第13話 ジェンナ、初仕事をする。
アルフレッドがジェンナを連れて行ったのは、町を囲む塀の外。
そこにあるもう一つの町、アウター地区だった。
このアンダーステイの町は、あまりに早い成長に町の拡張が未だ追いついていない。
そのせいで、世界各地から集まる人々を受け入れられる場所が壁の中だけでは足りなくなってしまった。
所詮は少し前までは辺境の寒村だった土地である。
そこでアンダーステイのある地方を治める領主は壁の設置より先に人々が住める住居などを先んじて作る事にした。
そうして出来た町の外のもう一つの町がこのアウター地区である。
「いつきてもアウターって面白いところだよね」
「ある意味町の中より自由じゃからのう」
すでに日が暮れかかっているというのに、アウターの雑多な路地には人通りがかなりあり、活気を感じる。
アウターは野良魔獣から守るための壁の外に出来た場所なのだが、魔獣が主に出没するアンダーステイダンジョンのある森は町を挟んだ反対側なため、魔獣が襲ってくる心配もないからだろうか。
それでももしダンジョンスタンピードが起こればひとたまりもないのだが。
ダンジョンスタンピード。
それはダンジョンの中の魔素が飽和するほど溜まった時に起こる魔物たちの暴走の事である。
詳しい理由は未だ研究中ではあるのだが。
ダンジョンの中は常に高濃度の魔素が発生している。
そのせいでダンジョンの中では魔物が生まれたり、資源となる鉱石が生み出されるのだが。
通常冒険者や探掘家がダンジョンに潜り魔物を倒し、資源を採取する。
それによってダンジョン内の魔素濃度が一定レベルから上がらなくなっている。
だが、誰もそのダンジョンに潜る事がなければ、魔素濃度が増し、ダンジョンの中は魔物だらけになってしまう。
やがてそのダンジョンの中に収まりきらなくなった魔物たちは一斉にダンジョンの外に飛び出してくる。
それがダンジョンスタンピードと呼ばれる現象だ。
それが起こると国が軍を出して対処するしかなくなり、収まるまでダンジョン周辺に多大な被害を及ぼす事になる。
ダンジョンの近くの町に防護壁が設置されるのは、万が一ダンジョンスタンピードが起こった場合に軍が到着するまで持ちこたえるためである。
「ここのダンジョンは冒険者たちがガンガン通っとるからスタンピードを起こす事はないじゃろうし、誰も心配なんぞしとらんよ」
「だよね。でもみんなよくもまぁあんな怖い穴蔵に行こうなんて思うよね」
「普通、冒険者名乗るモンは殆どダンジョンでの一攫千金を狙うモンなんじゃがのう。お主がおかしいんじゃ」
「おかしくなんかないよ。だって私、ローゴブしか倒せないか弱い女の子なんだもん」
「レベル99の癖に、か弱いじゃと?」
「だってそんなのさっきまで全然知らなかったんだから仕方ないじゃん」
ジェンナは少しブータレながら自分の袖をまくって「それに」と、自分の腕をアルフレッドに見せつける。
「ほら、こんな細腕なんだよ? それに爺ちゃんにさっきから引っ張られてる間、けっこう抵抗しても無駄だったしさ」
「うむ、たしかに強そうには一切見えんな。お主本当にレベル99の実力があるのか不安になるのう」
「やっぱりあの魔道具が壊れてたんだよ」
「それはないはずなんじゃが。アレはその者の総合力から評価する仕組みらしいからのう。お主のあのスキルがとんでもないという事なのかもしれんな」
「うーん、あのスキル使ってる間の記憶がないから私にはよくわかんないけど、本当に爺ちゃんにも勝ったの?」
「うむ、それもかなり手加減されておった」
「ほんとに? それが信じられないんだよね」
「ものは試しじゃて」
アルフレッドはそう言いながら周りを見回すと。
「おったおった」
何かを見つけたのか、ジェンナの細腕を引っ張ってアウターの人混みを歩いていく。
どうやら少し先を歩いているガラの悪そうな二人の冒険者風の男たちを追っているようだ。
「ねぇねぇ、爺ちゃん。あの二人が何なのさ」
「ん? まぁ見ていればわかる」
男たちを追っていくと、だんだん周りの人影が少なくなってきた。
そして、人が少なくなってきた事でわかった事がある。
「爺ちゃん。あの人たち、なんか私たちと同じ様に誰かの跡をつけてる?」
「やっと気がついたか。おっ、そろそろ動きそうじゃぞ」
「えっ」
アルフレッドに急に手を引かれ、道端に積み上げられたゴミの山の後ろにジェンナは隠れるような格好になる。
直後、二人の男たちは周りを確認するかのように見渡すと軽く目配せし合う。
あのまま歩いていたら見つかっていただろう。
アルフレッドの勘に感心しながらジェンナは二人の動きを見つめる。
男たちが追う『獲物』が路地へ曲がったと同時に彼らはその足を速め、続いて路地に入っていく。
追いかけようとゴミの山の陰から飛び出そうとしたジェンナをアルフレッドは引き止める。
「ジェンナ」
「何? はやく追いかけないと見失っちゃうよ」
「わかっておる。その前に今のうちにチェンジリングで変身じゃ」
「えー、やだよ恥ずかしい」
「四の五の文句言わずにさっさとするのじゃ。間に合わなくなっても知らんぞ」
「もう、仕方ないなぁ」
ジェンナはブツブツと文句を言いつつチェンジリングに手をかざす。
『変身!』
そして、一瞬にしてギルドの時と同じ様に男装姿に変身を完了する。
「う~、自分には見えないけどこのマスクやっぱり変すぎないかなぁ」
「何を言っておる。百人が見たら百人ともかっこいいと褒めるじゃろうて」
「そうかなぁ。その百人の中に私がいたら絶対かっこいいって言わないよ?」
「そんな事は今はどうでもいいじゃろ。それよりもじゃ」
「何?」
アルフレッドはジェンナの両肩を掴むと真剣な目で告げる。
「その格好の時はきちんと男らしい言葉遣いに直すのじゃ。そして名前も『ジェンナ』ではなく、そうさの『ジェイド』と名乗るがよい」
「えー、なんでー」
「そもそもジェンナに貴重なチェンジリングを与えたのは、お主の素性がばれないようにするためだったろう」
「そうなの? 知らなかった」
「……言っておらなんだかの?」
「多分。わすれてるだけかもだけど」
アルフレッドは自らの頭に手を当てて「ワシも耄碌する歳になってもうたのかのう」と少し落ち込む。
二人が下手な漫才を繰り返していたその時である。
『キャーッ……むぐっ』
二人の男が入っていった路地裏から小さな悲鳴が聞こえた。
「むぅ、こんな事をしてる場合ではなかったわい。話は後じゃ」
アルフレッドはジェンナの腕を掴むと路地裏へ一気に飛び込む。
「わわっ」
「とりあえず今はさっき言った通りにするんじゃぞ。いいな?」
「さっき?」
「男らしい言葉遣いと偽名じゃ」
「あー、それね。うんわかった。けど何するの?」
「さっきの男たちに襲われてる被害者を助けるんじゃ。お主が」
「私が!? 爺ちゃんがやればいいじゃん」
ジェンナが不満そうに口をとがらせていると、目の前に先ほどの男たちの背中と、そのうち一人の腕に抱きかかえられている女性の姿が見えた。
「ほら、行ってこい」
アルフレッドは駆け込んだ勢いのままジェンナの腕を引っ張って男たちの方へ投げるように押しやる。
「わわっ」
ドンッ。
勢いのまま片方の、女性を抱きかかえていない方の男にぶつかってしまうジェンナ。
「いてててって、そんな痛くないや。でも、いきなり投げつけるなんてひどいよぉ」
ぶつかった鼻がしらを押さえつつ振り返るがすでにその場にアルフレッドの姿は見えない。
「爺ちゃん……って、いない。嘘、でしょ」
「ああん、何が嘘だこのガキィ」
ジェンナにぶつかられた方の男が振り返りドスの利いた声で彼女を睨む。
「なんだこいつ。変なマスクしやがって」
もう一人の男がジェンナの顔を見て嘲るように顔を歪める。
『やっぱりこのマスク変なんだ。爺ちゃんのセンスがおかしいだけなんじゃん!』
ジェンナは心の中でアルフレッドに毒づく。
「何を睨んでんだ?」
アルフレッドに対する怒りと、今の自分の格好に対する羞恥が顔に出たのか、目の前の男が自分を睨んでいると勘違いしたようだ。
「むぐぐっ、たすけ……て」
男の腕の中に捕まっていた女性がジェンナに助けを求めて手をのばす。
その言葉を聞いてジェンナは覚悟を決めた。
もし、自分の力が測定魔道具の故障であったなら、アルフレッドが助けてくれるだろうし。
本当に『スキップ』の力がレベル99相当であるなら、それはそれでありがたい。
彼女の脳裏に、初めてアンダーステイダンジョンに乗り込んで這々の体で逃げ出した記憶が蘇る。
命からがら帰ってきた町で、あれ以来アンダーステイダンジョンの簡単さを語る人の言葉を聞くたびに心が痛んだ。
もうあんな惨めな思いはしたくない。
「痛い目にあいたくなければその女性を今すぐ解放するんだ、悪党ども!」
ジェンナはぶつかった男から数歩飛び退ると、ビシイッ!という擬音が聞こえそうな勢いで男たちを指差す。
そんな彼女を一瞬唖然とした表情を浮かべ、目を丸くした男たちだったが、すぐにその顔には馬鹿な者を見る顔に変化する。
「ぶはっ、なんだこのガキ」
「その変な仮面といい、まさか正義の味方ごっこでもしてんのかぁ? ぶふっ」
男たちは完全にジェンナを舐めていた。
たしかにそれは仕方のない事でもある。
元々小柄な彼女は、チェンジリングで男の姿に変身した今も身長は少し背伸びした子供程度。
そして元は女の子だから仕方ないとはいえ、見た目はかわいらしい中性的な顔。
体も鍛え上げられた男たちとは比べるべくもない。
元々それほどなかった胸板も、チェンジリングのおかげかぺったんこである。
逆に目の前の男たちの胸筋は服の上からでもわかるほどムキムキだ。
「なんかむかつく」
「そんな女みてぇな顔で言われてもよぉ」
「おお、怖い怖い。そんなに睨むなって。可愛い顔が台無しだぜ」
馬鹿にした表情を崩さない男たちを理不尽な怒りを込めた目で睨みつけながらジェンナは半身になり構える。
そして彼女が腰の愛用しているショートソードの柄に手を添えるのを見た男たちの顔から笑いが消えた。
「本気でやろうってのか」
「まぁどちらにせよ見られたからにゃ、帰すわけにもいかねぇしな」
「いくら可愛い顔してても男にゃ興味はないんだがよ」
「俺はどっちでもイケるぜぇ」
「マジかよ……」
そんな馬鹿げた漫才をしながらも、男たちはジェンナの挙動から目を離さない。
思った以上に手練なのだろう。
どんな弱そうな相手でも油断が命取りだという事を知っている目だ。
「とりあえず眠ってな!!」
女を抱えていない男の方がいつの間にか抜き去った剣の腹でジェンナを打ち据えようと大きく振りかぶり、そして振り落とす。
瞬間、ジェンナの脳内に『スキップ』という言葉が浮かび上がる。
「来たっ!」
迷う事なく彼女は自らのそのスキル『スキップ』を発動させ――。
その日、後にアンダーステイの伝説となる仮面の聖騎士ジェイドが生まれたのだった。