第53話 ウチと遊ばへんか?
屋上に吹き込んでくる夜風は、想像以上に冷たい。
ひっそりと静まり返った夜を切り裂くように、
「シェミハザ!!」
エールは大きな声で名前を呼んだ。アパッチの爆破に巻き込まれ、服は所々焦げて穴が空いている。
「--ふん」
サナギを担ぎ、羽つきスライムの入った専用のジュラルミンケースを手にしたシェミハザが振り向いた。
もちろん、エールが招かれざる客なのは言うまでもない。それでも、まだシェミハザの態度には余裕があった。
「どうして、どうして……俺たちの行く先は前途多難だよ、サナギ」
眠っているサナギに向かってにやりと笑う。
「そんな乳がでかいだけの陰キャ眼鏡はほっといて、ウチと遊ばへんかー?」
緊迫感の無さではエールも負けてはいない。
「俺にロリコン趣味はない」
「サナギこそ未成年やぞ?」
そういえばそうだな、とシェミハザは頷いた。
「その点、ウチは手錠プレイでも昏睡プレイでもオールオッケーやでー!」
「……何を言ってるんだ」
シェミハザは、ややあって吐き捨てるように言った。
屋上のヘリポートには、ヘリコプターが一機停まっている。運転手の姿は見えないので、シェミハザ自身が運転をするのだろう。先ほど、シェミハザが前途多難と言ったのも合点がいく。
「ウチ、ヘリコプターでなんかヤッたことないわー! 空中SEX、燃えるわー!」
「誰が……」
乗るんだ、とシェミハザは言いかけてやめた。
やはり、すんなりとは行かせてくれそうもないので、サナギとジェラルミンケースを先にヘリに乗せた。
シェミハザはエールの正体を知らない。
なので、ニナの他にもまだ仲間が多勢来ているのかと警戒する。だが、エールもサナギと同じく普通ではない感じを受けるのも事実だ。
その時、屋上の出入り口扉が開く。
「シェミハザ!」
やってきたのはネフィリムだった。
シェミハザは、何も言わずにエールを指差した。
ミニスカメイドの格好をした長い銀髪の名物ロリ店長。腰に手を当てて不敵に笑っている。見た目は完全に小学生なのに、妙な貫禄があった。
「本当にニナちゃんと二人だけで来たのか?」
ネフィリムは巨大な戦鎚を握り直した。
「油断しないで」
シェミハザが言った。
「分かってるよ」
ネフィリムはゆっくりと歩を進めた。
トライアルダンジョンの店長相手に自分でも慎重にすぎると思う。
真正面から向いあっても、二人は何も話さない。
エールは笑みを浮かべたまま、じっとネフィリムを見ている。
ニナの実力はラメエルが認めていた。彼女は、おそらく元冒険者だ。この店長もそうなのだろうか、とネフィリムは考えた。
「もうどうなっても知らんぜ、俺は!」
ネフィリムはエールに向かって戦鎚を振り上げた。
「アンタはあんまり好みやないなあ」
エールは笑みを崩さない。
ネフィリムが豪快に振り下ろした戦鎚は、空を斬って、コンクリート床にめり込んだ。
跳躍したエールの身体が、空中で一回転してネフィリムの背後をとった。
「アソコがでかけりゃ、女は喜ぶと思ってるタイプやろ?」
「その薄ら笑いをやめろっ!!」
ネフィリムが戦鎚を横なぐりに払った。
エールは、すっと身体を引いてこれをかわす。
「薄ら笑いて。愛嬌があると言うてくれへんか」
エールはいたって真面目な顔で言う。
「……トサカに血が昇るぜ」
ネフィリムが身につけていた短刀を投げ撃った。
エールは、これをわざわざ大げさに避けてみせた。ずっと、アンタとはレベルが違うという意思表示をしていたつもりだったのだが……
あまり、頭が良くないらしい。
「甘噛みや」
エールは一足飛びに距離を詰めると、右腕を白蛇に変化させて、ネフィリムの喉笛に噛み付いた。
「ぐっ……」
戦鎚から手を離し、ネフィリムが顔から崩れ落ちる。
激痛に襲われて身体の自由がきかない。エールがさっさとシェミハザの方へ歩いて行くのが見えた。ネフィリムは慌てて後を追おうとした。
「ま、待て……」
「ん?」
エールは動きを止めた。這いつくばったネフィリムがその足に手をかけたからだ。
「なんや、動けるんか」
「あ……」
ネフィリムがわずかに口を動かすと、
「あんまり無理はせんほうがええで。三日三晩はそのままやからな」
「…………」
「その間、残念ながらオナニーもでけへんで」
蛇に噛みつかれ神経毒にやられたのか、ネフィリムの理解は追いつかなかった。
「ネフィリムさん、もういいっ!!」
シェミハザは歯切れ良く叫んだ。ムキになりやすいネフィリムを止めるためと、新しい興味の対象を見つけたことを知らせるためだ。
「ほー」
エールはシェミハザを見た。
人間ばなれした力の片鱗は目にしたはずだ。それでもなお、エールを相手にする自信があるようだった。
「俺は戦闘が苦手でね」
歩み寄ってきたエールに、シェミハザが言った。その声には奇妙な響きがあった。
「……? じゃあ、大人しくうちのモンを返してもらおうか」
エールは少し気を削がれた格好になった。
「でも、新術のテストとなるとそうも言ってられない」
「新術?」
そういえば、ここは新術開発のための研究所だと、ギゾーから聞いたことをエールは思い出した。
「誰が新術とやらを使うねん?」
と聞いて、エールは黙った。
目の前のシェミハザが、自分自身に注射をしたのだった。
ややあって、シェミハザは顔を上げ、
「今の俺なら、人体に負担の大きい〝天語〟も思いのままだ」
先ほどと同じ奇妙な響きの声。それは狂喜を含んでいたのだと、エールは分かった。
「……我が美しき命のために奇跡を見せよ、夜沈記憶!」
シェミハザは小さくつぶやいただけだったが、エールの耳には幾重にも重なって飛び込んできた。