#20 馬車の中
夕陽が赤みを帯びて傾き始める頃、ステラは帰宅途中の馬車の中にいる。
座席の肘掛けに体を預けて、ぼんやりと今日の事を思い返していた。
結局、ドレスは濃い紫のものに決まった。
サテンの光沢が美しく、裾の方に細やかなビーズの刺繍がさりげなくきらめく美しいドレスだ。細かいサイズ調整をして、パーティー前日にストックウィン邸に運び込まれる予定となっている。
アクセサリーもアレクシスが推していた金細工の一式がしっくりとはまり、それを付ける事にした。
(結局、アレクシス様の色になってしまったわね)
濃紫の目にプラチナブロンドの髪の彼の色を、そのまま纏ってパーティーに出席する事を思うと、少しこそばゆい。
メイド達は何か期待するようなホワホワした視線をこちらへ向けてきたが、そういうことではないのだとやんわり否定しておいた。
ネイトもソリッドも何か思うところがあるのだろう、ソワソワして何か落ち着かない様子だった。
(アレクシス様も気を許してくださるのはいいけれど、いたずらにあんな笑顔をされると、周りに誤解が生まれるのに)
今さらステラがどのような誤解を受けようがどうでもいい。
バイロンとの婚約が無くなった時点で結婚は無いものと思っているためだ。
だがアレクシスは違う。
公爵家当主として、今後結婚もするだろう。変な醜聞に晒されるのはよろしくない。
(そういえば、婚約とかしてないのかしら? さすがに婚約者が居て他の女性のエスコートを申し出たりはしないと思うけど)
誠実な変態である彼に限って、そんなことはないと信じたいが、何しろアレクシスである。
想像の遥か斜め上空をも飛び越えてから地中に潜っていくような男だ、万が一があるかもしれない。
(何にせよ、次にお会いしたときに要確認だわ……。さて、)
すい、と体を起こすと、窓の外に眼を向けた。
どうやら今すぐに確認しなくてはならない事が起きている。
ステラは背筋を伸ばすと、令嬢らしく淑やかな笑みを浮かべて、馭者に向けて困ったように訊ねた。
「ねぇ、おかしいわ。一体どこを走っているの?」
馭者からの返事はなく、聞こえてくるのはカタカタと規則正しい車輪の走る音だけ。
これはおそらく、想像した通りの事が起きている。ステラはもう一度、馭者台に座る人間に声を掛けた。
「聞こえないの? どうして家に着かないのです?」
その途端、馬の嘶きと共に馬車が揺れ、減速して停車した。
人の動く音が忙しなく聞こえて来たかと思うと、ガチャ、と馬車の扉がゆっくりと開く。
「お初にお目にかかるぜぇ、お嬢様よぉ」
被っていたフードを取ると、酒焼けしたような声で、がなるようにステラに挨拶をする。
白髪混じりで体格のよい男は馬車の中に入ることなく、逃げ道を塞ぐように扉にもたれてニヤニヤと嫌な笑顔をしている。
無論、ピルチャー家の馭者ではない。
「家の馭者はどうしたのですか? あなたは誰です?」
「へぇ、貴族のお嬢様方は馭者の顔なんて知らねぇと思ってたぜ」
「質問に答えなさい」
「知らねぇよ。あんたが居たお屋敷の森の中で昼寝でもして、寝過ごしちまったんじゃねぇの?」
ギャハハハ! と、男は下品に大声で笑う。
ということは、周りに聞かれる心配がないほど人がいないのだろう。
ステラはとにかく情報を集めることにした。
「目的は何です。お金ですか?」
「それもいいよなぁ。どこの家のお嬢様かは知らねぇが、あんたの家に要求しても、あそこの公爵に言っても金払いは良さそうだからなぁ」
「……公爵様は関係ありません」
「ハッ。よく言うぜ。あんな高っけぇドレスやら何やら、みんなあんたのために集めたんだろうが…………いやまぁ、どうでもいいな。あんたにちょっと頼みてぇ事があるんだ……。なに、簡単な話だ。事が済めば無事におうちに返してやるよ」
一歩、男がタラップを登る。
入り口の外は完全に彼の体で隠れて見えなくなってしまった。男はゆっくりと腰のナイフに手を掛ける。
「あそこの家にネイトってガキが居るだろ。あいつとあんたの身柄を交換したいのさ」
「……どういう事でしょう」
「知らねぇのか、あいつは贋作師さ。ガキの癖に腕は一流で、本物と見紛うほどの絵を描きやがる。いい金蔓だろ?」
「……へぇ」
「俺は本来、裏の運び屋でな。楽に大金稼げるいい仕事だったが、大元が摘発されてあぶれちまった。今のまっとうな仕事にありつけたはいいが、体使うわりに払いが少ねぇ。ちょうどどうしたもんかと考えたところなんだよ」
男はまた一歩登り、扉を潜る。
悪びれることなく話続ける、ニヤニヤとだらしない口元が実に忌々しい。
「お屋敷であのガキを見掛けた時は嬉しかったぜ? やっと俺にも運が回ってきやがった、てな」
「……あの子をどうするつもりです」
「別に? どうもしねぇ。これまでの暮らしに、贋作師に戻してやるだけさ。人が汗水たらして小銭を稼いでるってのに、元凶がのうのうといい暮らししてんのは許せねぇだろ? だから前以上に描いてもらわねぇと気がすまねぇかもな」
「元凶、ですって……?」
ピク、とステラが青筋を浮かせる。
ひりついた眼差しを男に向けるが、彼はそれを面白がるような口調で続けた。
「そうだろ? ガキが贋作を描くから売る奴が出る。一番悪いのはアイツだろうが」
男がゆっくりとナイフを抜く。ギラリと生々しく輝く刀身に指を当て、いっそう笑みを深める。
「さぁ、あんたにゃ手紙でも書いてもらおうか。『助けて』ってな。悲痛な感じに頼むぜ? 髪の一房でも入れて、急がせねぇとな」
「嫌ですけど」
「あ?」
思わぬ拒否が癇に障ったのか、男は眉を吊り上げて凄むような目付きをステラへ向けた。それを涼しい顔で受けると、ステラはにっこり優雅に微笑んで見せる。
「嫌です。よくもまぁベラベラと。おろかな人ほど口が回るってよく言いますものねぇ」
怖れなど微塵もなく、コロコロと鈴が鳴るように軽やかに笑うステラに、男は怒りに身を震わせる。
「……お嬢様よぉ、あんた、今の状況がわかんねぇのか? ここであんたを傷物にするくらいわけねぇぞ」
「ですから、嫌です。聞こえないんですか?」
ため息混じりの呆れたような言葉に、男の怒りが爆発した。
感情のままにナイフの切っ先をステラへと向けて、獰猛にわめき散らした。
「なら、あんたがガキの代わりに体で稼いでくれんのか? 俺ぁそれでもいいんだぜ!? あぁ!?」
「まさか。全力でお断りしますわ」
いつの間にか、ステラの手には美しい扇が握られていて、いい笑顔でそれをぱたぱたと広げている。
それを見た男は、全くと言っていいほど危機感を持たないステラを『世間知らずのお嬢様』と認識した。華奢なお嬢様が綺麗なだけの扇1つで、ナイフを持つ屈強な男に立ち向かおうと言うのだ。
そんな可哀想なお嬢様に、世間の厳しさを体で教えてやるのも面白い。男は舌舐りをする。
「……その扇で抵抗しようってのか? いいぜ、組伏せて力ずくで抵抗できなくしてやる」
「出来るものなら、どうぞ」
ぱちん、と扇が音を立てて閉じられると同時に、男が一気に距離を詰める。
ステラはニヤ、と口角をあげた。
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