第71話 吸血鬼 その①
カインは、シャトー☆シロの正面玄関脇に腰を下ろしていた。
そこへ、ティアラが駆け寄ってきた。
「これ」
カインが手甲を差し出す。ティアラは戸惑った表情を見せた。
「ごめん。預かった色紙を汚しちゃってさ。代わりに、グレゴリーさんにサイン入りの手甲を貰ってきた」
それは、カインがパーティー入り当初に書いてもらったものだった。
「ええっ!? 逆に、こんな良いものをいただいて良いんですか?」
「もちろんだよ」
ティアラが大事そうに手甲を抱える。
「ありがとうございますっ。父も喜びます!」
「それは良かった」
「この手甲に、カイン様のサインも書いてもらえますか?」
「いや、それはやめといた方が良いよ」
「どうしてですか? 価値が上がりますし、私も欲しいです!」
「あー、その……」
ぐいぐいと前に出てくるティアラに、カインは苦笑した。
「光栄だけど、いろいろあってね。遠慮しとくよ」
「いろいろって?」
「ごめん。じゃあ」
「えっ、カイン様?」
ティアラが呼び止めるのも無視して、カインはその場をそそくさと走り去った。
「…………」
カインはしばらく走って、ふっと歩をゆるめた。さて、これからどうしよう。なんだか、ひどく疲れた、
またすぐに、冒険者ギルドに行くのもあれだし、しばらくはブラブラしようか。金に困ってるわけでもない。
もう、ニナには会うこともないだろうと思う。今後、冒険者として成功することができれば、話は別だが。
そしてまた、グレゴリー達がエール店長を捕縛した場合、どういう事になるのかと少し不安を抱いた。
ニナがシャトー☆シロの店長になるのかもしれない。それは店にとっても良い事だろう。しかし、その前にモンスター使いの時と同じく、ニナは必死で抵抗するんじゃないか。
そうなると決まったわけじゃないが、ニナに危険が及ばないよう、グレゴリー達に頼もうと思うカインがいた。クビになったパーティーと、どんな顔をして再び会ったものか。
とても気が滅入った。
「だけど……」
カインは立ち止まって、すっかり遠く離れたシャトー☆シロの建物を振り返る。ぶんぶんと頭を振って、気弱な考えを追い出した。
◯
トロイとジーンが、机を挟んで革張りのソファーに座っている。
トロイは小柄な身体を縮めるようにして座り、ジーンは落ち着かない様子で部屋を見回す。というのも、VIPルームに戻ってきたグレゴリーが、ずっと沈黙を守っているからである。今はただ、ぼんやりと部屋に飾られた絵画を眺めていた。
緊張感のただよう中、ジーンは窓の外を見た。
外はもうすっかり日が暮れて、暗闇に包まれていた。なぜだか、気持ちがざわついた。
沈黙に耐えきれなくなったトロイが口を開く。
「ここのスタッフの中に、眼鏡をかけた、おっぱいのでかい子がいたでしょ。新しい仲間にどうかな?」
ジーンのカップを持つ手が止まった。冗談のつもりだろうが、まったく笑えない。
「素人には無理よ」
「そうかな?」
「当たり前じゃない」
「いや、俺たちも加わってたけど、さっきの固い防御壁をなぎ倒したのは、あの子だと思うんだよね」
トロイが調子に乗って続ける。ジーンは鬱陶しくなった。
「じゃあ、トロイが誘ってくれば良いじゃない」
その時、ジーンは部屋の片隅に一人の老人が立っていることに気づいた。
--何あれ?
大きく見開いた目で、トロイに部屋の片隅を示す。
「…………!」
トロイは、その方を見てぎょっとした。
雪のような白い髭をたくわえた老夫だった。汚らしい黒色の軍帽と軍服を身につけている。焦点の定まらない虚な目をこちらに向けていた。なにより--、
殺意の固まりに見えた。
すかさず、トロイは立ち上がり手槍を持った。ジーンは魔法の杖を構え、魔力を練る。
「吸血鬼」
グレゴリーが短く言った。
白髭の年老いた男は、ちらっとグレゴリーを見やった。
「久しぶりだな。エクセレント・ペガサス……」
しゃがれた、弱々しい声だった。
「そうですね。お元気そうで」
グレゴリーはそう言って、老夫に向き直った。
「吸血鬼……!」
トロイとジーンの背筋が凍った。
話には聞いていたが、実際に会うのはこれが初めてだった。〝副業〟の依頼主の第一のコレクション。人の姿をしたモンスター。思いのままに自由に振る舞う力を持った存在。
「モンスター使いから聞きましたよ。あれは、あなたの差し金だそうですね?」
とグレゴリーは尋ねて、しばし返事を待った。
トロイとジーンの呼吸音だけが部屋に響く。
「儂は反対したんだがな……」
吸血鬼は神妙な顔をした。
「ということは、あの方の指示で?」
「そうだ……」
「私の尻を叩いてるつもりでしょうか。余計な仕事が増えました」
グレゴリーは両手を広げ、盛大に息を吐いた。
「心配無用……」
「なぜでしょう?」
「あのモンスター使いなら、今、儂が喰ってきた……」
ひっそりと吹き抜ける風のように、吸血鬼は言う。
ジーンは、訳もわかららないまま、びくっと身体を震わせた。トロイもショックを隠すことができない。