第60話 2年前 その①
この頃、16歳のニナは長い金色の髪を後ろで一つにまとめていた。
街道を陸橋付近で左脇にそれるとすぐに、周囲の警戒にあたっている町人達の姿が見えた。
「すみません、遅くなりました」
町人達に近づき、ニナは愛用の自動拳銃であるデザートイーグルを抜いた。
若い冒険者にしては、怪鳥の鱗を使った軽くて質の良い装備を身に着けている。
横転して炎上しているかのように見えたトラック。積荷の食料品を奪い合って、赤い体毛のブラッドウルフの群れが興奮気味に走り回っていた。
「来たかっ」
「おおっ、早くしてくれ!」
遠まきに見守るしかない町人達が声を上げる。
ニナは、たちまち手前の三匹を撃ち抜きつつ、走り出た。
「ギャオオオンッ!!」
疾風のごとく駆けてきた二匹の鼻っ柱を蹴り上げる。
積荷の前に立ちはだかったニナへ、
「ウオゥッ、ウオゥッ……」
「ウオオオオンッ!!」
ブラッドウルフ達は威嚇した。
怯む様子もなく銃を構えるニナに、怒りが増幅する。
五匹が自慢の牙を剥き出して、勢いよく突進した。
狙いを定めたニナが、一度しかトリガーを引いたようにしか見えないのに、
「ギャオン……」
ブラッドウルフ達は次々に腹を見せて、地面に倒れ伏していった。
どこからか銃声が聞こえてくる。腕から伝わってくる振動が集中力を高めて、さらなる閉塞した空間へとニナを誘った。息苦しい気分になる。
ニナは息を吸うためにトリガーを引いた。頭の中で土埃が舞い、血しぶきがあがり、ゲームオーバーの文字が明滅した。殺到するブラッドウルフ達が次々に倒れていく。雑念を止めようとしたが、時すでに遅く、白い牙が眼前に迫っていた。
「ウオオンッ!!」
驚いたニナは、飛び疾ってくるブラッドウルフに逆らわずに、仰向けに倒れ込んだ。
「ギャオッ!!」
追い討ちをかけたブラッドウルフの牙が、ニナの右腕に食い込む。
と、同時に放たれた弾丸がブラッドウルフの頭を撃ち抜く。ニナの左手にはもう一挺、デザートイーグルが握られていた。
ブラッドウルフの群れを全て倒したニナは、
「痛っっ……」
右腕の痛みに顔を歪めた。
驚いたのは見守っていた町人達の方である。
「珍しいこともあるもんだ」
「今一番の冒険者のホープが……」
「ニナちゃんが怪我したの、初めて見たよ」
ひとしきり騒いだ後、ニナの治療を始めた。
「私なんか大したことないですよ」
「何を言ってんだ。同世代の中ではピカイチさ」
「いや……」
「接近戦が得意な銃使いとして、もう有名じゃないか。なあ、皆んな?」
笑い合う人々の中で、ニナはひとり下を向いた。
ニナのパーティーは北の辺境の地、カイタック市に宿所を定めていた。
カイタック市は、北部のマネクメネ(モンスター生息域)に向かう冒険者達が集まる街である。
「おかえり、ニナ」
ニナは、はっと顔を上げた。
向こうからニナの仲間、女戦士のミホリと魔導士のキタムがやってきた。
ミホリが19歳、キタムが20歳である。
「ただいま」
「どこへ行ってたの?」
尋ねるミホリへ、ニナは困った顔をした。
「やだな。ギルドの仕事って言ったじゃない」
「あ、そうだった」
「二人は今日は何してたの?」
「特に何も」
「ミホリもキタムもギルドの仕事を受けたら? 身体がなまるでしょう」
呆れた口調で、ニナが言う。
いつの頃からか、ミホリとキタムはいつも一緒に行動をするようになった。二人が付き合っているのはもう周知の事実で、女だてらに猛々しいミホリが、気弱なキタムを尻に敷いていた。
「それも飽きちゃった。ねえ?」
ミホリは面倒くさそうに、キタムを振り返る。
「だいたい、この街でこんなに滞在する予定じゃなかったんだから」
キタムが、うっと言葉を詰まらせるニナを見て空気を読んで言う。
「ぼ、僕たち今から晩御飯を食べに行くところだったんだ。ニナも行くだろ?」
「……カインは?」
ニナが腫れ物に触るように聞いた。
「呼んだって、返事もしやしないじゃない」
ミホリは苦笑して、カインのいる部屋のドアを顎で指し示した。キタムはおろおろとするだけである。
「カイン、皆んなで晩御飯を食べに行かない? カイン?」
ニナは、努めて明るい口調で部屋のドアを叩いた。
だが、返事はない。ドアノブを回してみるが、やはり鍵が掛かっていた。もう10日間もこんな調子だった。
カインは薄暗い部屋の中で、じっと窓の外を見つめている。自分のやっていることが分からなくなる。ただ、ニナの声を聞くのが辛かった。