悪役令嬢が芋臭すぎて話にならない
「リズ・ローランド公爵令嬢!」
場所はルーディッヒ王国、王立高等学園の敷地内にある講堂。
二年次の課程を修め終え、終業式後に行われている進級祝いのパーティーにて。
同国の王太子であるアラン・ルーディッヒが壇上から声を張り上げた。
アランの発声を受け、騒がしいほどであった会場のざわめきはすぐに収まる。
そうして、誰もが壇上に立つ彼へと目を向けた。
照明の光に照らされたアランの立ち姿は、荘厳さすらをも感じさせるほどに美しい。
きらきらと輝く金色の髪、宝石を思わせる深い青で彩られた瞳、非の打ちどころなく整った顔立ち。
かつて誰かが言った、「現世に降臨した天使」の言葉に勝るとも劣らない容姿は、万人をして彼こそが本物の王子様であると認めさせるものだ。
「私は、君との婚約破棄を検討することを視野に入れてしまう心構えになりつつあるのかもしれないことを、ここに宣言する!」
経つことほんの数秒。
しんと静まっていた会場はにわかに騒がしくなり始め、先ほどまでのざわめきを取り戻した。
アランへと向けられていた視線もほぼ散っている。
いわゆる無視である。
「こ、婚約破棄、ですか……?」
唯一、アランに向き合っている少女が震える声を発した。
胸の前できゅっと両手を握り締め、小さく一歩と後ずさる小柄な彼女の名はリズ・ローランド。
たったいま、婚約破棄を匂わせる不明瞭な宣言をなされた婚約者その人であり、悪役令嬢という陰の異名をもつ公爵令嬢なのであった。
美しいアランの立ち姿に反し、リズは見るからに芋臭い見た目をしている。
照明の光に照らされてなお暗い茶色の髪、掘り起こした土を思わせる濃茶で彩られた瞳、非の打ちどころばかりの整っていない顔立ち。
まずぱっと見で抱く印象は、まさしく芋臭いの一言に尽きるだろう。
次に、顔面を注視してみても、拭いきれない芋臭さを感じ取ることができるはずだ。
眉尻の下がった眉毛は太く短い、まろ眉。
目蓋が少し腫れぼったい目は丸みを帯びた、奥二重の目。
鼻筋の低い潰れたような、団子鼻。
それらでなされたリズの丸顔は、とてもではないが小顔とは言いづらく、五頭身の体型を作り出してしまっている。
つまるところ、「辺境のど田舎で暮らす農民の娘」という形容が、リズの容姿を表すにもっとも相応しいといえよう。
かつて彼女の姿を目にするなり、開口一番にそう言ってのけたものがいるくらいだ。
お世辞でも美しいとは言いがたく、万人をして見るからに農民の娘だと思わせると言ってもなんら過言ではない。
「いや、婚約破棄をするつもりはない。これっぽっちどころか、まったくもって微塵もない」
「そう、なのですか……?」
「ああ、神に誓って絶対にない。たとえ神がいなくても絶対にない。むしろ神の有無は関係なしにしても絶対にない」
「よかったぁ……」
心の底から安堵し、強張らせていた顔を綻ばせるリズ。
反対にアランはいまだ険しい顔つきをしたままである。
「だがしかし! 私は、君との婚約破棄を検討することを視野に入れてしまう心構えになりつつあるのかもしれないことを危惧していることを、ここに宣言せずにはいられないのだ!」
「そ、そんな……!」
先以上に声を張り上げ、さらに不明瞭になった宣言をしてみせるアラン。
その発言内容から、アランに劣等感を抱いているがゆえに「婚約破棄」の部分のみを拾わずにいられないリズは、またしても後ずさってしまう。
両者の間には、息を詰まらせるほどの並々ならぬ緊張感が生まれている。
特にアランは必死そのものだ。
今現在、彼の目に映るのはリズだけ。
来賓席で頭を抱えている国王や、卒倒して侍従に抱えられて退出していく王妃の姿は、これっぽっちも映っていなかった。
「リズ! 私は、君との婚約破棄を検討することを視野に入れてしまう心構えになりつつあるのかもしれないことを危惧していることを、ここに宣言しているのだ!」
都合三度目。
はたして三度も宣言する必要があるのか。
いい加減にしつこく感じられる宣言である。
その美しい顔を興奮のあまり上気させたアランは、芋臭い顔を不安のあまり青褪めさせたリズを、真剣な眼差しでもって見つめていた。
周りにとっては無視してしかるべき茶番であっても、当人たちにとってはそのかぎりではない。
もっとも、まず第一に婚約破棄をするつもりはない。
次に婚約破棄を検討する気もない。
むしろまだ視野にすら入れていない。
それどころか心構えですらもいまだ整ってはいないときている。
もはやなにを危惧しているのか、本人であるアラン以外には到底理解不能であろう。
そもそもの話、こうして公の場で宣言する必要があるのか、根本的な疑問すらも沸いてしまう。
それでもだ。
アランにとっては重大にして最大の問題なのである。
たとえパーティーを台無しにしてしまおうとも、いまこの場で宣言せずにはいられないまでに、アランは沸きあがる気持ちを抑えられないでいる状態にあった。
「や、やはり、私ごときがアラン様の婚約者であるのが――」
「待ってくれ。それはない。大丈夫、断じてそれはない。私の婚約者はリズ、君だけだ」
「で、では、どうして……?」
目尻に涙を浮かべつつ、なけなしの勇気を振り絞って前に踏み出すリズ。
そのいじらしく健気な姿は、アランの胸をこれでもかとときめかせる。
気を抜けば喉もとから大量に飛び出てしまいそうな「好き」やら「愛している」やらの愛の言葉を、アランは懸命に飲みこんだ。
「う、うむ。思うにだが、婚約者である私たちの大切な逢瀬が週に一度の半日というのは、さすがにいささか少なすぎるのではないかと思うのだ」
さすがになのか、いささかなのか。
どちらにせよ、アランにとってリズとの逢瀬が週に一度の半日なのは少なく感じられてならないらしい。
身も蓋もなく言い換えてしまえば、「もっと会いたい」といったところだろうか。
どうも物足りないようだ。
アランもリズもお互い学生の身であるため、一週間のうち月・火・水・木・金の五日は、基本的に学園の課程で埋められている。
残る土・日について、現状、土曜日の午前中のみ二人は逢瀬を重ねていた。
ただし逢瀬とはいっても、密室で二人きりで過ごすというような濃密な時間ではなく、庭でお茶をしながら語らう程度の微笑ましいものだ。
肉体関係のにの字もない、至極健全な清いお付き合いである。
なお土曜の午後および日曜日については、両者ともに職務や勉学に忙しいため、遊んでいる暇はない。
「リズ。君は日曜日、農業の研究をしているのだったな?」
「は、はい。お恥ずかしい話ではありますが……」
リズの声は尻すぼみに小さくなっていく。
農業の研究といえば聞こえはいいが、実際にリズがやっているのはただの畑仕事だからである。
それこそ手を泥で汚し、頬を土埃にまみれさせるような。
まさしく平民である農民がするような畑仕事であり、公爵令嬢ともあろうものがするような真似ではなかった。
だが一応、リズの畑仕事は公認されている事柄である。
自領の農業を発展させるという名目のもと、父親であるローランド公爵から許可を得て従事しているのだ。
身分の低い農民たちとの交流も、彼らと肩を並べて畑仕事に汗を流していることも、一応は職務の一環なのであった。
ともあれ、それが王太子の婚約者として相応しい振る舞いであるかは、やはり疑問が残るところであろう。
ゆえにリズは、アランから責め苦を浴びせられるのではないかと怯え、小さい体をさらに縮こまらせていた。
「私にも手伝わせてくれないか?」
「――えっ……?」
にわかには信じられない言葉。
一瞬、びくっと体を震わせていたリズが恐る恐る顔を上げてみると、そこには柔らかく微笑んでいるアランの姿があった。
「恥ずかしい話だなんて、どうか自分を卑下しないでくれ。ほかの誰がなんて言おうと、自領のために身を粉にして尽くす君を私は心から誇らしく思っているのだから。そして私はそんな君を手伝って支え、ずっと寄り添っていきたいとも思っている」
「アラン様……」
アランが壇上から下り、リズのもとへ歩み寄って彼女の前に立つ。
そうして、周囲とは隔絶されたような空間のなか、二人は見つめあう。
まず大前提として、アランはリズと過ごす時間を増やしたかった。
では次に、どうすれば一緒に過ごせる時間を増やせられるかだが、それはリズの畑仕事を手伝えば解決する問題である。
ただし手伝うといっても、農作業に関して素人のままでは手伝うに手伝えられないし、手伝いにかこつけてリズにいい格好を見せることもできない。
だからアランは、国のあちこちから畑仕事の達人を集めてこそこそ実技を習い、ようやく彼らからお墨付きをもらえた今日、こうしてリズに手伝いを申し出たのであった。
なお、アランは誰かがリズを貶めているようなことを口走ったが、彼女を悪く言うようなものは国内に一人としていない。
なにせ才色兼備にして一騎当千を地でいく、無敵の超人である王太子から一身に寵愛を受けている婚約者なのだ。
仮に陰口を叩きでもし、それがもし露見したら一体どうなってしまうことやら。
あまりの溺愛っぷりに恐れおののき、誰もなにも言えないでいるのが現状である。
それゆえ、いもしない架空の他人下げでもって自分上げをするような姑息な手口もし放題であり、目ざとく指摘するようなものもいない。
ちなみに、悪役令嬢というリズの陰の異名について。
その名づけ親は、入学早々に留学を決めた平民の特待生にして、日本生まれの転生者である少女だ。
攻略対象である王太子と、恋敵である悪役令嬢の容姿や性格がランダムで形成される乙女ゲームが現実化した世界にて。
恋愛ゲーム脳を変にこじらせたヒロインの少女はリズを見るや否や、「悪役令嬢が芋臭すぎて話にならない」と言い捨て、まだ見ぬ好敵手を求めて隣国へと旅立ってしまっている。
「リズ」
「はい」
アランがリズの肩にそっと手を置く。
そうして、身長差から見上げてくる格好のリズから顔を背け、目を閉じて一呼吸。
一拍間を置き、頬を朱色に染めつつ、改めてリズを見つめなおして口を開こうとする。
「す、すす、すっ――」
「す……?」
「す、素敵な農作物をいっぱい実らせような!」
「はいっ!」
王太子は別の意味で芋臭すぎて話にならない。
それは皆が思うところであった。
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