第24話 壊滅
「ひっ!」
マリネの目の前で知らない剣士が血しぶきをあげて転倒した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
自分にはどうすることもできないし、より一層キワーノのことが心配になる。
マリネは、カウンター台の陰に身を寄せながら必死に外の様子を伺った。
いたるところで戦闘が起こり、収拾がつかなくなった店内。
「にゃあ~、にゃあ~」
そのような中で、猫のゼウスがポツンと鳴いているのを見つけた。
マリネは、助けを求めているように聞こえるのは考えすぎ……考えすぎだと自分に言い聞かせる。
だが、次の瞬間マリネは飛び出していた。
「もう! 危ないからヨソでやってよ!」
鍔迫り合いをする戦士とワニゴブリンの脇をすり抜け、ゼウスの元へと駆け寄った。
ゼウスは特に怯えた様子もなく、
「にゃあ~」
と、マリネの顔を見て鳴き声を上げた。
マリネは少しだけホッとした表情を浮かべた。ゼウスを抱き抱えて、一目散に元いたカウンター台の中へと引き返す。
背後に気配を感じたマリネは、ぎょっとして息を呑んだ。
振り返ると、目をギラギラさせたワニゴブリンが大斧を構えていた。
狭いカウンター台の中で逃げ場もない……!
マリネ達に気づいたパトロール班員が、ワニゴブリンの背中に取り付く。
だが、瞬く間に斬り伏せられてしまった。
ワニゴブリンが、改めてマリネ達に向かって大斧を振りかぶる。
その爬虫類の顔がにやりと笑ったように見えた。
マリネは目をぎゅっと瞑り、ゼウスを抱きしめた--
「やめろっっっ!!」
走り込んできたキワーノが、ワニゴブリンの側面から斬りかかる。しかし、あと少しのところで受け止められてしまった。
「キワーノ……!」
マリネは喜びとも悲しみともつかない声を上げた。
取っ組み合いになったキワーノとワニゴブリンは、もつれ込むように倒れる。
恐怖のあまり身体の自由がきかないマリネも、必死で後ずさりをした。
「こいつ……!」
キワーノは体を預けるようにして、ワニゴブリンの腹に剣を突き立てた。
が、そうすることで無防備になった背中を大斧の痛烈な一撃が襲った。
「ぎゃっ……」
激痛によろめき剣を落としそうになるが、そのままワニゴブリンを力づくでカウンター台の外へと押し出す。
「……!」
マリネは大きく目をみはった。
キワーノがワニゴブリンに覆い被さったまま動かない。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたマリネは、血で服が赤く染まるのも構わずにキワーノを抱き起こした。
「すまない……一緒になるのが、また先に伸びそうだ」
キワーノは、そう力なく言い残し、気を失ってしまった。
「キワーノッッッ!!」
マリネの悲痛な叫びがあたりをつんざく。
「ニナさん、ニナさん……! なんで応答してくれないんですか? 誰かニナさんを知りませんか!? ニナさん! ニナさん!」
戦場と化した本館内では警報音が鳴り響き、あちこちで赤い非常灯が回転している。
いち早く店の外に避難していたティアラは、インカムに呼びかけ続ける。
「……あたしは一体どうしたら良いんですか? 指示をください、ニナさん--」
○
「な……何が起こったの? これ--」
ニナはひきつった声を上げ、ギゾーは別館の旧医務室にまで轟く警報音に目を剥いた。
「ニナちゃん、状況把握!」
「え?」
「無線で連絡入ってきてないの!?」
「あ、私のは今壊れてて……」
「もう! 何してんのさ!」
「ギゾーさんは普段からインカム付けてないでしょ!?」
「ワシはいつも管理室にいるから必要ないの!」
「二人とも落ち着いてください!」
サナギが間に止めに入った。
「そうだ、サナギのヤツがあった!」
ニナは、慌ててベッドの脇に置いてあったインカム付きのヘッドドレスを手に取る。ティアラの声が飛び込んできた。
「テッちゃん! どうしたの、何があったの!?」
『ニナ……ニナさん、ニナさぁぁぁん!』
ニナの声を聞いて、ティアラは涙に濡れた情けない声を出す。
「テッちゃん、状況を教えて--」
インカムに耳を傾けるニナの顔が、みるみる青ざめていく。ギゾーが苛立ったように声を上げた。
「ニナちゃん!?」
「ダンジョンモンスターが本館内に侵入して暴れてるって……」
ニナは、必死で焦りを押さえ込もうとしていた。
「はあっ!? パトロール班は!? たっかい金を出して導入した緊急保安システムはどうしたの!?」
「遮断壁を壊して回ってる奴らがいるみたいです……おそらくデューク達でしょう」
「えらいこっちゃ!」
「急ぎましょう……!」
サナギがベッドから立ち上がる。
「私も行きます」
「バカ! あんたはここで--」
ニナはドアノブに手をかけたところで動きを止めた。
巨大な蟹の爪が扉を引き裂いた。
ニナは、大きく後ろに跳躍する。
乗用車ほどのサイズがある蟹のモンスター、〝グレートキングクラブ〟だ。石壁も破壊し、中へ侵入してきた。
さらにもう一体、床を突き破ってグレートキングクラブが這い出てきた。サナギがベッドもろとも吹っ飛ばされる。
サナギは「キャアッ!」と悲鳴を上げた。
ニナの思考が一瞬、止まった。デザートイーグルのトリガーを引く。
だが、硬い甲羅に弾き返される。グレートキングクラブは、素早い動きでニナの方を向き直った。
襲ってくるかと思われたが、その前にギゾーが立ちふさがる。
「コースケ! ヒメコ! お前ら、夫婦揃ってこんなところで何してるんだよ!? 営業中だぞ、バカッ!」
ギゾーはグレートキングクラブ達を大声で叱りつけた。
無謀すぎる、とニナの背筋が凍った。明らかに普段とは状況が異なる。
「ギゾーさ……!」
しかし、ニナは予想に反して驚くことになった。
さすがはモンスター使いの大ベテランというべきか。
グレートキングクラブ達が、振り上げていた巨大な爪を下ろしたのだ。
「そんな怖い顔して、ワシに何か文句でも言いにきたの!? ワシが一緒にメシを食おうって誘ったら、いつも嫌な顔するくせにさっ!」
ギゾーは激しく怒っている。
「…………」
グレートキングクラブ夫婦からは、なぜだか、あまり生気が感じられない。呆然としたまま、立ちつくしていた。
どっちが旦那さんで、どっちが奥さんなんだろう?
ニナは、デザートイーグルをガーターホルスターに戻した。サナギもゆっくりと起き上がる。
「サナギ、大丈夫!?」
「はい。なんとか……」
ニナは不安で身体がすくむ。シャトー☆シロ開店以来の大事故は、どうやら現実に起こっているようだ。
一体、デュークは何のためにこんなことをしているのだろうか?
グレートキングクラブの巨大な爪がわずかに動いた。焼けつくような凶悪な気が満ちる。
ギゾーとグレートキングクラブ夫婦に、何か意見の食い違いがあったと信じたい。
グレートキングクラブは説教を続けるギゾーに向かって、再び振り上げた巨大な爪を打ち下ろした。
「コースケ……!?」
だが、ギゾーは動けない。
ニナはデザートイーグルを連射する。爪の装甲にヒビが入り、大きく横に揺らいだ。
さらにもう一発。
目玉を撃ち抜かれ、巨体が傾いた。
「ちょっと、ちょっと! やめてくれ、ニナちゃん!!」
ギゾーには戦う気はないようだった。それどころかグレートキングクラブ達を守ろうとしている。
「いや、でも……」
ニナだって好きでやってるわけじゃない。
「落ち着けっ、コースケ! それからヒメコも! 何があったかはしらんが、とりあえず家に戻ろう、な? ワシが話を聞くから!」
ギゾーは、腹に力を入れて訴えかけた。
ヒメコがギゾーに襲いかかる。
「ギゾーさん!!」
ニナが叫ぶと、サナギが身体ごとヒメコにぶつかった。
「さあああああっっ!!」
そのまま、ひるむことなくコースケも押し込んでいく。
凄まじい衝撃音とともに石壁を破壊し、コースケとヒメコは無様にひっくり返った。
身長170センチに満たない人間……が、車ほどの大きさを持つ蟹のモンスターを二体なぎ倒してしまった。ニナは、今さらながらうろたえる。
「いや……すごいね。ワシは、おっぱいの大きさとパワーは比例するんじゃないかと、常日頃から考えてたんだよ……。今度、論文を書くわ……」
ギゾーは、よろよろと立ち上がり、グレートキングクラブの腹に手をついた。
「ニナちゃん。ここに心臓があるから、撃ってくれ」
「え?」
ニナは銃のグリップをぐっと握った。
「大丈夫。こいつら心臓が4個もあって、一つなくなってもしばらく失神するだけだから」
「わかりました……!」
二発の銃声が響いて、コースケとヒメコの心臓をそれぞれ正確に撃ち抜く。もがき続けていた脚がぐったりと動かなくなった。
「くそっ……」
ギゾーが肩を震わせている。
ニナもその場にへたり込んでしまいたかった。でも、そうしなかったのは、まだ何も終わってないからだ。