第59話 久しぶり
〝エクセレント・ペガサス〟こと、グレゴリー・フラッディーの目覚ましいキャリアは、冒険者としてデビュー1年目からトップクラスで活躍してきたことに始まる。同様のキャリアを形成することのできる冒険者は、おそらく今後も現れることはないだろう。
回復術士のトロイは、裏ではモンスターの違法取引を行なっていても、グレゴリーを尊敬してやまなかった。
世間が考えているよりもずっと聡明で、努力家な一面があると、グレゴリーの言葉を聞きながらトロイは思っていた。
「依頼主は信用のできる人物です。これまでにも何度も仕事を受けています」
グレゴリーはソファーに座っているトロイとジーンを見た。
三人はVIPルームで、カインの帰りを待っていた。
「……ですが、眉唾ものだと言わざるを得ません」
女魔導士のジーンが、ごくんと唾を呑み込む。
「人の姿に化けることができるモンスターがなんて、聞いたことがない」
「それもあって、カインさんに託しました」
グレゴリーが答える。
トロイは押し黙ったまま、顔を上げようとしない。その様子に気づいたジーンが、
「どうしたの? トロイ」
トロイは一瞬、ビクッとしたのを笑ってごまかした。
「いや、カインはこのまま逃げ出したんじゃないかって」
「あり得るわね」
ジーンは苦笑した。
「これで仕事を放棄するようであれば、やはりそこまでの男だったということです」
グレゴリーは、紅茶の入ったカップに口をつけた。
◯
まったくの不意をつかれたカインは、
「……ニナ」
そう言う他なかった。
「ええっ? どうして?」
対するニナは、しばらく疑問を繰り返していたが、
「そりゃそうか。冒険者だもんね」
突然の再会を理解した。
「久しぶりね。2年ぶりかな」
「ひさ……」
カインは言い出しかけて、目を伏せた。
ニナの顔を見た瞬間、苦いものが胸に込み上げてきたためである。
あの時と何も変わらない。いや、お互い少し大人になったか、と思った。
「今、どうしてるの?」
ニナは尋ねた。
カインははっと息を呑んだが、ニナは明るく笑っている。
「あっ、冒険者だよね。頑張ってるんだ」
「…………」
カインは無言でニナを見た。
「ニナこそ、その格好……」
「いやっ、あの、これはっ」
ニナはあたふたと両手を使い、自分のミニスカメイド服を隠そうとした。
「……って、今さら隠しようもないか。私、ここで働いてるの」
「…………」
カインは困惑した。
ニナの言っていることが、よく分からなかった。
「あ、名刺いる? 副店長なんだよ、私」
ニナは笑って名刺を差し出した。
カインは、それを片手で受け取る。
「ここの副店長? ニナが?」
「まあ、副店長とは名ばかりの何でも屋だけどね」
「……わからない」
「えっ?」
「どうして、ニナが冒険者をやめてるのさ? 俺のせいか?」
カインは吐き出すように言った。
「そんなわけないでしょ」
ニナがカインの顔を見据えた。
カインは自分でも驚くようなことを口走ってしまったと、内心、ひやっとしていた。だが、ニナは全く動揺することもなく、毅然とした態度をとる。
カインは半歩後退りをして、ニナから目を逸らした。
「あれ? 店長は寝てるの?」
ニナはソファーで横になっているエールに気づいた。
「ああ、うん」
気まずい空気が流れる。
「カイン、あなたはここで何をしてるの?」
「それは……」
カインが口がもっていると、ニナは不意に嫌な感覚を覚えた。
次の瞬間、背中に重い衝撃を受ける。
「わっ……!?」
前方に弾き飛ばされたニナの身体を、カインが受け止める。
そのままハンガーラックをなぎ倒しながら、二人は壁に激突した。
「う……、大丈夫?」
ニナが心配そうにカインを見つめる。
その顔を見て、カインは息ができなくなったが、大丈夫だと頷いてみせた。
視界の端に動くものが映り、目だけ動かし見る。でっぷりとしたボリュームの幽霊モンスター、〝キングスピリッツ〟が、寝ているエールに向かって短剣を振り下ろそうとしていた。
「ニナッ、後ろ!」
カインは思わず叫んだ。振り返った瞬間、ニナはガーターホルスターからデザートイーグルを抜き、弾丸を放った。短剣に命中するも、はなさずに踏ん張ったのはキングスピリッツのパワーならではだ。
「どういうこと!?」
ありえない場所でのモンスターの出現に、ニナの顔から血の気が失せた。先日の事故の記憶が蘇る。
だが、ニナはさらに銃を連射した。
銃弾を受けたキングスピリッツは、素早く姿を消した。
「待て!」
言ったところで、エールを狙う別のキングスピリッツが見えた。
カインが、辛うじてキングスピリッツの大きな背中にしがみついた。パワーの違いから、ぶんぶんと紙切れのように振り回される。
カインは顔を真っ赤にして、
「撃てっ!!」
と叫んだ。
「えっ?」
ニナはカインのことを考えながら、照準を合わせた。
「何をしてるんだ!? 早く撃てっ!」
2年ぶりに会ったというのに、あの時と何も変わらない。不思議なことだ。
猛烈にカインを引きはがそうとしているキングスピリッツの頭を撃ち抜く。
ふっと、キングスピリッツが姿を消した。
反動でカインが尻から床に落ちる。
「あ、痛っ!」
「カイン、大丈夫!?」
ニナが駆け寄ってこようとするのを、カインは手を払って制止した。
「分かってるだろ? キングスピリッツは、あのくらいじゃ倒せない」
「そうね……!」
ニナはインカムを操作して、パトロール班に応援を要請した。本館は特に異常はなさそうだった。
「すぐに武装したパトロール班が来るから」
ニナが、デザートイーグルを構えたまま言った。
カインは、ささやかな喜びを噛みしめていた。
「まだ銃を捨てたわけじゃないんだな」
「え? いや、これは趣味で……」
ニナは慌ててはぐらかす。
「それなのにあんな危険な場面で『撃て』だなんて言うから、ひやひやしたわよ」
カインは少し躊躇したが、きっぱりと言い切った。
「俺は信用してたよ」
そのまま、逃げるように店長室を後にした。
「ちょっと……!」
ニナが、その場で呆然と立ち尽くしていると、エールがむくりと起き上がった。
「ふあーあ……。面白くなってきたな!」
ニナは驚いて、
「どういうこと? いつから起きてたんですか?」
「初めからや。あんなヘナチョコ魔法がウチに効くかいな」
「初めからって--、ええっ!?」
ニナは口を押さえた。
「あの状況で、寝たフリする方の身にもなれっちゅうねん」
おろおろするニナをよそに、エールは机の上にあった写真集をかき集め始める。
「あいつ、置いて行きやがった……ていうか、ウチの部屋がめちゃくちゃやないか!」
「本館には異常はないようですが」
エールはやれやれといった感じでソファーに座り直した。
「ウチのガチ恋ファンか、はたまたアンチか」
ニナは、エールに皮肉っぽく言う。
「どう見たって、アンチでしょ」
「愛情表現が下手なヤツもおるんや!」
エールの脳天に特大ブーメランが刺さっている……いずれにせよ、ニナは対応しなくてはならない。
「取り急ぎ、店内にいる職業モンスター使いのお客様をあたってみます」
「そんなことより、ニナ」
エールは、にやにやと嫌な笑みを浮かべた。鬼の首でも取ったかのような笑みだ。
「はい?」
「カインっていうんやな、あの兄ちゃん」
「何を今さら」
「お前ら、付き合ってたんか?」
「う」
ニナは、心臓を鷲掴みにされた気がした。
「まあ、昔のことなんかどうでも良いわな」
エールは、ガサゴソと自分のデスクを探りはじめ、
「ウチが〝エクセレント・ペガサス〟のパーティーの世話係につくわ」
「はい?」
「--と、なるとインカムが必要なんやけど。確か、この辺に……あった、あった!」
エールは、インカム付きのヘッドドレスを頭に着けた。
ニナはしばらく呆気にとられていたが、
「珍しいこともあるもんですね。明日は雪ですか?」
「カインは、あそこのパーティーメンバーなんや」
「えっ、本当に?」
「よっしゃ! ほな、行ってくるか」
エールが手を叩く。
「ちよ、ちょっと待って」
状況が飲み込めずに混乱するニナを、エールは楽しそうに眺めた。
「ニナは犯人を探し出して、ウチのところに連れてこい。警察に突き出す前にボコボコにしたる」
「はいはい」
「それからな、ウチらの邪魔はすんなよ」
「ウチら……?」
いったい、何のことを言っているのか?
ウキウキとした足どりで出て行くエールを見送って、ニナは、いやが応にも2年前のことを思い返していた。