第36話 羽つきスライム
まともに働き出してから、まだ一ヶ月も経っていないが、
「私には接客業は向いてない」
と、サナギは毎日のように思っていた。
そうなると、バックヤードへと逃げ込んだ。
モンスターの待機場所でスライム達を見ていると、嫌なことを忘れられた。
透明と緑色のスライム達が、大きな鉄製のカゴの中でプルプルとひしめき合っている。
サナギは、それをいつまでも眺め続けた。
「ふぅ」
ぼんやりとしゃがみ込む。
だが、背後で人の気配がしたので、すぐに立ち上がった。
「またサボってんだ?」
ダンジョン管理部のギゾーだった。
御年百歳のモンスター使いは、相変わらずパンツ一丁だった。
「あ、いあは休憩中でして……」
サナギが慌ててその場を取り繕うとすると、
「いや、別にワシは構わないけどさ」
ギゾーは、つるりと禿げ頭を撫でた。
「そんなに仕事が上手くいかないの?」
「お客さんに怒られてあかりです。それで、私……」
サナギは、泣きそうな顔になった。逃げるようにこの場に来たことが、恥ずかしくなってきたのだ。
「あのね、お客様は神様です、なんて嘘っぱちだからね!」
「えっ?」
「迷惑客なら、ガツンと言い返してやっても良いんだよ!」
「そんなこと、私には……」
「その大きなおっぱいは、一体何のためについているのさ! こういう時のためでしょうが!?」
勝手にヒートアップして意味不明なことを言うギゾーを、サナギは睨みつけた。
「やえてください。セクハラです」
「ちぇっ」
ギゾーは、ぼりぼりと脇腹を掻いた。
「ん? アンナの調子が悪そうだな」
ギゾーの手が止まる。
「アンナ? どの子ですか?」
「これ」
一匹の透明色のスライムを指差した。他のスライムと区別がつかない。
「こりゃあ、生まれるな!」
「生あれるって、赤ちゃんがですか?」
サナギが尋ねると、ギゾーは鉄柵をよじ登り始めた。アンナに向かってエールを送る。
「気をつけて」
サナギがギゾーの身体を支えた。
「アンナ、がんばれ! もう少し、もう少し、もう少し…… 」
「私、スライウの生あれる瞬間なんて初えて」
「そうね。普通は警戒してるからね」
ギゾーは握った拳に力を込めた。
サナギが瞬きをするのも忘れて息を呑んだ瞬間、アンナの身体から小さな固まりが分離した。
「生まれた!」
ギゾーは手を叩いて喜んだ。
「しかも、これは貴重な種類だぞ!」
「えっ?」
小さなスライムは真っ赤だった。ギゾーの言葉から、生まれたては皆んな赤い、というわけではないらしい。
じっと観察すると、蝶のように羽を必死で伸ばそうとしている。サナギは驚いてギゾーの顔を見た。
「羽つきスライムだ!」
ギゾーが満面の笑顔になる。サナギもなんだか嬉しくなった。
「そんなにレアな種類なんですか?」
ギゾーは少し胸を張り、
「ああ、一万匹に一匹の割合だ! 一万分の一!」
サナギはギゾーが止めるのも構わず、羽つきスライムに向かって手を差し伸べた。
羽つきスライムが鉄柵の間を抜けて、サナギの手のひらへと飛び乗った。
「あっ、羽つきスライムは吸血するんだよ!」
それを聞いて、サナギの顔色が変わった。
「遅かった?」
「そのようです」
羽つきスライムの真っ赤な体の一部が、みるみる紫色変わっていく。痛みもほとんどななかったので、振り払うこともできず、そのままにしておいた。
「どうってことはないと思うけど」
ギゾーが羽つきスライムをサナギの手から取ろうとしたが、離れなかった。
血を吸うのはやめたようで、また元のような真っ赤な体色に戻っていった。
「後で役所に報告しとかないとね」
ギゾーが言った。
「報告数と実際のモンスターの数に相違があると、怒られちゃうんだよ」
羽つきスライムは、蝶のような羽をパタパタとはばたかせて飛び上がった。また、鉄柵の間を通って、アンナの元へと戻る。
モンスターは人にとって危険な存在。
その認識は、トライアルダンジョンが市民権を得るようになった昨今でも変わらない。中でも、前科ができてしまったシャトー☆シロに対する世間の目は、厳しくなっている。
「良い客寄せパンダならぬ、スライムだ」
ギゾーはげんなりしていた。
「エールはそう言うだろうなあ」
エール店長は売り上げ第一主義であり、そのためには違法ラインギリギリの行為もする。いや、ラインを超えている時もあるような。
先日の謝罪会見も形だけのもので、本人は全く反省などしていない。あの店長が、この貴重なスライムを放っておくはずがない。
「そうでしょうね」
答えながら、サナギはカゴの中の羽つきスライムを見た。
他の仲間たちとは違う真っ赤な体色に羽のせいで、文字通り浮いた存在となっている羽つきスライムを見て、サナギは少し悲しくなった。相手がエール店長でなければ、商売の手段に使うのは反対したいところだ。
「まあ、昼メシ食ってからにしよう!」
ギゾーは部屋の時計を見て伸びをした。
「ギゾーさん」
羽つきスライムのことは黙ってませんか、と言いかけて、サナギは諦めた。
自分には何の責任も持つことはできない。
「辛くなったらいつでも来なよ」
ギゾーは独り言のように言って、立ち去った。
力が抜けた。スライムの心配をしている場合じゃない、とサナギは思った。
◯
サナギは、社員食堂で昼休憩を取ることにした。昼休憩の時間はスタッフそれぞれの判断に任されており、今はほとんど見当たらなかった。
いつものゆで卵のサラダとサーモンのクロワッサンサンドを注文する。あまり味がしない。
無線でインフォメーションカウンターから呼び出しが聞こえてきた。
それに対して誰も反応しない。営業を再開したばかりで、いまだ体制がきちんと整っているとはいえず、皆んな忙しいのだろう。
シャトー☆シロは3つの人工ダンジョンからなる会員制の施設で、人工ダンジョンの丁寧なつくりは評判が良く、ダンジョン以外の楽しみも充実している店として有名である。年間会員費は、はっきり言って高額だが、冒険初心者から上級者まで、幅広い層のお客様に利用されていた。
サナギはアシスタントコンシェルジュで、簡単にいえば何でも屋。それゆえ、幅広いサービス知識が求められ、難しい仕事だと言える。いまだに店のことはほとんど分かっていないので、いつお客様に呼び止められやしないかと、ビクビクしていた。
でも、そんなことばかりも言ってはいられないので、荷物持ちは率先してするようにしていた。力には自信がある。やり過ぎないように加減をしなくてはならないが。
無線では、ずっと呼び出しが続いている。
オニヤンマ魔導士の件がまだ解決していないので、とても気が重い。サナギはサラダをかき込むと、残りのクロワッサンをカフェオレで口に流し込んだ。