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#22 夜中の

 




 ◇




 チャプン、と穏やかな水音が反響する中、囁くようなアレクシスの声が部屋の中に響く。



「緊張しているのかな?」


「………………」


「かわいい、大丈夫。怖くないよ……」


「………………」



 アレクシスの蕩けるような甘い声、優しく触れる手。

 とてもじゃないが恥ずかしくていたたまれない。ステラは視線に精一杯の抗議を込めて彼を見つめる。



「こうして水の中にいると、君の白さが際立つね。……とてもキレイだよ」


「…………アレクシス様」


「さぁ、僕に身を委ねて……。今よりもっとキレイにしてあげる」



 駄目だこいつ。早くなんとかしないと……。

 少しずつハァハァと息を荒げていく彼を止めるべく、ステラは重い口を開いた。



「アレクシス様、盛り上がってるところ申し訳ないんですが、これ、ただの洗濯ですから」





 ―――――ここはアレクシスの執務室


 備え付けの洗面台にアレクシスとステラで水を張り、血で汚れたハンカチを洗濯中だ。アレクシスの発言は、もちろん全てハンカチに向けてのものである。


 洗面台にハンカチを浸し、ゆるゆると優しくもみ洗いをするだけの状況で、どこに興奮する要素があったのか、ステラにはさっぱりわからないし、わかるつもりもない。



「誤解を受けるような声かけはやめてもらえますか?」


「えっ!? 僕とハンカチの関係を誤解したの? 」


「そういうんじゃない」




 ◇




 ステラの提案を受けた後、断固としてハンカチを要求するアレクシスと、血まみれのハンカチを渡すわけにいかないし早く休んでくれ、というステラとの壮絶な水面下の戦いは、『ハンカチを洗濯する』という折衷案に収まった。


 とにかく早く休んで欲しいステラは『今すぐ洗濯出来ないなら、このままゾンビのように庭園をさ迷ってやる!』という彼の捨て身の脅迫に屈するしかなく、夜中に疲労困憊のアレクシスとこうして洗濯をしているのだ。



「やっぱり、早めに洗ってよかったよ。血は落ちにくいから」


「そりゃそうですけど……」


「この子もすごく震えていたし、キレイにしてゆっくりさせてあげたかったんだ」



 水の中のハンカチは時折ぷわぷわと揺れている。

 血の跡はすっかり抜けて、元の清廉とした美しさを取り戻していた。

 ステラがそれをぼんやりと眺めていると、不意にアレクシスが口を開く。



「ステラは?」


「え?」


「ステラは、怖くなかった?」



 そう言いながら彼はハンカチを引き揚げて、厚手のタオルで挟み込んで水を切る。手元から目を離さないので顔は影になってみえないけれど、その声は静かだ。



「怖く……?」


「僕は怖かった、君に何かあったらどうしようって。君は強いから大丈夫だってわかっているのに。あの男が君に何を思って、何を言ったのか見えたら……もう止められなかった。それで、あんな風に……その……」



 アレクシスはふと手を止めると、体をステラの方へと向けた。

 うつ向いて何かを言いあぐねているようだ。



「……僕のこと、怖かった?」


「? なぜです?」



 ステラは聞かれた事の意味がわからず首を傾げる。

 このところ変態度合いが増してきて怖いと思った事はあるが、きっとそういうことではないのだろう。



「だってあんな……人を苦しめる力だろ」


「何がどうなったかわかりませんけど『こんなこともできるんだー』とは思いました」


「え?」



 ステラの言葉に、今度はアレクシスが首を傾げる。

 ステラは彼の護衛として、もし自分が倒れた時、彼自身が身を守る(すべ)がないと危惧していた。

 相手を討てなくても、その場から逃げる手助けになるような何かが必要だと考えていたのだ。


 武道に取り組むのは時間がかかるし、手っ取り早く武器でも用意するか……と思っていた矢先のあの力。

 体への負担は気になるところだが、いざというとき逃げ出すための一瞬の目眩ましとしておおいに活用出来そうだ――――あの力への感想と言えばそんな感じだ。



「相手から距離を取れる点も良いですし、速効性もある良い技でした。むしろああいう飛び道具をお持ちなのだと安心しました」


「飛び道具…………」


「それに、あの男を攻撃したのは、私のためだったのでしょう? 感謝こそすれ、怖いなんて思いませんわ」



 ステラには、彼が行動した理由がよくわかる。

 大切な護衛であるステラに害を与えようとしたあの男を許せなかったのだろう。

 護衛として、工房の職人として、アレクシスがそれほどまでに自分を大切に思ってくれていると思うと、幸せな気持ちになったのだ。



 アレクシスはしばらくキョトンとしていたが、そのうちに吹き出したと思うと、堪えきれないように笑い始めた。



「なんです?」


「いや…………フフッ、君は最高だなって」


「……ありがとうございます?」



 腑に落ちないステラは不服そうに頬を膨らませる。

 それでも、あんまり嬉しそうに笑うアレクシスをみているとどうでもよくなってしまった。



「改めて、ありがとうございました。無理をさせて申し訳ありません。私のためにも、ハンカチのためにも」


「いいよ。僕のためでもあるからね」



 にこやかな表情に戻ったアレクシスは、ぱんっと音を立ててハンカチを広げると、窓の鉄柵に干した。洗濯完了だ。


 遅くなったので、客間にステラの寝所を用意してもらった。

 さすがに色々あって疲れたが、彼が休むのを見届けてから下がろう。ステラはアレクシスに向き直る。



「さぁアレクシス様、洗濯は終わりましたのでお休みください。お風呂はどうなさいますか?」


「さっき入ったからこのまま寝るよ。ちょっと疲れたからね」


「わかりました。ソリッドさんにそのように伝えておきます。それでは私は下がりますので」


「ステラ」



 退室の挨拶を遮るように、アレクシスがステラを呼び止める。

 一歩ステラに近づくと、潤んだような熱っぽい目でこちらを見ている。



「なんでしょう?」


「……ハンカチ、今日は頬擦り出来ないでしょ。替わりをお願いしたいんだけど」



 やっぱりそうきたか。

 ステラももう慣れたものだ。

 アレクシスのあの顔は、愛しくてやまないアクセサリーに関しての頼み事をするときと決まっている。



「はい。何が良いですか? イヤリングでもネックレスでも今日は大盤振る舞いです。アクセサリーケースごとでもいいですよ」


「ステラがいい」


「部屋に戻ればハンカチもあるかも…………は?」



 アレクシスが2人の距離を更に詰めて、優しくステラの両手を取ると、自分の両頬に押し当てた。



「あの……? 何を……?」


「ん? 頬擦り?」


「……えぇと……」



 ステラの頭の中は真っ白だ。

 目の前にはアレクシスのうっとりとした美麗な笑顔。

 ステラの手はその頬にぴったりと押し当てられ、彼の手で優しく押さえられていて身動きが取れない。


 彼の頬のひんやりとした感触が、少し水気の残るしっとりと包み込む彼の手が、さっきまでの気恥ずかしい洗濯の事を生々しく思い起こさせる。



(これは、どういう……)



 ステラがあっけに取られていると、アレクシスはそのまま頬をすり、と擦り付けるような仕草をする。

 彼の唇がステラの手首を僅かに掠めた気がして、思わず声が出た。



「うひゃ!」


「あ、ごめん。つい堪能しすぎた」


「堪能って、私はハンカチじゃないですよ」



 ステラの抗議にぱっと手を離し、アレクシスはいつもの穏やかな微笑みを浮かべている。

 ステラは軽く咳払いをして、姿勢を正す。



「で、では失礼しますね」


「うん、ありがとう。君のお陰で今日はしっかり休めそうだ。君もゆっくりしてね」


「はい、おやすみなさい」


「おやすみ。また明日」



 部屋を出たステラは足早に客間に急ぐ。



(なんだろう、よくわからないな……)



 わからないけれど、今すごくドキドキしていて、顔が真っ赤なのはよくわかっている。

 それがアレクシスにバレていませんようにと、祈りながら真っ暗な廊下を一人歩いていく。



(きっと、明日になれば治まるわよ、きっといつも通り)



 この時、ステラは思いもしなかった。

 明日の朝アレクシスは起床せず、日をまたいでひたすら寝続けるということを。








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