第62話 レストランにて
それから2年の月日が流れ、カインはまだ冒険者を続けていた。
だが、またあの時と同じように窮地に立たされている。
カインがシャトー☆シロの店内をあてもなくさまよっていると、追いかけてきたエールが、有無を言わさず腕にからみついてきた。
「ちょ、ちょっと……」
周りには大勢の利用客がいる。カインは少しどぎまぎしながら、エールを見た。
エールが顔を上げる。
「ホテル行こか」
そう言って、艶めかしく微笑んだ。
「は? どうしてそうなるの」
「またまた。さっきはウチを眠らせて無理矢理しようとしたくせに……」
「あ、あれは……違う、いや、そうそう! そうなんだ。そうなんだ?」
驚いたカインは、なんとかはぐらかそうとする。
「大丈夫。ウチもそういうプレイは嫌いじゃないし」
エールはウインクをした。どうやら本気で言っているらしい。この名物ロリ店長が何を考えているのか、全くわからなかった。
カインは、当たり障りのない会話をすることにした。せっかく、ターゲットが向こうからやってきているのである。
「エール店長のファンがいっぱいいるみたい。さっきから睨まれまくってる……」
「店長はないやん」
「えっ?」
「エールって呼んでえな。カイン」
「あ、ああ。わかったよ、エール」
カインは受け入れることにした。そういえば、自分もファンの一人だったということを思い出す。
「周りの目が気になる?」
エールが上目づかいで、カインの顔を覗き込む。
「あ、いや……他の皆んなに悪いな、とちょっと思っただけだよ」
「そう」
エールがにっこりと笑う。カインも引きつった笑みを浮かべた。
カインは、すぐに事の難しさを理解した。これだけ人の多いところで、顔が知られまくっている名物ロリ店長を誘拐するなんて--
はっきり言って、無理だ。
運良く、本当に運良く〝エクセレント・ペガサス〟のパーティーに入ることができた。格式高く、名の通ったパーティーだ。だが、それも半年しかもたなかった。最初から、実力不足だったのだ。
もしかして、さっきの騒ぎはグレゴリーが仕組んだことではないか--。
不意に、グレゴリーへの疑念が湧いてきた。明らかに、キングスピリッツはエール店長を狙っていた。
そんなはずはないとは思うが、頭が混乱してくる。
「じゃあ、二階のレストランでお茶してから、ホテルに行く?」
「……そうだね」
カインはエールの提案にぼんやりと頷いた。
レストラン内のスタッフや利用客の視線が、一斉にこちらに向けられるのがわかった。エールは不審がるスタッフに、「いつものやつ」と声をかけて、当たり前のように四人席に向かう。
「え、えーと」
カインは、隣に密着するように座ったエールに苦笑した。
「昔のことはあんまり気にせん性質なんやけどな。ニナとは付き合ってたんか?」
「どうして……」
カインは目をまるくした。
「付き合ってたんか?」
気のせいか、エールは生き生きとした表情をしている。というか、先ほどは眠っていたので、ニナとのやりとりは聞いていないはずだが。
「昔の話だよ」
「そう」
エールはカインの目を見て、
「焼けぼっくいに火がつくなんてことは?」
と尋ねた。
「焼けぼっくい?」
「よりを戻したりせえへんのかなって」
「ないない。ないよ」
答えて、カインは軽く座り直す。
この2年間、カインはニナと一切連絡を絶ってきた。
もしかしたら、ニナは自分のことを忘れているかもしれない。偶然、街で出会ったとしても、名前を思い出すまでに時間がかかる、そんな関係になっていると思っていた。
しかし、実際はそうではなかった。2年ぶりだというのに、「ニナ」と呼ぶことも、「カイン」と呼ばれることにも、何の違和感も感じなかった。
だが、あの頃の関係に戻れるかというと、そうは思えない。
ニナにはもう新しい生活がある。自分だって、上手くいってようがいまいが同じだ。
だが、今もなお、ニナに依存している自分にカインは気付かされた。
ニナに良く思われたい、かっこつけたい、認められたい。そういった気持ちが心の中を占める。
となると、〝エクセレント・ペガサス〟のパーティーをクビになることは、なんとしても避けなければならない。その知名度やステータスは絶大だ。
エクセレント・ペガサスのパーティーにしがみつくことさえできれば、自分も立派な冒険者だ。ニナも一目置いてくれるだろう。そこから放り出されたなら、自分には何もないとも言えた。
考える余地などない。やるしかないのだ。
地獄のような色の液体が入ったグラス。そこに浸かっている白い蛇と目が合ったのは、その時だった。
「うわっ!」
驚いて声を上げるカインを横目に、エールがちろっと舌を出す。
「こ、これは?」
「〝エール特製エナジードリンク 〜白蛇を添えて〜〟や」
「白蛇を添えてって……」
「ウチは毎日飲んでるで。原材料費が高すぎて、売りもんにはならへんけどな」
黙り込んでしまったカインを見て、エールがさらに言葉を続けた。
「バイアグラはもちろん、ドラゴンの血を吸って育つ植物のドラゴンプラントから、乾燥させた人魚に悪魔コウモリの卵、食べれば股間からツノが生えるという百ツノトカゲなどなど……古今東西の精力剤を混ぜ合わせて作った特製エナジードリンクや!」
「…………」
カインは、無表情でエールを見つめる。
「……で、これをどうしろと?」
「飲むんや」
「誰が?」
「カインが」
エールが、ぽんと手を叩く。
「ああ。添えてある白蛇ももちろん食べれるで」
「へえ」
カインは蚊の鳴くような声で答えた。
覚悟を決めなければならない。そのことを痛感する。
カインは、がくがくと震える膝を抑えた。
「これを飲んだらパーティーメンバーのいるVIPルームに帰るから……エールをメンバーに紹介する」
「え? まあ、ホテルに行くんはその後でええか」
エールは照れ笑いをした。
カインは、地獄色の液体が入ったグラスを握る手に力を込めた。
「今、俺が何を考えてるか分かる?」
「そりゃあ……やるぞ、やりまくるぞーって」
「そうだ。過去は振り返らず、命がけでやらなきゃならない、と思ってる」
「……カイン、素敵」
エールは吐息のように呟いて、頬を赤らめた。
カインが口元までグラスを持ち上げる。
頭の中がぐにゃぐにゃになりそうな異臭が漂ってきた。
『捨てろ捨てろ』
『やめろ、死ぬ気かっ!?』
『臭いってレベルじゃねえぞ』
全身が必死になって拒否した。
目を閉じて、銃を構えるニナの姿を呼び起こす。
「南無三……!」
運を天にまかせて、カインは一気に飲み干した。