第19話 トリガー その①
店長室の時計は、午後4時をまわったところだった。
デュークが白銀の騎士からクリア報酬を受け取った。微笑を浮かべて、応接用のソファに深々と腰を下ろしている。
エールは床に正座をして、その様子を横目でうかがっていた。
「プラチナムダンジョン挑戦補助券--。五枚集めるとプラチナムダンジョンに一回無料で挑戦できます、か。宝箱もがらくたばかりだったし、よくこれで人が集められるものだ……」
デュークは、ポイと補助券を捨てる。
「ダンジョン自体は、なかなか興味深いものだったが」
エールはデュークの足元にすがりつき、
「フェネ男!! お願いやからウチと一緒になってっ! なあ、フェネ男……五百年前には、一緒になってくれるて言うたやんか。アンタのことが好きすぎて、ほんまもうウチ、おかしくなりそうで……。なんとか忘れるために他の男に手を出してみたんやけど、あかん。な、ウチの悪いところは言うて? 全部直すし、なんでも言うこと聞くから……お願いやからっ、フェネ男!!」
まるでダダをこねる子供のように泣きわめいた。
「お前は、五百年前に私にしたことを忘れたのか?」
デュークは冷たい口調で言い放った。
「…………。だって、好きなんやもん」
エールは少し黙ってから答えた。その声は生暖かく、妙な湿り気を帯びていた。
「またもこうしてお前に出会うとは、何やら因縁めいたものを感じずにはいられないが……」
「フェネ男、ごめん! ほんまにごめん! お願いします、許してください、お願いします、許してください……」
エールは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともせず、デュークに抱きついた。
「その名前で呼ぶな。今はデュークだ」
デュークの顔には何の感情もあらわれない。
白銀の騎士がエールの首根っこを掴み、乱暴に引き離した。
「ぎゃっ!?」
エールは、背後にあったテーブルと激しく衝突した。
扉の向こう側で聞き耳をたてていたニナは、にわかに大きな物音がしたので、慌てて後ろへ下がった。
「そんなん言われても、わからへんよ……」
ぐずぐずと泣き続けるエール。
デュークは、すうっと立ち上がり、唐突に店長室の扉を開け放った。
「っ!?」
ニナとデュークの目が合う。
「私に何か用ですか?」
デュークは、以前会った時と変わらぬスマートな口調で尋ねた。
(いや、ここは店長室でしょうが。どうして自分に用だとわかる……?)
ニナは疑問を感じながらも、
「あ、あの……デューク様、お邪魔して申し訳ございません。エール店長との用件が終わってからで結構ですので」
「話なら終わりました。エール店長にも〝鬼の金棒〟の所在を知らないか聞いていたんです」
「やはり知りませんでしたか?」
「ええ。シャトー☆シロにあることは確かなんですが……、どうしてもその先が私にも見えないんです」
「はあ……」
やることなすことつかみどころがない。
そんな困惑するニナを知ってか知らずか、
「立ち話もなんですから、中へどうぞ」
デュークは、優雅にニナの腰に手を当てた。
「いえ、ここで結構です」
ニナはサナギを横目で制し、扉を開け放ったまま一歩だけ中へと入った。
相変わらず無機質な三人の白銀の騎士。そして、床の上で泣き崩れるエールを見て、言いようのない不安に苛まれる。
「もう一人の方は良いんですか?」
と、デュークが言った。
ニナの笑顔が一瞬消える。
デュークの位置からは、ニナの身体が陰となって、サナギの姿は絶対に見えていないはずなのに……。
「大丈夫です。用件はすぐに終わりますので」
「何でしょう?」
デュークは、まるでこれから世間話をするかのような気軽さで言う。今しがた、プラチナムダンジョンの惨状を作り出したばかりとは思えないほど緊迫感がない。
「先ほどクリアされた、プラチナムダンジョンの件でございます」
「ええ、はい」
デュークは穏やかに笑った。
「お客様にご満足いただけるようなダンジョンをご用意できなかったことはお詫びいたします」
「とんでもない」
「……ですが、既に勝敗の決したモンスター、戦意を失ってしまったモンスターに対しての過剰な攻撃、さらには設置されたトラップなどを無闇に破壊する行為を当店では--」
「禁止されているんですか? そのような説明は受けてませんが」
デュークはニナの言葉を待たずに口を開いた。
「いえ、禁止はされておりませんが、次回からの営業に支障をきたす場合がございますので、ご理解いただけますようお願いいたします」
ニナは白銀の騎士達にも顔を向ける。そして、毅然とした態度のまま、深々と頭を下げた。
「フフッ……なるほど。造られたダンジョンには、暗黙のルールがあると」
「その通りでございます」
ニナはデュークを少し睨みつけた。
「興味深いですね。外では冒険者と呼ばれる人間たちはそんなことお構いなしですよ。次々に他人の城や洞窟に入り込んで好き勝手にしている」
「……」
ニナは何か言い返そうとしたが、黙ってしまう。デュークは落ち着き払った態度のままだ。
「あと、やり過ぎてしまったのには理由がありまして」
「理由?」
「あのモンスター達は本当はもっと強いはずなんです。飼い慣らされてしまった弊害でしょうか?」
話をすり替えようとしているのか。この男の本質的な部分が見えない。
ただ、完全に見下されていることだけは分かる。
「どうでしょう……、そのようなご意見を聞くのは初めてなので」
「信じてませんね?」
デュークは甘えるように体をのけぞらせた。
「……とにかく、先ほど私が申し上げたことを守っていただけないようでしたら、恐れ入りますが、今後のご利用は控えていただかなくてはなりません」
「わかりました」
デュークは、あっさりと答えた。
「…………」
ニナは反応に困る。
エールは胸元の真紅の羽根を撫でながら、すすり泣き続けている。ニナの方を少しも見ようとはしなかった。