第61話 2年前 その②
ニナは射撃訓練場に来ていた。
だが、的を狙うことはない。一心不乱に前を見て、トリガーを引くこと自体が楽しみのように撃ちまくる。誰にも文句は言われない。
撃ちまくっているうちに、少し気分が晴れた。
汗をかいたニナは、休憩室のベンチの前で足を止めた。
「マーティ師匠!」
「よう、ニナ」
先にベンチに座っていた中年の男が、ニナに向かって手を上げる。肩幅が広く、がっしりとした体型をしていた。
「荒れてるな。最初、誰だか分からなかったよ」
ニナはタオルで額の汗を拭い、マーティの隣に座った。
浮かない顔をしているニナに、マーティは明るい口調で言った。
「俺は弟子なんかとった覚えはないが、〝師匠〟と呼ばれて悪い気はしないな」
「なら、良かったです」
「〝天語〟は、あまり使うもんじゃないぞ。いくらセンスの塊のお前でもだ」
ニナはすぐには答えず、
「自分の事を器用貧乏だと言うのは、痛いヤツですかね」
唐突に話し出した。
「何かあったのか?」
「…………」
マーティが尋ねたが、ニナは両手で銃のグリップを包むように握って、ゆっくりと身体を揺らしていた。
「何だか上手くいかないみたい」
ニナは困ったように笑った。
そして、マーティにすべてを話した。
マーティを伴って宿所に帰ったニナは、カインのいる部屋のドアをノックした。
「カイン! マーティ師匠が来てくれたわよ。挨拶しないと」
…………。
「カイン! ちょっとだけでも良いから話をしましょう。だから、ここを開けて!」
…………。
どうやら、カインはニナの呼びかけに応える気はないらしい。
「どうして、何も話してくれないの? 私が何をしたって言うのよ?」
ニナは目に涙を溜めて、ドアを叩く。あまりないことだが、どうにも苛立ちを抑えることができなかった。
傍で見ていたミホリの目には非難の色があった。
「…………」
マーティは黙ったまま、本当に申し訳なさそうに目頭を揉んだ。
皆んなが寝静まった頃、カインは久しぶりに宿所の外に出た。
街外れにあるマロニエの木のたもとに向かう。大きな葉が風に揺れていた。
ちらっと顔を上げると、マーティがやってきた。
「よく連絡をくれた」
「夜分遅くに、本当にすみません」
カインは深々と頭を下げた。
「〝天語〟を習得したいか?」
「はい」
「ニナに遅れをとるわけにはいかないか」
マーティはそこで言葉を切り、カインの顔をじっくりと眺めた。
「天語を教える気なんて、さらさらなかったんだが、ニナは2日もかからずに自分のものにしてしまった」
カインは落ち着いた様子でマーティの話を聞いていた。
「この街で、たまたま出会ったお前達の稽古に少し付き合っただけでだ。彼女は自分のことを器用貧乏だと言っていたが、そうではなく、たいていの事は何でもすぐにこなせるオールラウンダーだと言える。それも、スーパーな」
マーティは真面目な顔で言った。
「そもそも天語は、教えてどうなるというものではない。一般的にも何年経とうが理解されることはない」
カインの手のひらはじっとりと汗で濡れていた。
ニナの才能を知らなかった訳ではない。その片鱗を目にする度に驚かされた。だが、彼女も自分の事を認めてくれている。
自分だって頑張れば肩を並べることは可能だろう、と考えていた。
カインは、ふうっと息を吐いた。
「お前がニナと同じ銃使いなのは、不幸なことだったと言って良い」
「…………」
「天語を会得するまで、一体何年かかるか分からんぞ。それどころか、死ぬまで会得できない可能性の方がはるかに高い。それでもやるか?」
マーティの問いに、カインは丁寧に頭を下げた。
マーティも余計なことは言わずに、カインの肩を叩いた。
カインが立ち直ってくれた。
カインのことはマーティに任せて、ニナはギルドの仕事をこなした。ミホリとキタムと話し合い、新しい冒険計画を策定した。銃使いとしての修練も忘れない。
ニナは、しみじみと喜びを噛み締めながら、辺境の街での日々を過ごした。立ち止まりはしたけど、すべては上手く回り始めたと思った。
だが、それから一週間も経たないうちに、カインは、
「パーティーを抜けたい」
とニナに言った。
ニナは、思いっきりカインの頬を平手打ちした。
「お前には分からない」
尻もちをついたカインは、そう言ったきり黙り込む。
ニナは唇を噛みしめて、きっとカインを睨み続けた。
「無能なヤツの気持ちなんか分からないんだよ」
ニナの怒りが、沸点を超える音が聞こえてくるようだった。
「何を言ってるのっ!? キタムやミホリだってカインを待ってくれてるのよ!? 目的地に向かうこともできずに、こんな所で何日も足止めをくらって……わかってるでしょう? それなのに、どうして!? 」
「もう、俺のことはほっといてくれ」
カインは力なく笑う。
傍らでキタムとミホリが聞いていた。パーティーの終わりを悟ったのか、二人とも神妙な面持ちをしている。
「俺はパーティーを抜ける」
「どうして--」
ニナは泣き崩れてもなお、責め続ける。
「どうして、カインはそうなの? あなたは一体、どうしたいの? 何なの?」
カインはうつろな目で、その問いの答えを探してみた。