#1 辺境伯令嬢 ステラ・ピルチャー
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何か起きそうな、嫌な天気だ。
ガタガタと馬車に揺られながら、伯爵令嬢のステラ・ピルチャーは窓の外を眺めていた。
艶のある滑らかな黒髪は緩く纏め、身を包むのは星屑のようなビーズをちりばめたふわりとした藤色のドレス。
こんなにも華やかに着飾っているというのに浮かない顔で、琥珀色の瞳は物憂げに凪いでいる。
ステラの口から本日何度目かの深めのため息が漏れた。
(今日は何を仕出かすつもりかしら。とても嫌な予感がするんですけど)
ステラがかねてより頭を悩ませているのは、婚約者である第2王子の事。
今日だって王家主催の夜会という公的な場にも関わらず、同行するはずの婚約者、バイロン・モージズ・カヴァデイルの姿はない。
王宮で待ち合わせるとか、どこかで落ち合う事もない。
『エスコートはしないが、必ず1人で参加しろ』という連絡が昨日のうちに届いていたのだ。
勝手は今に始まった事ではないが、わざわざ使いを寄越してまで参加を促すのだから、ステラを侮辱する何かを企んでいるに違いない。
憂鬱な心中を映したような曇天の下、到着を告げる馭者の声と共に、馬車がゆっくりと停車した。
◇
ステラとバイロンの婚約は、ピルチャー辺境伯と縁を結びたいと考えた王が望んだ政略的なものだ。
旧家の一員として徹底した教育を受けてきたステラと、王子教育もそこそこにちやほやされてきたバイロン。
わがままですぐに癇癪を起こす彼への印象はあまり良いものではなかったが、初めはこんなものなのだろうと気にしてはいなかった。
しかしアカデミーに入学し、成長するにつれて、バイロンはステラを邪険に扱うようになる。
『お前のような地味な女は田舎に帰れ!』
『勉強会だと? 少しくらい成績がいいからとバカにするつもりか!』
『女の癖に剣を使うのか。さすが田舎者はやることが違うな』
『付いて来るな! お前の顔を見てると息が詰まる』
ステラに罵声を浴びせて扱き下ろし、公式な場以外では他の女性を側に侍らせるようになった。
バイロンの態度に据えかねたステラが抗議しようものなら、火に油を注いだように激昂するので、いつしか意見することを諦めてしまった。
そのまま時は過ぎていき、後半月もすればアカデミーの卒業が控えている。そしてバイロンが臣下に下った数年後には結婚、そんなところまで来てしまった。
(田舎者が嫌なら、さっさと婚約者を変えて欲しいわ)
彼の事を愛してるとか好きだとか、焦がれるような恋心は微塵も持っていない。
けれど、いずれは家族になる相手だ。
いつか彼とわかりあって、穏やかに過ごしていける関係になれればいい――――
そんなことを考えながら幾星霜。
さすがに希望も潰えてしまった。
今となっては虎視眈々と婚約の解消を狙う日々を過ごしていた。
◇
馬車のタラップを慣れた足取りで1人で降りてきたステラに、好奇の眼差しがあちこちから飛んできた。皆一様に彼女の挙動に注目している。
「やっぱり、ステラ様はお1人だわ」
「バイロン様はローラ嬢と一緒なのだろう?」
「だって、お2人こそが『真実の愛』で結ばれているのだもの、当然よ」
最近バイロンは、特定の令嬢と『真実の愛』などと言って盛り上がっているらしい。
それならそれでこちらも願ったり叶ったりだが、そんなに大切な愛ならステラとの関係を解消してから結ばれればよいものを。
勝手に巻き込まれたあげく、遠巻きにコソコソと自分の事を囁かれるのは全く気持ちの良いものではない。
ステラがとっととその場から離れようと歩き出したその時、慣れないヒールの高い靴で小石を踏んでしまった。
(あっぶなっ……)
グラリと揺れる体をなんとか踏み留まって転ばずに済んだが、よろけた弾みでイヤリングが外れてしまった。
気付いた時にはドレスのラッフルをスルスルと伝い、宙に向かって跳ね上がっていた。
(ダメ!壊れちゃう!)
イヤリングは山なりに軌道を描いて落下する。
ステラが必死に手を伸ばすが、あと少しが届かない。
これは落ちる――――ステラが覚悟をしたその時、横から伸びてきた知らない誰かの手の中にすっぽりと収まった。
「やぁ、こちらは間に合った」
耳馴染みのよい、のどかな声が聞こえてきた。
体勢を直したステラが顔を上げると、人の良さそうな笑顔を浮かべたとんでもない美丈夫が立っている。
「とても豪快に足を踏み外しておられたようだけど、お怪我はありませんか?レディ?」
「あ……はい、大丈夫です……」
「よくあの体勢から堪えましたね。助けが間に合いそうになかったので、転ばなくて本当によかった」
ニコニコ笑顔のまま、青年はステラに近付いてきた。
さらりとしたプラチナブロンドの髪は歩く度に耳元で揺れ、チラチラと黒曜石のイヤーカフが見え隠れする。紫紺の瞳は果実のように輝いて、まるで物語の中から飛び出して来たような美しさだ。
彼の優雅な身のこなしと仕立ての良さそうな赤茶の上着から、相当な高位貴族だろうとアタリを付けたが、脳内に思い当たる顔が見当たらない。
ステラが発言に困っていると、青年がふわりと握っていた手をそっと開く。
「はい。この人も、下に落ちなくてよかったね」
「あ……よかった。ありがとうございます」
青年が『この人』と呼んだのは、彼が受け止めてくれたステラのイヤリングだ。
植物の種のように細やかなパールを使い、葡萄の葉を模したデザインのもので、元は曾祖母のものだ。
古い品で壊れやすいため、下に落ちなくてよかったとホッと息をついて青年に一礼した。
改めて正面から向き合うと、青年がステラの顔を見て驚愕の表情を浮かべている。
「な、何て美しい……」
「は?」
「何て美しい……、イヤリングだろう」
「あ? あぁ……イヤリング」
よく見ると彼の目線は、ステラの耳元に向けられていた。
一瞬自分に向けられた言葉に感じたステラは、勘違いに顔を赤くする。
キャッチした手の中のイヤリングをしげしげと見つめた青年は、ほぅ、と恍惚のため息をついた。
「このイヤリング、とてもイキイキしてるね。はつらつとしてチャーミングな君の雰囲気ぴったりだ。細工も繊細で……ずいぶん古い品物だね?」
「あ、ありがとうございます。ええと、これはですね」
「あ、……ここのチャーム、取れてしまってるの?」
ほらこれ、と青年は手の中のイヤリングをステラに見せる。
葡萄のモチーフの一番下に大きめのパールが一粒下がっているはずなのだが、彼の手の中にそれはない。
「どうしよう!飛んでしまったんだわ、探さなきゃ」
落下の衝撃に金具が緩んで落ちてしまったのかもしれない。息を飲んだステラは慌ててキョロキョロと辺りを見回す。
「あぁ待って、それには及ばないよ。ちょっと貸してね」
今にも地に這いつくばってチャーム探しを始めそうなステラを、青年が落ち着いた声で制する。
そのまま手の中のイヤリングを見つめて、愛を囁くようにしっとりと呟いた。
「さぁ、君のお仲間はどこにいっちゃったかな?教えてくれる?」
イヤリングが一瞬だけキラリと輝いたように見えたが、その後は何も変わらず彼の手の中だ。
何が起こるのかと首を傾げるステラを横目に、青年はゆっくりと探るように歩きだす。
そして石畳の遊歩道の脇で屈むと、怪しい笑みを浮かべつつ、おもむろに垣根の奥に手をザックリ突っ込んだ。
「ハァハァ、ウフフ、大丈夫だよ、かわいいねぇ。迎えに来たから、隠れてないで出ておいで……」
「えぇ……」
カポーンと大きく開いた口が塞がらない。
青年はザクザクと垣根の奥をまさぐりながら、やや興奮気味にステラのチャームに呼び掛けている。その様子は変質者そのものだ。
彼の眉目秀麗さが木っ端微塵に吹っ飛ぶような言動を目の当たりにしたステラは、体を仰け反らせてドン引きしている。
青年はそんなステラの様子に気付くと、切り替えたように先程までの爽やかな笑顔を覗かせて、これまた爽快に言ってのける。
「安心して! 僕は怪しい者じゃないからね!」
「それが一番安心できないやつ……」
不審者本人からの『安心して』は一番信用してはいけない。
鼻歌混じりでチャームに愛を囁く青年から目を離さないように、ステラは忍び足でジリジリと距離を取るのだった。
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