#8 王太子ジェラルド
「よく参られた、ステラ嬢。アレクシスも息災そうで何より」
むせかえるような見事な薔薇の庭園。
王族と招待を受けた者しか入ることを許されない秘密の庭。
白い石造りの壁は薄桃色の蔓薔薇が覆い尽くし、ぷっくりとした花弁が重たそうに垂れている。
お茶会の出席者は最終的に3人。
ジェラルド殿下とステラ、そして急遽参加となったアレクシスが顔を合わせた。ジェラルドの呼び掛けに、ステラがカーテシーで応える。
「本日はご招待いただき……」
「よい! 楽にせよ! ……よし、堅苦しい挨拶はこれで終わりだ。ステラ、急な招待を受けてくれてありがとう。アレクシスも……いや、お前は招待してないけど、適当に座ってくれ」
「言われなくてもそうするよ」
2人はアカデミーの同期らしく、ステラの前で親しげに話をしている。
それぞれ着席すると、すぐにお茶が淹れられた。
鮮やかな赤色の紅茶の香りが、湯気と一緒にホワリと立ち上る。宝石のように艶々のフルーツがたっぷり乗ったタルトが切り分けられると、断面からカスタードクリームがぽってりとはみ出してくる。
ステラはその光景に目を輝かせていたが、ジェラルドから声を掛けられてハッと我に返った。
「さてステラ、まずは謝罪をさせて欲しい。バイロンが本当に済まないことをした。常々君への態度は改めるように言っていたが、まさかここまでバカな事をするとは……」
「謝罪の必要はありませんわ。ジェラルド様にはいつも庇って頂きました。寧ろ、私がバイロン様をお止め出来ず、至らずに申し訳ありませんでした」
「君こそなにも悪くないだろう……。昨日の事も聞いている。婚約解消の書類にサイン済みだと聞いたが……」
来た。
目的達成のため、心してかかろう。
ステラは気付かれないように深呼吸で気持ちを落ち着ける。
「はい。王命に背くとわかっておりましたが、目撃者がたくさんいる中での宣言でしたし、あの場を収めるにはそうするしか」
「本音は?」
「迅速かつ確実な手続きで婚約関係を終わらせて頂きたいです」
ステラはきっぱりと言い捨てると、ミスリル扇で口元を隠す。
冷たく目を細めるステラを見て、ジェラルドは苦笑いを浮かべる。
「そうだよな、やっぱり」
「……もちろんです」
「ゴメン、一応の確認だから。まずはステラの気持ちを聞いてからと思ったんだ。陛下はだいぶお怒りで、君の良いように取り計らうとおっしゃってた。俺からも進言しておく」
「よろしくお願いします。あの、王妃様は……?」
バイロンとの仲は最悪だったが、彼の両親には良くしてもらっていた。特に王妃はステラの事を本当の娘のように可愛がってくれていたので、心労をかけてしまうことが気がかりだった。
「……近いうちに正式に謁見することになると思うけど、2人とも失望してたよ。もちろんバイロンにな」
「そうですか……」
『王命』という一番の問題がクリアになり、これでやっと解放される。
ステラの心中に安堵と少しの寂しさが広がる。
「それで、だ。アレク。君の報告を今聞こうか」
ジェラルドが両肘をテーブルについてニッコリと顔を向けた先には、ティースプーンをじっと見つめるアレクシスがいた。
ハァハァと息を荒くして、スプーンの柄に施された銀細工を指で辿っている。
(出た……変態公爵)
「お前……ステラの前でもやってるのか……」
呆れたようなジェラルドの声に我に帰ったアレクシスは、向かいのステラのじっとりとした冷たい眼差しに気付いて思い切り取り乱した。
「ちっ、ちが、違うよ! 綺麗な細工だなって見てただけだよ?」
「……何も違いませんよ? なんでそんなに後ろめたそうにしてるんですか?」
「なんでだろう……。すごくいけないことをしている気持ちになった……」
「……いよいよ変質者じゃないですか。大丈夫ですか?」
「憐れんだ目で見ないで。……君、少しずつ僕の扱いが雑になってきてない?」
「おいお前達……俺は何を見せられているんだ? スプーン見に来た訳じゃないだろう?」
ジェラルドから物言いたげな目を向けられたアレクシスは咳払いをすると、起立して一礼した。
「……では、王太子殿下にご報告致します」
「え? バイロン殿下じゃなくて? ジェラルド様ですか?」
「あぁ、言ってなかったね。僕は元々ジェラルド……王太子殿下の依頼で、ローラ嬢の身辺を探るために動いていたんだ。その途中でバイロン様に犯人探しの依頼を受けたんだ。隠してた訳じゃないんだけど……」
「じゃあ……出会った時は、私の事をご存知だったんですね?」
そうか、はじめから知っていて、依頼のために近づいたのか。
納得の理由なのに、なぜかステラの胸が陰る。
そんなステラに気付きもせず、アレクシスは何でもないことのように続ける。
「いや、最初は知らなかったんだ。自己紹介した時は驚いたよ。かわいいイヤリングが呼んでるなって歩いていったら、君がよろけてあの子が飛び出して……キャッチしたら、イキイキしてすごく楽しそうで、いいなぁって思って」
「わ、わかりましたから! もう結構です!!」
偶然だったのはわかったから、その回想と恍惚とした顔を止めて欲しい。ステラは赤面して彼の言葉を遮った。
いい加減にしろ、という眼差しでそのやり取りを眺めていたジェラルドが改めて切り出した。
「ローラ嬢と言えば、平民の出で、アカデミーの特待生で、白魔法の使い手で……」
ジェラルドの話に、ステラはローラについての情報を思い浮かべるが、特に気になる情報はない。
新しく付け加えるとしたら、バイロンの『真実の愛』のお相手である、ということくらいだろうか。
フム、としたり顔のステラに、回想から戻ってきたアレクシスが話に加わる。
「もちろん、平民でも優秀な生徒はたくさんいるからね。それだけなら何もおかしな事はないんだ。だけど……」
「彼女の場合、状況に特殊な点が多くてな。天涯孤独で出自も不明。ただでさえ珍しい白魔法持ち、しかも教会が気に掛けるほどの強さの奴がいきなりポッと出てくるなんて、なんだか出来すぎている気がしたんだ。何もなければそれでいいんだけど、どうだった?」
脱線した話を元に戻すべく、ジェラルドが改めて報告を促すと、アレクシスがこれまでにない真剣な顔で口を開く。
「ローラ嬢は何か目的を持ってバイロン殿下に近づいています。先日の騒ぎも全て、彼女の自作自演です」
「そうか。その目的までわかるか?」
「残念ながら読み取れたのは、バイロン殿下の婚約者であるステラ様に成り代わろうという強い意思のみ……。ただ、聞いたことのない言語が思念に紛れていたので、他国の人間である可能性は高いかと」
「他国か……ありがとう。こちらでも彼女の身辺を探ったんだけど、いろいろとトラブルを抱えているらしいんだよな」
ふぅ、と息を吐いたジェラルドが、フルーツタルトのブルーベリーを行儀悪く指で摘まんで口へ運ぶ。
「……騎士団長の息子、大きな商家の息子、アカデミーの教師、後はええと、宰相の息子と、冒険者ギルドの剣士も……バイロンの他にも、これだけの男性にコナを掛けていたらしい」
「えぇ……。真実の愛は?」
「笑わせるつもりでやってんならたいしたもんだよ」
冗談にしても質が悪い。
ローラの人間像がどんどん黒く染まっていくようで、ステラはあ然とする。
「どいつもこいつも優秀だったり、家が裕福だったり、秀でたところの多い人間ばかり。婚約者や恋人がいてもお構いなしで言い寄ってきたらしく、その辺と揉めたみたいだ。結局他には相手にされなくて、靡いたのはバイロンだけだったみたいだけどな」
「あぁ……」
残念王子バイロンは、残念ながら今回も皆の想像を裏切らなかった、ということらしい。
『真実の愛』に燃え上がったのは彼だけで、何らかの思惑に乗せられていたのかと考えると目も当てられない。
「他国のスパイなのか権力が欲しいだけなのか、ローラ嬢の目的が何なのかわからないからな。動き辛いのは確かなんだ。そこでステラ。君にお願いがある」
たくさん含みをもたせた笑みをステラへ向けて、ジェラルドが話を切り出した。
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