第三十二話 死峰アンドロマリウス(XIII)~彼だけが知る、生存への――
ゼノンは法力、中でも“背教者”の技“肉体活性術”と、それを生かした格闘術に関しては天才の中の天才だった。
サタナエル入りしてわずかの間に副将となった実力。その秘めた才は己の中でも、位が上のデュオニスやメイガンを凌駕していると思っている。
光球術や実戦経験においてはまだ彼らに劣る現状おとなしくしてはいたが、伝説の“血破点開放”を開眼すべく鍛錬を続け、遠からず自分が将鬼となる未来を描いていた。
よってゼノンは、実戦において己が「負ける」想定などしたことはない。
自分は神に愛されているという歪んだ狂信も手伝って、過剰なまでの自信に満ちていた彼。
「負ける」想定をせぬ彼が、ましてや「死」など想定する道理がない。
この洞穴に堂々と現れたその時とは別人としか思えぬほど――。眉間を釣り上げ、歯を食いしばったその表情。自分のしでかした悪事に怖気づいて泣き出しそうな不良少年のような、憐れともいえる表情に変化を遂げていたのだった。
「ブラウハルト――! ブラウハルトおおおおお!!!」
甲高い叫びを上げながら、防戦一方になるゼノン。
狂える魔犬の様相と化したブラウハルトの猛攻は凄まじかった。
血破点打ちの強化された肉体の潜在力を、極限まで開放しているブラウハルト。
中央の頭部で繰り出す牙の、必殺の噛撃。
右一本だけながら、触れるだけで岩石を粉々に砕く爪の一撃。
最大の破壊力を誇る、大剣のような尾の斬撃と突撃。
それらが間断なく、恐ろしい密度で360度から迫る恐怖。
その極限状態によって、ゼノンの潜在能力は最大限に引き出されていた。
並み居る超常戦闘者が虐殺された現場で、副将の彼だけが防戦とはいえ持ちこたえていた。
噛撃、斬撃と突撃、巨体による圧力。正面から受け止めることは不可能だが、力点を正確に見極め攻撃を受け流し続けている。体術、拳撃、手刀を駆使しながら。“聖壁”の防壁によって。
だが――。
(やられる、やられる――!! このままでは、もうすぐに!
こうなれば――使うしかない。まだ鍛錬中の、あの技を!!!)
圧力を増す敵の攻撃に、破綻と己の死を直感したゼノンは、決意を固めた。
己が独自に鍛錬を進めていた未完成の技。伝説の活性術を実践することにしたのだ。
ゼノンは両手に手刀を作り、右手を喉笛に、左手を鳩尾に深々と突き刺した。
「“血破点開放”、“鬼人霊統過活性”!!!!」
そして体内に法力を全力で送り込む。
すると、変化は急激に現れた。
筋肉は異常膨張を始め、全身が赤みを帯びた赤銅色様になった。
おそらく脈拍も増加しているのだろう、血管は目に見えて躍動し、目は異常にギラついた光を放った。
増幅した魔力を感じたブラウハルトは、一度動きを止め、唸った。
「それが、貴様の奥の手か――ゼノン!! よかろう、受けて立とう! 俺の攻撃を凌げるものなら、凌いで見よ!!!!」
「おおおお!!! 僕は、僕は最強の活性術者だ!!! 必ず、勝つ!!!!」
己の最大の攻撃力を内包させ、二体の怪物は跳躍し激突した。
まずリーチに勝るブラウハルトの攻撃が、先に届いた。
身体を前転させたブラウハルトが放つ、尾の上段斬撃。
尾の根本に、すでに“定点強化”を発動している彼の攻撃は、地上のいかなる剣豪も及ばないレベルの斬撃だった。
それはゼノンの右半身を、“聖壁”に弱められながらも縦にざっくりと斬り――。
右足のつま先を粉砕し、かつ法力を流し込んで異常活性させた!
対してゼノンの反撃は、槍のような手刀の突撃。
恐るべき先端スピードと衝撃力を内包したその攻撃は、ブラウハルトの負傷した右頭部に命中し――。
頭蓋ごと、完全に分解、粉砕させた!
「うあああああっ!!!! ぐあああああ!!!!!」
「ぐぬううううううう!!!!」
互いに苦悶の絶叫を放ちながら、地に倒れ込む二人。
相打ちであるように見えたが――。
激痛のあまり右足を押さえて転げ回る血塗れのゼノンに対し、ブラウハルトはダメージに耐え抜き、法力で出血を抑えて素早く立ち上がった。
ブラウハルトの、完全勝利だ。
「終わりだ、ゼノン。今こそ俺が、引導を渡してやる。
狂った悪魔にふさわしい、地獄の底への引導をな!!!」
一本しかない前足をどうっ、と地にめり込ませ、攻撃体勢に入るブラウハルト。
ゼノンは恐怖に目を見開き、ある方向に向けて絶叫した。
「ディエグ――“第五席次”!!! 『魔石』を!!! どうか魔石の発動を!!!!
貴方にしかできません!!!! どうか御慈悲をおおお!!!!」
それは――わずかに前、ヘンリ=ドルマンに止めを刺されたかに見えた“第五席次”。その彼の、黒焦げの遺体に向けてだった。
ブラウハルトを援護しようと、魔導の発動準備にかかっていたヘンリ=ドルマンは、ギョッとした表情で己が仕留めたはずの敵を振り返った。
するとその瞬間――。
黒焦げの遺体の両眼がカッと見開かれ、遺体は上体を起こしたのだ!
驚くべきことにこの老練の超人は、まだ死んではいなかったのだ。
“第五席次”は上半身をたわませ、右手にもったメイスを洞穴の天井に向けて放り投げた。恐るべき、最後の生命の力だった。
数十kgの重量を持つメイスは一直線に飛び、天井に埋め込まれていた50cm径ほどの白い魔石に見事命中した。
魔石は瞬間砕け散り、それに呼応するように――。
洞穴内を揺るがす地震を発生させた!
洞穴内は、立っていることもできぬような揺れに見舞われ、地盤が次々と陥没を始めた。
奈落に落ちていく地盤。すでに骸となったヘイムハウゼンも、デュオニスも次々と漆黒の闇へと落ちていった。
「ぬううう!!!」
攻撃体勢に入っていたブラウハルトは、たまらずバランスを崩して地に倒れた。
足を一本失い、2つの頭部を失っている彼の今の平衡感覚では、この揺れの中立ち上がることはできない。
消耗しダメージを負っているヘンリ=ドルマンもたまらず、地に倒れ伏した。
命の火が、今度こそ消えようとしている“第五席次”は、己の周囲の地盤が崩れるのを感じながら、呻くように声を発した。
「……“第二席次”の……魔力を込めし……魔石……。
最後に開放するはず……だった……。発動した……今……貴様らに……希望はない……魔導生物……女男……。
無限の死の……使者の……手にかかるが……よい……くく……くははは……!」
その言葉を最後に、崩れた地盤とともに“第五席次”は、奈落の底へと吸い込まれていった。
そして、ようやく法力で痛みを収めたゼノンは、必死の形相で立ち上がり、跳躍した。
巨大な揺れの環境も右足が不自由な状況も、彼の超常の体術はものともしなかった。
青ざめ大汗をかきながら、まだかろうじて息のある師、将鬼メイガンをその肩にかつぎ洞穴の出口へと一直線に飛んだ。
そして落ちかかる瓦礫の中見事脱出を果たし、あとは、逃げた。
必死に、絶望的なまでに必死に、ひたすら逃げ駆けた。
一刻も早く逃れたい、恐怖から。
「はあ、はあ、はあああ!!!! くそっ!!! くそおおおおおお!!!!
こんな、こんな屈辱、認めない!!! 僕は絶対に認めない!!!!
絶対に、イヤだああああああ!!!!!」
恐怖のあとに襲ってくる、完全敗北を喫した屈辱。5人もの将が一蹴された、信じがたい結果に対する否定。
最後の手段を用いた今、敵を封じ込めたと信じているが、仮に生きてまた「奴が」己の目の前に現れでもしたら――。
ゼノンは凄まじい勢いで怖気を奮った。
彼は誓った。恐怖を消し去るため、この事実を忘れ去るため、誰よりも強くなろうと。
そしてその後は、決してこの敗北の事実を思い出しも、口にすることもない。そのことを。
涙と鼻水を流し、小水すら流しながら彼は、強く心に誓っていたのだった。
*
その数分前のこと。
気脈の流れる洞内に、気を失って倒れていたナユタは、ようやく目を覚まそうとしていた。
「う……。
ランスロット……。ランスロット……? いるかい……?」
茫漠とした視界の中で、肩のところで倒れる従僕の姿を、ナユタは確認できた。
「ナユタ……大丈夫だよ。僕はここにいる。
気脈の乱れの余波で……気を失ってたか。ほんとに君も僕も、死ななくてよかった……」
そしてふらつく頭を押さえながら、上体を起こすナユタ。
その視界の先に――あったものを見て、彼女は一瞬にして覚醒し、目を見開いて飛び上がっていた。
そしてその先に、必死で駆け寄る。
「ディトー師兄!!!! ディトー師兄っ!!!! しっかりしてください!!! 一体何が――!!
う……あああ――! そ、そんな――!!!」
そう、そこに横たわっていたのは、ディトー・エルディクス。胴に空いた巨大な傷から血を流した無残な姿で、しかしそれにそぐわない安らかな貌で伏し――骸となった師範代の姿だった。
すでに事切れていることをすぐに確認し、がっくりと膝をつくナユタ。目からは涙がにじみ出る。
傍らに駆け寄ったランスロットが、沈痛な面持ちで云った。
「気を失ってる僕らを――守ってくれたんだね。きっと身を潜めていた前の洞で、追手の怪物に遭遇してしまい――。重傷を負ってここまで来て――亡くなったんだね」
ディトーがサタナエル副将であり、決別した主の将鬼と戦い死したことなど、知るよしもない。
だが彼女らを守ろうとしたことは事実であり――。その満足した表情から見ても、その勇気と仲間への愛情から犠牲となったことに変わりはない。
ナユタとランスロットは目を閉じ、大切な仲間の死を悼んだ。
しかし、そのように黙祷を捧げる猶予もなく――。
異変はすぐに、訪れた。
突如として、立って居られないほどの地揺れが洞穴内を襲ったのだ。
轟音とともに石壁からは落石し、砂煙を上げる惨状に、ナユタとランスロットは悲鳴を上げた。
「きゃあああ!!!!」
「わああああああ!!!!」
そして二人は、脱出口である唯一の出口に向かって地を這うようにして向かっていった。
必死の足取りで、ようやく出口に差し掛かり、その向こうに這い出た二人を待ち受けていたのは――。
あまりに信じがたく受け入れがたく、脳が追いついていかない大異変の光景だった。
地揺れによって、多くの石床が崩れ落ちた中で、ヘンリ=ドルマンとブラウハルトは身をかがめながらも無事でそこに居た。
しかし魔力を消耗しきっているかのようなヘンリ=ドルマン、そして何よりも――。
2つの頭部と左足を失うという、恐ろしい重傷を負ったブラウハルトを見て、ナユタは取り乱し絶叫した。
「ブラウハルト!!! ブラウハルトおおお!!!!
何が、何があったの!!?? 大丈夫!!?? 大丈夫なの!!??」
その声に振り向いたブラウハルトの表情は、優しかった。
「ナユタ、ランスロット。目が覚めたか、良かった。
だが――この状況においては、もしかしたら眠っていてくれた方が、苦悩を味あわせずにすんだかも知れぬな」
ブラウハルトが口にした、「苦悩」。
その原因は、彼とヘンリ=ドルマンの目の前に立ちはだかる、恐るべき大きさと数を誇る、「アイスゴーレムの群れ」だった。
彼らは、崩れた天井から雲霞のごとく発生してきたのだ。
“第五席次”が発動した、魔石。その内包する膨大な魔力が起こした現象は、このルヴァロン山に無尽蔵に眠る永久凍土への、「干渉」だったのだ。
山と同体積とさえいえる、膨大な氷であったその物体は、折からの気脈の乱れによって悪しきゴーレムを生み出す温床となっていた。
そこに干渉によって歪みを生じることにより、堰をきった大河のように無尽蔵の、しかも巨大なアイスゴーレムを大量発生させるに至ったのだ。
ブラウハルトの完全抹殺を目論むサタナエルは慎重に慎重を期し、この罠を用意していたのだ。
おそらく将鬼ヘイムハウゼンのボルトによって、魔石はあらかじめ天井に埋め込まれていた。
そして破断することによって、魔力をいつでも開放できる状態にあった。
開放すれば自分たちも危険にさらされるため、脱出の段階でヘイムハウゼンか“第五席次”のいずれかの遠距離攻撃によって破断、発動させる目論見だったのだろう。
揺れは次第に収まってきたが、それは次なる地獄への序章にすぎない。
目の前に居るのは、5mを超える超級のアイスゴーレム、その数おそらく200体以上。
光り輝くプリズム状の身体の頑健さ、鋭利な両手の円錐、秘めたパワー。
山に蓄えられた大エネルギーを誇るかのように、その強さは洞穴の入り口で遭遇した雑魚などと全く比較にならない。
戦わなくとも、わかる。彼らの秘めた戦闘力は、少なくともサタナエルの副将以上。
巨大な個体であれば、将鬼をも凌駕する強さを秘めているかもしれない。
それが数百体に及んでいる現状は、「真の絶望」それ以外のものではない。
逃れられない、確実に過ぎる「死」。
諦観をもただよわせたブラウハルトに追従するかのように、ヘンリ=ドルマンもまた死を覚悟した笑みをもらした。
ただ――その直後、巻き込んで道連れにしてしまうことに心を痛め、恐怖に貌を歪めるナユタ達に苦悩の表情を向けた。
「すまないわね、貴女たち――。
けどアタシは、どうにかして貴女たちだけは――」
しかし――。
何かを云いかけたヘンリ=ドルマンを遮るように、傍らのブラウハルトは低く、口を開いたのだった。
「ドルマン――。
諦めるのはまだ、早い。『お前たちには』まだ、生存の希望が残されている。
それには主、お前の協力が必要だ。
どうか、聞き届けてくれ。そして俺に、ためらわずに命じてほしい。
俺の主への、そして真の友人たちへの、最後の奉公のために――」




