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#26 大事にしたい

 



「ご卒業おめでとうございます!」



 後日、ストックウイン邸を訪れたステラを待っていたのは、季節の花を贅沢に使用した美しい歓待だった。


 庭園に面したサンルームの扉を開けた途端、フワリと柔らかな芳香に包まれた。部屋一面に無数の花びらが降り注ぎ、陽射しを受けてキラキラ輝いている。

 花びらまみれのステラは呆気にとられながらも、光の中に笑顔を見つけると、にっこりと微笑みを返した。



「ありがとうございます。皆さん、これからよろしくお願いいたします」



 ステラは軽く膝を折って、ストックウイン家の面々に挨拶をする。


 今日はステラの卒業祝いと歓迎会を兼ねて、家人だけの茶会が催されている。ソリッドをはじめとする使用人達も、給仕を兼ねて多くが顔を出している。


 一番先頭で花束を持つネイトは顔を真っ赤にして、とても緊張した様子だ。摺り足のようなギクシャクした動きで、ステラの前に立った。



「す、ステラさま、これ、庭の花をみんなで摘んで、作りました! ど、どうぞ」


「素敵なお花をありがとう。……良い香り。あとで部屋に飾らせてもらうね」



『護衛は側にいてもらわないと』というアレクシスの一声により、ステラも今日からストックウイン家で生活することとなった。

 護衛という職業について若干の相違を感じつつも、嬉々としていろいろと準備を進める当主の考えに沿うことにしたのだ。


 問題はあるが概ね誠実な雇い主と、同僚となる優しい使用人達に囲まれて、自分のやりたいことが出来ると思うと顔がにやけてくる。ステラはこれからの生活にワクワクと心を踊らせていた。



「さぁ、主役の席はこちらだよ」


「はい……」



 ステラをエスコートするべく手を差し出したのはアレクシスだ。いつもと変わらずに貴公子然とした姿で、ステラの手を優しく引いて歩きだした。


 ステラが着席すると、布で覆われた何かが運ばれて来た。

 席のすぐ横に置かれたイーゼルに慎重に立て掛けられたそれの正体を、ステラはなんとなく察知する。



「では、記念品の贈呈を。ネイト、お願いするかな」


「はい!」



 アレクシスに促されたネイトは、嬉しそうにイーゼルの横に立つと、ハキハキとした快活な口調で話し始めた。



「ステラ様、どうかこれを受け取ってください!」



 スルリと布が外されて、現れたのは一枚の絵画だった。

 そこまでは読んでいたステラも、描かれているものを見て固まってしまった。



「ステラ様をお祝いしたいって思ったら、こうなりました!」



 喜色満面の笑みで胸を張るネイトは、初めてあったときとは別人のようだ。

 繊細なタッチで描かれているのは、女神のような女性。

 宗教画のように神々しく、感情を拐われてしまうような錯覚を憶えるほどに美しい。

 そしてその女性、気のせいでなければ、これはおそらく…………



「これは……私……?」


「はい! ステラ様をモデルにした絵です。やっと出来上がりです!」


「……ネイト、描けるようになったのね」


「いえ、それが、まだちょっとわからなくて」


「わからない?」



 ネイトはへへへ、と苦笑いを浮かべるが、不安な様子はなく、むしろこれからの事が楽しみで仕方ない、といった印象を受ける。ステラは首を傾げた。



「描けることはわかったんだから、焦らなくていいって。アレクシス様が」


「うん……」


「描きたいものを探すより、僕の気持ちが動くものを描いた方がきっと良い絵になるって。閉じ籠らずに外に出て、いろんなものに目を向けなさいっておっしゃったんです」


「そうなの……。そうね、私もそう思う」



 ネイトがくしゃりとした笑顔になるのを見て、ステラは優しく目を細めた。


 何て無欲なパトロンが居たものだろう。

 この絵にどれほどの価値があるのか、その才能が後世の美術史にどういう形で名を遺していくのか、聡いアレクシスがわからないはずはない。

 作品を描くように急かす事なくただ待ち続けるなど、周りから見ればなんとも愚かに見えるかもしれない。


 だけど――――



(まったく、お人好しが過ぎて心配になるわ)



 彼の人柄に、呆れたようなため息が漏れた。

 優しい眼差しをアレクシスへ向けると、プルプルと手を戦慄かせ、ハァハァと何かを堪えている彼に気が付いた。

 嫌な予感を覚えながらも、声をかける。



「アレクシス様?」


「ふはっ!」



 さっきまでの貴公子はどこへ姿を消したのか。

 顔を紅潮させて狼狽えるアレクシスが何に興奮していたのは言わずもがな。

 ステラの優しい眼差しは消えて、ひんやりとした空気が流れ出す。



「な、なにかな?」


「ネイトが素晴らしい絵を描いてくれました。そんなに顔を近付けてご覧になるなんて、ずいぶんとご執心ですのね」


「ま、まだ何もしてない! ちょっと興奮しすぎて震えてただけだよ?」


「それが問題なのです」



 放っておいたら頬擦りや口づけのひとつやふたつやりかねない。

 ステラは護衛として、主人の奇抜な行動を収める必要があると考えていた。これまで以上に厳しく取り締まるつもりだ。



「絵だからね。さすがに頬擦りや口づけなんてしないよ? どうやって僕の愛を伝えようかと思って……フフ」


「…………」



 さっきの感動を返して欲しい。

 未だ興奮は冷める事なく、不適な笑みを浮かべて両手をワキワキと妖しげに動かす主人を見て、ステラは深いため息をつくのだった。




 ◇




「これが雇用契約書の控え、邸の案内もしなきゃね」


「……もう大体わかりますから、案内は要りませんよ」



 お茶会を終え、アレクシスの執務室に場所を移した2人は、雇用契約の手続きを終えた。ステラの荷物も私室へ運ばれ、明日からは新たな生活が始まる。

 さて、とステラが辞去の挨拶をしようと立ち上がると、アレクシスに引き留められる。



「もうひとつ、君に見せたい物があるんだ」


「え?」



 アレクシスは不思議そうなステラの手を取り、執務室の奥へと連れていく。アレクシスの執務机の横、衝立の奥にある扉の前に立ったアレクシスは、懐から鍵を取り出してステラに渡した。



「さぁどうぞ。これは僕からの贈り物」


「何ですか? 鍵?」


「まぁ、開けてみて?」



 戸惑いながらもステラは前に進み、扉の鍵を開けた。


 ガチャ、と重たい音と共に開いた扉の奥は、今居た部屋よりも一回り狭い造りになっている。

 ステラの私室と同じような色調の部屋には、小さめの執務机とびっちり本で埋め尽くされている書棚が置かれ、アレクシスの執務室のミニチュアのような配置となっている。


 違うのは、部屋の真ん中に置かれた広い作業台と、細かく分類された、壁一面の収納棚。

 作業台の上にはアクセサリーの修繕に必要な工具が各種揃えられており、まさに至れり尽くせり、理想の作業部屋といった様子だ。



「ここは、君の作業部屋。僕の部屋の隣だからね」


「……作業部屋」



 いつの間にか隣に居たアレクシスが囁いた。

 ステラは夢の中の出来事のように、ぼんやりと部屋の中を眺めている。

 本当に、婚約が白紙になって、本当に良かった。

 自分が思い描いた理想に手が届くなんて、思わなかった。



「……嬉しいです、すごく。ありがとうございます」


「君の喜ぶ顔と手仕事を、一番近くで見られるならなんだってするさ」



 はにかむように微笑むアレクシスに、心臓を鷲掴みにされたように感じる。

 なぜこんな気持ちになるのか、心当たりはある。

 アクセサリーや手仕事に向けられていると思っていた彼の優しい微笑みが、それだけではないような気がしてしまうから。勘違いであるとわかっていても、何度も錯覚してしまうから。



「ステラ? どうしたの? あまりこういうの、好きじゃない?」



 黙って考えるステラの顔を、心配そうにアレクシスが覗き込んだ。そのあまりにも不安げな表情に、ふ、とステラの顔が優しくほころぶ。



「いいえ……、嬉しくて……、言葉が出なかったんです」


「ならいいんだけど」



そう言って軟らかく表情を緩めた彼から、少しだけ目を外す。

 特別な気持ちがなくても、アレクシスはステラの事を大事に思ってくれている。

 彼の言葉や視線がどこを向いていても、ただの気まぐれでも、ステラの勘違いでも、彼の優しい気持ちだけは真実だ。



 ―――――私は、この優しい人を大切にしたい



「……アレクシス様に、お礼しなきゃ」



 ボソリと呟いたステラの声に、アレクシスが遠慮するような素振りを見せる。



「……お礼? い、いや、お礼なんていいよいいよ。いらないけど……例えば? どういう?」



 控え目な言葉とは裏腹に、お礼に対する興味が隠しきれていない飢えた眼差しがステラに刺さる。



「……そうですね。アクセサリーの修繕とかでもいいし……。刺繍もできますから、ハンカチとか? あ、そういえば、こないだ洗濯したハンカチ、まだ返してもらってないですね」


「…………ハンカチ、あぁ、あの……ハンカチね」



 アレクシスがすぅ、と目を逸らし、笑みが急に嘘臭くなる。

 何があったのか、これは問いただす必要があるらしい。ステラは口の両端を引き上げて笑みを深める。



「あのハンカチに、何か起きたんですか?」


「いやあの………………、怒らない?」


「怒る訳ないじゃないですか、いやですね」



 しぶしぶ、といった様子で、あのハンカチについてアレクシスが語り始める。



「あの日僕が目覚めて、ステラのハンカチが側にいてくれてすごく嬉しかったから、その喜びを毎日味わいたいなって思って。毎晩添い寝してもらってる」


「…………添い寝?」


「枕元に置いて、スリスリしたり、……た、たまにお休みのキスをしたりして……」


「……」



 キャッと恥ずかしそうに両手で顔を覆う美男子を見ても、ステラの心は凪いだように静かだ。

 もう、何をしようと驚くまい。けれど、言うべき事は言わなければ。

 ステラはアレクシスの目をしっかりと見つめながら、呟いた。



「…………この、変態が」


「ひどい! お、怒らないって言ったのに!」


「怒ってはいないです。呆れてるんです」


「ステラのハンカチって思ったら興奮しちゃうんだから、しょうがないでしょ」


「人のハンカチで興奮しないで下さい。いやそもそも、ハンカチで興奮しないで下さい」



 希望に満ちた新たな生活がいよいよスタートする。

 変態との暮らしは前途多難かもしれない、頭を抱えるステラだった。









お付き合い下さりありがとうございます!


これにて第2章完結です。

第3章開始まで一週間ほどいただきます。

再開しましたら、またご覧いただければ幸いです。


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