第五話 竜殺の試練(Ⅱ)~行軍の魔導士団
“探索任務”――。
心躍るその語句を聞き、経験あるヘンリ=ドルマンとベテラン魔導士1名以外の――ナユタら若手は目を輝かせた。
例えば、“剣”や“投擲”など他流の門下でも、弟子に課される実戦の試練はある。危険な地域に赴く指令は下される。
だが、魔導士に課されるそれは一点、他流と大きく異なる要素を持つ。
「此度、『乱れし大きな気脈』が発見されたのは――。デネヴ統候領より東に100kmの、北ハルメニア自治領ラージェ大森林。
海岸付近を中心に無数の洞穴を持つ彼の場所であるが、その中の最も深き地底に通ずる穴にて、『気脈』が開いたものと思われる。
膨大な魔力の観測と、それを守護する多数の怪物の出現を確認しておる。
『気脈』に到達し、これを塞ぐことを命ずるものである」
そう、『気脈』の封印。
それこそが、魔導士にのみ許される、崇高なる使命――“探索任務”なのだ。
気脈は、すべての人間の魔力を増幅させる。が、いかにプラスに働く力であろうが、過剰な作用というものは毒となりうるのが真理。
乱れ過剰となった気脈は、鍛錬を経ていない一般人の健康を悪化させ、ときには致命的な病をもたらし――。精神にも作用して気狂いの人間を多数生み出したり、犯罪や戦争を誘発することすらあるのだ。
魔導士は大きな気脈に近づけば近づくほど力が増す。特別な鍛錬を経て気脈を利用できる魔導士でなければ、これを塞ぐことは困難。そしてまた、大陸全体における気脈をコントロールし整えることが安寧と平和に寄与するとして、アリストルは己の信念として自らと自らの門下に使命として課しているのだった。
弟子たちも、これに貢献できることを心から誇りに思い、現在に至るまで命を賭して幾度もの探索任務の任にあたっているのだ。
「前回の“探索任務”は3年前。その時選んだレジーナやデレクなどの大半の者はすでに我元を離れとるゆえ、人員を一新した形じゃ。
ここ2年で、近年稀にみる有望な人材が多数入門を果たしたゆえに、人選には大分迷うたが――。お主らに決めさせてもらった。
まずは筆頭師範代、ヘンリ=ドルマン、およびその魔導生物ブラウハルト。
そして師範代、ディトー・エルディクス」
「仰せのままに」
手慣れた様子で無言の礼をするヘンリ=ドルマンの脇で師範代、ディトーは、ニヒルな笑いを浮かべて返事を口にした。
赤を基調としたローブに身を包んだ、185cmはある長身短髪の二枚目風美男だ。
「そして、許伝の者。
ナユタ・フェレーインと魔導生物ランスロット。
ラウニィー・グレイブルク。フレア・イリーステス。ジュリアス・エルムス。ダン・リーザスト。ニナ・ハートリーフ。お主らを新たに選んだ。
お主らにとって此度の探索任務は――正真正銘の初の実戦に他ならぬ。
心して、かかれ。魔導の世界に足を踏み入れたときより覚悟してはおろうが、『命を落とす』危険が高い試練であることを最大限に心得よ。
それでは、出発を一時間後とする。ドルマンとディトー以外の者は解散しこれに備えよ」
アリストルの言葉とともに、その場を後にし支度を整えようとする許伝の者たち。
ヘンリ=ドルマンらに近付こうとするアリストルは、彼女らと交差する形になったが――。
自分に近づきすれ違おうとしたアリストルに対し、ナユタは突如として両目を見開き、猛然と右手を後ろに突き出した。
すると――その手の先にあったアリストルの手を見事に掴み取ったのだった。
己の「尻」を撫でようとしてきた、師の手を。
ナユタはこめかみに血管を浮かび上がらせながら、獰猛な笑顔で師を振り返った。
「……残念だったなあ、お師匠……。あたしももういい加減、エロジジイの厭らしい手の動きを完全に見切ったのさ。嘗めんなよ、もうこれ以上好きには――きゃ、きゃあああああああああ!!!!」
ナユタが貌を真っ赤にして悲鳴を上げる。口上を述べて油断している間に、アリストルの左手が自分の左乳房を揉みしだいていたからだ。
ナユタは羞恥に目をうるませながら、渾身の力でアリストルの顔面に「拳」を打ち込んだ。
「ぬううおおお……!! おおおおおおっ!!! ナユタ、お主……お主ついに……平手でなく……拳でこの師の貌を……おのれえええ……」
「ちくしょう、ちくしょう!! あたしが遊んでるからっていっつも甘く見やがって、この……!
もう、もう触らせないから!!! 絶対これ以上あたしの身体を好きにさせないからなあ!!!」
相手が大導師の時だけ見せる――羞恥と怒りの叫びを上げながら、ラウニィーの元に走りより泣きつくナユタ。
ただ、ラウニィーも、ナユタの肩にとまるランスロットも……。笑みすら含んだあきれ貌で肩をすくめているのだった。あまりにも見慣れた光景に対して。
大導師アリストルはその偉大な名と実績に反し無類の女好き。そして大導師府内で己の女弟子の身体を触る不貞の輩――困った老人であった。ナユタ以外にも被害者は多数いるのだが――。
その実、彼はちゃんとそれに及ぶ相手を選んでいた。怒りながらも本気にせず、流せる相手だけを。そして、特にナユタは――。
「相変わらず、ごちそうさま。仲が良すぎて結構なことだわ、お師匠とあなたは。
本当相思相愛だものね。あなたの方も大好きだし、お師匠もあなたが可愛くてしかたがないし。
もういっそのこと、結婚しちゃったら?」
「うん。名案だと思うね。そうすりゃあ、同門の男の子たちを次々毒牙にかける、君の奔放な男癖も治るわけだしね。弟子の中では君だけが対等の口だし、もう夫婦みたいなもんじゃないか。
愛があれば、歳の差なんて関係ない。今すぐ大導師の胸に飛び込んで告白しておいでよ」
ラウニィーとランスロットの、冷めきった棒読みのような台詞を受け、ナユタは口をパクパクさせ、貌を沸騰させて固まった。
「け……けっこ…………ふう……! な……な……何を……とんでもない……そんな! ば、バカ!! バカバカバカ!!! 他人事だとおもって、からかうんじゃ……! ああああ!!! もう、もういいいっ!!!! もう知らないっ!!!」
あまりにも分かりやすい、極端にのぼせた様子のまま全力で走り去っていくナユタ。
それら一部始終を――遠くから背筋も凍るような侮蔑の目で眺めていたフレアも、ゆっくりと歩み去っていった。
そしてアリストルは、鼻血の出る鼻を拭きながら、まんざらでもない笑顔でヘンリ=ドルマンらの元に歩み寄った。
眉間に皺をよせたヘンリ=ドルマンが、大きなため息をついて云う。
「全く――! あの娘への期待と愛情がお強いのは理解していますけど、あそこまで過剰なスキンシップを他の弟子に見られる状況には、アタシは賛成しかねます、お師匠。お互いの自室でだけにしていただくべきかと」
アリストルは苦笑しつつ頭をかきつつも、首を振った。
「まあお主の云うことももっともだがな、ドルマン。ナユタのことは実の娘のように思っておるし――。
この関係を維持したい儂のわがままと理解してくれ。あやつはこの大導師府で一番好かれておる人気者で実力者。他の者の真からの妬みを買わぬ。儂とのこの関係を見てもらうことで、あやつの立ち位置も将来的に良好になる。
云うてもまあ実際――あの美味そうな身体を放っておけぬ儂の趣味は多分にあるのだが。はっはっは!!!」
アリストル以上にしかめ面で首を振るヘンリ=ドルマンの横で、ディトーが口を開く。
「まあ、お師匠のご趣味もようく理解できましたところで――。
お話の本題に入っても、よろしいでしょうかな?」
ディトーの穏やかな表情の奥の鋭い眼光を見て、アリストルも表情を一変させ――。
声をひそめるように、己の本来の用件について話しだしたのだった。
「うむ。此度の探索任務の場所は、北ハルメニア。それの意味するある懸念を、お主らならば理解できような?」
同じく真剣そのものの表情となったヘンリ=ドルマンが、これに答えた。
「ええ……“サタナエル”、ですわね……」
その名を耳にしたディトーの貌が、一瞬にしてこわばる。
「まさか……今回は、『奴ら』も……!?
奴らには、気脈に手を出せる人材もそうはおらぬゆえ、干渉はありえぬとお師匠もおっしゃっておられたでは――」
「はっきりとは云えぬが……可能性はある。
大陸で暗躍し、秩序の守り手を自称する奴ら組織にとって、本来気脈は封じておきたいもの。これまで、儂が自発的に行動しておるのをこれ幸いと傍観してきおった。
今回も、その点において変わることはないが――ひとつだけ、あの国に居る『巨悪』の行動だけが予測できぬ」
「……!!!」
アリストルが口にした「巨悪」。それを聞いた瞬間、超一流の魔導士であるはずの2人の男の貌色がみるみる青ざめていく。まるで死人のように。
「『彼奴』は、サタナエルの中でも屈指の武闘派であり、好戦的な男。お主らが目覚ましい働きをすればするほど――。刺激を受け、よもや戦いを挑んで来ないとも限らぬ。
それは、きわめて危険な状況に他ならぬ。その襲来をいち早く察知し、全力で――」
「全力で『逃げよ』。そう仰るのでしょう、大導師」
低く籠もった、地響きのような声。
ヘンリ=ドルマンとディトーは、目を見開いて振り返った。
それまで巨大な姿とともに沈黙していた、ブラウハルト。主人以上に冷静沈着な彼の言葉に、2人はただ耳を傾けるしかなかった。
「ご心配めされますな。このブラウハルト、決して主人も、皆も――。
特に、許伝の子らを危険にさらすような状況には決して陥らせませぬ。
我が友を含む、将来ある子らを、無事に連れ帰って見せまする。
――我が命に代えても」
鋭い眼光とともに発される、気迫に満ちたブラウハルトの宣言を聞いて、アリストルはじっとその目を見――。そして力強く頷いた。
「よう云ってくれた、ブラウハルト。儂はお主に、常に全幅の信頼を寄せておる。その言葉、感謝とともに信じよう。
頼んだぞ――できうれば一人も欠けることなく、我が弟子たちをここに連れ帰ってきてくれ――」
*
探索任務に挑む、大導師府魔導士の一団は、出立後順調に行軍を進めた。
行き先によっては情勢が不安定な場所もあるが、今回の行き先は皇国随一の商業拠点デネヴ統候領を経由し、関係良好な同盟国である北ハルメニアに赴くという安全な旅程。
道中はまるで学友同士の旅行のように、和やかに進んだ。
――言葉を一言も発せず、全員を先導するヘンリ=ドルマン以外は。
乗馬が得意な者が多くはない魔導士たち。ことにナユタのように馬にも乗れない運動音痴も居るような魔導士たちの移動は、馬車で行われることが多い。皇族として乗馬の達者なヘンリ=ドルマン、かなりの腕を持っているディトー、別働して並走しているブラウハルト以外、許伝全員が馬車の荷台に乗り合わせていたのだった。
同期に近い者たちが乗り合わせるそこでは、やはりナユタと、そしてランスロットが中心となって会話が繰り広げられていた。
「――けど、ラウニィー。どうしてあんたは、それだけの実力があるのに、魔導生物を持とうとしないんだい? なあ、フレア。最近凄い魔導生物を作ったばっかりのあんたとしても、そう思うだろ?」
「ええ……そうね。不思議には思うわ」
「うーん、なんでかなあ……。自分でもうまくいえないんだけど、私は一人がいい、っていうのか……。修行でも魔導士として外に出た将来でも、ずっと誰かについてこられるっていう状況が、どうしてもしっくり来なくて。
ああ、誤解しないでね。ナユタやフレアのことを悪く云ってるわけじゃないのよ。あくまで私個人の感じ方だからね」
「おいおいラウニィー、そりゃあ魔導生物を持つのが夢、てとこで足踏みしてる俺たちへのあてつけかあ?
まあ、お前ならそう思うのも性格的にわからなくもないけどさあ。魔導生物のお前としてはどう思う、ランスロット?」
「そうだねえ、ジュリアス。考え方は人それぞれだし、ラウニィーの感じ方も正しいんだと思うよ。ていうか――僕個人の感じ方を述べさせてもらえるなら、断然ラウニィーの魔導生物に生まれたかったなあ……。きっと今より百倍、穏やかで母性に包まれるような、平和な毎日が待っていたに違いないだろうからねえ……」
「……ランスロット……聞き捨てならないねえ……。それは、どういう意味だい? 今このあたしの魔導生物でいることが、騒々しく心が休まらず、危険な毎日しかない地獄だと――そう云いたいのかい? それは、今この場であたしの炎で灰になりたいって意味だと、そう思っていいのかい!?」
「ま……まあまあ、ナユタ。俺は、そうは思わないぜ? 俺がもし魔導生物だったら、お前みたいな才能あふれる美人のもとに生まれたいって絶対に思うし――」
「ジュリアス……あんたみたいないい男にそう思われるのは悪い気しないけど……。それとこれとは別さ! この不忠もんの、恩知らずには、今日こそ思い知らせてやらないとねえ! ダン、それにニナ!! そこをどきな!! 逃がしゃあしないよ、ランスロット!!」
「うあ……ナ……ナユタ……!!」
「ちょっとナユタ、落ち着いてよ!! こんな狭いとこで暴れないでよお!!!」
冴えない少年ダン、美人ではないが明るくかしましい少女ニナの元に逃げ込んだランスロットを追おうとするナユタを、慣れた様子で無言のまま羽交い締めにし場を収めようとするラウニィー。
――青春只中の少年少女たちらしく、騒々しく落ち着きがない車内。だが、結果的に――みなぎるパワーで明るく振舞い、皆を巻き込むナユタとランスロットに対しては皆が好意を抱き――。現に今もこうして、死が待つかもしれない危険な任に赴く皆の不安を最大限にほぐしていた。半分は本気だが半分はちゃんと計算した冗談であるナユタの行動を、すべて理解している親友ラウニィーは阿吽の呼吸で合いの手を入れているのだ。今回もこうして、悲壮感や悪い意味での緊張なく探索任務に当たれる。ラウニィーはそう考えていた。
だが――ラウニィーは、ほんの一瞬だが、見てしまった。
心からの笑顔を浮かべる皆の片隅で、微笑を浮かべる少女の行動を。
ローブの下へ隠したつもりの手指の爪から、震えつつ血の一条を流す、その行動を。
フレア・イリーステス。確実に目が合ってしまった学友の少女の、怒りを抑える以上の、あまりに常軌を逸した行動を。
*
一行は、その晩デネヴ統候領の首都ディアリバーの宿に宿泊した。
そして、深夜。
いずれも、若い独り身の少年少女のこと。
それぞれ当然のように恋や逢瀬があり、お互いの普段の想いと相手の行動を考えながら、胸をときめかせて行動する時間帯。
己の魅力に自信をもち、普段から積極的に男性にアプローチをかけるナユタは、今日は自室にとどまってベッドに横たわっていた。
今日は自分から行くのではなく、誰が自分の元に来てくれるのか、待ってみたくなったのだ。
そうしているうち、自室のドアをノックする者がある。
期待を膨らませてドアを開けたナユタの前に立っていたのは――。
彼女の予想したとおり、普段からうだつが上がらず地味な見た目と性格の少年、ダンだった。
彼は貌を真っ赤にし、拳を握りしめて、意を決したようにナユタに云った。
「ナユタ……おれ……おれ……。前から、君のこと……好き、だったんだ……!
し、知ってる。ジュリアスも君を好きだってことも……。城塞でも、ディトー師範代や他の男の人といい関係になってたことも……! 亡くなった、恋人がいたってことも!
でも、でもおれ……おれだって……君のこと……その……抱きたい……んだ! もうどうしようようもないんだ――」
目をつぶって一気に想いを吐き出したダンの唇は――。
温かく、柔らかいナユタの唇で、甘美に塞がれた。
「――!!!
あ……ああ……」
唇を離したナユタの前で、夢見心地の表情の、ダン。
その首に両腕を回して、目をまっすぐに見ながらナユタは云った。
「そんな自分を下げなくっていいよ……ダン。あんた、すごく勇気がある男だよ。本当……。
来てくれるとしたら……。あんただって、思ってたんだ、あたし。
ジュリアスのやつはいい男だしキザに振る舞ってるけど、やっぱり来やしなかった。思ったとおりの臆病者。
この先も、って約束はしてあげられないけど……。今日は喜んであんたの女になってあげる。
……来て……」
そうして誘われるがままに、ダンはナユタのベッドへと誘われていったのだった。
(へえ……今回は、そうきたか……。僕には意外だったよ、ナユタ)
その様子を見守っていたランスロットは、行為が始まる前に、「いつもどおり」そっと窓から外に出、木の実でも探そうと時間を潰しに出かけるのだった。
その頃――。
ジュリアスは、ニナの部屋で――。恍惚とした表情の彼女をベッドに押し倒して、キスを重ねていた。
しかしその貌は、苦悶に歪んでいた。
(畜生――畜生が――!!!!)
心の中で呪詛を繰り返すジュリアス。
その対象は、ナユタという想い人の元へ行くことから逃げた、自分自身に対してだった。
優れた容姿も、才能も有する彼だが、結局は自信を持つことができなかった。
誰より才能に溢れ、まぶしいほどに美しい女性に対する劣等感に負けた。
以前から確実に自分に想いを寄せていると知っている、好きでも何でもない女性の元へと――安全圏へと逃げたのだ。
その想いからより荒々しく、相手を思いやることのない彼の虚しい夜は、更けていったのだった。
同じ頃、師範代ディトーは目をつけたフレアの部屋に行って迎え入れられ、めくるめくの快楽の夜を過ごし――。
ヘンリ=ドルマンとラウニィーは、それぞれに異なる懸念と悪い予感に苛まれながら一人、自室で眠れぬ夜を過ごした。
苛烈な運命の戦いに赴く前夜の、若き魔導士たちの夜はかように過ぎ――。
それぞれ激動の道をたどる戦果を象徴するような、人間模様を描き出していたのだった――。