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裏話その2:ビタースウィート・コンチェルトグロッソ

  僕はどんな状況下においても動揺しないように訓練してきた。

  けど正直、自分の目の前の状況に動揺を隠せないでいる自分がいる。

 ――原因が昨晩にある事を、この時の僕には知る由もなかった。




「夕凪。コーヒー淹れたよ」

「ああ、ありがとうせしら」

 夕凪はそう言って読んでいた書類を机に置いて椅子から立ち上がり、笑顔で私の出したコーヒーを受け取る。

 飲む前に香りを一嗅ぎしてから、夕凪はコーヒーをすすった。

 深夜午前一時。ここは夕凪の家。

――そしてせしら…私の名前は永久村 せしら (とわむら せしら)。

怪盗を捕まえるのが主に仕事の探偵局に所属している探偵だ。歳は…せしらは昔の記憶が曖昧なためかはっきりとした歳は覚えてない。

だけどせしらは今、夕凪…埋柄 夕凪 (うえ ゆうなぎ)という男の人の元で暮らしてる。孤児だったせしらは、夕凪に拾われて夕凪の恩師である永久村の家の養子になった後も夕凪の家で暮らす事になったのだ。

…でもそれだけでいい。

昔がどんなであってもせしらは今、夕凪と一緒に暮らしてここに居る。

それ以上の境遇なんて考えられないもの。

…訂正、正直それ以上考える事は出来る。

夕凪と結婚するとか。

――正直に言えば、せしらは夕凪が好き。

ただそれが男女間の恋心か、家族に抱く好意なのかはまだよくわからない。

そもそも恋なんて経験ないし。

「せしら?どうしたの、ぼーっとして」

「りゅにゅ?…ううん、なんでもないの…」

 夕凪に突然話しかけられ、せしらはどきっとしてしまう。

「…?あ、もしかしてまた、昔の事無理に思い出そうとしてる?」

「りゅにゅ!?」

「それとも自然に思い出したとか?」

 せしらはぶんぶんと首を振る。

 ちなみにこの『りゅにゅ』という口癖は『流入』という単語から来ている。

 密売組織などの事件がらみで覚えようとした単語がいつのまにか口癖になったのだ。

「そっか。何度も言うけどさ、せしら」

 そう言うと、夕凪はせしらの頭をなでなでしてくれる。

「せしらがどんな過去を持っていようが僕だけは絶対せしらの味方だから。敵ばっかりになろうが味方である僕が守る」

 ――また、いつもの『殺し文句』。

 昔の事をせしらが考えていると、それに気付いた夕凪が必ずかけてくれる言葉。

「…うん。夕凪がそう言うなら信じる」

 人の意思は一度聞けばわかるだろう、と思われるかもしれない。

 でも夕凪は気付いた時必ず毎回言ってくれる。

 それがせしらにとってどんなに嬉しい事か、どんなに心の支えとなっているのか…夕凪はどれくらいわかっているだろ?

「よしよし。…じゃ僕はそろそろ寝るよ。この書類整理も急ぎの用事じゃないしね」

「せしらは書類以外の整理やる。夕凪、おやすみなさい」

「じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。ありがとう、せしら。おやすみ」

 夕凪は仕事部屋を後にし、寝室に向かった。

 それからせしらは書類以外の整理をする。主に夕凪の鞄や所持品をまとめて、食べ物の残りなどはラップをかけて冷蔵庫へ。

 その作業を数分繰り返していたら妙な本を見つけた。

 夕凪はたまに休憩時間中、コンビニなどで雑誌などを買ったりする事がある。

 だから仕事とは関係ない本が鞄にあってもおかしくはないけど…せしらの知ってる限りでは夕凪が読むのはニュースなどが載っている週刊誌か、パソコンに関する本か、毎週読んでる漫画雑誌くらいのもの。

 でも今見つけた本はそれとは違ってた。

 タイトルには『た・べ・ゴ・ロ・❤』とある。

 帯紙には、

 

『超絶大人気!ちょっとHな寸止めラブコメディ、満を持して三巻目登場!

今冬OVA化も決定!』


 などと書いてある。OVA?どこの組織名だろ?

 本の中身を見てみる。

 なんかどのページ開いても大体主人公らしき女の人がHっぽい目に合ってる…。

 でも顔に牛乳がこぼれるシーンをやたら大きく書いてあるけどこれって本当にHなの?

 よくわからないまま、本を閉じる。そして考え込む。

 …夕凪はこういうのを見て喜ぶのかな?

 こういうHな事に興味というか、知ってみたくなる事もある。

 でも夕凪はHな女はあんまり好きじゃないと思っていたので、テレビでそういうシーンをうっかり見てしまった時とかは思わず目を逸らしてきた。

 せしらは記憶が曖昧なせいもあって、昔に学んだであろう歳相応の性知識も少ししか覚えていない。日々の生活に困らない程度ぐらいしか。

 だから同世代の人よりこういう事に疎いのも自覚してる。

 それは今まで夕凪に嫌われまいと必死にHな事を知るのを拒否していたからだけど。

 でも。まさか夕凪が…夕凪が…

 こ…こういう事に興味があったなんて…じゃあ、せしらは…今まで…何を…

 せしらはある事を決意した。

 

 

 

 ここは探偵局都内某所支部。午後二時十五分。

 呼び出しがかかった四人の探偵局S級ライセンス取得探偵が会議を終え、会議室から出てきた時だ。

「そよぎ、ライブ」

「あら、永久村さん」

「あ、せしらちゃんだ。今日は埋柄さんは一緒じゃないの?」

 そう言ってせしらに話しかけられたS級ライセンス取得探偵の四人の内の二人はいつも同伴している夕凪がいない事に気付いた。

 日本にたった八人しかいない内の二人のS級ライセンス探偵、そよぎとライブ。

ほぼ同時期にS級ライセンスを取ったから仲が良いのか、そよぎとライブは探偵の仕事以外では一緒にいる事が多い。

 そよぎは元々夕凪の教え子だったためせしらとも知り合いだった。

 せしらとライブはそよぎを通して知り合ったが結構気が合うのでせしらがライブに料理を教えてもらったりしている。

 その二人が今日ここに来るという情報があったので、せしらは二人と話すために来た。

「りゅにゅ、今はせしらだけ。夕凪は今、事務処理中」

「せしらちゃんは終わったの?事務仕事」

「りゅにゅ」

 せしらはこくんと頷く。

「…相変わらず、埋柄さんはそういうの苦手なのね」

「りゅにゅう…うんと、今日はせしら、二人に聞きたい事があって来た」

「何かしら?」

「私達に?」

 そよぎとライブは一度互いの顔を見合わせ、せしらに視線を向け直す。


「…『キス』って本当に甘酸っぱいの?」


「えっと………。」

「…………。」

 せしらのその言葉にライブは少し悩んだ様子で、何を言うべきか迷っている。

 そよぎは顔を紅潮させながら呆然としていた。

「えっとね…多分だけど“恋愛は甘酸っぱい”っていう言葉をよく聞くじゃない?」

 ライブは語り出す。その横で、そよぎはまだ惚けていた。

「甘いだけじゃなくて恋愛には酸っぱいような経験もあるって意味なんだろうけど…」

 ライブが話す横でそよぎは煙が耳から出てきそうなくらい頭を抱えて悩む。

「だから、それをかけて、キスとかが甘酸っぱい味がするなんて言われるようになったんじゃないかな?」

「…なるほど…」

 せしらはうんうんと頷く。

 そよぎはそのせしらの様子に気付き、この手の話は終わったのだろうと思ったのかハッと我に返る。

 そこへ、それぞれの好みのジュース缶を片手に、話しながら近づいてくる四人組が来た。

 長髪で、ジーパンに少し厚めの上着を着た、シンプルな格好をしている男性が持っているのは炭酸飲料。

 長い髪を横で縛り、スラッとした体型を肩出しタートルネックとミニスカート、オーバーニーソックスのファッションで前面に押し出している女性はスポーツ飲料を持っている。

 同じく長い髪を横で縛ったもう一人の女性はスポーツ飲料を飲んでいる女性とは雰囲気が違い、とても物腰が柔らかに見える。その女性は少しフリルのついた服にロングスカートといった可愛らしい格好で手にはオレンジジュースがあった。

 残る一人の少女は、せしらの元々の知り合いのオリヴィアニア、通称オリーヴ。他の三人に比べ年は恐らく下。髪型は金髪のボブカット、少し髪を左右に縛り上げている。オリーヴは他の三人の話を物珍しそうに聞き入っていた。

 その四人はライブとそよぎを見つけると歩み寄ってくる。

 最初に話しかけてきたのはスポーツ飲料をもった女性。

「あれ、君ライブさんとそよぎさんの知り合いかにゃ?アタシは庭苗 アルマ。よろしくー」

「りゅにゅ。せしらは、永久村 せしら」

「『りゅにゅ』?おぉ、可愛いなー、せしらたん。よーし、なでこなでこ~」

 そう言ってアルマはせしらの頭をやんわりと撫でる。

 そうしていると、オレンジジュースを持っている女性が、むすっとした様子でせしらとアルマを見つめ、右手の指にはめているメリケンサックを左手の人指し指で『いじいじ』といった感じでいじっている。

 それに気付いたアルマは、せしらの頭を撫でるのを止め、むすっとした人に向き直ってその人の頭を撫で始めた。

「ほら、アルムも。なでこなでこ~」

 アルムと呼ばれた女性は、アルマになでなでされて恍惚としている。

 ――ふと、思いつく。

 せしらはキスがレモンの味とかっていうのが比喩表現なのはなんとなくわかったけど経験した人がいるのならその人の感想を聞いてみたくなった。

 そう思ったせしらはまずアルマに聞く事にした。

「アルマはキスした事あるの?」

 その言葉を聞いたアルマはせしらを見る。そして一言。


「ないよー」


 あっさり一言。だけどその言葉にアルムは鋭く反応して、いきなり『くわっ』としたような険しい表情になる。

「いーえ、お姉様はわたくしと毎日キスしてるじゃありませんの!?」

 その台詞でせしらはいきなり突風が目の前から吹いてきたような衝撃を受けた。

 (…女の人同士で?!それっていいの!?)

 詳しい話を聞こうとせしらはアルマに視線を集中させる。

 だが当のアルマは必死に思い出そうとしているが、結局心当たりはない様子だ。

 そこへオリーヴが話しかける。

「あの…アルマさん、キスはキスでも『間接キス』ならオリーヴにも心当たりがあるんですが」

「………あぁ、なるほどー。さっすがオリーヴたん!!あったまいいー」

 そう言って今度はオリーヴの頭を撫で始めたアルマ。

 アルムはがっくりと肩を落としうなだれ、参ったというような感じだ。

 後から聞いた事だけどアルムはアルマの使ったコップなどを事あるごとに使い、間接キスをしていたようなのだ。

 アルマとアルムの事はわかった。次は…

「…オリーヴは?キスとか」

「え?」

 アルマに頭を撫でられているオリーヴは一瞬驚いたけど、平静な様子で口を開いた。

「オリーヴはまだ子供ですし、そういう事はちょっと…すみません、お役に立てなくて」

 ――オリーヴは極めて冷静だ。

 なんとなく思っていたけど、もしかしたらこのメンバーの中で一番落ち着いているのはこの子なのかも。

「…じゃあ、あなたは?」

 せしらは話に参加するのが気まずいと感じたためか一歩引いて話を聞いていた炭酸飲料を持っている男の人に話しかける。

「俺!?いや…俺は…まあ小さい頃にふざけて妹としたぐらいしか…」

 ――この台詞に聞いていた人全員が凍りつく。

 (女の人同士の次は兄妹同士!?)

 せしらは台風のような衝撃を受けた。

「あ…いや、子供の時だよ?!悪ふざけ!もちろん本気なわけないし、感触なんて覚えてもいないって!」

 男の人は慌てて自分の発言による誤解を解こうとするが…なんとなく周りの疑惑の視線が向けられるような雰囲気になった。

 男の人はだらだらと冷や汗を滝のように流している。

 あと聞いてない人は…。

「ライブとそよぎは?」

 せしらがそう聞いた瞬間。

 そよぎとライブはほぼ同時に反応した。


「…私!?あるわけないわっ、そんな事!大体私には…」


「私もないな。そういう事って本気で好きな人とじゃないと嫌だから…って、そーちゃん?」


 二人がほぼ同時に返事をしたため、ライブはそよぎの話をよく聞き取れていなかったようだ。

 ライブはそよぎの発言に何か違和感を覚えたみたい。

「『私には』…ってまさか、そーちゃん…」

 ライブは心底驚いた様子だ。

 訂正。どうやら聞き取れなかったんじゃなく、全てちゃんと聞いていたみたいだ。(すごい聴力だ…。)

「え、な、何、ライブ!?あれ、今、私…」

 そよぎも自分の発言に混乱している。

「えっと…そーちゃん今、特定の好きな人がいるように聞こえて…その」

 ライブは顔を赤らめながらしどろもどろで言う。

「え!?え、あ、………その………そういうんじゃなくて………あ…違う、…じゃなくて………え…えっと…」

 そよぎも顔を赤らめ、かなり慌てている。

「…そーちゃん…?」

「えっと…そう!私は皆の事好きよ、ライブもオリーヴも、皆!…好きだよ、ライブ?」

 そこまで言うとそよぎは顔を下に向け、黙ってしまった。

「………あ、あ、あはは…そうだね、私も皆好きだよ。………そーちゃんて美人さんだから私、なんかはやまっちゃった…かな」

 そこまで言った所で、今度はライブが黙ってしまった。

 …端から聞くと全く意味が分からないけど…

 何故か、ライブとそよぎの二人の間では会話が成立したようだ。

 これも後から(略)

「あ…ところでせしらちゃん」

 顔を赤らめながら、ライブはせしらに今の空気に耐えられなくなったかのように話しかけてきた。

「なんで急にキスの事とか気になったのか、聞いてもいいかな?」

「…せしら、昨日夕凪の荷物整理してた」

「埋柄さんの?」

「りゅにゅ。それで、見つけたの。『た・べ・ゴ・ロ・❤』って本。それに書いてあった。キスは甘酸っぱいって」

「あ…それ…」

「凝人さん?知ってるんですか?」

 それに反応したのは炭酸飲料を持った男の人。

 どうやらコルトという名前らしい。

 凝人は言葉を続ける。

「いや、今友達の間で話題にちらほら出て来るんだよ。アニメになるだのなんのって」

「…凝人様はそういうのがお好きなんですのね」

「アルムちゃん!?」

 オレンジジュースを持った女の人はアルムという名前のようだ。

 アルムは凝人に納得した様子で話しかける。

「いや、それは友達が…」

「ま、男の人はそのぐらい当然だという事かにゃ」

「アルマちゃんまで!?」

 今度はアルマからの言葉の一撃。

「…男の人には立派な所が沢山あると思います!」

 …オリーヴに悪気はないのはなんとなく分かる。

 けどそれが凝人にとってとどめであったようだ。


「俺、忘れ物があるの思い出した!取ってくる!」


 凝人は逃げ出した。

 かすかに涙目だった気がするのは気のせい?

 …走り去っていく凝人の背中が哀愁に満ちているのも気のせい?

 それからしばらくして、ライブが話し出した。

「…アルムちゃん、ちょっと凝人さんをいじめ過ぎじゃない?」

「そうですの?まぁ性急なのが男の人では当然のように思いますの。だから凝人様自身が恥ずかしがっていてはいけないと思いますの」

「え?なんでコルトたんは逃げたのかにゃ?」

「…私、あとで凝人さんにお菓子とか作って差し入れたいと思います!」

 アルマとオリーヴは言った。

 その言葉がどういう意味を持つのかは判らないが、何となく哀愁漂う雰囲気を感じた…。




 家に帰って、昨日出てきた『た・べ・ゴ・ロ・❤』の本をもう一度、ぱらぱらとめくってみる。

 (…夕凪…)

「せしら、何やってるの?」

「りゅにゅう!?」

 突然、後ろから話しかけられた。

 驚いて後ろを向くと、きょとんとした様子の夕凪がいた。

 せしらが家に帰ってきた後、すぐに事務処理の後の新人研修から帰ってきたらしい。

「…この本、せしらが買ったんじゃない」

 とっさにせしらが言った言葉。せしら自身にもよくわからない発言だ。

 なんで今の台詞を言ってしまったんだろうか?

 そんなのわかりきっている事なのに。

「は?…ああ、いや、わかってる」

 夕凪はやれやれと言った感じだ。

 思わず、せしらは勢い余って自分のスカートの両端を掴んだ。

 そして思いっきり上にめくる。




 僕はどんな状況下においても動揺しないように訓練してきた。

 けど正直、自分の目の前の状況に動揺を隠せないでいる自分がいる。

 今目の前にある光景。

 せしらが顔を真っ赤にしながら目をきつくつむって、震えながら自分で自分のスカートをめくり、中の下着を僕に見せ付けている。

 白い生地の中央にクマのイラストが描いてあるまんがパンツが、晒されている。

僕は埋柄 夕凪。 

 探偵局A級ライセンス取得探偵で…って、今はそんな事は置いとく!

「…せ…せしら…」

「…夕凪…」

「ストトォォォォォッッッッッップ!!!!」

 僕は思わず叫んでいた。

 近隣住民が迷惑するぐらいの大声で。

「りゅにゅ…」

 せしらはそれに驚き、へなへなとその場に座り込んだ。

「りゅにゅう…夕凪、なんでストップなの…?」

「そ、そりゃそうでしょ!?いやさ…そうだ、せしら!その本貸して!」

 そう言うと僕はせしらが掴んでいた本を手に取ってみる。

 (…つまり、この本に影響を受けたって事か)

 僕はため息を一つついた。

 でも、なんとなくわかってきた。

 自覚はしていたんだ。僕がせしらを子供扱いしてしまっていた事。

 だからその反発で、思わずせしらはこういう事に憧れてしまったのだろう。

 とすると、やはり原因は僕だ。

 (これからはそういう所にも気を使ってあげなきゃな…)

「夕凪?」

「あー、せしら。とにかくごめん。君を子供扱いするつもりなんてさらさらなかったんだ」

「りゅにゅ?」

「僕は君を守りたいって思ってる。それは今も変わらないけど、どうやら君に対して過保護になっていたようだ。だからごめん。その…せしらがそういう事に興味があるのは一向に構わないんだけど、いきなりは良くない。だからそういう事も僕がこれからゆっくりと教えてだね…」

「…りゅにゅ?夕凪、こういうの好きじゃないの?」

「え?僕は…」

「だって夕凪の荷物の中にあったからせしらはてっきり夕凪はこういうの好きだと思って」

「あ。あー、そういう事か」

 僕はようやく理解した。

どうやらその本が僕の趣味の本に思えて、それで優しいせしらは家族のような愛情のつもりで僕にあんな事をしたってことか。

「それ実を言うと僕のじゃなくて、新人が仕事場に持ち込んできたから没収したものなんだよね。取り上げてから一週間後、つまり今から六日後に返す予定だったんだ」

 その僕の言葉を聞くと、せしらは呆然としていたが…

 突然、近くにあったクッションを頭に被せ、その場にまるまった。

 せしらが恥ずかしくなるとよくする動作だ。

「…なんかせしらに誤解与えちゃったみたい…だね。ごめんよ、今日はせしらの好きなハンバーグ作るからさ、機嫌直してよ」

 僕はせしらの頭をクッションの上から撫でる。

 しばらくそうしていると、せしらが顔を上げた。

「…ほんと?ハンバーグ…」

「ほんとさ。だから、ちょっと待ってて。今作るから」

 せしらはこくんと無言で頷いた。

 ――僕はある事情からせしらを預かった。そしてそれから、せしらを守っていこうと誓った。

 せしらの事情を知っているからなのか、それともせしらに男女間の恋心を抱いているからかなのか、家族に抱く好意をせしらに向けているからなのか、理由ははっきりわからない。

 この年になっていまだに恋の経験がないからかもしれない。

 でもいつかは必ず答えを出す。

 でも今は。

 今だけはただ、せしらと一緒に居られる事が嬉しいから。

 僕はそう思いながら、さっそく夕飯の準備にとりかかった。


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