第80話 破滅の召喚魔法
ニナは素早く銃を構える。
「我が美しき命のために奇跡を見せよ!〝風撃〟!」
魔法水晶が反応することはなく、超自然の弾丸がジーンの肩を撃ち抜いた。
しかし、ジーンは身体がぐらつかせるも、その詠唱を止めることはなかった。
「それが奥の手……」
荒い息をしながら、口元に笑みを浮かべる。
「殺す気でやらないと……止められないわよ」
「…………」
ニナはためらい、それから銃を下ろした。
暗黒星〝ユゴス〟は、直径二十メートルほどの小惑星だった。不気味なほどにゆっくりと、圧倒的な量感をもって落下してくる。
凄まじい破壊音とともに吹き飛ばされた天井から、強風が吹き込んできた。
「ニ……ニナさん! あれは何ですか!?」
こわばった表情でサナギも暗黒星を見上げた。ニナが引きつった声を上げる。
「逃げるわよっ! このままだと、皆んな、あれに圧し潰されるっ!!」
「どうして! 何のために!?」
「そんなこと私に聞かれても……いや、化け物に食べられるってどういう……」
ニナは、腑に落ちない表情でジーンを見つめた。何かに対する恐怖のあまり、自暴自棄になっているように感じる。
電気系統の断線部から火の手が上がった。
大穴によって生じた火災気流で、チャペル内はたちまち炎に包まれる。もはや、一刻の猶予も許されなかった。
「こいつも連れて、早く逃げろっ!」
カインに肩をかしたまま、トロイがやってきて言った。ふらつくカインをニナに託すと、グレゴリーに目配せをする。
グレゴリーは落ち着いた様子で頷き返した。
「一体、どういう……」
あまりのことに、カインも言葉が出てこない。
「俺たちはここで終わりにする。早く行け!」
「だけど……」
トロイに急かされて、ニナはカインを肩につかまらせ走り出す--
「ウチのチャペルが、憧れの結婚式がっ!」
黒煙が舞い、ガラガラと音を立てて破片が降り注ぐ中、エールがむせび泣いている。
「店長! いいから逃げるのよっ!」
ニナは無理矢理にエールの手をとる。
もうどうにもならない事態だというのに、サナギは相変わらず暗黒星を見上げていた。
「サナギ、何をするつもり!?」
ニナがあっけにとられているあいだにも、暗黒星は手を伸ばせば届きそうな距離まで迫っている。
「おい、バカなことはやめろっ! お前も死ぬぞっ!!」
トロイの制止を無視して、サナギが両手を上げると、その上に暗黒星が降ってきた。
身体が浮き上がってしまうほどの爆風が起こった。荒れ狂う波が直接、脳に伝わってくるような、激しい振動。
ニナとカインは、とても立っていられず、床面に手をついた。エールも近くにあった銅像にしがみつく。
炎があらかた吹き飛ばされる。
ゴゴゴゴゴ--地球の引力を感じた暗黒星が軋んで、聞いたことのない音を出した。
「……と……止まった」
ニナは暗黒星を目の前にして、生きた心地もない。
サナギは、たった一人で巨大な暗黒星を受け止めた。服が裂け、青い血が流れ出す。
「ぐぐぐ……」
途方もない重量が両手から伝わってくる。身体がバラバラになりそうだった。
「し、信じられません……」
愕然として、グレゴリーが口を開いた。それしか言いようがない。
倒れていたトロイが身体を起こすと、
「お前は一体……、なぜだ! なぜ、俺たちを助けるために、そこまでするんだ?」
息を荒くして、言った。
「……か、簡単に死ぬなんて言うなっ!!」
サナギは、一喝した。食いしばった口元に青い血が滲んでいる。
「…………」
トロイがはっと口をつぐむ。
サナギは、もはや鬼の力を隠そうとしていなかった。先のことなんて考えていない。自分のことなんか考えていない。
ニナは、
「そうよ。サナギの言う通り、あなた達は自分勝手過ぎるわ!」
グレゴリー達を睨んで怒鳴った。
グレゴリー達は力なくうなだれる。
「うう……」
暗黒星の凄まじい重量に耐えきれず、サナギがとうとう片膝をついた。
「あか〜ん! ぺしゃんこになる! 煎餅になってまうっ!!」
と、床に這いつくばったエールが悲鳴を上げた。
「サナギ、なんとかならないの!? もう、あなたに頼るしか……」
ニナとカインも息を呑んで、事の成り行きを見守るしかなかった。
「何のために拾った命か……!」
サナギがギリリと歯噛みして呟いた。
ニナに尻を叩かれるまでもない。まだまだ、力は湧いてくるし、こんな所で死ぬつもりなど、サナギには毛頭なかった。
「おおおおらああっ!!」
サナギは暗黒星をリフトアップし直すと、全力で頭上に投げ上げた。
重力に逆らって、暗黒星が上昇する。
「……すげえ!」
あまりの光景に、トロイが大きく目をみはる。
「これが……、あいつの正体?」
「まだよ--!」
サナギの影から、ズンっ!と大振りな鉄の塊が生えてきた。
サナギは、鬼の金棒を上段に構えて、大きく飛び上がった。
「どっせいっっ!!」
暗黒星〝ユゴス〟を渾身の一撃で、中心から真っ二つに粉砕する!
飛散した岩石群は、半壊したチャペルを巻き添えにして、大地に没した。
「た……たす、助かった?」
ニナは、緊張をつのらせたまま顔を上げた。
「奇跡に等しい。暗黒星を破壊するなんて……」
グレゴリーは、ぼんやりとした目つきでサナギを見た。
力を使い果たしたサナギが仰向けに倒れる。
「サナギ!」
ニナ達が慌てて走り寄る。
「だ……大丈夫です」
サナギは、痛みをこらえて笑った。だが、青い血が流れ出していた。長さ四メートルはあろうかという巨大な鬼の金棒が横たわっていた。
「回復魔法を」
トロイがためらいながらサナギに言う。
「私には効果がありませんし--」
サナギはややあって、
「人より治りが早いので、必要ありません」
そう答えた。
「人より……」
トロイは、傍らにいるエールとニナの方へ視線を移した。手のひらに汗が滲む。
「なんや?」
エールがトロイの顔を見返した。
「いや。別に」
「そうか」
ぐっと言葉を呑み込もうとするトロイに、エールはふっと笑った。
「請求書はグレゴリーさん宛てでええな?」
「請求書?」
グレゴリーがのんびりと聞き返すと、
「このチャペルの建て替え費用や!」
エールは声を荒げた。
「ああ……」
グレゴリーは、広範囲に渡って破壊されたチャペルを見回した。
「それとも、あんたらの依頼主に請求するか?」
「そうですね。報告時に言っておきます」
「いや、ウチも行くで。当然や」
「それは……」
ジーンが口を開きかけて、金縛りにあったように止まった。
「やめておいた方が良いでしょう」
それとなく、グレゴリーが言葉を続けた。
モンスター売買。その元締め。
エールとニナはようやく、とんでもない大きな力が存在していることに気づいた。
「元凶を潰さへんことには、またアンタらみたいなんが来るやろが」
「至極当然の意見ですが、おすすめしません」
「ウチやサナギの力を見てもか?」
「私も長年にわたり、冒険者として第一線で活躍してきたつもりですが。いや、世界は広い」
グレゴリーは自嘲気味に笑う。
「何がおるんや?」
「吸血鬼です」
グレゴリーの言葉を聞いただけで、ジーンが絶叫する。
「いやああああ--っ!!」
「どうしたのっ?」
ニナはジーンの前に座り込んで尋ねた。
「皆んな、食べられちゃうのよ」
ジーンの身体はぷるぷると震え、目は恐怖の色で染まっていた。
「吸血鬼に……? それが、仕事に失敗した時のペナルティーなのね」
「うううう……」
ジーンは両手で頭を抱え込んでしまった。
「もうどうにもならない。恐ろしい」
「吸血鬼って、そんなにヤバいわけ?」
「…………」
ジーンが口を結んだまま何も答えないため、ニナは込み上げてくる弱々しい感情に、必死で耐えた。
ところが、エールはジーンの胸ぐらを掴んで無理矢理立たせるや、
「こっちも命がけなんや!」
と、平手でジーンの頬を叩く。
「悪いようにはしないわよ」
ニナは呆然と立ち尽くすジーンの肩を抱いた。
「吸血鬼がなんぼのもんじゃい」
エールは、ちろちろと舌を出した。