第三十五話 伝説となった者達、そして――
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フレア・イリーステスによる裏切り、大導師アリストル謀殺より間もなく――。
すでに統候会議によりノスティラス皇帝に選ばれていたヘンリ=ドルマンは、象徴と人材を失い存続困難となった大導師府を解体する苦渋の選択をした。
そしてナユタはランスロットを伴い仇敵フレアを倒すための放浪の旅に出、一つの壮大な伝説の幕は上がったのだった。
それから5年の時が、過ぎた――。
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大陸北西のコルヌー大森林に位置する、狂えし太古の遺物グラン=ティフェレト遺跡。
大陸に彗星のごとく現れし「血の戦女神」レエテ・サタナエルが起こした、組織サタナエルへの壮大なる反逆・復讐劇。
これに仲間として加わったナユタとランスロットは、壮絶にすぎる戦闘の連続で各地を転戦し――。
この場所の地下墓地において、最大の窮地に陥った。
強大なサタナエル“短剣”ギルドの副将に包囲され、死を迎えるばかりだった仲間達と主ナユタ。
これを救うため――。
ランスロットは唯一の手段である、「あの決断」をしたのだ。
「ランスロット――。“極武装化”を、許可する――」
「ありがとう――ナユタ」
ナユタを叱咤激励し、自分の“極武装化”許可を得た、ランスロット。
7年前ルヴァロン山でブラウハルトが発動し、この事実を問題視した大導師が魔導生物から除去を試みるも、すでに備わってしまった個体からは奪えなかった能力。
それが今、活かされる極限状況が訪れたのだ。
己の中の強大な力――命を引き換えにする強大すぎる力に身をまかせた瞬間、身体に激烈な異常が起き始める。
そして意識は、彼方に消え去ろうと強烈に引っ張られる。
これが、「死」なんだな――。
ランスロットは自覚していたが、これまでの生涯でなかったほどの、安息の中に己の意識をおいていた。
主人を、ナユタを守れる。自分はこのためだけに生まれてきた。その強い強い満足感だけがある――。そう信じていたが、ナユタとの別れの悲しみもまた、それと同じほどに感じていたのだ。
(君もあの時、“極武装化”発動のとき――。こんな気持ちだったんだね、ブラウハルト。
申し訳ないと思ってるよ――。君に云われ使わないと誓ったはずだけれど、君と同じように決断すべき状況になってしまった。
けど僕は、今まで君をずっとずっと、尊敬していた。君のような偉大な魔導生物になりたいと、ずっと理想に、目標にしていた。きっと――今から僕はケルベロスの君のような姿をもつ、戦闘形態になるんだろう。
“極武装化”の決断ができたことは、目標である君に追いつけた気がして――すごく嬉しいし、誇らしい気持ちだよ。僕をここまで引き上げてくれた君に、本当に感謝したい。
天国に、行けるといいなあ――。そしてブラウハルト、君に会えるといいなあ。
会えたらまた、僕を叱って稽古をつけてくれよな。遠い将来、天国に来たナユタに恥ずかしくない、僕でいたいからさ――。
ナユタ、また会える、日まで。さようなら――――)
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大陸一の大国、エストガレス王国。その王都ローザンヌの南に広がる、南平野。
そこは今や20万という、史上例を見ない大軍勢によって埋め尽くされていたのだった。
その軍勢は、大陸第二の国家、ノスティラス皇国正規軍。
レエテ・サタナエルの復讐劇に乗じ、サタナエルを一気呵成に討伐しようとした皇国皇帝、ヘンリ=ドルマンが結成した史上最大の討伐軍だったのだ。
すでにレエテ・サタナエルの手によって3人の将鬼が討たれ、組織が崩れ始めている現状――。皇帝ヘンリ=ドルマンには、この討伐における標的が4人、いた。
一人目は、当然ながら組織サタナエルの頂点である最強の存在、“魔人”ヴェル。
二人目は、大導師を謀殺した憎き仇であり、現在はサタナエル将鬼長の地位にあるフレア・イリーステス。
三人目と四人目は――。
己の片割れであり最愛の従僕、魔導生物ブラウハルトの直接の死の原因をもたらし――。しかも殺しきれずに討ち漏らした仇敵。
現在では地位が入れ替わった“法力”ギルド将鬼ゼノン・イシュティナイザーと、統括副将メイガン・フラウロス。
彼らを殺すことが目的であった。
よって軍勢を率い、エスカリオテに向かわず何だかんだと理由をつけてローザンヌを包囲したのには――。ローザンヌを根城とし、そこに居ることが確実なゼノンとメイガンを殺してやりたいというヘンリ=ドルマンの個人的殺意が介在していたのだ。
今現在、“法力”ギルドはレエテ一行との全面戦争に突入している。
その中にはヘンリ=ドルマンの大事な妹弟子、ナユタも仲間として加わっているのだ。
大導師府時代はサタナエルの存在をひた隠しにしていたヘンリ=ドルマンだったが、ことここに至った現状――。すでにランダメリアでレエテ一行を祝賀会に招いた際ナユタに、ルヴァロン山探索任務がブラウハルトを抹殺する為のサタナエルの策略であったこと、それに将鬼ゼノンらが関わっていた事実は話してある。
おそらくナユタは内心、我こそがゼノンらを討ちたいという復讐に燃えていることだろう。
皇国として今はエストガレスとの政治的関係もあり、ローザンヌに軽々しく侵攻することができない。まずは妹弟子に全てを託し、もし仮に彼女らレエテ一行が敗北する大陸の脅威的状況になることがあれば――。
そのときこそ堂々たる大義名分を得し皇国軍の総大将として、憎しみの全てをぶつけ奴らを殺してやる。
黒い想念の炎を燃やし続けていたのだ。
実際には短いが、あまりに長く、長く感じる時間を経て――。
ローザンヌの正門、“創始者の門”から、4人の人影が現れた。
遠目ながらその中に、レエテ・サタナエル、そして妹弟子ナユタの姿を視認したヘンリ=ドルマン。
妹弟子の無事にほっと胸をなでおろすと同時に、彼女らの勝利を理解した、ヘンリ=ドルマン。
意気上がる皇国軍の怒涛の歓声を聞きながら、ヘンリ=ドルマンは心中呟いた。
(貴男の仇は、とったわよ、ブラウハルト。ゼノンとメイガンは、その邪悪な意志ともども現世から滅び地獄へと堕ちた。
しかもその成功には、妾らの誇り、ナユタの力が加わっているのよ。嬉しいでしょう?
あとは……サタナエル本体を、完膚なきまでに叩き潰すだけ。
天国で見てて頂戴。きっと貴男の無念、完全に晴らして見せるから――)
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ボルドウィン魔導王国に存在する、大陸最大の活火山、ラーヴァ=キャスム。
その山頂部、火口。
今その火口の溶岩湖に向かって落ちていく、一つの影があった。
服は焼けてほぼなく、全身の皮膚は黒く焦げきり、眼球が飛び出している。
鳩尾の部分には風穴が開き、武器によって貫かれたことが明らか。
そのような状態ながら――。その人物が女性であること、そしてまだ息がある状態であることがわかった。
それは今、上空に浮かぶ岩から人物を冷ややかに見下ろしている一人の女性の勝利がもたらした状況。
ナユタ・フェレーインだ。
彼女が勝利した相手、憎くてたまらない仇敵こそが、焼け焦げた人物、フレア・イリーステスなのだ。
「ナユタ!!!! ナユタあああああああああーー!!!!!」
憎しみの断末魔とともに溶岩に落ちようとするフレア。
彼女は、その溶岩の中に、見た。
黒くおぞましい、無数の死者の手を。自分を地獄に引き込もうとする、無念と恨みに塗れた先住人たちの、瘴気の意志を。
やがて溶岩の表面に貌を出してきた、血まみれの貌。
そこには死した各将鬼――。ソガール・ザークがいた。レヴィアターク・ギャバリオンがいた。サロメ・ドマーニュがいた。自分が見捨てたゼノン・イシュティナイザーとロブ=ハルス・エイブリエルもいた。その他、過去自分が死に追いやってきた無数の人間たちがいた。
「く――来るな!!! 私は貴方達と一緒になど行かない!!!! 私は特別な存在なのよ!!!! 死ぬはずが、ないのよ!!!!!」
(笑わせるねえ……“悪い仔猫ちゃん”)
その言葉を聞いたフレアの両眼は、極限の恐怖に、濁った。
その仇名で自分を呼ぶ人間は、「一人しかいない」。
フレアの人生で最大の、消せないトラウマを脳に刻み込んだ、あまりに忌まわしい一人の女性だけだ。
(あたいを殺し、こんだけの人間を殺し、天国に行った奴らも含めたら何万人、殺したんだい?
あんたは、地獄に行くんだよ。しかもあたい達の足蹴にされて、あたい達よりずっとずっと深い、地獄の底へね。
……きいやははははははははは!!!!! ざまあない!!!!! いい気味だよ!!! この世の終わりまで、ずうっと苦しみ続けな!!!!)
「マダム――!!!! マダム・キュベリイ!!!! うわあああああ!!!! いやあああああああああああ!!!!!」
少女期のフレアに売春を強制し、虐待しぬいた娼館の主。恐怖の対象マダム・キュベリイに腕を掴まれたフレア。
それを合図に、必死の抵抗虚しくフレアは、一斉に襲いかかった死者たちの手によってあえなく――。
溶岩の中へと、引き込まれていったのだった。
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アトモフィス・クレーター内部、「アトモフィス自治領」。
ここは――。かつてサタナエルの「本拠」であった場所だ。
レエテ・サタナエルの手によって“魔人”ヴェルが死に、滅亡の憂き目を見た組織サタナエル。
レエテが仲間たちとともに、囚われの一族女子を解放し、国としての整備を行い――。
エストガレス王国の衛星国として、レエテ自身が伯爵として統治に立つことで成立した、大陸で最も新しい国家だ。
かつては「本拠」の宮殿であった建造物を質素に改築した居城、アトモフィス城。
その最上階、かつて“魔人”の居室であった伯爵執務室で、主であり親友であるレエテ・サタナエルと向かい合ってソファに腰掛ける、自治領魔導将軍ナユタ・フェレーイン。
その数日前、兄弟子ヘンリ=ドルマンを魔導でねじふせ、念願である大陸最強の魔導士の称号を手に入れていた。
その際、ヘンリ=ドルマンの提案によってボルドウィン魔導王国の女王となり、かつての大導師府の理想を受け継ごうと意志を固めたナユタは――。
自治領に暇を告げるため、レエテに会談を申し込んでいたのだ。
王国統治と理想に関して、ナユタの実力を惜しみ寂しさを訴えながらも、レエテは大いに賛成してくれた。
その話に続けて――。
これまで話したことがなかった、魔導生物ブラウハルトと大導師府での仲間たちとの過去について――。長い長い話をレエテに語って聞かせていたのだ。
長時間にもかかわらず、レエテは真剣な目で何度もうなずき相槌を打ちながら話に耳を傾けてくれた。
そして全てを語り終えたナユタは、ふうっと大きな深呼吸をし、目を閉じてソファに深く身を預けた。
「そんなところが、あたしの過去の物語、さ。レエテ。
すまないねえ。特にブラウハルトのことがあって、あたしはこの物語――そうだね、『ブラウハルト・サガ』とでもいうべきこの物語を、師兄とランスロット、あたしの3人の中だけにずっと留めたくて誰にも話していなかったんだ。
あたしが皆に誓った、大陸最強魔導士の夢。それを実現した今ようやく、このことを他人に話す気になったってところなんだ。
とはいえまずは、あんた一人にだけだけどね、レエテ」
ナユタの言葉を聞いたレエテは、ふっと笑いをもらした。
戦闘服を脱ぎ、身体にフィットする白黒のドレスに身をつつんだ彼女。柔和な性格に似合った、両膝で肘を立てた両手で顎を支えるポーズで、貌を前に出して云った。
「話してくれてありがとう、ナユタ。気持ちがとっても嬉しいし――。何よりすごく心をうつ良いお話だったわ。
あなたにそんな大変な過去があったこと。ランスロットとの出会いがそうだったこと。陛下との絆。ブラウハルトやラウニィーやダンのような素晴らしい仲間がいて、悲しい別れがあったこと。お師匠の仇を取ることになった経緯。
あなたが私以外に話したくないんだったら無理強いしないけど、この『ブラウハルト・サガ』は後世に語り継ぐべき物語だと思うわ。
そして私は、あなたの失った仲間たちの仇を取るお手伝いができて、とても嬉しいし誇りに思っているわ」
「――そういってくれて、あたしも嬉しいよ、レエテ。ランスロットも喜んでると思う。あんたのお墨付きをもらえるなら、心の整理をつけながら少しずつ、語り継いでいくよ。ちょうどいいから、ボルドウィンであたしの家臣になる連中に命じて、記録でもさせようかねえ」
「そうしてくれることを願ってるわ。ほんと女王になるなんて、あなたって人にお似合いといえばお似合いだけど」
「おっ、云ってくれるねえ」
「冗談よ。あなたにはエルスリードという新しい家族もいるのだし、とても大変なことだと思う。頑張ってね。私でできることは何でも、力になるから」
「そいつは最高に、心強いねえ」
「ところで――。
今の話を聞いてて、一つ私、思い出した情報があるの。
シェリーディアが、アンドロマリウスの南にあるドムレミイ村の出身なのは知ってるわよね。その幼馴染のアレクシスから聞いた近隣の村の話らしいんだけど……。
今の話を聞く限りもしかしたら、とても重要な情報なのかも知れない。詳しく教えておくから、時間を見て現地に行ってみて――」




