第21話 いつもの闇
理想郷から一人で戻ってきた日から、絶え間なく見ているいつもの闇だった。
暗い絶望の中でサナギは、瀕死の青年を抱いてずっと泣きつづけていた。いくら後悔してももう遅い。
こんなことになるくらいなら、理想郷行きなんてやはり全力で止めるべきだったと、それでも後悔する。
仲間の二人は死んでしまってもういない。それでも夢から覚めないのは、これがまぎれもない現実なんだと知って、やはり後悔する。
瀕死の青年が、未だ誰も成功したことがない〝蘇生魔法〟を使うので生きてくれと、サナギに言った。まだ私は死んでいないのにと思っだが、もう疲れてしまったので、また後悔することにした。
終焉の幕が下りてくるようにモンスターの群れが迫ってくる。
そのとき、地面から次々と噴き出した火柱が、徐々にサナギと青年を包んでいった--。
「サナギッ!! しっかりしなさい、サナギ!!」
ニナの全力で呼びかける声が、深い闇の底からサナギを引きずり上げる。
「ニナさん……」
サナギが口を開いた。
「サナギ--」
言うが早いか、肩を貸していたニナはサナギに抱きつき、そのままベッドの上に押し倒した。
「いッッッつ……!?」
サナギは脇腹からくる激痛に息が詰まった。
「ああっ……、本当にごめんっ……ごめんなさい!」
うろたえるニナの顔からは、涙と一緒に笑顔がこぼれる。
「何をやってんのさ? サナギちゃん、気がついたの?」
パンツ一丁のギゾーが、ニナの背後からひょいと顔を出した。
「ギゾーさん、何してるんですか!? 早く救護班を呼んでくださいっ」
「いや、救護班って言ったってエールの本気噛みでしょ?」
「そうですよ!」
「それが本当なら、かすっただけで人はもちろん、どんなモンスターだろうが即死なんだけど……」
薬品の匂いが鼻につく別館にある旧医務室。サナギが自分の手についた青い血を見つめる。
「私なら大丈夫です……それと、眼鏡を知りませんか?」
少し声が震えているが、腹話術士のような話し方は、もうやめたようだった。
「あ……、眼鏡なら拾ってあるわ」
「すみません」
「その前に傷の手当てをしましょう。メインの医務室は本館内にあって、旧医務室は今、ほとんど使われてないけど道具は揃ってるから」
「私はどうしてしまったのでしょうか……?」
サナギが胸の前でぎゅっと拳を握りしめる。
「一瞬だけでしたが、エール店長の手が白い蛇に見えました……あれは?」
「……あなたはエール店長の毒にやられたのよ」
あの殺意は完全に自分に向けられたもの。ニナは思い出すだけで背筋が凍った。
「毒?」
「エール店長は、自分では便利な力を持っている程度にしか考えてないわ。見た目は、なんら人間と変わらないし」
「エール店長は、実は人間じゃないというように聞こえますが……」
「自称五百十四歳」
腰を叩きながら、ギゾーが言った。
「それは本気で言ってるんですか?」
サナギが尋ねた。
「本当かどうかは、寿命の短い人間には分からないさ。ただ……五十年前に初めて会った時と、今も見た目は全く変わってない」
「え?」
「時が止まってるかのように、ずっとあのクソガキのまんま。まあ、ワシも大して変わってない……あ! 髪の毛が半分以上なくなっちゃった! てへぺろっ」
「……」
サナギはエールと初めて会った、雨の日の夜のことを思い出していた。
会員制トライアルダンジョン『シャトー☆シロ』の名物ロリ店長、しかしてその実態は……かすっただけで、あの世行きの毒をもつ蛇のモンスターだった。
「なにしろ、エール本人は自分のことを
--普通の人間、
だと思ってる。だから、サナギちゃんと違って特に隠そうともしてない」
ギゾーは何気なく、しかしはっきりと言った。
「そうなんですか……、驚きました」
「ごめんなさい、サナギ」
ニナが消毒薬や包帯を机の上に揃えて、サナギを見た。
「隠しておきたかったみたいだけど、ギゾーさんはシャトー☆シロで一番の物知りだから、ここに来てもらったの」
「かまいません」
声に力はないが、サナギはしっかりと顔を上げた。
「それと、何から話をすれば良いのかわかりませんが……エール店長が探してる〝鬼の金棒〟は、私が持っています」
ニナはサナギのエプロンドレスを脱がせ、黒のワンピースに手をかける。
「店長というか、デュークが探してるみたいだけどね……ギゾーさん、悪いんですが外に出て行ってもらえますか?」
「ええっ!? サナギちゃんをここまで運ぶのを手伝わせといて、もう用無しだって言うの!?」
「手伝ってないでしょ」
「だって、人を呼んでおいてサナギちゃんの身体に触っちゃいけないって言うんだもん。どうしろって言うのさ?」
「終わったら呼びますから、早く出て行って」
「いえ……、ギゾーさんもそのまま一緒に聞いておいてください」
サナギは、つとめて自然に言った。
「ほらね! ワシのことは気にしなくて良いから、ガバーッといっちゃって! ガバーッとさ!」
ニナは、目にも止まらぬ速さでガーターホルスターからデザートイーグルを抜き、銃口をギゾーに向ける。
「自分で目隠しして、後ろを向いてください」
「見え--なかったね。ああ、もちろん銃を抜くところがだよ!? やっぱり抜くのが早いねー、ニナちゃんは! ワシもヌいてもらおうかなー、なんつって! ガハハハ……! はい、目隠しして後ろ向きまーちゅ……」
ギゾーはしぶしぶと指示に従った。
「ニナさん、その銃は……? 他の皆さんも携帯してるんですか?」
サナギも驚いた様子だった。
「いや、私だけよ。私もシャトー☆シロにくる前は冒険者だったの」
ギゾーが壁を向いたまま補足する。
「銃使いだってさ! そして今や、数々のビジネススマイルを駆使するチーフコンシェルジュ! たいしたもんだよっ。 ニナちゃんはダンジョン経験も豊富だから、ワシもいろいろ教えてもらってる!」
ニナは、サナギの背中についたファスナーを開けた。
「最初はモンスターを扱う仕事だから、必要かなと思って銃を持ってたんだけど、全然そんなことなくて」
「そうなんですか?」
サナギは肩の力を抜いて、黒のワンピースを脱いだ。
「ダンジョン管理部に、ちゃんとパトロール班がいるから。そういうのは私たち接客部の仕事じゃない」
「はい」
「だから、今は趣味というか、やっぱり好きだから持ってるだけよ」
それから、身体中の汗を拭い、脇腹の傷口の汚れを落とした。
サナギの体内から流れ出た血は確かに青く、何というか、涼しげな青さだった。
「ニナさんは……どうして、冒険者をやめちゃったんですか?」
包帯を巻いてもらいながら、サナギは尋ねた。
「それは……」
ニナが言いよどんでいると、
「男女間の惚れた腫れたが原因で、その時のパーティーが解散しちゃったんだって! それで全部が嫌になったんだってさ! 学生バンドじゃあるまいし、ねえ!?」
ギゾーが、どさくさに紛れて振り向こうとした。銃口が頬に当たる。
「ああんっ!? 冷んやり、ちべたいっ!!」
ニナは銃の安全装置を外した。
「いいですか? 表にあるポールくん人形のように、ただ前を向いたまま黙って立っていてくださいね」
「はい」
ギゾーはコクコクと頷いた。
「次は本当に撃ちますから」
「……しぃましぇん」
ニナはサナギに向き直って、
「笑っちゃうでしょ? でも事実だから」
「いえ……」
サナギは首を振った。
「おそらく、サナギが冒険者をやめたのは、もっと大変な理由からなんでしょうね」
「……私のパーティーは理想郷に行って全滅しました」
「理想郷? 全滅……?」
サナギの身体が震え出すのが、ニナにもわかった。
「そうです。私も一度死んでいて、〝鬼の金棒〟を媒介に鬼として生き返ったんだと思います……」
サナギはうつむき、目からは大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。