第六話 竜殺の試練(Ⅲ)~遭遇(エンカウント)【★挿絵有】
ディアリバーを早朝出立した魔導士団は、騎馬と馬車で早々に国境を抜け北ハルメニアに入り――。
死海沿岸を走る街道へと出て、順調に旅路を進めた。
ランスロットはかつて、ナユタに生まれて初めての海を見せてもらい、そこで彼女の将来の夢への同行を許された。そのとき己の中で――主人とその笑顔を命に代えても護るという、尊い誓いを立てたランスロットにとって海は特別なものだった。
彼は今日は珍しく、ナユタの相手もせず黙って、安らかな遠い目で海を眺めていた。ナユタもその後ろ姿を微笑とともに眺めながらまどろんでいたため、馬車内は比較的静かだった。
ほか、普段から無口なフレアは、隅で一人黙って魔導書に目を通し――。その隣で、ジュリアスとダンの少年2人が大きな声で談笑しているのだった。
2人の様子は、誇り高き初陣を前にした年若い男子ならではの、互いを鼓舞するような熱い会話に傍からは見えていた。
しかし――。主にフレアの様子を気取られぬよう観察していたラウニィーには、そこから時折目をそらしてついでに見やる2人の様子から、別の事実がすでに見えていた。
ラウニィーの隣に寄り添うニナが、そわそわとしながら興奮の口調の小声で、彼女に耳打ちしてきくる。
「ラウニィー……。あなたジュリアスのこと、見てるの?
そうよね……素敵よね、本当に! 私昔っから、彼のこと、ずっとずっと見つめてた……好きだった。
それが、それがよ……昨日の晩、何があったと思う?」
「……ニナ。分かりやす過ぎるわよ、あなた。
来てくれたんでしょう、彼があなたの部屋に」
「そうよ! さすがはラウニィー、鋭いわ。もう…………夢みたい。私もう、死んでもいいわ。彼、想像どおりだった。紳士で優しくて……。ちょっと試練を前に緊張してたのか、少しだけ乱暴だったけど……とっても、幸せ……。親友として、あなたにも早くこの幸せを味わってほしいわあ……」
「お気遣いだけ受け取っておくわね、ニナ。私は当分、魔導書が恋人の生活で十分と思ってるから」
それ自体は、本心だったがそれよりも――。ナユタという天才の親友が務まるだけの頭脳を持つ才女ラウニィーは、ニナの言葉を聞いたことで全ての事実が完全に見通せたのだった。
普段どおりの様子を装いつつも、目の下に隈を作り表情に影を落とすジュリアスと――。朴訥としながらも別人のように艶々生き生きとした様子のダン。
彼らに昨晩どのような心の動きがあり、どのような逢瀬が行われ、どのような精神への結果をもたらしたのかということが。主に、ナユタを巡る男同士の観点からの、それら事実が。
いつもジュリアスの影に隠れていたダンが――見事ナユタを射止めたことにはラウニィーも感心してはいた。が、彼はあまりに興奮しすぎだし、ジュリアスは対照的に普段の能力に影響が出かねない陰を心に落としてしまっている。これらの状況が大事な初陣、大事な使命に影響せねば良いのだがと思わずにはいられなかった。
そしてまた再び――微かに含むものを漂わせた視線を気取られぬよう、フレアの様子をうかがい続けるのだった。
*
馬車の揺れに眠気を誘発され、まどろみかけていた許伝たちの馬車に、変化が訪れたのは、突然だった。
急激に停車し前後に揺さぶられる荷車内、いななく馬たちの絶叫、怒鳴る御者の声。
それによって目を覚まされたナユタには――瞬時にその意味が理解できた。
そしてその瞬間、眼光に恐ろしい光が宿り始めたのだった。
まさに同時のタイミングで、彼女にとってこの世で一番耳障りな男の大声が、馬車の外で張り上げられた。
「寝てんじゃないわよ!!! 死にたくなけりゃ、さっさと目覚ましなさい!!!
ここから先は、馬が怯えて進めない。歩行よ!!! 10秒で準備して出てきなさい!!!」
許伝の者全員に、鬼の師範代として恐れられる男、ヘンリ=ドルマンの怒声を聞いた一同は――。
文字通り這々の体で馬車の荷車から出てきた。
荷車の前に出てきた、6人。ラウニィーとフレアはさすがの優等生ぶりで、涼しい表情で魔力の充填までを開始している。本来ならその2人の側にいたはずのジュリアスは今回、あたふたするダンとニナ同様の状況。優等生側にいるランスロットは、主人ナユタを必死で突付く。ナユタは気だるそうにあくびを一つ吐き伸びをし、半開きの目で列に並んだところで突如、左腕に激痛を感じた。
「あっ!!! 痛うう! こ……この……!!!」
痛みに歪めた直後に獰猛な目つきで――。左腕に電流を流してきた相手、ヘンリ=ドルマンを睨みつけるナユタ。
ヘンリ=ドルマンは相変わらずの酷薄な目でナユタを睨み返し、全員に告げた。
「ここから先は、どこぞの現実を嘗めきった自惚れの馬鹿娘のような気構えで進めば、5分で命を落とす場所と心得なさい。
すでに目的地の、ラージェ大森林に入った。先程アタシが魔導探知をかけたところ――気脈の影響により変異、または地中より這い出た無数の怪物の存在を確認した。あと何百mかを進めば、いつ何時奴らの襲撃を受けるかわからない状況に陥る。それに備えここで、貴方たちに作戦の伝達と指示を行う」
ヘンリ=ドルマンの緊迫の様相を見、退っ引きならぬ情報を耳にした一同の雰囲気は即座に緊張に満たされる。
「まずアタシは気脈の中心の探知と、その封印にできるだけ注力する。ただしアタシへの『助力』はいっさい、無用。無駄なことは考えるな。ディトー、貴男は基本許伝に付き添ってもらうけれど――。万が一アタシに何かあった場合に、代役ができるよう備えておいてほしいわ」
「承知しました」
「許伝の者に告ぐ。今回貴方たちに課せられる主たる使命は、発生した怪物のできうる限りの掃討である。特に、変異した種が対象よ。地中から這い出てきた種は、エネルギーが減退すれば戻っていく。けれど、変異種はそうはいかない。地上に力を弱めながらも残り続け、脅威の禍根を残す。
カーヴァンクル、スライム、バジリスク、アルミラージ、カトブレパスといったところね。こいつらを見つけ優先的に駆除すべし。
虫や蛇の系統の地中種も、注意を。云うまでもないことだけど……命の危険を感じたら、こいつらも迷わず殺しなさい。
そしてまずありえないことだけど、あのドラゴンが現れた場合には――わかっているわね。『全力で』逃げなさい。
探索任務の完遂、もしくは戦略的撤退については、いつもどおり上空への閃光と音で知らせるわ。それ以外のサインも、訓練時のものに準ずる。
以上よ。何か質問はあるかしら?」
ヘンリ=ドルマンの問いに、真っ先に挙手したのはナユタだった。
「……何? ナユタ・フェレーイン」
「ブラウハルトは? ブラウハルトだけ役割の説明がないみたいなんですけどお?」
ぶっきらぼうで反抗的なナユタの態度に、慣れているとはいえ額に血管を浮き出させるヘンリ=ドルマン。が、質問内容自体は至極的確で真っ当であり、答える必要はあった。
「ブラウハルトはね……遊撃と援護の役割よ。全員のね。怪物の掃討を行いながら、誰かの危機を感知したら即座に救援に向かう。加勢はもちろんだけど、最も重要な『回復』という役割を担うためにね。あの子を知ってる皆なら分かると思うけど……その点は安心していいわ」
ヘンリ=ドルマンの言葉どおり、許伝の全員に、目に見えて安堵の表情が現れた。ブラウハルトが、いかに彼らに信頼を寄せられる大きな存在かが伝わってくる。
「ただし!!!」
その直後のヘンリ=ドルマンの大声で、一転全員の表情が引き締まる。
「ブラウハルトを当てにして油断することこそが、最も危険な禁忌だと心得なさい! あの子も全能ではなく、かつこれから押し寄せる敵の質と物量は、甘さの欠片も入る余地のない災害よ。己の命、友の命は自分達で護る! それを肝に命じなさい!!!」
*
その30分後――ディトーに率いられる許伝の姿は、森林の只中にあった。
先頭のディトーに続いて、フレア、ニナ、ダン、ジュリアス、ラウニィー、殿がナユタとランスロット。
現時点での魔力や判断力などを総合した実力で決定しているものだったが――。フレアを自身の側に付けるのだけは、ディトーの個人的な感情によるものであった。
緊張感を漂わせつつも、いつもどおりの飄々とした表情を崩さないナユタの肩で――ランスロットはぶるぶると身体を震わせ続けた。
「ナ……ナユタ……。き、君は怖く、ないのかい……? 君だって、初の命がけの実戦だろ……?」
「ああ、そうだよ。だからこそ、心踊るっていうか……はやる気を抑えられないってもんさ。これまで修行で身につけた実力を、思う存分試せる。なあに、大丈夫さ。訓練どおりやってりゃあたし達についちゃあ心配ない。他の皆のサポートに回ることを考えたほうがいいくらいさ」
「ほんとに……心臓に毛が生えてるのか、鈍感なのかわからないけど……。すごいや、君は。僕……心臓が暴れて飛び出してきそうなぐらいなんだ……敵が現れたら、思わず逃げちゃうかも……」
「……そうなったら、その時はその時さ。逃げる方に専念するんだね――」
不敵な笑いを従僕に向けるために、視線を左脇に向けたナユタの表情は――。
一瞬で、凍りついた!
ランスロットの後方に、すでに見えていたからだ。
青く透明に光る、ムササビに似た1m強の身体。その中心に透けて見える、紅い宝玉のような心臓と血管、白く光る凶悪な眼光。
変異種の中で、最もスピードに長ける飛行種。ムササビやモモンガの突然変異した姿、カーバンクルの数十体にもおよぶ、大群が。
一団の、左後方から――襲来する姿が。
「敵襲だ!!!! 八時の方向!!! カーバンクルだ!!! ラウニィー!! 援護してくれ!!!!」
一団に向けて鋭い怒声を張り上げ、ナユタは敵に向けて腰を落とす。
「ひ、ひゃああああああ!!!」
ランスロットの情けない悲鳴を無視し――。貌の前で右手の人差し指を突き出し、左手で支える体勢を取る。そして充填した爆炎を先端に集約し一気に放つ!
「“焔魔弾”!!!」
長さ10cmほどに集約された紅蓮の弾丸。それはクロスボウのボルトを上回る速さで敵に到達し、最も接近してきていた一匹のカーバンクルの頭部を撃ち抜く。
頭部を破壊され、連動して燃えた胴体とともに地に落ちていく、カーバンクル。炎を弱点とする彼らが、一団で最強の爆炎魔導の使い手ナユタの前に現れたことは、まさに飛んで日に入る夏の虫のごとしであった。
残存する魔力で、その後も次々とカーバンクルたちを迎撃するナユタだが、いかんせん敵の数が多すぎる。10匹以上が10mを切る範囲にまで近づき、近接魔導に切り替える準備をしたナユタの眼前で――。
「近づかせないわよ――! “真空針房”!!!」
数百本もの、ナイフ大の真空波が扇状に展開していき、異形の飛行生物を瞬時になます切にする。
ラウニィーだった。ナユタに次ぐ実力者の彼女は、風系魔導の達人。普段のおとなしく優しい表情から一変、冷酷非情な魔女のような眼光となった彼女は、血煙の残るカーバンクルの群れに向けて突っ込み、彼らの直前で両手を広げ、次なる技を繰り出す。
「“真空圧力殺”!!!」
術者ラウニィーの眼前半径5m以上に渡って作り出される、急激な真空の地獄。その中に入ったカーバンクルたちは、極度の気圧差によって、自分自身の体内気圧によって風船のように身体を破裂させ――。血袋となって地に落ちていく。
そして黒い髪、黒いローブを血にまみれさせ、冷徹な表情で敵群を見やるラウニィーが云い放つ。
「どう? 恐ろしいでしょ、『空気』に殺される術っていうのは。この地上全部を満たしてる物質そのものが私の武器っていうこと。この強大な力で、あなたたちごとき木っ端の怪物、皆殺しにしてあげるわ。行きましょ、ナユタ!!」
普段はおとなしい親友の改めて見る実力、そら恐ろしい冷酷な貌を目の前にして、冷や汗を垂らしながら一つ口笛を吹く、ナユタ。
「さすがはラウニィー。あたしですら恐れおののかせるのは、同期であんたぐらいのもんだよ。その分――頼もしいことこの上ないけどねええ!!!
さあ行くよ、ランスロット!!! いつまでもビビってんじゃない! あんたの性格は知ってるけど、魔導生物が主人の足手まといにだけはなるんじゃないよ!?」
獰猛な表情で突進していく主人の肩で、ランスロットはもはや涙目になる。
「ひいい……ラウニィーも、君も怖いけど……。わ、わかったよ! 僕も頑張る。けど、できるなら早く――早く助けに来て、ブラウハルト!!」
悲鳴を上げつつも、自身の技氷結魔導の発動のために、魔力を充填するランスロットだった。