#5 婚約破棄の保留
「ご推察の通り、犯人はこの場にいる人物です」
きっぱりとした言葉に、一斉に聴衆にどよめきが起きる。
そら見たことか!と言わんばかりのバイロンが、興奮して口の端を歪ませる。
「やはりな、犯人はステラなのだろう!」
「いいえ、ピルチャー伯爵令嬢は犯人ではありません」
「な! 何だと!」
ステラの犯行であると信じて疑わなかったバイロンは目を大きく見開いて驚愕し、アレクシスに追い縋る。
「どういうことだ! ステラがやってないのなら、誰がこんな事を!?」
「犯人は実に卑劣な人間です。人を貶めるためにまだ使える物を再起不能にするなど、許されることではありません。制服も教科書も、どうあっても……元に戻ることはない。物の気持ちも考えられない、人の道に外れた、非道な行いです!」
「え? ……ん? ……あぁ、その通……り、その通りだな! 許すわけにはいかない!」
冷ややかに怒るアレクシスの言うことはもっともだ。
全うな事を言っているのは間違いないし、ステラも心から同意する……のだが。
(そこはかとなく、怒りの方向性が違うわ……)
あくまでローラではなく、傷つけられた物側への怒りに重きを置いている。
疑われている立場ながら、ステラはそんなところが気になって仕方がない。
バイロンも何か違うと気付いたものの、『犯人許すまじ』と、なんとなくうやむやにしてアレクシスに同調している。
「犯人は相手に恨みを持っている……という事ではなく、目的があるようです。相手の場所を奪い取り、成り代わりたい、という感情を持っている。その感情をいたいけな物にぶつけるなど本当にあり得ないのですがね」
許しがたい、と先程までの穏やかな様子とはかけ離れた様子で、冷たく淡々と犯人像を語るアレクシス。
なかなか核心を突かない彼にしびれを切らしたバイロンが詰め寄った。
「一体、だ、誰が犯人なんだ!」
「えぇ、お答えしましょう、犯人の名は……」
事件の解明を全員が固唾を飲んで注目していたその時、会場に大きな悲鳴が響き渡る。
「いたたたたたた!! いたーい!」
「ローラ!?」
その先ではローラが腹を抱えてうずくまっている。
慌てたバイロンが彼女に駆け寄り、いたわるように肩を抱き締めた。
彼にしなだれるようにべったりと体を寄せたローラが、息も絶え絶えに訴える。
「ローラ! どうした!? 大丈夫か?」
「えぇ……、急に、お腹が……痛くて」
「それはいけない! すぐ医者に見せよう! アレクシス、済まないが少し席を外す。後で戻るからその続きはそれから」
「それはダメ! あ。いや、……ば、バイロン様は、ローラのお側にいてくれないと、心細いなぁ……」
ガバッと突然顔を上げたと思ったら、途端に小首を傾げ甘えるように懇願するローラに、バイロンの口元がだらしなく緩んだ。
「フフ、可愛いな。一人では心細いのか。ではまた改めて席を設けよう。さ、医務室に」
「お、お待ちください!」
茶番を中断し、ローラの体を支えて会場を去ろうとしたバイロンを、ステラが引き留めた。
舌打ちせんばかりの憎々しい表情のバイロンを呼び止め一礼するが、それは決して未練からではない。
先程の書類が有効である、という念押しをしておきたい。
アレクシスによってステラの無実が認められ、婚約破棄の理由が無くなったからと取り消されるのは勘弁して欲しい。
せっかくのチャンスがうやむやになるのだけは避けなければ。
ここが正念場だ。ステラは礼の体勢を崩さず、密かに息を整える。
「婚約の破棄が調いましたので、ご挨拶を」
「そんなこと、今じゃなくてもいいだろう! 後にしろ!」
「ですが……」
「あの、ひとつよろしいでしょうか? バイロン様」
ステラの後ろから、柔らかい笑みを浮かべたアレクシスが一歩前に出る。バイロンは訝しげな目をちらりと向けて、発言を促した。
「ステラ嬢の無実をこの場で宣言して頂いた方がよろしいかと」
「何?」
「由緒ある旧家で国家の柱石であるピルチャー辺境伯のご令嬢に、あろうことか冤罪を被せようとしたのですから。王家としては、そのままにしておくとなにかと問題が出るのではないでしょうか?」
「ぐっ……ぐぬぬ」
「謝罪の上、『婚約破棄』ではなく『婚約解消』となるでしょうか」
流れるような提案を聞いているうちに、バイロンの体がぷるぷると震えてきた。これは彼の癇癪が爆発する前兆であることを、ステラは嫌と言うほど知っている。
それから少しの間の後で、苛立ったバイロンの怒号が会場に響き渡る。
「……くそ! うるさいうるさいうるさい! そんな話は全部一旦保留だ!」
「へ!? そんな!! お待ちください!」
ステラが引き止めるのも聞かず、いつの間にかすっかりケロリとした様子のローラの肩を引き寄せて、バイロンはそのまま出口の方へ向かって行ってしまった。
「婚約……破棄は……? 全部保留って? ぜんぶ?……」
あまりの急転直下に、残されたステラは呆然と呟いた。
さっきまで上手くいくと確信していただけに、そのダメージは大きい。
「いろいろいっぺんに考えられない人だからなぁ……。今日の事は無かったことになるかもねぇ」
「な、なかったことに!」
去っていく2人の様子を眺めていたアレクシスの独り言のような言葉が、ズタズタのステラの心に突き刺さる。
そんなことにならないように立ち回ったつもりだったのに!
髪の毛が逆立つほどの顔で衝撃を受けるステラに、アレクシスは自分の失言に気付いて慌てて励ましの言葉をかける。
「いや、あの、あくまで保留だから! 誓約書は生きてるから大丈夫、たぶん」
「保留って……そんなことある? あぁ、せっかくのチャンスが……私の自由が……」
「そんなに気を落とさないで。でもね、濡れ衣を着せられる『婚約破棄』より、円満な『婚約解消』の方が後々の事を考えるときっといいよ?」
「『婚約破棄』でいいんですよ。私の有責ではなく、あちらの不貞による有責にするんですから」
「あぁ、なるほど」
アレクシスは顎に手を当てて、ステラの言うことに深く感心している。
ステラは婚約破棄保留のショックで、公爵であるアレクシスに取り繕う事をすっかり忘れている。
彼が慰めてくれるのはわかるし、ステラの立場を思っての発言だったのもとてもよくわかるけれど、目的の達成寸前で逃げられたのが悔しくて、ステラはどっぷりと落ち込んでしまった。
「まぁまぁ、元気だして。そうだ! もう帰るのなら、送っていくよ?」
「え……?」
傷心の女性に対して『遅いから送っていくよ』という男性には慰めの裏側に思惑が見え隠れ、なんて事はよく聞くけど。
傷心(婚約破棄に対して)のステラにニッコリと笑顔を見せる彼にもそんな隠れた下心があるのだろうか。
すっかりやさぐれたステラは、じっとりとした視線をアレクシスに送る。
「……それは、タウンハウスに来てあわよくば私のアクセサリーを見せてもらおうとかいう魂胆ですか?」
「…………いやまぁ、心配もしてるよ? もちろん」
「…………」
「……あんまりそういう目で見られたこと、ないなぁ」
あっけらかんと、その下心(アクセサリーに対して)すら隠すことのない彼を見ていると、一貫したブレない姿勢に感心する。貴族にはあまりいない、裏のない正直な人なのだろう。良くも悪くも。
悪びれる事なくへらりと笑う彼を見ていると、なんだかこちらの気も抜けてくる。
「……まぁ、……それでは、お願いします」
「喜んで」
サッサと帰って父に報告して、今後の対策を練ろう。
ステラは差し出された手を取り、自分よりも少し背の高いアレクシスのエスコートを受けて歩き出す。
「僕、君んとこの事情はよくわからないけど、いい方に転んだって考えてもいいんじゃない?」
「……そうですか?」
「うん、誓約書にもお互いにサインしたんだし、沢山の人の目もあるし。流石に無かった事にはできないと思うよ」
「それを見越してたんですけど……どうかなぁ。本当に、このまま何事もなく、すんなり解消されると思いますか?」
「もちろん! 多分……いや、うーん…………きっと?」
「だ、ダメじゃん……」
彼のフワフワした返答に、ステラはガックリと肩を落とし項垂れた。
今日の祝杯は慰労のための盃になりそうだ。ステラはこの日一番の深い深いため息をついた。
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