#16 贋作師
汚れてしまったシャツを着替えるためネイトが退出している間に、アレクシスが彼の境遇について話してくれると言う。
2人が向かい合うテーブルの上には、ソリッドが淹れ直した紅茶が湯気を立てていた。
「少し前の話だけど、美術品のオークションに贋作を紛れ込ませて売り付ける、という犯罪組織が検挙されたんだ」
「贋作……?」
「組織が所有する建物からたくさんの美術品とその贋作、そしてアトリエが見つかった。……部屋の隅でうずくまる彼も一緒にね」
穏やかさの欠片もない話に、ステラはネイトの怯えたような不安げな顔を思い出した。
かわいい手をした少年の過去が想像よりも重々しくて、思わず眉根を寄せた。
「そこで彼が何をしていたのか。彼の握っていた絵筆が全部教えてくれたよ。現場はたくさんの人の欲や悪意がうじゃうじゃしてたけど、作業途中のキャンバスの周りだけは、絵を描くのが楽しいという気持ちでキラキラしてた」
「絵筆って……、まさか」
「……ネイトは何も知らずに組織に利用されていた、贋作の作者なんだ」
◇
ネイトは物心つく前から孤児院にいた。
塀に大きく描いた落書きが、孤児院の院長に見初められたのが5歳の頃。
それからすぐにその才能を見込んでくれたある商家の元に引き取られた。
きれいな新しい洋服、フカフカなベッドに美味しい食事。
商家ではどこかの王様のような暮らしが待っていた。
なにより嬉しかったのは、講師がついて本格的に絵の勉強をさせてもらえた事だった。基本的な事から特殊な技法まで、知らなかった事が身に付いていくのが楽しくて仕方なかった。
ある日講師から、教本に載っている有名な絵を見せられて、これと全く同じ絵を描いてみなさいと課題が出される。
不思議がるネイトに、これは練習だと講師が言う。上手な絵を真似て描くことは、上達への近道だと諭された。
そういうものか、と疑うことなく、ネイトはその指示に従う。
懸命に絵を仕上げて提出すると、また別の絵を持ってきて描けという。それが出来たらまた別な絵を……と、ひっきりなしに絵を持ってくる。
そのうちに講師は名画を真似て描けとしか言わなくなった。期限を区切られるようになり、守れないと食事を抜かれた事もあった。いつしか屋敷の外に出ることも許されなくなって、ひたすらに名画を模倣する日々が続いていく。
それでも絵を描くのは楽しい。
課題の絵とそっくりに描けると、高い壁を乗り越えられたような感覚になる。
ネイトの絵筆は留まる所を知らず、名画をそっくりに真似た絵を何枚も何枚も仕上げた頃、その絵が贋作として世に出回っていたことを知らされた。
知らないうちに贋作師となってしまっていた9歳のネイトは、商家、もとい組織が摘発されても罪に問われる事はなかった。
しかし解放される訳ではなく、後見人を付けた保護扱いとなり、適切に再教育を受けさせるように決定した。
それならばとアレクシスは、上司であるジェラルドに掛け合って後見人に名乗りを上げ、彼の才能を埋もれさせたくない一心で『工房』へ迎え入れたのだった。
◇
「好きなものを思うままに描いていいよって言ったら、何を描いたらいいのかわからないって困った顔してるから、庭の花を描いてみたらって言ったんだ。それがあの絵さ」
エントランスでステラが見惚れたのは、様々な色彩の花が一斉に咲き乱れたストックウィン家の庭園の絵だった。
構図と色彩のバランスが見事で、あまり絵画に明るくないステラが見ても目を奪われる、魅力溢れる作品だ。
「素晴らしかったでしょう? 繊細な描写も色使いもあんなに鮮やかで見事なのに…………すごくモヤモヤした気持ちが伝わってくるんだ」
「もやもや……?」
「これまでずっと模写をするよう指示されててきたから、自分でテーマを見つける事に苦戦しているようなんだ。あの絵は僕から言われて描いた物だから、自分の絵じゃないように感じるって。何か力になれたらいいんだけど、こればっかりは口出しできなくて……」
アレクシスはうっすらと自嘲の笑みを浮かべて、紅茶のカップに手を伸ばす。
(描きたいものがわからない、か)
『好きなように』『自由に』というのも、なかなか楽しいだけではないらしい。
ステラはついこの間までの自分の事を思い返す。
他の道がたくさんありすぎて、やりたいことが見えなくなるなんて、自由になる前はそんな事を考えたこともなかった。
「彼がもし、絵を描くことをやめたら、どうするつもりですか?」
自由になった彼が選ぶのは、違う道かもしれない。
ふと思い浮かんだ事を、そのまま向かいのアレクシスに訊ねた。
「どうするって、どうもしないよ。決めるのは本人だから、僕は止めないし」
「そうなったらあの子は、ここを出なきゃならないですか?」
ストックウィン家の工房に職人を迎える事は、言わば投資の様なものだ。
アレクシスによって将来を見出だされた者がその道を諦めたら? ネイトは行き場を失くすのだろうか。
ステラの真剣な眼差しにそんな思いを感じたのか、アレクシスは苦笑いで答える。
「心配しなくても、何があっても僕は彼の後見人だ。それに、一度招き入れた者を追い出すような真似はしないよ。絵を描かないなら、何か屋敷の仕事をしてもらうと思うけど」
「よかった……。私てっきり……」
「……僕ってそんなひどいやつにみえるかな……」
アレクシスの言葉に安堵していると、ノックの音と共にソリッドの声が聞こえる。
「ネイト様がお戻りになりました」
「どうぞ」
アレクシスが入室を促すとドアが開いて、ネイトがおずおずと部屋に入ってきた。アレクシスに一礼すると、照れ臭そうにステラの方に体を向け、しっかりと頭を下げる。
「ネイトといいます。さっきはありがとうございました」
華奢で小さな体をピシッと伸ばし、固い面持ちでステラの様子を窺っている。緊張で顔が赤く染まっているのがわかる。
ステラに泣き顔を見られた事が恥ずかしいのかもしれない。ステラは何事もなかったかのように、最大限の優しさを込めてニッコリと微笑んだ。
「ステラ・ピルチャーといいます。お逢いできて光栄です」
「ふぁっ……はいっ!」
ステラの挨拶でますます緊張させてしまったのか、ネイトの顔がいっそう赤くなる。
申し訳なくなったステラは、アレクシスに場を収めてもらおうと視線を送るが、彼は先程のいい笑顔で固まってしまっている。
「あの……? アレクシス様?」
「…………あぁ、ごめんごめん。今ちょっとした衝撃的映像を初めて見た」
「……子供の前ですから、人としての尊厳を忘れずに行動しましょうね」
「僕って君の雇用主だよね……? え? 僕の扱いずっとそんな感じ?」
「さぁ、お菓子を戴きましょう。好きな所に座って下さいね」
がっくりと肩を落とすアレクシスを横目に、ステラはネイトに着席するように促した。
ネイトはまだ赤みの残る顔で、かちこちになった手足をぎこちなく動かす。じわじわとソファに近付いて、ステラのすぐ隣にちょこんと腰かけた。
「し、失礼します」
「まぁ、いらっしゃい。お菓子、どれがお好きですか?」
「……なっ」
驚いたけれど、なんだか弟が出来たみたいで嬉しい。
何を隠そう、兄弟の一番下だったステラは『お姉さん』に憧れていたからだ。
甲斐甲斐しくネイトにマドレーヌを取り分けていると、ステラのもう一方の隣のソファがぐっと沈んだ。
「僕も、お菓子食べたい」
腕組みをして、不満げな顔をしたアレクシスが、ステラの真横にどっしりと腰をおろしている。
彼を見るステラの眼差しがじっとりと細められる。
「……ご自分で取れるでしょう? 大人なんだから」
「大人子供とか、取れる取れないじゃなくて。僕もステラにお菓子を取って欲しい」
「急にどうしたんですか?」
「…………ネイトばっかりずるいじゃないか。君は僕の護衛なのに」
ボソリと小さく呟かれた声に、ステラは目を丸くした。
アレクシスが嫉妬している。
ステラをネイトに取られたと、子供みたいに拗ねている。
自分の護衛が、自分以外のお世話をするのが嫌、ということだろうか? いやそもそも護衛って、お菓子を取り分けたりするものだったっけ? ステラは首を傾げる。
(自分だけを守って欲しい、ていうことかな?)
ステラは今日の事を思い返しつつマドレーヌを小皿に取ると、アレクシスは少しバツが悪そうに口を尖らせる。
「……ありがとう」
「……おっしゃる通り、私はあなたの護衛です。……来るべき時が来たら、きっちり仕事しますから」
「…………ん?」
ステラ以外にも護衛はいる。
騎士もいるし、側近として控える者も背中に暗器を仕込んでいる。家令のソリッドも、歩き方の癖や体捌きからおそらく体術の相当な使い手だろうとステラは読んでいた。
これだけ手練れの者がいる中で、何故ステラに護衛の仕事を依頼したのかわからなかった。
しかし適材適所、夜会や式典など、伯爵令嬢であるステラが同行するべき場所が必ずあるに違いない。
きっとそういう時のために自分に声が掛かったのだろう。
(いざとなればエスコートされるフリもできるし、婚約者のフリだって出来るしね)
ふんす!と誇らしげな様子のステラに、不服そうなアレクシスが疑問を口にする。
「…………ステラの言う『来るべき時』って、どんな時なの?」
「え? えぇと……お側に私しかいない時とか?」
「……2人きりで居る時ってこと?」
「……ま、まぁ、はい」
「ふぅん?」
答えを聞いた途端ににんまりとしたアレクシスは、満足げにステラの顔を覗き込む。ニヤニヤと含みのある笑顔に、ステラが首を傾げた。
「……あれ? 私、変なこと言いました?」
「いや、君と僕が2人きりになる時が楽しみだなって。さ、お菓子取ってもらったからいただくね」
「は……? あれ?」
いつものフニャリとした笑顔に戻ったアレクシスは、モグモグと美味しそうにマドレーヌを頬張っている。
ステラは何かやらかしたような気がして、自分の発言をひたすらに振り返るのだった。
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