第72話 吸血鬼 その②
「そのために、こちらへ?」
グレゴリーが、顎ひげを人差し指と親指でつまんで整える。
「なら、もう用は済んだでしょう。あなたが、あまりウロウロして良い世界ではありません」
「分かっている。お主の顔を見に来ただけだ……」
吸血鬼が普通に受け答えをしている。
「それは、わざわざ恐れ入る」
「四人。お主を含めて、パーティーは四人だと聞いてきたが……」
独り言のように呟きながら、吸血鬼が全員の顔を見回す。
吸血鬼に血色の悪い顔を向けられて、
「ひゃっ」
ジーンがソファーから転げ落ちた。
「…………」
トロイは、息が詰まり声が出ない。
「元から三人ですが。それが何か?」
グレゴリーが言う。
「いや……。エクセレント・ペガサスの武運長久を祈る……」
そう言い残して、パッと吸血鬼の姿が消えた。
「……吸血鬼……、初めて見ました……」
ジーンがソファーの上に、よろよろと這い上がってきた。
吸血鬼がいた場所を睨みつけたまま、トロイがグレゴリーに尋ねる。
「尻を叩く、と言ってましたが……吸血鬼は、何のためにここへ?」
「明日未明に、〝アーキラブ国ワイン会〟という会合の開催が予定されています。--ワイン会とは名ばかりのモンスターコレクターの集まりで、主催者は我々の依頼主です。そこで今回のターゲットをお披露目したいのでしょう……私は、約束はしかねますと言ったんですがね」
グレゴリーは、ソファーに浅く腰を下ろした。
「……あんな妖しいものが存在するなんて……今回の仕事を失敗したら、私たちも食べられてしまうんじゃないの!?」
ジーンの顔からは、血の気が失せていた。
「いや、いざとなれば……俺たちが死ぬ気でかかれば」
トロイが言い終わる前に、
「さて、どうでしょうか」
グレゴリーは低い声で言った。
それから、三人はしばらく無言になる。
拳を握りしめたトロイが、ぽつりと呟く。
「吸血鬼に、元から三人だと言ったのもそのためですか」
「そうです」
「カインは大丈夫でしょうか」
「彼と我々の接点はなくなったのです。あの吸血鬼に、そこまでの甲斐性はありませんよ」
「ならいいんですが……」
そう言って、トロイがうつむいた。
グレゴリーは、少しためらってから話し始める。
「お二人は、理想郷といのをご存知ですか?」
「いえ……」
トロイは首を振った。ジーンも同様だった。
「この世には、理想郷というもう一つの世界があるそうです。その世界の住人であるモンスターは、人の姿に形を変えることができるとか」
「人の姿に……」
そんなモンスターがいるなんて聞いたことがない。トロイは歯噛みした。この世界にだって、まだまだ未知のモンスターはたくさんいるが、トロイはそのような存在は認めてはならないと感じた。
ジーンが声を荒げる。
「今回のターゲットもよ。そんなの反則じゃないっ!」
「エール店長もそうなのかどうかは分かりませんが……」
グレゴリーはそこで言葉を切り、
「もう我々は、なり振りを構ってはいられないという事です」
「はい……」
慎重に話すグレゴリーを見て、トロイとジーンは自分達が置かれている状況を察した。
「実際に見てもらった通り、吸血鬼は非常に危険な存在です」
「それなのに、どうして依頼主の言いなりになっているんでしょうか?」
ジーンは、こわばった表情で尋ねた。
「もう隠す必要もないでしょう。我々の依頼主は、実業家のジェット・アンサンブル氏です」
「あの、元陸軍中将の……」
「そうです。その昔、ジェット中将の部隊に、吸血鬼の次男坊が所属していたらしいのですが、先の戦争にて戦死--吸血鬼が身につけていた軍服は、その次男坊のものです」
「次男坊は吸血鬼じゃなかったんでしょうか。……それにしても、異常ともいえる子煩悩さですね」
「その通り、異常な子煩悩とは言い得て妙です。我々には理解しがたい。時代錯誤と言えるでしょう。ジェット中将が、彼の死に際を吸血鬼に伝えると、吸血鬼はいたく感激して、我が命を預けるとまで言ったそうです」
「……吸血鬼を手に入れて、する事といえば他人に見せびらかす事ですか」
トロイが独り言のようにつぶやく。
「それからの中将のモンスター収集熱は、お二人も知っての通りですが、言うまでもなく、吸血鬼は不動のコレクションナンバーワンです」
グレゴリーは卑屈な笑みを浮かべる。
「むむ……」
ジーンは不安そうに唸った。
「吸血鬼は、人の生活圏内に入り込むことのできる新しい種類のモンスターです。その気になれば、この世界をひっくり返すことも可能でしょう……不死に近い肉体、様々な超能力を持っています。当然、我々が束になっても敵う相手ではありません」
「となれば、もう……」
トロイはピシッと背筋を伸ばして、グレゴリーを見すえた。
「どんな手を使っても、今回のターゲットを捕縛せねばなりません。できますね?」
「もちろん」
トロイだけでなく、ジーンも鬼気迫る表情になった。
グレゴリーが立ち上がり、電話の受話器を取る。
「エール店長をここに呼び出します。精神一到何事か成らざらん、です」