくつかやっていて、テナードラム……太鼓を担いで歩くのと、チューバっていう大っきい楽器も吹いてます」

「あー……。結構重たい?楽器」

「重たい……です。あの、それ、足と関係あるんですか」

「直接はないけどね。ここ最近でぐっと身長伸びてるでしょ? 急成長している身体にこの運動量ではちょっと負担かけすぎかな。話聞いてる感じしゃがんだり」

 壮太は自慢の運動神経を活かして他の部員よりも掛け持ちが多く、動きも忙しない。10kg近い楽器を肩に担いで屈むこと、バレエのように跳ね回ることも、1番大きなガードをまわすことも、低学年のダンスに混じって中心的な動きをするのも、どれも壮太にしかできないことだ。

「負担、マーチングをすることが、ですか」

「……とにかく大きい病院紹介するから、もう1回詳しく検査してもらってください」

 負担という言葉に嫌な予感がする。

「マーチング続けれますか」

「……」

「いま、大事な時期なんです。どれぐらいで治りますか。大会には出れますか。僕がおらんと、バンドは成り立たんから……」

 いまこの話をしたところで別の病院に行かなければいけないのだから意味は無い。それはわかっていても、マーチングには影響がないという言葉の証明が欲しかった。医師はそんな壮太の話を聞き流しながら、紹介状らしきものにサインと印を押した。

「……僕からはなんとも言えません。大会があるなら尚更、早めに検査に行ってください」

「……」

 不安のあまり絶句する壮太の肩に、陽史が手を置いた。会計を済ませ、差し出された紹介状に手が出ず、代わりに陽史が受け取って車に乗り込む。心做しかまた膝が痛むようになって、後部座席で体を倒していた。

「……どうする? 大学病院は今すぐは行けへんから……。今日はもうこのまま帰って休む?」

「……どうしよう」

「痛いなら休もう。病院予約明日とれるか聞いてみるから」

「……そうじゃなくて、……」

 マーチングを続けられるか、という質問に医師の返答がなかった。それだけで壮太は不安でどうしようもなくなり、苛つきを兄にぶつけてしまう。これ以上声を出せば兄に暴言を吐いてしまいそうだと顔を伏せる。

「……家帰ったらすぐ病院電話するから」 

 声を押えて、顔をシートに押さえつける。自分がいなければ、葉月第2は成り立たない。自覚しているからこそ、尚更怖くて不安で押しつぶされて涙が溢れてしまう。兄にばれているかもしれないが、何も言わないのは彼の優しさだろう。病院から自宅のマンションまでは20分程度だが、なんだか車での道のりが長く感じた。

 数日後。無理を押し入って大学病院の予約をとり、診察へと向かった。結果として、ドクターストップはかからなかった。……現時点では。

「少しでも悪化したらドクターストップです。ほんまはもうすでに辞めて欲しいんですけど……言っても聞かなそうやからね。その代わり、痛みが出てきたりしたら運動を中止すること、あまりにも痛みが酷かったり少しでも悪化したらすぐに病院にくること。この条件を呑まんかったら、運動の許可は出せません」

「……大会近いんです、痛みすぐなくす方法とかないですか、薬とか。僕おらんかったら成り立たへんから……」

 先日、まったく同じことを診療所の医師に言った気がした。

「……ごめんね、医者は魔法使いじゃないから。1番すぐに完治させる方法は、何度も言うけど運動を止めることであって。いま壮太くんのこの症状は1から10で言うとまた4。悪化するかもしれへんし、症状がまだこれから軽くなるかもしれへん。とにかく今、運動をやめることができひんのやったら、もうそれはサポーターをつけて痛み出したら休むしかできません。お兄さんも、我慢させずに見ていてくださいね」

「はい……」

「……」

 やはり痛みは急成長した身体にはかかりすぎた負担が原因だった。不幸中の幸いか、マーチングを続けられる。しかし、今まで通りにはいかない。何かを犠牲にしなければいけない。10kg近い楽器を肩に担いで屈むこと、バレエのように跳ね回ることも、1番大きなガードをまわすことも、低学年のダンスに混じって中心的な動きをするのも、どれも壮太にしかできないことだ。しかし、どれかを犠牲にしなければいけない。壮太にとっての身体の負担は、この掛け持ちが原因なのだ。

 混雑する自宅から程遠い大学病院に疲れきって車で眠ってしまう。気付けば車は止まっていて、自宅のドアを開けると祖母が出迎えた。

「おかえり、はるちゃん、壮ちゃん。ご飯できてるよ。手ぇ洗っといで」

 いつもと同じ祖母の温かく優しい言葉と表情に、胸がきゅっと苦しくなる。いつも通りの日常の中で、自分だけが変わってしまう。

「……ただいま」

 どんどん視界が滲んで、靴も脱がずに立ちすくんで涙がスニーカーに染みをつくる。祖母の前でこんな歳になっても泣いているのは恥ずかしくて、引っ込めようと顔を何度も擦るが止まらない。気を使った祖母が先にリビングへと戻って行くのがわかる。

 今までなんのために必死になってきたのかわからなかった。マーチングを続けられることは不幸中の幸いだ。しかし、最高のパフォーマンスが出来ないのならそれは壮太にとってはマーチングを辞めることと辛さは変わらない。悔しくて、辛くて、苦しい。

 せっかく見つけた自分の居場所。子役時代(あのとき)には誰も自分を見つけてくれなかった。マーチングに出会ってから、壮太の世界は変わった。大人からの評価も、必要としてくれる仲間も。全て自分の実力で生み出したものなのに。

 いよいよマーチング人生の終盤にさし掛かろうとしたこのタイミングに100%を出せないような判断に陥るなんて、なんて世の中は不平等なのだろう。

「お願いやから……僕の居場所、奪わんといてよ……」

 結局夕飯も入浴も出来ず、ただ部屋で1人、嗚咽を漏らしながら泣くことしかできなかった。

 壮太の世界は崩れていく。卒業までマーチングを続けられるかわからない。少しでも痛みが悪化すればすぐに辞めさせられざるを得ない。

 枯れるほど涙を流したにも関わらず、涙はおさまりきらないが布団に包まりながらぼうっと一点を見つめながら考えた。

 別に涙を流したところで世界が変わる訳では無い。いきなり痛みが軽症化して元のようなパフォーマンスができるようになるだとか、そんな甘ったれた夢物語ならいくらでも泣いている。

 なら、今できることを全力でするしかない。これ以上自分の欠けたバンドを作りたくない。

 自分に音楽以外の居場所はない。芸能界で挫折して、なんの取り柄もなくなった自分を救ったのはマーチングであり、そして音楽だ。涙も呼吸も落ち着かないが、頭はどんどん冷静になっていく。

 泣いたところでいい方向に転がる訳でもないし、本音は悔しいの一点張りだ。もう100%の最高のパフォーマンスは諦めるしかない。

「……痛くならんかったら、続けれるから……」

 自分に言い聞かせるように口に出す。そう、悪化さえしなければ全国大会まで、卒業までマーチングを続けることはできる。痛くなったとしても、そう思わなければ重症化はしない。いつまでもうじうじせずに、前向きになるしかない。気付けば窓の外は真っ暗で、ただいま、と言う真緒の声と共に顔を上げた。

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