第54話 シェミハザの実験
危険を察知したエールが走り出すのと、空気が震えはじめるのが、ほぼ同時だった。
ビルの屋上の一角に、〝隕石〟が次々に落下して、絨毯爆撃のように破壊していく。
轟音と共に、ビルの形が変わっていった。
エールの小さな身体が衝撃にさらされる。
足元の床が崩れ落ちていく。
エールは必死にジャンプして、むき出しになった鉄骨にしがみついた。
が、荒れ狂う爆風にあおられ、自重をささえきれず落下しようかというとき、またしてもキラーバードがエールをキャッチし飛び上がった。
とんでもない震動がビル全体を揺るがす。
屋上に向かっていたニナも、この衝撃に耐えようとしていた。
ギゾーから無線が入る。
『大丈夫っ!? 何が起こった!?』
ニナは生きた心地がしなかったが、表向きは平静を装った。
「大丈夫です」
『エールは全然応答しないけど、キラーバードのヤツも無事かな!?』
「……わかりません」
『無線が入りにくいみたいだけど、心配だからちゃんと応答してよね!』
『了解』
屋上に到達したニナは状況を確認した。
キラーバードに首根っこを掴まれたエールが空を舞っている。
ヘリコプターの近くにはシェミハザ。
さらにネフィリムが倒れている。
黒煙が立ち上り、コンクリート片が散乱している屋上に、ニナは足を踏み入れた。
「店長、どうしたの!? 大丈夫っ!?」
と、じっと見つめるシェミハザがニナに向けて手を広げた。
「我が美しき命のために奇跡をみせよ--〝雨毛〟!」
「シェミハ……」
言って、ニナはこれが〝天語〟であることに気づいた。
シェミハザの手から放たれた金色の粒が、ニナの目の前で、バシャ! と弾ける。
ニナはすばやく、しゃがみ込んで身を守った。だが、金色の粒がかかった上半身の左側が瞬く間に凍りついていく。
ニナは、即座に残った右腕でガーターホルスターからデザートイーグルを抜き、トリガーを引いた。
「禁断!」
シェミハザを見えない壁が覆った。閃光とともに弾丸が弾かれる。
その間に、シェミハザが足場の悪さにかまわず、屋上に降りたったエールとキラーバードの方へ迫る。
キラーバードが口から白い霧を吐くと、
「我が美しき命のために奇跡を見せよ、風輪!」
シェミハザは、それを手のひらから全て吸い込んでしまった。
しかし、エールはその隙を逃さず、素早く踏み込んで蛇の右腕を繰り出す。
「……!?」
シェミハザは危うく避けるが、毒牙がわずかに脇腹を切り裂いた。
倒れ込むシェミハザ。
このとき、瓦礫が散乱する屋上から見える東の空は、ぼんやりと明るくなり始めていた。
エールはためていた息を少し吐く。それから大股でニナの元へ歩み寄った。
シェミハザは地面に突っ伏したまま動かない。
「殺しちゃったんですか……?」
ニナは唾を飲み込んだ。
「いや、甘噛みや。こんだけやられたのに、ウチも大人になったもんや」
ニナは、エールの肩を借りてゆっくりと立ち上がった。左腕を中心に凍結してしまっているが、歩くことはできそうだ。
「大丈夫か? シェミハザは新術がどうとか言ってたけど」
「これは、おそらく天語と呼ばれるものです」
「そういえば、ニナもその厨二病全開な技を使ってたな」
「しかし……、天語は生命力と魔力を著しく消費します。それを連発するなんて信じられない」
「実際してたけどな」
ニナは、キラーバードから応急処置として回復魔法を受けて頭を下げた。
「早く、サナギを連れて帰りましょう。あのヘリの中ですか?」
「ん? ああ、たぶんそこにあるジュラルミンケースに羽根つきスライムが入ってる」
エールは答えた。
「お前らは先に行け」
立ち上がるシェミハザに気がつくまで、やや遅れがあった。
ニナが気を引き締め直すと、エールが冷静な声でシェミハザに言った。
「戦闘が苦手や言うてたわりには、なかなかタフやないか」
シェミハザは顔を上げ、それからまた注射器の針を自分の腕に刺した。
「……素晴らしい。実験は成功だ」
「何やそれは?」
「サナギの血液--」
シェミハザは低い声で答えた。
「これで、俺たちはいつでも同じ景色を見ることができる」
エールは首を巡らし、
「ニナ。早う行けや」
「でも……」
サナギの血を輸血した? それで天語を連発できるほどの力を得たというの? そんな無茶苦茶なことを自分の身体で実験したというの?
ニナはシェミハザの様子を伺う。
見たことのない表情をしていた。
鬼の力に魅入られてしまったのだろう。
「正直ドン引きや。アンタのド変態プレイには、さすがのウチもついて行かれへん。もう手加減せんからな」
エールは右腕を白蛇に変化させた。
「……雨毛!」
先に動き出したのはシェミハザの方だった。
エールとニナは左右に分かれて大きく跳躍する。
「あ……!」
ニナが慌てて向き直ると、逃げ遅れたキラーバードが金色の水しぶきを受けて凍りついていく。
エールは身を翻し、パラパラと降り注ぐ金色の粒をかわす。さらに、大きく息を吸い込んで白い腹を膨らませると、口から火炎を吐き出す。火炎が金色の粒を押し返した。エールがニナをチラと見る。
「今やニナ、急げっ!」
「わかりました!」
言うと、ニナは銃を放り出しサナギの元へ走り出した。
シェミハザはさらに天語を唱えて、荒れまくっていた。ニナの左半身はまだ思うように動かせない。サナギの待つヘリコプターまで、ひどく遠く感じられた。早く、サナギを救出しなければ……。
予想以上に沼っています。