第46話 変わり種の変わり種
「ニュースになってるね。異常現象、眠る街。広い範囲の住民から異臭の苦情が五百件、『甘い香りがして、突然眠ってしまう』。国家警察が原因を調査中だってさ」
WEBサイトを確認していたギゾーは、サナギを見た。
「おうしわけありあせん」
サナギは背後を振り返り、エールとニナに頭を下げた。帰ってきたばかりの二人は、まだスーツ姿だった。
「サナギ以外のお客様も含めてスタッフ全員、モンスターまでもが眠ってしまって、営業不能だったなんて意味がわかりません」
ハンカチで鼻と口を覆ったニナは、くぐもった声で続ける。
「その異常現象の原因が、シャトー☆シロの羽つきスライムだと言うの?」
ギゾーが洗濯バサミで鼻を摘んだまま、ハゲ頭をつるりと撫でる。
「羽つきスライムにそんな力があるなんて、聞いたことない! 新種だよ、これは!」
「そういう問題じゃないでしょ、ギゾーさん」
ニナはいたって真剣な表情だった。
「いや、店の宣伝にもなるんじゃないの?」
「なりません。逆効果です」
そう言って、ニナはヒールの踵を鳴らした。
時刻は午後六時を少し回ったくらいだろうか。サナギ達は、ギゾーのいるダンジョン管理室に集まっていた。広範囲に渡る匂いはやわらいだものの、まだ店内は相変わらず甘い香りに包まれていた。
職業モンスター使いで、ダンジョン管理部の責任者でもあるギゾー・スタンヒルは、シャトー☆シロで一番の物知りである。御年百歳を超え、黄ばんだランニングシャツに下はパンツ一丁というのがいつものスタイルだ。
そのギゾーが常駐している管理室は、ダンジョン監視用のモニターが多数並ぶほか、工具やら木材やら布団やらが溢れ返って混沌としていた。
今回の一件は、はっきり言って臭くて汚い管理室の芳香剤代わりにちょうど良かったのではないかと、サナギがちょっと考えてしまっても仕方のないことだろう。
「で、その羽つきスライムは?」
しばらくして、ニナが口を開いた。
サナギは頷き、そっと胸元を広げた。
赤い羽つきスライムが喜び勇んで飛び出す。エサでも貰えると思ったのだろうか、二回、三回とサナギの周りをくるくると回った。
「本当にけしからんヤツだねえ」
ギゾーは隠れていた場所に対して憤慨した。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
サナギが慌てて羽つきスライムを捕まえた。
ニナが一歩、後ずさった。
「いやしかし、大胆なことをしてくれたもんだ。自分で飼うつもりだったの?」
ギゾーは、サナギの手のひらにのった羽つきスライムをしげしげと眺めた。
「そんなつおりはなくて……」
「所有モンスターはちゃんと管理しとかないと、大事になるというのは理解してるよね?」
「はい……」
サナギはギゾーの顔から目を離さない。
「その羽つきスライムから甘い香りが発生していて、その香りを嗅いだ人は眠ってしまう、と」
ニナが怪訝そうな面持ちで尋ねた。
「サナギは匂わないのね?」
「あ、はい」
サナギは答えながらも、首を傾げる。自分でも本当になぜだかわからないのだ。
「生まれたての時は、そんな匂いはしてなかったけど」
ギゾーは凄い凄いと言って、嬉しそうだった。
「そうですね。匂いがしだしたのはしあらく後だと……」
「催眠効果のある甘い匂いを出すモンスターは他にもいるけど、これほどの広範囲に影響を及ぼすヤツなんていないよ!」
「変わり種の変わり種ってことね。運が良いのやら悪いのやら」
ニナは羽つきスライムを警戒しながら、眺めていた。
「今は悪いな」
ずっと黙ったままだったエールが呟いた。鼻には洗濯バサミ、汚れた長椅子に脚を組んで座っている。
「シャトー☆シロはモンスター廃絶会に目をつけられてる」
そう言って、足で貧乏揺すりをしながらまた黙り込む。
サナギとニナは顔を見合わせた。
「いや実はもう連絡が来てんねん。廃絶会のオバハンから、その羽つきスライムを引き渡せってな。見られたやろ? 羽つきスライムを」
エールはサナギに向き直った。
サナギの表情が強張る。渡したら羽つきスライムはどうなるのだろうか、店長はどうするつもりなのだろうか。
「渡さんかったら、シャトー☆シロは潰れる」
エールはそっけなく答えた。
サナギはぴくりと肩先を震わせた。
「でしょうね。事故の記憶もまだ新しいのにこの騒ぎじゃあ、致命傷になりかねない」
ニナが頷き返した。
「なんだ。もう発生源はバレてるのか」
ギゾーは手近のパイプ椅子にあぐらをかいて座った。
「廃絶会のオバハンが客として来てたからな。しかも、羽つきスライムの匂いを嗅いで眠ってる」
エールは仏頂面を崩さない。
「よく知ってるな」
「あーあ、これだけはアンタらにもずっと秘密にしときたかったんやけどな」
エールは自らの長い銀色の髪を一本引き抜いた。それに、ふっと息を吹きかける。髪の毛がみるみるうちに、一匹の白い蛇へと変化した。サナギ達に緊張感が漂う。
「これは……」
とても見覚えのある白蛇に、サナギは頭がくらくらする。
「げっ!? テッちゃんが飼ってる白蛇じゃないの!?」
ニナも同様だった。
「そうや。ティアラには度々捕まってるから、なんとかせなあかんとは思ってるんやけどな」
ティアラのペットだと思っていた白蛇は、美しく神秘的な印象だったのに……。その正体はエール店長のスパイ蛇だったと知って、サナギは愕然とした。
「「目も口も鼻も全てウチとリンクしてる。便利やでこれ。なあ、サナギ」」
エールが言葉を発すると、同じように白蛇も言葉を発した。
エールは蛇の化身だ。五百年もの間に溜めに溜めた情念を力に変える。
サナギがエールの顔を垣間見ると、蛇のように長い舌をちろちろと出す。自分の行動は全て筒抜けだった。サナギは蛇に睨まれた蛙のように、全身の皮膚を粟立たせた。
「こんな時やなかったら金になったのに……はあ、もったいないもったいない」
エールはそう嘆き、サナギの手から羽つきスライムを取り上げる。
「くっ……」
少し嗅いでしまったのかもしれない。エールは羽つきスライムを手離して、ふらついた。
「これは強烈やな。ギゾーさん、ビニール袋とかないの?」
エールはビニール袋を受け取ると、羽つきスライムを追いかけ始めた。
「やめてください!」
たまりかねてサナギが叫ぶ。
「やはり、あの、引き渡さないといけないんですか?」
エールは足を止めて、
「誰のせいでこんな事になったと思ってんねや」
「…………」
サナギはがっくりとうなだれた。
「お前はもう寮に帰れ」
エールは厳しい口調でサナギに近づく。
「羽つきスライムは明日、モンスター廃絶会に引き渡す」
「……はい」
「ビニール袋に入れるにしても、空気穴を開けてやらないと……」
「それじゃあ、意味ないですね……」
「シャトー☆シロで一番、密閉されてる部屋は……」
三人の会話を背中で聞きながら、サナギはそろそろとダンジョン管理室を後にした。
引き渡した後、羽つきスライムはどうなってしまうんだろうか。サナギは自分の無力さ加減に苛立ちを抑えることができなかった。