#39 嫉妬
夕食を終えて私室に戻ったステラは、寝る支度を整えてベッドに寝転んだ。湯浴みの間もアレクシスから感じる違和感が頭から離れない。
今日の彼はどうしたのだろう。
夕食の時も浮き足だった様子で、落ち着きがなく――――
(いや、落ち着きがないのはいつもと同じだわ。でも、妙にソワソワとして、それに)
そう思う最大の理由が、今日のステラの靴にある。
艶々のエナメルが美しいクリーム色のミドルヒール、踵の金の装飾がポイントの靴は、今日下ろしたばかりなのだ。
いつもなら真っ先に食いついて、頬を擦り付けんばかりに寄ってくるので、それを阻止するべく最大級の厳戒体勢で靴を下ろす。それなのに。
(なんの反応もないなんて……体調がよくないのかしら)
彼の変態っぷりが発揮されなければ落ち着かない体になってしまったのだろうか? 慣れって怖い。
大好きな物を愛でて、仕事のストレスを和らげることが出来れば良いと思い用意した靴。
『人の靴に頬擦り』などという変態行為を許す気はないが、見るだけでも喜んでくれるだろうと考えたのに、気付いていないように見えた。
(いやまぁ、私が勝手にやったことだし、喜んでくれなくてもいいんだけど……)
ステラの身に付けた物をベタ褒めして溺愛する、いつものアレクシスらしからぬ振る舞いに違和感しかない。
仕事の疲れが溜まっているのか、それとも何かあったのかと、ステラはあれこれ思案していた。
「気になって寝られそうにないわね……」
思案しているなら、直接聞いてみたらいい。
方向性が定まり、ステラはガウンを羽織っていそいそと部屋を飛び出した。
◇
同じフロアにある彼の私室には戻っていない。
この時間もまだ仕事かと、ステラはアレクシスの執務室に向かって階段を降りる。
消灯の時間が近いため、廊下の灯りが幾つか落とされていて薄暗いが、エントランスの方はまだ明るい。
ステラが吹き抜けから階下を見下ろすと、そこに探していた人の姿があった。
ステラが声を掛けようと身を乗り出した時、彼の傍らの見慣れぬ人影に気付き、咄嗟に隠れるようにしゃがみ込む。
(誰だろう?)
手すりの隙間からこっそり覗くと、人影はあるもののエントランスにおかれた彫刻に隠れて誰なのかはっきりしない。おまけに2人ともステラに背を向けるようにして立っているため表情も見えない。
しかし、その立ち位置から親密な間柄であることが窺えて、彼らから目が離せない。
(何か話をしてるみたいだけど……声が小さくて……)
そのまま廊下を進んでいく2人が見えなくなると、ステラは手すりを飛び越えて、下の階に音もなく着地する。
隠密のような身のこなしで廊下を窺うと、ちょうどサンルームの扉を開くアレクシスの背が見える。
そして、その相手は――――
(…………女性、だわ)
街の女性が着るようなワンピースが余韻たっぷりに揺れて、癖のないさらりとしたブルネットの髪が靡く。
顔は見えないが、すらりと細身の背の高い女性が、サンルームの扉をくぐっていくのを目撃した。当たり前のようにアレクシスもそれに続き、扉が閉められる。
ステラが素早く扉の前に移動すると、中の会話が漏れ聞こえてきた。
「明日は……を、どう…………成功させて………結婚を……」
「まずは…………て、婚約したい…………」
よく通るアレクシスの声で聞こえたのは、『結婚』『婚約』という言葉。
(婚約……、アレクシス様の……?)
寝耳に水。初耳。青天の霹靂。
耳から入って来た言葉をゆっくりと反芻すると、朝から燻っていた疑問の答えが頭に浮かんでくる。
(婚約が決まったという、報告だったのね)
ステラはしなやかに扉から距離を取ると、静かに自室へと引き返すのだった。
◇
自室に戻ると、体の力が抜けたようにソファにストンと腰を下ろす。
なんの事はない、ステラへの婚約報告で緊張していたのだ。
おそらくあの女性がお相手なのだろう。装いからしておそらく貴族ではない、平民の女性と思われる。
女性が貴族ではないなら、政略婚の線はないだろう。
これまで彼が恋愛しているような様子は全く感じられず、突然降って涌いたような話に、先程感じた閉塞感が蘇ってきた。
「……教えてくれても良かったのに。全然知らなかったな」
ステラはこれまでのアレクシスのことを考える。
始まりはあの婚約破棄の日、ステラのイヤリングだ。
あれから彼は、ステラの持ち物や身に付けている物に興ふ……、……関心を持つようになり、ステラを工房に招いて、護衛としていろいろ連れまわすようになった。
そのうちに感情の表し方が段々と激しくなり、スキンシップ過多で、近頃ではハグも当たり前に受け入れるようになっていた。
でも、それは――――
(あれは、物に対しての感情だったのに。また忘れてた)
アレクシスの目が、言葉が、行動が、ステラに向けられる全てが愛に溢れていたから。
ついうっかり、ほんの少しだけ、ステラに対しての感情なのかと錯覚したこともあるくらいだ。そうではないとあれだけ言い聞かせていたのに、いつの間にかまた思い違いをしてしまったのだろうか。
(アレクシス様の腕の中が、心地よかったせいね)
あれだけ変態変態と言っていたのに、彼の愛情いっぱいの腕の中に捕らえられたら、ステラの心は灯るように暖かくなっていく。
物に対しての抱擁であろうと、実際に抱き締められるのはステラだ。
彼との距離の近さが恥ずかしくも、それを嬉しいと感じるのはステラだった。
今後それらは、アレクシスにとって唯一無二の女性に向けられるようになる。彼が勇気ある一歩を踏み出してでも手を取りたいと望んだ女性だ。
優しく包み込むような抱擁も、無邪気な笑顔も、蕩けるような艶のある視線も、彼女だけのものに――――
そう考えると、胸の奥が更にきつく締め付けられる。この心はなんて身勝手なんだろう。
ステラは、ソファの背もたれに体を預けて脱力する。
(これは、嫉妬だ……)
私が嫉妬するなんて、とステラは思わず天井を仰ぎ見た。
こんな感情を抱いたまま、護衛として側にいていいのだろうか。
こんな感情を抱えていては、婚約者となる女性に要らぬ心配を与えてしまう。それはステラの本意ではない。
ならば、それを悟られないように秘めてしまえば……。
「ダメね、フェアじゃないわ」
モヤモヤを隠したまま側に居る事は、仕える当主夫妻に対する偽りのような気がするし、何より性に合わない。
やはり、護衛の仕事を辞するしかないのか。それでも――――
「辞めたくないなぁ…………。どうしたものかしら……」
アレクシスを守りたいと決めた。
いつでも側にいて、身の安全と心の安寧を守るのは自分だと、強く心に誓ったばかりなのに。
釈然としない想いを抱えて、ステラは立ち上がることができずにいた。
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