#36 『親殺し』
よりによって、一番最悪な噂を――――
アレクシスは辛うじて、動揺を心の内に留めた。
表情はそのままに冷ややかな笑みを浮かべながらも、ステラを抱く手がわずかにピクリと引きつるのがわかる。
この噂は散々言われてきた話であり、後ろ暗い事は何もない。アレクシスは毅然と前を向き、ポールに相対する。
「事実無根の噂に過ぎない。あれは事故だ」
「もちろん存じておりますとも。しかし、そういったゴシップの類いの方がより人の興味を引くものです。『権力に溺れた卑怯者の話』なんて言うのは特に」
「…………」
「ああ、不敬と仰るならばお好きなように。元より罪に処される身ですから。もうひとつ増えたところで、ねぇ」
開き直ったかのように、愉悦にまみれた顔のポールがこちらをニヤニヤと眺めている。周りに立ちすくむ令嬢達は、皆一様に青ざめて、驚愕の表情を浮かべている。
ステラは、どんな顔をしているだろう――――
アレクシスは、未だステラの顔を見ることができないでいる。
自分の側から離れないように、先程しっかりと腕の中に閉じ込めたばかりなのに。
いつもなら、そのままそっと顔を寄せて簡単に覗くことが出来るのに、彼女の反応を知るのが怖くて仕方がない。
アレクシスは、恐れを悟られないように黙って前を見据える。
「ご婚約されている間柄で、隠し事があるのはフェアじゃないでしょう? こんな噂もあるんですとお知らせしたまでですよ」
秘密を暴いてやったという優越感なのか、やけに高揚した様子のポールが、嫌な笑い顔を一段深くする。
それを皮切りに、アレクシスの感情を揺さぶるべく次々と悪意のこもった発言を続けるが、最早アレクシスにはどうでもよく、そんな言葉など耳に入らない。
彼の気掛かりは、ただひとつだけ。
◇
『親殺し』など、事実無根の醜悪な噂にすぎない。
子供の頃は、その言葉の響きがどうしようもなく悲しかった。あり得ない冤罪を掛けられて、大好きだった両親の墓前にどんな顔を向けたらいいかわからなかった。
大人になった今は、その噂が自分を痛め付けるための材料として使われると知ったため、相手の策に乗らないように平然と、堂々と振る舞ってきた。けれど
ステラにだけは、聞かれたくなかった――――
自分を見る目が、恐怖に満ちたものに変わってしまったら?
噂が立つほどのアレクシスの能力を気味が悪いと、離れて行ってしまったら?
ステラはそんな人じゃないと思っても、何度も何度も不安が覆い被さって来る。
考えるほど背中が冷たくなり、最悪な事しか浮かんでこない。
ステラが、去ってしまったら、僕はもう――――
煽り文句への反応が薄いアレクシスに業を煮やしたポールが、ターゲットを切り替える。
アレクシスの腕に囲われたまま、俯いてじっと動かずにいるステラに、蕩けるような甘い声をかける。
「さあ、ステラ様。どうですか? ひどい噂でしょう?」
「…………」
「そんな噂のある方の所ではなく、私の所にいらし……て……、は、……へ?」
ポールの顔が、自分に酔った恍惚としたものから、戸惑いと不審に満ちたものに変化していく。
ステラに何かあったのかと、アレクシスは先程までの恐れも忘れて、その顔を覗き込んだ。
(こ、これは……)
そこにあったのは、何ともいえない表情のステラの顔。
目元や口元は緩く弧を描き、一応笑顔の形を作っているが、全く感情が感じられず、まるで仮面だ。
よく見れば目の奥に一切の笑いはなく、その視線はじっとりと睨めつけるようにポールに集中している。
全く感情の見えないステラに、アレクシスはおそるおそる声を掛けた。
「あの……? ステラ……さん?」
それを合図のように、するりとアレクシスの腕を抜け出したステラは、無感情な笑顔のままポールの元へ向かう。
さながら刑の執行人のように一歩を踏み締めて、ゆっくりと歩を進めている。
騎士に腕を取られ、床に膝を付けているポールは、こちらへやって来るステラの顔を凝視することしかできない。
スカートをフワリと揺らめかせ、ステラはその眼前に堂々と立ちはだかると、静かに口を開く。
「……何を言い出すかと思えば……、バカらしい事を……」
いつもと変わらないステラの声が、まるで魔界の王のそれに聞こえるのは、辺りに蔓延る禍々しい怒気のせいだろうか。
空気に当てられた令嬢達は気圧されて、立っている事すらままならず、その場に座り込んでしまった。
魔王の落ち着いた言葉が、身じろぎも許さないほどの気迫を含んで再び響き渡る。
「あなたが意図的に噂を広めていた、ということでよろしいのかしら?」
ステラが扇を拡げ、にっこりと口角を引き上げると同時に、背後から勢いよく黒い煙が吹き上がる。
瞬時に天井にまで達したそれは、少しずつ人の形にまとまって、甲冑を付けた騎士のように見えてきた。
美麗な顔を恐怖に歪ませたポールは、あんぐりと口を開けそれを眺めている。
「アレクシス様を傷付け、貶めるために、根も葉もない話をしたのですか?」
「違ひっ……!」
『違います』と最後まで言わせてはもらえない。
ステラの扇が、銃口のように彼の額に突き付けられたせいだ。命の危険を感じ始めたポールは、ガクガクと震えて言葉も出ない。
「嘘は良くありませんね。万死に値しますので正確に」
「万…………しっ……」
恐怖の対象からの直接的な『死』という言葉に、ポールが白目を剥いた。がくりと頭を垂れて、気絶したらしい。
「あら大変。起こして差し上げないと。グスタフ」
『朝だから起こさないと』くらいの軽いステラの声に、人型の黒い煙が反応する。
ちょうど右手に当たる部分がモクモクと移動して、ポールの胸元に吸い込まれる……と同時に、ポールの垂れていた頭が悲鳴と共に勢いよく起き上がる。
ステラはしたり顔を隠そうともせず、挑戦的にニヤリと笑う。
「……気絶するなら、言うことを全て吐いてからにしてくださいませ」
「………うぇぇ、おた、おたすけ……」
青白い顔でべそをかくポールは、すっかり戦う意欲を無くし、ガタガタと恐怖に震えている。
精神の崩壊を防ぐために気絶したというのに、その原因に無理矢理叩き起こされたなど、ほとんど拷問に近い。震えて口がきけないポールに、ステラが更に這い寄っていく。
「聞かれた事に答えなさい。下らない虚言でアレクシス様を傷付けた、目的は何ですか?」
ホールの天井に届かんばかりの黒い煙グスタフを背負い、魔界の覇者のような勇ましい仁王立ち、というスタイルでポールを見下ろしている。
ステラの眼光の鋭さに、ポールが再び意識を手放しそうになったその時、彼女を背中から抱きすくめる腕が現れた。
「もういいよ、ステラ」
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