第73話 では、参りましょう
ニナはVIPルームの前に立つと、扉をノックした。返事がない。
再び、扉をノックする。
ニナが静かに取っ手を握ろうとしたとき、勢いよく扉が開け放たれた。
「ひゃあっ」
不意をつかれたニナは、思わず大きな声を出してしまう。
部屋の奥で仁王立ちをして、大きな存在感を放つグレゴリーと、自分に向けて魔法の杖を構えるジーンが目に入る。すぐに、ただならぬ雰囲気を感じた。
「あ、あの……エール店長の代理で来ましたニナ・チャイルと申します」
ニナは、扉の脇で身構えているトロイに声をかけた。
「どうして、店長は来ない?」
トロイはニナを睨みつけた。
「いや、あの……」
ニナが言葉に詰まっていると、グレゴリーが、
「ご用件を伺いましょう」
見かけ通り、優雅な足取りで近づいてきた。
「この度は大変なご迷惑をおかけしまして、誠に申し訳ございません。また、ダンジョンエリアの営業を、急遽取りやめさせていただいておりますことを重ねてお詫び申し上げます」
ニナは頭を下げる。
「つきましては、併設しております〝シロ☆ホテル〟のスィートルームを4部屋、無償にてご用意致しましたので、よろしければご案内させていただきますが……」
「そんなのはいいから、店長はどうして来ないのかって聞いてるんだよ」
トロイが、ぐいとニナに顔を近づける。
「恐れ入ります。本来なら、店長のエールから直接お詫びをさせていただがなければならないところですが、ただいま体調を崩しておりまして、その……」
ニナは固有スキル〝全てを投げ出したい〟を使って、ひたすら謝るしかなかった。当のエールは、自分の失恋・メンヘラムーブに酔いしれていて、今はまったく話にならない。
グレゴリーがトロイの肩を掴んで、
「やめなさい。あのような騒ぎがあったばかりです。では、エール店長は病院へ?」
「いえ、病院へは行かずに、店長室で休ませてもらっております」
ニナは答えた。
「では逆に、こちらからお見舞いに伺わせてもらってもよろしいでしょうか?」
「いや、そのような事をしていただく必要は……」
「エール店長がダンジョンに同行する事になった原因は、こちらにもあります」
「…………」
それを聞いたニナは、ふっと黙った。そういえば、カインの姿が見えない。
「店長室は散らかっておりますので」
「そんなことは気にしません」
嫌味の一つでも言われるかと思っていたが、さすがは、エクセレント・ペガサス。器が大きい。別に、これ以上断る理由もなく、クレームはエール本人に言ってくれるとありがたい。
「……かしこまりました。少々、お待ちいただけますか」
ニナが承知すると、どういう訳か、グレゴリーの眼差しが真剣なものに変わった。
が、それにはかまわず、ニナはインカムを操作する。
「サナギ、店長室の片づけは進んでる? 店長はそこにいるわね? 今から、お客様を連れてそっちに行くから。……はい、お願いします」
無線での会話を終えたニナが、グレゴリーに向き直る。
「それでは、店長室までご案内致します。……ところで、カイン様はどちらへ?」
ニナが尋ねると、トロイがニナに向かって手をかざした。
「あいつならクビになったよ」
「えっ……?」
ニナが思いがけず困惑していると、
「誘眠魔法」
トロイは上位魔法を使った。ニナがぴたりと眠りに落ちる。
グレゴリーが、ふらつくニナの身体を支えると、そのまま抱き上げてソファーに寝かせた。
「店長室の場所はカインから聞いています。他のスタッフが、少なくとも一人は一緒にいるようですが……」
奥歯を噛み締め、魔法の杖を強く握りしめたままのジーンが言う。
「では、参りましょう」
グレゴリーは、二人の顔を見た。
◯
「もしもし、アルベルト? ウチウチ、エールやで! 今晩、どう? 悪いんやけど、急にポッカリ予定が空いてな……うん、特製の精力ドリンクも持っていくし……そうそう。おもちゃもあるよ! せやから頼むわ……」
別棟一階にある店長室。エールがスマホで今夜の予定を立てていたとき、サナギは倒れていた本棚を元に戻していた。
--店長室の片づけをお願い。
ニナから頼まれたのは良いが、ドアを開けてすぐに閉口した。嵐でも来た後なのかと思う。
実際には、エールの命を狙うアンチが侵入したらしい。
その当のエール店長は、応接用のソファーで泣き崩れていた。
サナギが来てからも、なにやら意味不明な事をずっと喚いていた。ただ、それにも飽きたらしく、いつものようにスマホをいじり始めたのである。
黙々と床に散らかった衣類や割れたガラスを片づける。少ししたところで、サナギはエールを見た。
「手伝ってくれないなら、そこをどいてください。お客さあが店長室にいらっしゃるそうです。ちゃんとしあせんと……」
応接用のソファーからエールを追い立てながら、サナギが言った。
不機嫌そうにエールが自分のデスクに向かう。
「客がウチに何の用やねん」
「クレーウじゃないですか?」
「ニナは?」
「そのニナさんが連れてくるんですよ」
「はあ〜、めんどくさいなあ」
エールがうなだれる。
「また、しばらく営業できへんようになって、ウチは忙しんや。役所になんて報告すんねんな」
「私に聞かれお……。騒ぎを起こした人は、エール店長のアンチだったと聞きあした。良い機会だと考えて、言動を改めたらどうですか?」
「アンチとちゃうわっ。偉そうに……お前は何様のつもりやねん。クビにするぞ!」
「完全にアワハラ発言です。そういうところですよ……だから、いろいろと厄介なことが起こるんです」
サナギは、エールを座っている椅子ごとどかし、散乱した書類を拾い集めた。
「うるさいな〜」
エールが、暇そうにくるくると椅子を回転させる。
「あ、そうや。コック長に二人分の特製エナジードリンクを水筒にいれて、ここに持ってくるように言うてくれ」
「どうして、水筒? それに、お客さあにエナジードリンクを出すんですか?」
「ちがう。今晩のデートに持っていくんや」
「……、あとで私がコーヒーをおおちしあす」
サナギはプイと顔を背けた。
「何やねん。ほんまに使えんやっちゃな」
エールは、しぶしぶと自分で電話をかけ始める。
その時、店長室の前で人が立ち止まる気配があった。