第55話 蘇生魔法の完成
ニナが、サナギの身体を抱き起こす。
「サナギ!」
「…………」
返事はなく、唇の隙間から唸り声のような息が漏れるだけだった。口元には青い血が滲んでいた。
ニナは痛みをこらえて、サナギをシートに座り直させた。
「サナギ、サナギ?」
その身体からは完全に力が失せていた。
多量の薬を使用され眠らされているのだと、ニナは察した。
--早くここから逃げなければ。
気が焦り、左腕が痛む。
外から聞こえる激しい戦闘音が気持ち悪い。だが、どうしようもない。
時折り空気が震えるほどの爆発が起こって、焦りを大きくした。
ニナはサナギを背負って立ち上がる。
「よ、いしょ……」
意識のない人間は無茶苦茶重い。さらに痛みも重なって感覚が麻痺してきた。それでも、足だけは動いてヘリコプターから降りた。
「サナギ?」
「……っ!?」
幽鬼のようなシェミハザの顔が見えて、ニナは絶句した。
顔面蒼白のシェミハザの背後では、エールが前のめりに倒れていて、小さな血溜まりができている。
「サナギ?」
シェミハザが重ねて呼んだところで、ニナはようやく口を開いた。
「ど、どきなさい」
「待たせ過ぎたせいで怒ってるかな」
「何を……」
シェミハザはニナの方を見ていない。
ニナは必死で頭を働かせたが、冷や汗が頬を伝うばかりだった。
そして、シェミハザの顔が空白のようなはっきりしない表情に変わった。
「わかったぞ」
声に迷いはない。
「……何が?」
ニナは律儀に尋ねた。
「シスもこの力を使ったに違いない。蘇生魔法の完成は手を伸ばせば届くところまで来ている」
「…………」
もはや、シェミハザを止めることはニナにはできない。
「間もなく、うってつけの死体ができあがる。成功すれば、俺に感謝の一つもするだろう。そうでなければ」
「エール店長……!」
シェミハザの尊大な物言いを聞いて、感情がニナを支配した。
丸腰のニナは右手で銃の形を作ると、
「奇跡を見せよ! 風撃ェー!!」
キィィンッと不可視の弾丸を発射した。
しかし、その弾丸がシェミハザまで届くことはなかった。
「赤柊!」
シェミハザが振り下ろした手刀は、不可視の弾丸ごとニナの身体を切り裂く。
天語のパワーは同等ではあったが、ニナの残り少なかった体力が明暗を分けた。
ニナはサナギを背負ったまま、どうっと前に倒れ込んだ。
『ニナちゃん! そっちはどうなってんのさ!? お願いだから返事をしてよ……エール!? サナギちゃん!?』
シェミハザは、ニナとサナギを見下ろしたまま、漏れ聞こえるギゾーからの無線を聞いていた。が、何を考えているのか、眉ひとつ動かさなかった。
「…………」
やがて大きく息を吸い込むと、三度目の注射を射った。入ってくるのは闇だ。
肉体が、細胞の一つ一つが闇に染まっていくのが分かる。
シェミハザは、ニナのうなじを目掛けて手刀を振り下ろした。
と同時に、その場を覆いつくさんほどの闇が出現し、ニナを守った。それは、巨大な鉄の塊だった。
--俺が待っていたのは、これだ!
ジェミハザの口元が、嬉しそうに歪む。
「やらせない……」
目を覚ましたサナギは、ようやく声を絞り出した。
荒い息を整えて、吐き気を振り払い、鬼の金棒を両手で握り直す。
ニナの前に仁王立ちになった。
「サナギ、喜んでくれ。蘇生魔法は完成したんだ」
シスは両手を広げ、明るい口調で言った。
サナギは唇を噛み締め、キッとシェミハザを睨んだ。
「シスに追いつくことができて嬉しいよ」
「シスに……、追いついた」
「これで俺と一緒に行ってくれるね?」
シェミハザはにっこりと笑う。
「…………」
サナギは思いがけず、愛しさのようなものを感じた。切羽詰まった状況の中、このような気持ちが持てたことをシスに感謝しないといけない。
「ごめんなさい。行くことはできません」
サナギから初々しい少女の恋心が伝わってくる。
「どうして? サナギ」
シェミハザは尋ねた。
「それは」
サナギはかすかな笑みを浮かべて、頭を下げた。
「あなたとシスは違いますので。シェミハザ様……!」
シェミハザははっと息を呑んだ。そして、サナギの笑みに誘い込まれるように、天語を唱えた。
「我が美しき命のために奇跡を見せよ! 照空ッ!!」
「くっ……」
凄まじいエネルギーのレーザーがサナギを襲う。が、サナギは這うようにしてこれをかわした。
二、三歩よろめいた足を踏みしめ、向き直ったサナギとシェミハザが見つめ合った。
短い間の中に、たくさんの感情が交差した。親しみ、甘え、後悔、虚しさ……そして、静かな怒りを燃やすサナギを、シェミハザは受け止めた。
「さああぁっ!!」
サナギが猛然と迫り、鬼の金棒を振り下ろす。
攻撃を予想していたシェミハザは、高エネルギーレーザーを合わせて、鬼の金棒を弾いた。
「赤柊!!」
シェミハザが、うろたえるサナギに神速の斬撃をあびせかける。
サナギは踏み込み、鬼の金棒でこれを叩き落す。そのまま、下からシェミハザをすくい上げた。
「う……」
腹を打ち据えられて、シェミハザの身体が宙に浮く。
「そりゃああっ!!」
さらに叫びざま、サナギは体当たりをするように鬼の金棒を突き入れた。
「うおおっ!!」
後方に吹き飛んだシェミハザが凄まじい音と共に、もんどり打って倒れる。
サナギはシェミハザに歩み寄った。
シェミハザには鬼の血が混じっている。サナギは、シェミハザの中で闇が大きくなっていくように感じられた。
自分が常に感じている闇。
まだ、シェミハザは立ち上がろうとした。
「どうしたんだ……? 殺せよっ!!」
サナギは鬼の金棒を捨て、
「おらああっ!!」
拳でシェミハザの顔面を殴りつけた。
シェミハザはサナギに抱きつくようにして、ずるずると膝から崩れ落ちる。
サナギはしゃがみ込んで手を伸ばすと、
「…………」
無言でシェミハザの頭をひと撫でした。