12月31日、午後11時50分。
季節のイベントに合わせてみたかったので……。
皆様、明けましておめでとうございます。
私と隣家の一人息子・祐希は、同い年で幼馴染だ。
しかも、マンガなんかでよくある、互いの部屋の窓が向かい合っているあの構造だ。
互いの窓と窓との間の距離は一メートルちょっと。お互いが手を伸ばしあえば届く。
となると、やってみたくなるのがアレだ。
『窓から行き来する』という、お約束のアレ。
やってみた。
そんで、落ちかけた。
お母さんに、ゲロ吐きそうなくらい叱られた。
祐希は「急に姿消えるから、忍者かと思った」と真顔で言っていた。真顔やめろや。傷つくから。
落ちかけた私を、祐希が助けてくれた。
溺れる者は藁をも掴む。落ちかける者は幼馴染のセーターを掴む。
助けようとしてくれた祐希のセーターをがっしり掴み、遠慮もへったくれもなく私の命と全体重をかけてしまった為、セーターはでろんでろんに伸びた。
無事に助かった私に向かい、「お前これ、どーしてくれんの?」と無表情で迫られ、とりあえずその時の全財産の二千円で手を打ってもらった。
女子がアクロバティック訪問決めようとするから悪いんじゃね? という事で、逆に祐希が私の部屋へ来ることになった。
私の部屋の窓の近くには、机が置いてある。
祐希は、その机の上に飾られていた、私お気に入りの浦安某王国の国王陛下のガラス細工を思い切り蹴とばした。
無残にも粉々になったネズミ国王の残骸を集め、祐希に「この落とし前は、どうつける気だ?」と迫ったら、二千円が返ってきた。
そんな出来事があったのが、小学校五年生の頃の年末だった。
あと数日で新年、というド年末だったので、互いに折衝案として「年が明けたら、旧年の遺恨は水に流して持ち越さない」という条約を締結した。
そしてそれは、今でも続いている。
年が明けたら、去年あった色々はノーカンだ。
それでも未だに、祐希と同じ高校を受験し落ちた事だけはグチグチ言われる。……泣きてーのはこっちなのに、何で文句言われなきゃなんないんだ。
私は無事、滑り止めの女子高に受かり、祐希は普通に公立の進学校へと進み、人生十六年目にして初めて進路が分かれた。
もう来年は三年になるっつーのに、何で未だに文句言うんだ、この野郎。
お隣の祐希くんは、頭の出来が良い。
おかげで、ウチの母からよく「ちょっとは祐希くん見習いなさいよ」と言われる。
でもね、マミー。あいつ、普段、勉強とかしてないのよ? してなくて、素で頭イイのよ? それってもう、どうにもならなくない?
そんな素で賢い祐希くんは、腹立つ事に見た目もいい。
これはもう、ご両親の遺伝子の賜物だ。お隣のご家族は、ご両親も息子さんも、皆美形だ。
我が家とは大違い過ぎて、『格差』というものについて考えざるを得ないレベルだ。
背が高くて、頭がちっちゃくて、スタイルがめっちゃイイ。
見てると腹立ってくるくらい、整った外見だ。
あんまりに腹が立ってくるから、最近はなるべく見ないようにしている。
先月だったか祐希に「最近、すげー態度悪ぃの、何なの?」とイラついた声で言われた。カルシウム足りてないんだな……と思ったので、煮干しを可愛くラッピングしてプレゼントしておいた。
ちゃんと食ったかね? と後日確認したら、「なんか、味噌汁の出汁になったらしい」と返された。
出汁とっちゃったら、カルシウム摂れなくね? 出汁とった後の煮干し、ちゃんと食ったのかな?
さて、そんなこんなで、今日は大晦日だ。
時間の調整もばっちりだ。現在時刻は午後十一時五十分。あと十分で、今年が終わる。
つまり、この十分間に何かやらかしても、十分後にはノーカンとなる。
毎年、この十分間を祐希は『魔の十分』と呼ぶ。……クソ失礼だな。
去年は、祐希はクラスメイトに二年詣りに誘われたとかで、家に居なかった。なので機会を逃してしまった。
今年の予定を聞いたら、「多分寝てんじゃね? 知らんけど」との事だった。
やってやるぜ!
今年こそはやってやるぜ!
そんな意気込みで、お隣のお家へ行き、おじさんとおばさんに挨拶をし、祐希の部屋に向かった。
私が大晦日のこれくらいの時間にやってきて、祐希になにかドッキリをしかけて帰っていくのは恒例行事なので、おじさんもおばさんも笑いながら迎えてくれた。
ちなみに、マイファーザーとマイマザーは「小学生か」と呆れていた。
あなたたちの娘は、花の女子高生でございますよ。
祐希の部屋のドアを、ノックせずそろーっと開けてみた。
廊下で耳を澄ましてみた感じ、中から一切物音がしなかったからだ。
これ、マジで寝てんじゃね? 別にいいけど。むしろ好都合だけど。
祐希は案の定、ベッドで横になっていた。
毛布も掛けず、仰向けに寝転がっている。その胸の上には、開いたまま伏せられた本。
いかにも『本を読んでいて寝落ちした』という構図だ。
ただ、胸の上の本がエロ漫画なの、どうにかならんかね?
祐希に憧れてる女の子がこんなの見たら、卒倒するんじゃないの?
私は今更、何も気にはしないが。……というかこいつ、エロ本とかAVとか、隠す気ゼロだし。フツーにラックにAV並んでるし。
以前、祐希に「隠す気はないのか」と訊ねたら、ものっそい不思議そうに「何で?」と訊き返された。
何でじゃねえわ。視界に入るたびに、なんか微妙な気持ちになるんだよ。あと、貴様の性嗜好なんざ、知りたくもねぇんだよ。
くそぅ。エロ漫画のせいで、色々と台無し感があるぜ……。
だがまあ、いい。
寝ている祐希の顔をじっと見る。
寝顔まで整ってやがる。腹立つ。
何がそんなに腹が立つかというと、この顔に釣られる女子が多いからだ。
御幼少のみぎりから、うんざりするくらいモッテモテだ。
おかげで私は、やっかまれたり、羨ましがられたりと、色々大変だった。
たまたま隣の家なだけじゃん、などとも言われたが、それは素直に「そうだね」と返した。言ってきた相手は一瞬きょとんとしていたが、実際その通りだと思うし。
たまたま隣の家で、たまたま親同士が仲良くなって、そんでついでに私たちも一緒に居ることが多かった。
言ってしまえば、それだけの関係だ。
まあ、祐希がどう思っているのかは分からないが。
何を隠そう、私の初恋はこの幼馴染だ。
めっちゃ隠してるから、多分誰も気が付いていないだろうけれど。
幼い頃は、常に一緒に居た。
小学校の高学年になり、思春期を迎え、少しだけ距離が開いた。
中学生になり、更に距離が遠くなった。この頃には、互いの部屋を行き来するような事が、ほぼなくなった。
その中学生のころ、祐希には一度だけ彼女が居たことがある。
なんか二か月くらいで別れてたけど。
あざとい系の女の子で、女子からはうっすら遠巻きにされていた子だ。
祐希は学内でも一・二を争う人気だったので、その『みんなの人気者の彼』を掴まえたかったのだろう。アホほど下らん。
祐希にどうしてあの子と付き合う事にしたのかと訊ねると、「試しに?」とめっちゃ疑問形で答えが返ってきた。
なんのお試しだ。
そして二か月くらい経ち、最近どーかね?と訊ねたら「こないだ別れた」とあっさり返ってきた。
またしても「どうして?」と訊ねたらば、「試用期間内、返品OKがフツーじゃね?」と返された。
……あの子は返品されてしまったのか……。
まあ、あの子が返品されるのは別に構わない。あの子はきっと、祐希でなくても、それなりに見た目の良い相手なら誰だって構わないのだろうから。
けれど。
あんな祐希をハンティングトロフィーか何かと勘違いしている肉食マタギ系女子ではなく、普通に祐希自身を好きになってくれる子だって居るはずだ。
そういう子からしたら、たまたま家が隣同士な幼馴染(異性)なんて、面白くないどころの話じゃないだろう。
距離を置くのが正解なんだろうな、と納得したのだ。
私は納得したが、祐希は納得していなかった。
祐希に言われた「最近、態度が悪い」というのは、祐希の顔を直視しない事だけでなく、私が祐希をうっすら避けている事も含まれている。
つってもやっぱ、異性のお友達とか、居ない方が良くないかね?
無駄にイケメンのくせに女っけないから、おじさんたち何か心配してるよ?
そんで、何故か私を最終防衛ラインとしてキープしようとしてるよ?
これじゃいかんと思うワケだよ。
めっちゃすやすや眠る祐希の顔をじっと見る。
……睫毛、長えな、ちくしょう。何で肌ツルっツルなんだよ。お年頃なんだから、ニキビの一つや二つ、ないもんかよ。
本当に、腹が立つ。
何だかんだ言ってみても、私はこの顔が大好きだからだ。
無駄にイケメンで、エロ本もAVも隠す気もなくて、お勉強ができて、グリーンピースが執拗に避けるほど嫌いで、運動もできて、「寝る」と言った一分後には本当に寝ているこの幼馴染が。
子供のころから、ずっと大好きなのだ。
まあ、でもね。
私は己の分というものを弁えていますのでね。
祐希とどうこうなろうなんかは、全く考えてないわけですよ。
祐希の女の子の好み、よく分かんないしね。
どういうタイプが好き? という質問に対して、「変な女」と返ってきたからね。
ていうか、イケメンの好きなタイプって、『面白え女』なんじゃないの? 『フッ、面白え女だな』みたいな。
まあその『変な女』と祐希くんの未来の為にもだ。
十何年分の想いに、今日、片を付けようというワケだ。
そっとベッドのふちに座ってみる。
こいつ、もしかして起きてねえか? 気のせいか?
殴ってみるか? いや、それじゃフツーに寝てても起きるな。……まあ、いいか。あと五分で今年も終わるし。
うし! と心の中で気合を入れ、私は眠る祐希にそっとキスをした。
ノーカン、ノーカン、と身体を起こそうとして、驚いて固まってしまった。
祐希がばっちり目を開けている。しかも、こっち見て笑ってやがる。
「起きてやがった!」
「よし、捕獲」
にゃにおう!?
身体を起こそうとしたのだが一瞬遅く、逆に祐希にがっちり抱き締められる格好になってしまった。
「寝たフリすんなら、私が出てくまでやっててよ」
「何でだよ。逃がすかよ」
「もーちょいで年明けるから。そしたら、ノーカンだから」
「美緒、今、何分?」
「……動けないから、分かんないよ」
貴様ががっちりホールドしてくれてるからな!
「そんじゃ、美緒が覚えてる限りの最新の時刻は?」
「十一時五十五分」
「ん、了解」
それがどうした。
ていうか、この腕、放してくれんもんかね?
「なんかやらかしたとしてさー……」
「あん?」
祐希の声がめっちゃ耳元で聞こえて、なんかぞわぞわする。
「年またいだ場合、どーなるモン?」
年をまたいだ場合……。
「それはあれじゃない? 三六五日後にノーカンになるんじゃない?」
「OK。了解」
「おい、待て。何する気だ、この野郎……」
文句を言う私の唇が、祐希の唇で塞がれた。
* * *
近すぎると見えないものがある。
それは確かにそうだ。それはそうなのだが。
距離如何に関わらず、見えないものもある。
俺にとっては、幼馴染の美緒がそうだ。
付き合いだけは長いけれど、何を考えているのかがさっぱり分からない。
ある日突然「幼馴染で家が隣同士って事はだよ。窓から行き来するのがセオリーじゃない?」と言い出した。
なんのセオリーだ。少女漫画か何かか。
俺の部屋と美緒の部屋は、向かい合わせに窓がある。
確かに、窓と窓の距離はかなり近く、ここから行き来するのは多分可能だろう。
美緒は「窓開けて、ちょっとどいてて」というと、「よっしゃ!」と気合を入れて、……飛んだ。
頼むから、もうちょっと慎重に生きてくれ……。
全然窓に届きもせず、いきなり姿が消えるもんだから、焦ったなんてもんじゃなかった。
何とか美緒を部屋に引き上げ、しばらくは心臓がバクバクいっていた。
美緒は「いける気がしたんだけどな~……」などと、呑気に残念そうな声を出している。
ふざけんな、このバカ。こっちが心臓止まるわ。
美緒がガッチリ掴んでいたセーターは、めちゃくちゃに伸びてしまっていた。
そんなもの、本当はどうでも良かったけれど、許してしまうと美緒が反省しない気がしたので「どーしてくれんの?」と言った。
それに美緒は正座をして、両手で茶封筒を差し出してきた。
「全財産です。お納めください」
中身は二千円だった。……全財産が二千円かよ。
しばらくすると今度は、逆に俺に窓から入ってきてみてくれ、と言い出した。
……なあ、フツーに玄関から入ろうぜ? 何で窓に拘るんだよ。
けれどまあ、一回くらいやってみせないと、美緒が納得しない。こいつは納得できないと、とことん食い下がってくる。
仕方なしに美緒が開けてくれている窓へと移動し、部屋に入ろうとした。が、足が何かに当たった。
何か小さなものを蹴とばした、と思った瞬間、蹴とばされた何かはすごい勢いで壁に当たってガシャンと音を立てた。
一瞬だけ、美緒が泣きそうな顔をしたのを、見てしまった。
俺が蹴とばしてしまったのは、美緒がものすごく気に入って大事にしていた、ガラス細工の人形だった。
数年前に、ウチの家族と美緒の家族とで、某テーマパークへ旅行へ行った際に買ったものだ。
そんなに大きなものではないのだが、美緒の小遣いでは苦しい値段がついていて、美緒がおばさんに頼み込んで買ってもらった品物だ。
なんて言って謝ろうか……と、破片を丁寧に拾い集めている美緒の背中を見て考えていた。
そもそも俺が悪いのか?という疑問もあるにはあったが。
けれど美緒は、拾い集めた破片を俺に向けて差し出すと、いっそ横柄な口調と態度で「この落とし前は、どうつける気だ?」と言ってきた。
こいつ、これで手打ちにする気か。
怒る事も、泣く事もしないで。
多分美緒は、謝ってほしいとも思っていない。
なので俺は、自分の机の引き出しにいれてあった、美緒からもらった二千円の入った茶封筒を「慰謝料として」と美緒に返した。
美緒は茶封筒を受け取ると、「返ってきた」と楽しそうに笑っていた。
そしてその出来事があったのが年末だったので、美緒が「今年あった事は、来年には持ち越さない事にしよう。年が明けたら、全部ノーカン! ね?」と言ってきた。
こいつ、どんだけ人好いんだよ、とちょっと呆れた。
その「年が明けたらノーカン」は、今でも続いている。
けれどそれには『例外』がある。それは「本っ当ーに許せない事とかは、年が明けても持ち越しね」だ。……言い出した美緒が覚えてないような気がしなくもないけれど。
家が隣同士で、親同士も仲が良かったので、俺と美緒も自然と一緒に居る時間が多かった。
何か用があって両親ともに家に居ない時などは、当然のように隣の家にお世話になった。それは逆も然りだ。
ずっと、一緒だった。
そして俺は、それがこの先もずっと続いていくのだと、何となくそう思っていた。
けれど、小学校の高学年になった頃から、美緒が何となく俺を避けるようになった。
多分、誰かにからかわれるか何かしたのだろう。
俺も周りの連中によく言われていたから。
美緒は決して目立つタイプではない。
人目を惹くような美少女などでもない。
ごく普通の女の子だ。……中身はその限りではないが。
俺は自分で言うのも何だが、見た目はかなりいい方だ。美緒にもよく「無駄にイケメン」と言われる。
確かに『無駄』だよな。
無駄に見目がいいものだから、周りに人が寄ってくる。
そういう連中が、美緒のことを何だかんだと言う。
そういった雑音を、俺は「俺のことも美緒のことも、なんも知らねえクセに、うるせえな」としか思っていなかった。
けれど、美緒は違ったのだろう。
毎日、一緒に登下校していたのが、時間の合わない日が多くなった。
同じクラスなのに、休み時間なんかにも話をしなくなった。
そして、美緒がウチに遊びに来る頻度が、ものすごく減った。
はじめは母親に心配された。「祐希が何かしたんじゃないの!?」と、あらぬ疑いまでかけられた。
美緒がウチに遊びに来た日に、母親が「最近、遊びに来てくれないの、何で?」と訊ねていた。俺は「まじかよ。訊くなよ、そんなん」と思ったが。
その質問に、美緒は笑いながら「私だって、祐希以外に友達くらい居るからね!」と答えていた。
嘘じゃねぇけど、嘘じゃん。
お前も友達も、めっちゃインドアじゃん。
休日遊びに……とか、ほとんど行かねえじゃん。
……まあ、言えないんだけど。
美緒が、突っ込んでほしくなさそうに笑うから。
一緒に居る事をからかわれるくらい、何だって言うのか。
言いたい奴には、言わせとけばいいのに。
どーせあんな連中、大して深い考えも意味もなく言ってるだけなんだから。
そうは思っても、美緒が避けるので、話もできず。
いつからか、俺の部屋の向かいの窓が、いつもカーテンを閉め切るようになっているのに気づいたのは、中学に上がってからだった。
隣の家から同じ学校へ通うのに、一緒に行けばいいのに、美緒がわざと時間をずらす。
ちょっとムッとしたので美緒の出る時間に合わせてみたら、全力ダッシュで逃げられた。
……朝から元気だな、あいつ。
美緒に避けられている事に、ものすごくイライラした。
余りにイライラしたので、一度、美緒にぶつけてしまった事がある。
「何なの、お前。何で俺避けてんの? そんな俺の事が嫌いなの?」と。
美緒はそれに、きょとんとした顔をしていた。
「別に、嫌ってなんてないけど。『いつも一緒』に居る必要もないじゃん?」
……それ言うなら、『無理してまで避ける』必要もなくね?
どうせこいつ、言ったところで聞きゃしねえだろうけど。
そんなイライラした日々を過ごしていた頃、ある女の子に告白された。
男子からは人気があるが、女子からは遠巻きにされている子だ。
まあ、あざといしな。近寄りたくない気持ち、分かるわ。
イライラしていたのと、もしかして……という気持ちがあり、OKしてしまった。……秒で後悔した。
家に帰ると、久々に美緒が部屋に突撃してきた。
「貴様の女の趣味はどうなってるんだ!?」
……第一声、それかよ。どうもなってねえわ。
何で付き合う事にしたのか、と訊ねられ、「お試し?」と答えておいた。美緒は、ものすごく怪訝な顔をしていた。
もし俺に『彼女』とか出来たら、こいつ、ちょっとは嫉妬とかしてくれんのかな、とか。
なんかちょっとは、俺を男として意識してくれたりすんじゃねえかな、とか。
まあ、ねえわな。ねえわ。見事にビタイチねえわ。
何かもう、腹立ってくんな。
向こうがあからさまに俺の顔目当てだったとはいえ、俺もやってる事は大概最低な自覚があったので、ソッコーで「やっぱごめん」とお断りをした。
スッポンか何かかよ、と言いたくなるくらい食い下がられた。
おかげで、別れるまでに二か月もかかった。
……別れるも何も、そもそも始まってもねえけど。
呑気に「最近どーかね?」などと訊いてきた美緒に、「こないだ別れた」と返したら、「はっや」と呆れたように言われた。
何で別れたのか訊かれ、適当に答えると、美緒は呆れたように笑っていた。
「まあ、でもさ……」
少しだけ呆れたような、でもなんだか優しい笑顔で。
「あんな祐希の見た目だけ好きな子よりもさ、ちゃんと『祐希を』好きになってくれる子、どっかに居るよ」
とか、言うもんだから。
腹立つよな。マジで。
お前はどーなんだよ。
ちょっとは、俺の事、いいなとか思ったりしねえかよ。
お前、俺の見た目、キョーミねえじゃん。ちょっとはどっか、いいと思うとことかねえかよ。
すげー腹が立って。
そんで、……嬉しかった。
少なくとも、『友達として』は好かれてる。今はそれでいいや、と。
「美緒もいつか、好きになってくれる相手とか、居るだろうしな」
「いつだかも、誰だかも分かんないけどね」
楽しそうに笑いながら。
……目の前に、居んだけどな。
よし、決めた。
どうせこいつ、俺の事『友達』としか思ってねえんだから、もう知らん。
もう遠慮なんかしてやらねえ。
どうせこいつがダッシュで逃げても、俺、ラクショーで追いつけるし。
逃がしてなんかやらねえ。
俺と登校の時間をずらす為に、美緒はかなり早く家を出る。
それより早く、美緒の家に迎えに行ってみた。
美緒は初めは嫌がっていたが、何日か続けたら諦めてくれた。
朝早すぎて、誰にも見つからないからいっか、と。
それから卒業するまで、また毎日一緒に登校する事になった。
下校はさすがに、委員会やら部活やらあるので、そもそも時間が合わない事が多い。なので下校はバラバラだ。
それでも。
朝一緒に歩いて、少しでも話が出来る事が嬉しかった。
登校中、何かに気を取られている美緒の手を引いてみたり、コケそうになっている美緒を抱きとめてみたりしても、美緒は「あー、ごめんごめん」といつも通りだ。
ガキの頃から距離感が近かったせいで、その延長でしかない感覚なのだろう。
こうなると、打開策がもうよく分からない。
高校は、別々になった。
あの野郎、受験勉強、手ぇ抜きやがった。
……まあ、女子高だから、変な男居ねえから、ギリで良しとしとくけど。
ざけんな、ちくしょう。
ちょっとでも一緒に居られる時間増やしてえのに。
更に、クラスの連中に二年詣りに誘われた。
大晦日の夜から、元旦まで。
何度も断ったにも関わらず、押し切られてしまった。
大晦日は、家に居たいのに。
美緒がワケの分かんねえイタズラ仕掛けにくるから、それ迎え撃ちたいのに。
あー……、でも、何年か前の、ベッドの下にレゴブロックがひっそり置かれてる……ってヤツ。あれだけはマジで許せねえ。
がっつり踏んだわ。悶絶したわ。
そして今年。
美緒に事前に「大晦日、何してる予定?」と訊かれた。なので「多分寝てんじゃね?」と答えておいた。
美緒が部屋に入ってきた時、正確には半分寝ていた。
けれど、こいつ今年は何する気だ?というのが気になって、目を閉じたままで美緒の気配を追っていた。
ベッドの脇に居るっぽい。……が、動く気配がない。
何してんだ?
ややして、ベッドの片側が沈んだ。……座った? のか?
と思っていたら、何かが唇に触れた。
目を開けて、驚いた。
美緒に、キスされていた。
いや、待て。
今、何分だ?
美緒がこんな真似するって事は、まだ日付変わってねえな?
て事は、これ、日付変わったら『なかった事』にされんな?
冗談じゃねえ。
「起きてやがった!」
目を開けた美緒が、俺を見て驚いたように言う。
その身体をぎゅっと抱きしめた。
逃がさねえよ。
せっかく、そっちから来てくれたんだし?
据え膳は食っとかねえと、恥らしいし?
なあ、美緒。
* * *
「えー……、現在、零時五分なわけですが」
「……ハイ。つか待って。なんか俺、口ん中、切れてんだけど」
「あとでなんか、辛いモンを差し入れてやろう」
「……最悪か」
言い合う私たちは現在、祐希の部屋の床に正座をして向かい合っている。
とりあえず、祐希にキスされた私は、頑張って自由になった手で、そのキレイな顔を吹っ飛ばしてやった。ばちこーんといったった。
「いや、そもそもだ」
口の端が切れているらしく、祐希はしきりに指先でそのあたりを触れている。
「お前が先にしてきたんじゃん?」
「は? ノーカンだって言ってんじゃん」
「いや、美緒が前に言ったんじゃん。『どーしても許せない場合、持ち越し』って」
言った……か? ……言ったな。
「それが?」
訊ねると、祐希は足を崩した。
その膝を、ぺしっと叩く。
「おい、正座ァ!」
「えー……、足痛えよ……」
文句を言いつつも、祐希は正座をし直した。うむ。それで良い。
「で?」
訊ねた私に、祐希がにやっと笑った。何だよ、その悪い笑い。
「俺、あれ、ファーストキスなんだけど、どう責任取ってくれんの?」
「マジか……」
初めて? 嘘だろ?
「……つか、何で軽く引いてんの?」
「え? ……イケメンが無駄に清いと、なんか引かない?」
「うるせえわ」
え? でも、引かない?
誰か、分かってくれる人、居ないかな。
「で、どう責任取るの?」
「逆に訊くけど……、どうしてほしいの?」
金か!? 今の私の全財産である二万円で許されるか!?
「そんじゃ、俺と付き合って」
ん?
「……『どこへ?』とか、古典的なボケで返した方が……」
「いらん。じゃなくて、『お付き合い』。男女交際」
「……え? 何で?」
何故、そんな話に?
「なんでも何も、俺、美緒が好きだし」
「……ウェイ?」
「なんだ、その返事」
呆れたように祐希が笑う。
いや? いやいやいや!
急展開過ぎて、理解が追い付かないんだけど!
わけが分からなくなった私は、とりあえず立ち上がった。
祐希はそれを、笑いながら見ている。
貴様のその余裕は何だ? イケメンゆえか?
「今日は帰る!」
「おー。また明日なー」
足を崩しながら言う祐希に、「何で明日よ!」と言うと、祐希はやはり楽しそうに笑った。
「どうせヒマだろ? 初詣行かね?」
「行かない。寝てる」
「そんじゃ、寝ながら返事でも考えといてー」
だっから、何なんだよ、その余裕!
部屋を出ようとしたら、祐希に呼び止められた。
振り返ると、祐希が笑いながら「明けましておめでとう」と言ってきた。
「めでたいんだか何なんだか、もう良く分かんないよ!」
言うと、祐希が噴き出すように笑った。
「ま、いーや。今年もよろしく?」
「……考えとく」
部屋を出ると、部屋の中から大笑いする声が聞こえた。
腹立つな、あのイケメン! 何なんだよ、マジで!
家に帰って不貞寝して、昼近くに起きてリビングへ行くと、祐希が平然と茶を飲んでいた。
何故居るし。
そして親の前で再度初詣に誘われ、私の両親を味方につけた祐希に押し切られてしまうのだった……。
その後。
実は祐希が私をずっと好きで居てくれた事や、その片思いが私以上に年季が入っていた事なんかが判明する。
その事実もまた、嬉しい以上にちょっと引いた。
お付き合いする事になり、吐きそうなくらいに受験勉強をさせられ、祐希と同じ大学を受験して落ちたり。
落ちた事をまた、おっそろしくグチグチ言われたり。
そんな風に日々は続いていくのだが。
あの日のキスは結局、ノーカンになる事なく。逆に毎年、大晦日を二人で過ごすようになるなんて。
十七歳の元旦の私には、知る由もない事だった。
今年が良い年でありますように。