第三十三話 死峰アンドロマリウス(XIV)~地に舞い降りた大天使
「――何を、云ってるの、ブラウハルト?
アタシには、貴男が何を云ってるのか、全然わからない」
極めて不吉な予感をさせる、ブラウハルトの云う不可解な「生存の希望」。
しかも彼ははっきりと、云った。「俺たち」ではなく、「お前たちには」と。
ブラウハルトは揺れの収まった地面で立ち上がり、決意の表情で前の死の巨人の壁をにらみ、云った。
「俺はこれまでの鍛錬の中で、自分の奥底に潜む『ある力』に気がついていたのだ。
大導師にあえて確認していないが、おそらく彼も知らない――。魔導生物という種に例外なく備わっている、副産物のような能力だと思う」
「副産物……?」
「そうだ。
ランスロット。お前は感じたことはないだろうか? 自分の主を命をかけて守りたいと思ったとき、何か自分の身体の奥から湧き上がってくる恐ろしいエネルギーのようなもの。それに身を任せてしまったら、自分が我を失いどうにかなってしまいそうな、不思議な感覚を」
「……それは……」
「ランスロット……?」
ブラウハルトに云われたランスロットには、どうやら心当たりがあるようだ。ナユタは不安な表情でランスロットに問いかけていた。
「僕は……ナユタ、君がラージェ大森林で命の危険にさらされたとき、バジリスクどもから命をかけて守りたいと思った。そのときに、感じた。
とても危うい、衝動みたいな、力を。そう、何かこう――」
「全能感、のようなもの、だろう?
――全てを、そう――『命』を引き換えにせねばならぬような。
だから止めたのだろう?
魔導生物は己の意志で己の命を断つことは禁じられているゆえに」
ランスロットは黙った。ナユタは驚愕したが、その態度がブラウハルトの言葉を肯定していた。
ブラウハルトがさらに続ける。
「俺はその力の謎を解き明かしたいと、少しずつ力を解放することを試みた。
結果ほんの一部だが力の解放に成功した。命の限界ぎりぎりのところまでではあったが、それは――まさに驚くべき強大な力だった。俺はその力を仮に――“極武装化”と名付け、己の中に事実を封印することにした」
ヘンリ=ドルマンが叫ぶ。
「そんな、そんな重要なこと、どうしてお師匠にも、アタシにさえも黙ってたの!!」
「云いたく、なかったんだ、ドルマン」
「どうして!!」
「云えば必ず、大導師やお前はこの力自体を封じ使えなくするであろう。そうなっては、本当の危機がお前に訪れたとき守ることができる折角の強大な力を失ってしまう。それが嫌だった。
俺の――我儘だったんだ」
「――!!!」
「力を、失わなくてよかった。こうして本当の危機が訪れ、その脅威からお前を守ることができるのだから。
さあ今こそ命じてくれ、俺に。この命と引き換えにお前たちを守るための、命令を。
“極武装化”を許可する、ブラウハルト、とな」
一瞬――。
緊迫の状況であるはずの一同の間に、時が止まったかのような感覚が訪れた。
それは1秒に満たないほどであったはずだが、まるで数分、数十分であるかのように感じられた。
そしてようやく脳が、追いついたヘンリ=ドルマンは――。
涙を浮かべ、感情を全力で発し絶叫した。
「嫌よ!!!!
絶対に、嫌!!!!
貴男に死ね、だなんて――アタシの口から、云えるわけがない!!!!
云えるわけ、ないじゃない!!!!!」
その背後に――。
迫ってきていた、光り輝く一体の巨人。
8mは超えているであろうアイスゴーレムは、ヘンリ=ドルマンを叩き潰そうと右手を高々と振り上げていた。
10mもの高さから迫る脅威に、ナユタが絶叫し魔導を発動した。
「危ない!!!! 師兄!!!!」
ナユタが放った“魔炎煌烈弾”が到達するよりも早く――。
ブラウハルトが飛び出し、その腕に強烈な一撃を尾で加えていた。
凄まじい衝撃の上に、胴体にナユタの爆炎を受けたアイスゴーレムはしかし――。
ダウンすることなく、もう一方の左腕を水平に振り、第二撃をヘンリ=ドルマンに与えようとする。
ヘンリ=ドルマンはようやく振り向き、“束高圧電砲”を敵に放った。
それが胴体に風穴を開けてようやく――氷の巨人は大地に崩れ落ち、動かなくなった。
実際に戦ってわかる、その脅威の戦闘力。
かなり大きな部類に入る個体ではあるが、そいつで間違いなく、サタナエル副将の実力は超えている。
ブラウハルトやヘンリ=ドルマンでも手こずり、ナユタたちでは最早異次元と云っていい強さだ。
それを感じたナユタとランスロットは、絶望の表情を新たにした。
異常な強さをもつ化け物が、200体という途方もない数存在し、自分たちを殺すべく刻一刻と迫ってきているのだ。
大海の波を前にした砂粒と云っていいほどの、恐るべき無力感と確実な死の予感。
着地したブラウハルトは、獰猛な表情でヘンリ=ドルマンに云った。
「何を聞き分けのないことを云っている!!! この状況が見えんのか!!
『それ』以外に方法などない!!! お前が決断しなければ、助かるはずのお前たち3人の命も消えるのだぞ!!!」
ヘンリ=ドルマンも叫び返す。
「その“極武装化”とやらの力で、あの巨人どもを倒せる保証はあるの!!??
まだ出口を探せば逃げられる可能性はある!!! 諦めているのは貴男よ!!! 聞き分けのないのは貴男よ!!!」
「そんなものは夢想だ!!! 分かっているはずだ!!! 岩壁を見ろ!! 元来た出口は落石で塞がれ、石床は抜け、前方は全てあの巨人どもの壁!!! 脱出などできはしない!!!
方法は一つしかない!!! お前は、ナユタとランスロットが死んでもいいというのか!!! もしそう云うなら、俺はお前を許さんぞ、ドルマン!!!!」
「う――ぐ――!!!」
「俺だって……ここで終わること、この先これ以上お前を守れぬことは本意ではない!
だがここでお前を守れぬこと。魔導生物としての本分を守れぬことはそれとは比較にできぬほどに――本意ではない、あってはならぬことだ。
俺は大丈夫だ。この14年、本当に過ぎたる生き甲斐を与えてもらった。情をかけてもらった。
ラムゼス湖畔でも云ったではないか。
本当にお前に、感謝しているのだ。覚悟が、できているのだ」
「ブラウ――ハルト――!!!」
「俺の一生をかけた、最後の――我儘だ。
俺に――天命を、全うさせてくれ、ドルマン。
お願いだ」
ヘンリ=ドルマンは――。
歯ぎしりの音を立てながら、大粒の涙を浮かべ、拳を血が出るほどに握りしめた。
あまりに残酷だった。これほどの過酷な決断をせねばならぬのに、時は一刻の猶予もないのだ。
だが彼はすぐに――決断した。
はっきりと決意をみなぎらせた表情は、王器にふさわしい英雄の片鱗をまざまざと感じさせるものだった。
「わかった。
ブラウハルト。貴男に、“極武装化”の行使を許可するわ」
それを聞いたブラウハルトは――。
慈愛すら感じさせる笑顔を浮かべ、愛おしい主に、頭を下げ会釈をしたように見えた。
そしてすぐに跳躍し、ナユタとランスロットを守るように背中を向け、すぐ側まで近づいた。
「ブ、ブラウハルト――!
その、その――君が行くのなら――。僕だって、一緒にその“極武装化”を――」
青ざめながらも決然と云ったランスロットをたしなめるように、ブラウハルトは低く云った。
その身体には、すでに異変が起き始めていた。
身体全体が、法力ではあり得ぬほど強い「青白い光」に包まれ、姿がぼやけ始めていたのだ。
「だめだ、ランスロット。ここで誓え。お前は今もこの先も決して、“極武装化”を使わぬと。
それを行うのは、俺で最後にせねばならぬのだ」
「で、でも――!」
「お前は自分で思っているよりも、ずっと強い、良い魔導生物だ。
自信を持ち、ナユタをこの先も、守ってやってくれ。頼んだぞ」
「――!! うう――」
「ナユタ。俺はお前に、一つ詫びねばならぬことがある」
「ブラウハルト――!! いやよ、いや!! 死なないで――!!!」
「俺はお前に以前一度だけ、嘘をついた。
俺は――カール元帥の人格を持って生まれたことを一切気に病んでなどおらぬ、と。
あれは俺の、強がりだ。
俺は生まれてずっと自分が何であるのか己の存在意義に悩み――それに囚われ続け、命を絶ちたいとさえ思った、あまりに弱い男だ。
信仰にすがったのも、その苦しみから逃れたかった一心からにすぎん。強い存在などでは、ないのだ」
「――!!! ブラウハルト!!!」
「ドルマンがそれを知り、涙を流して詫び、本当の主従として俺を引き上げてくれたことで、俺は救われた。神に救われたわけでは、ないのだ。
お前は誰より才能ある、本当に素晴らしい子だ。これからもランスロットと本当の主従として助け合ってくれたら、こんなに嬉しいことはない。
願わくば、転生して人間となりお前とともに在りたかったがなあ――。俺は神の元へ行く。
今まで本当にありがとう。――ナユタ――」
ナユタは――。
涙でかすんだ視界の中で、はっきりと、たしかに見た。
青い光の中で、何か別のものに変化しようとしているブラウハルトの目に、彼の涙が浮かんでいるのを。
ナユタはブルブルと身体を震わせ、絶叫した。
「ブラウハルトおおおおおおーーっ!!!!!」
その叫びを、合図にしたかのように――。
魔導生物ブラウハルトの肉体は、急激なる変化を遂げていった!
ケルベロスの四足歩行に適した肉体。その後ろ足は内部から急成長した骨格により発達を遂げ、身体がまっすぐに立ち上がっていった。
さらには紫の体毛を覆い尽くす別の、光り輝く表皮が見る見る形成されていき、失われた左前足の部分から腕が形成されようとしていた。
尾は畳まれ身体の中に吸収されていき、またたく間に見えなくなった。
3つあった中で最後に残った中央の頭。それは骨格を再形成するかのようにバキ、バキ……と急激な変化を遂げ、全く別の形をとろうとしていた。
最後に驚異的変化をとげた、背中。
たくましい筋肉を突き抜けて飛び出してきたのは――何と、巨大な、長大な「羽」であった。
それは急成長し、翼長20m、厚さ1mほどにもなる完全な2枚の羽の形となった。
そうして、時間にしてわずか数秒の間に急激変化を遂げたブラウハルトの姿は――。
「そんな――ことって――!
これは、この姿は完全に――『天使』――?」
驚愕に身体を震わせるナユタの口から、本来のブラウハルトのそれとはかけはなれた形容がなされた。
だがその言葉に、偽りや誇張は一切なかった。
ブラウハルトは今や、立位10mに届こうかという巨躯の、全身が光り輝く「天使」の姿をとっていたのだ。
すらりと伸びた両腕と両足。紫の毛の痕跡もない、均整のとれた成人男性の体型を覆う、のっぺりとした青白い肌。
頭部こそ、鼻も口も耳も髪もない、目だけの平坦で異様な姿ではあったが――。
背中に生えた羽ともども、あたかもこの穢れた地上に舞い降りた、神の使いたる天使そのものの姿だったのだ。
人間になりたかった、そして神に敬愛を向けていたブラウハルトの想念が、究極の力を体現する彼にこのような形態を取らせたものか。
頭部に存在する目は瞳孔がなく、薄い紫の光を放つ宝石のようで、その中に一切の生気は感じられなかった。
それはもうブラウハルトの中に――彼の意志、魂が全く存在していないこと。
現在の彼が、単なる機械と同じであることを残酷なまでに感じさせる事実であった。
敵であるアイスゴーレムの大群は、もう目前10m以内にまで迫ってきている。
それらにはっきりと目を向け、“極武装化”ブラウハルトは長大な歩幅の一歩を踏み出した。
――動いた瞬間、わかった。
この「天使」の力は、完全に人智の及ばない領域のものだ、と。
目の前に現れた、異様な標的。殺気はないながら、明確な攻撃意志を示してブラウハルトに一斉攻撃を仕掛けようとするアイスゴーレムの大群は、比喩でなく雲霞のように迫った。
その数、円弧のような波で襲いかかる15体ほど。
本来のブラウハルトでも、到底捌ききれる数ではない。
しかし、15体のアイスゴーレムは、文字通り凍りついたように完全に動きを止めた。
そして次の瞬間――。
完全に水平に、均等に――。3つのパーツに完全分断され、氷塊となって地に崩れ落ちていったのだ!
凄まじい風が、呆然と状況を見やるヘンリ=ドルマンとナユタの頬を叩く。
2枚の羽が音をたてて動いていたのだ。
20mの長さから、おそらくは100mに届く長さにまで伸長増大した羽。
しなるムチのようでありながら、極めて硬質な「刃」となって、頑健な氷塊の巨人をなます斬りにしたのだ。
ブラウハルトはしかし、その超強力な羽をさらに行使することはせず、直立して両手を広げ、己の頭上高くに青白く巨大な光球を形成しはじめた。
光球は直径10m以上にまで増大したあと――。
まるで蛇のようにうねる数十条の光線となり、アイスゴーレムに向かって放たれていった!
光線は、アイスゴーレムを貫通しても勢いを弱めることはなく――。
魚の群れに投擲された網のように、またたく間に100体からのアイスゴーレムの構造体を一体あたり数発に渡って貫通する形となり――。
さらに光線から放たれた異常な熱によって、その身体をドロドロに溶かされていった!
大群の中央を完全に突破したブラウハルトは、光線を従えたまま滑るように前進し、その中に完全に身を投じた。
破壊され、もしくは溶けたアイスゴーレムの上を踏みしめ君臨しながら、長大な羽を今一度動かす。
そして光線を、新たな標的に向けて放つ。
味方を大量「虐殺」する敵の強大さも、感情を一切持たぬ無機物の巨人たちには何の恐怖も与え得ぬようだ。
味方の氷塊を乗り越え、完全に機械的に、ブラウハルトを取り囲んで攻撃を続行しようとしてくる。
しかしブラウハルトは、今度は羽と光線の両方を発動し――。
切り刻み、溶かし尽くす、これまで以上の迅速な大量「虐殺」を行った!
人間の領域をはるかに外れた、神の領域の戦い。
轟音をたてて氷塊と化していく超大量の巨人たちは、驚異的なことにもはや「一掃」状態だった。
だが、アイスゴーレムの生産は、無限。それこそが、発動者であるサタナエルも恐れたほどの真の恐怖であるのだ。
上空の天井から、さらに作り出され落ちてこようとするアイスゴーレムの群れに向けて、ブラウハルトは光球に収束した魔導光を今度は上方に展開した。
急速に広がり、洞穴の範囲も超えて、ルヴァロン山全体を覆い尽くした光は――。
膨大な熱によってアイスゴーレムを溶かしつつ、その温床となった気脈の乱れの影響を完全に浄化し――。
山全体を、気脈乱れ発生前の正常な状態に完全に戻していた。
破壊された氷塊となったアイスゴーレムの残骸が天井から落ちる中、ブラウハルトは――。
右後方に振り返り、「刃」の羽を伸ばして、元の出口があった場所に巨大な穴を穿った!
4m径の間口を得た出口は、その先に地上に向かう道筋を完全に示していたのだった。
そして、ブラウハルトは片膝を地に着くような姿勢をとり、身体を丸めた。
数秒、動かなくなったブラウハルトの体は、身体の末端から氷雪のように崩壊を始めていた。
それを目の当たりにしたヘンリ=ドルマン、ナユタは直感で理解した。
敵を排除し守るべき者を守り、命をつなぐ道筋をも作った“極武装化”ブラウハルトはその役割を終え――。
真の死を、迎えようとしているのだと。
さらさらと、風に舞う粉雪を形成しながら、“極武装化”の肉体を完全に失ったブラウハルトは――。
本来の姿を、表していた。
まるで眠っているように、地に腹ばいに座り、首を寝かせ、安らかに目を閉じたその姿。
紫の毛並みをもつケルベロスの姿を取り戻した彼の中にはしかし、もう魂が存在していないことを、ヘンリ=ドルマンとナユタは知っていた。
茫然自失の様相でふらふら、とブラウハルトに近づき、各々手を触れる二人。
柔らかいいつもの毛並みの下には、「体温」がなかった。
いつも自分たちを包み込んでくれた暖かさの代わりに、氷のような冷たさが手のひらに返される。
魔導生物ブラウハルトは、その使命を全うし――。
死を、迎えたのだった。
「…………うううう……うううう~……。うええ……えええ……」
遺体にすがりついて号泣し続けるナユタの脇で、ヘンリ=ドルマンは涙をこぼすこともなく、強い意志で笑顔を作り、云った。
「ありがとう……ブラウハルト。
アタシがメソメソしていたら、貴男は安心して神の御下に行けないわよね。
アタシは、強くなる。そして、気高い存在になる。貴男のように。
貴男という素晴らしい人に出会えたことに感謝してるから――その恩に報い、恥じない自分に必ず、なるわ。
さようなら……。さようなら、アタシのもう一人の、愛しい男……」
耐えに耐えた感情は、言葉を云い終えたことで堰をきった。
彼もまた、遺体にすがりついて涙の雫を溢し――。
しばらくの間、妹弟子とともに悲しみの感情を吐き出し続けるしかなかったのだった。




