第三十話 死峰アンドロマリウス(Ⅺ)~信仰VS狂信
「俺は信仰を得る幸運に恵まれ、今日のこの日まで偉大なる神を崇め、その御心に従ってきたつもりだ。
本能を、感情を制し、人に清くあれと励んできた。努め続けてきた」
巨大な爪を大地に食い込ませ割り、すでに血破点を打たれた鋼の肉体を痙攣させ、ブラウハルトは唸った。
「その俺にとって、初めての、経験だ。
防衛でなく、義心からではなく――。ただひたすら――。
憎い……! 恨めしい……!! 殺し尽くしたい……!!! 地獄へ叩き落としたい!!!!
覚悟、せよ……!!! 己等全員、臓物引き摺り出してこの世から消し去ってくれるわああああ!!!!!」
刹那――。
ついにブラウハルトは、己の激情を力に変えて、解放した!
直径3mにもおよぶ火山弾、という自然の脅威にも匹敵するその肉体は、ゼノンに向けて猛烈に進撃した。
まだ血破点を打ってもいないゼノンはしかし、欠片の動揺も見せぬ直立不動でこれを待ち構える。
その姿に覆いかぶさる巨大な影のごとく、3つの口から牙をむき出し襲撃せんとするブラウハルトの身体は――。
突如側面から撃ち込まれた、ボルト――1mという馬鹿げた長さを持つ極太のそれによって、勢いよく吹き飛ばされた!
「グガア――オオオオオオ!!!」
杭のようなボルトは、ブラウハルトの右肩に深々と突き刺さり、彼の身体を5m以上も移動させた。その発射元、銃身1.5m以上のあり得ぬ巨大さを誇るクロスボウ――。その主たる“投擲”将鬼ヘイムハウゼンは、ケダモノのような黒い剛毛を振り乱しながら吠えた。
「どうだ!!! オレの“黒蓮骸竜弩”の味はああああ!!??
馬車ごと敵将を粉々にする威力、思い知ったか!!! ああああああああんん!!??」
ブラウハルトは恐ろしく獰猛な眼光で、ためらうことなく右の首を曲げてボルトに噛みつき、一気に身体から引き抜いた。大量の鮮血が噴き上がると同時に、体内から法力が淡い光として発生し、傷を再生し始める。
そこへ――巨大な人影が急激にブラウハルトに接近する。
柱のごとき二本のメイスを振り襲撃する、鉄塊のごとき老人“第五席次”だ。しかしその間に割り込むように、魔導の壁が発生する。
「そうはさせないわよ!!! 障壁!!!」
ヘンリ=ドルマンだった。彼は不覚にもサタナエル幹部たる超常の敵群に足が竦み、一瞬とはいえ動きを止めてしまっていた。しかし従僕の砲弾のごとき攻めに正気を取り戻し、その危機を救うべく動いたのだ。
それは功を奏し、暴虐的な二本の鉄柱の衝撃を見事、防いだ。
その間にブラウハルトは飛び退り体勢を整え、次なる敵に向かっていった。
「小癪な――落ちこぼれ皇族の女男ふぜいが!! 邪魔をしおって!
よかろう、貴様から先に我がメイスの錆としてくれよう!!!」
“第五席次”の標的は、彼の“斧槌”属性を苦手とする魔導士たる、ヘンリ=ドルマンに移行した。
「いいわ――かかってきなさい! レヴィアタークに不覚をとったアタシの対“斧槌”鍛錬の成果、貴男を倒して証明してやるわ!!!」
一方ブラウハルトは、将鬼ヘイムハウゼンに喰らった手痛い一撃でいくらかの冷静さを取り戻していた。
そして感情を排した脳で考える。絶対不利な条件を突き崩すには敵の頭を攻撃する以外にない。
ゼノンは殺したい相手であるが、場の指揮官を冷静に見極め、その指揮を断つために標的を変更していたのだった。
そして向かった相手は――“法力”将鬼メイガンだった。
ブラウハルトを殺す動機を持ち、最も積極的に動いているはずのギルドの首魁以外に、この場の指揮官たりうる存在はいない。
標的を見据えたブラウハルトに、不敵な視線を返すメイガン。しかし彼は今、ゼノンの他にもう一人の、それも位が上の腹心を連れているのだ。
その男、統括副将デュオニスは破顔すらした異様な表情で、ブラウハルトを迎え撃つべく跳躍した。
「噂どおり、強いだけの怪物ではないようだな!! ケルベロス!!!
だがメイガン様にまでたどり着かせん! この神の徒デュオニスが相手だ!!!」
すでに血破点を打ち、盛り上がった筋肉のデュオニス。長身の彼が形成した筋肉はきわめて長くしなやかで、かつその攻撃精度は凄まじいものだった。
正面から圧倒的パワーで押し切ろうとするブラウハルトに対し――。力点を正確に見極めたデュオニスは、襲いくる大木のごとき前足、爪の攻撃に対し右の拳をあわせた。前足の側面にヒットした拳撃は、法力を込めたブラウハルトの攻撃を反らす。
「――!!!」
驚愕するブラウハルトの前でデュオニスは、そのまま弧を描くように左足の蹴りを繰り出す。大剣のごときその攻撃は前に突出していたブラウハルトの右頭部を捉え、その右目ごと頭部をざっくりと切り裂き赤黒い組織と鮮血を飛び散らさせた。
「グッオオオオオオ!!!」
痛みと怒りで叫び声を上げ、長い白刃の尾を振って反撃に転じるブラウハルト。
デュオニスは着地するも不十分な体勢であり、確実に仕留めることが可能なはずだった。
しかし――。
彼の背後から、より強力な術者が援護に飛び出していたのだ。
「――そうはさせんぞ、ブラウハルト!!! “過活性放出”!!!」
両手から巨大光球を発生させた、将鬼メイガンだった。
己に命中しようとしているその光球の、極限の危険度を認知したブラウハルトは即座に攻撃の尾を引き身体を反らせようとするが――。
わずかに、間に合わなかった。メイガンの右手の光球が半分ほど、ブラウハルトの左前足を捉えてしまっていた。
強力な法力の塊である光球は、瞬時にブラウハルトの左前足の細胞を異常活性させ――。
耐魔の抵抗も許すことなく、筋肉と骨を爆散させ、粉砕した!
「ヌウウウウアアアア!!!」
「ブラウハルト!!!!」
ブラウハルトの悲鳴と、一瞬意識を向けざるを得なくなったヘンリ=ドルマンの悲痛な声が木霊する。
ブラウハルトは反らした身体をそのままに、大きく後方へと飛び退り着地した。
そして周囲を確認し、次の行動に移ろうとしていたブラウハルト。後方を振り向いた左の頭の両目が――。
恐るべき光景を、捉えた。
地獄の魔獣のような、黒い髪を振り乱した大男、将鬼ヘイムハウゼン。
彼が狂気にぬめった両眼と、100kgは超えるであろう巨大クロスボウの照準をこちらに向ける、身も凍るようなその景色を。
「死ねやあああ!!!! ケルベロスの化け物おおおおお!!!!」
ヘイムハウゼンは怒声を上げ、背後の至近距離から巨大ボルトを打ち放つ。
さしものブラウハルトも――。これをかわし切ることは、不可能だった。
わずかに身をずらし、中央の頭と胴体という急所をかわすことはできたが――。
彼の左の頭部は、杭のごときボルトの直撃を受け、赤い柘榴のように爆散してしまった!
「オオオオオオッ!!!!」
「――あああっ!!!!」
ブラウハルトは中央と右の頭で無念の叫びを上げ、ガックリと大地に崩れ落ちた。
あまりの状況に涙ぐむヘンリ=ドルマンも、大敵を前にしている状況では救出に行くことはできない。
滝のように血を流しながらも、必死の再生の光を放つブラウハルト。
しかしこれだけの負傷を受けては、さすがに動き出すことはかなわない。
そのブラウハルトを追い詰めるサタナエルの将3名は――。
余裕の笑みを浮かべながら歩み寄り、彼を取り囲むように至近距離に立った。
やはり、大陸に君臨する最強暗殺組織の将達。魔導生物として規格外の、圧倒的強さを誇るブラウハルトをして攻撃を届かせることができない。一方的な攻撃を受け危機に陥ってしまった。
慎重を期すと宣言したメイガンの言葉に偽りはない。彼らも将として多対1にならざるを得ない状況は本意でないだろうが、やはり集団の力は極めて強い。突破口が見いだせない。
統括副将デュオニスは、不遜な笑みを湛えたまま、止めを刺そうとしているのかブラウハルトの至近距離まで歩み寄ってきた。
ブラウハルトは右肩に刺し傷、右頭部を斬撃で割られ右目欠損、左前足欠損、左頭部完全欠損という見るからに瀕死の状況。無抵抗の中央の頭を割りさえすれば勝利は確定という状況だからだ。
「終わりだ、ブラウハルト。お前を地獄に叩き堕とすという名誉、拙僧が頂戴しよう。
この世に生まれるべきでなかった、最も穢れた魂。神に信仰を持ち法力を使うなどという、あまりに畏れ多い罪深き魂。今こそ終焉させてやろう!!!」
そして先程のメイガンの技、“過活性放出”を右手に出現させ、一気に振り下ろそうとする。
それが頭上を襲うまさに瞬間、ブラウハルトの残された3つの眼が、閃光のごとき強い光を放った!
「“白光雷槌”!!!! 」
ブラウハルトの身体から発されたそれは、ぞっとするような力を内包した、死の法力の樹だった。
上空へ伸びる白光の枝の一つでもデュオニスの身体に命中したが最後、彼の全神経を細胞を破壊する死の技。
油断しきったデュオニスは、その渾身の反撃を喰らう以外にない。
「――うあ――!!!」
しかし――その死がデュオニスを襲うことは、なかった。
ブラウハルトの側面から現れた、強力に過ぎる援護の手に、よって。
「“裡門”!!!」
それは血破点打ちを完了した、副将ゼノンだった。
あまりに力強い筋肉で覆われた肉体。それが低い体勢から全力ではなった肘の一撃。
城門をも破壊するであろうパワーを内包する兵器級の技は、技発動に入っていたブラウハルトの無防備な右脇腹に命中し――。
彼の3mに届く巨体を、一気に吹き飛ばしていった!
「グッ――!!!!」
ブラウハルトは内臓にダメージを受けたまま7~8mを飛ばされたものの、3本しかない足でどうにか、踏みとどまった。
ゼノンは構えを崩さないまま、冷笑をたたえてデュオニスに云った。
「油断大敵ですよ、デュオニス様。この化け物をそこらの怪物と一緒にしては命を取られます。
貴方を救って差し上げたお礼は、アーシェムとアシュラを一日僕に預けてくださることで手を打ちましょう」
「――感謝はする、ゼノン。だが我が珠玉の、双子の娘を貴様に預けるのだけはお断りだ。
まだ6歳の我が娘に向ける、貴様の邪な視線を考えればな」
「それは、至極残念。けど諦めませんよ。僕ももっと大きな手柄を立てませんとね」
肩をすくめたゼノンを睨みつけ、ブラウハルトは――不敵な笑みを漏らし、将らに云った。
「貴様らサタナエルの将の、実力は認めよう。だが数を頼み、4人がかりと云うにしては少々物足りぬな。
このブラウハルトは――まだ生きているぞ。まだ、足と頭を一つずつ失っただけだ。今見せたとおり、十二分に貴様らを殺せる技も力も持ち合わせている。
俺は将鬼レヴィアタークという男と立ち会ったが――。正直云って貴様ら一人一人は、あの化け物の足元にも及ばん。将鬼だ、統括副将などと云っても、だいぶ格に差ありと見たがな。
まだ十分に、勝機あると思わせる程度にはな」
「――!!!」
「き――!!!!」
ブラウハルトの、挑発だった。いくらか本心ではあったが、レヴィアタークの名を出し持ち上げたのは想像以上の効果があった。特に同じ将鬼として激烈な対抗心を持っているのだろう。ヘイムハウゼンとメイガンの逆上ぶりは凄まじかった。
自分の身体を欠損させた、特に強烈な技を有する彼らの冷静さを失わせればまだ十分に勝機はある。そう考え、身を低く構えたブラウハルトに、横合いから極めて冷静で柔らかな声がかかった。
「ブラウハルト。僕はここに辿り着く前、実はちょっと寄り道をしてね。
地下道を回って来てみたら、上の洞穴から降ってきた君の若いお仲間たちに会ったんだ」
「――!!!!」
ゼノンだった。彼からの「若い仲間」という言葉に、今度は自分が激烈な反応をみせるブラウハルト。
「なんて名前だったかな――。そうそう、そうだ。ダン、とラウニィー、て名前の――。男の子と女の子だったよ」
「――貴様――!!! ダンとラウニィーを――どうしたのだ!!!!
あいつらを、あいつらを――!!!」
「なかなか強力な、いい魔導士だった。炎熱魔導と、風魔導を使って――特に女の子の方が結構な手練だったけれど。残念ながらサタナエル副将である僕の敵になるとまではいかなかった。
組織の、『可能な限り、大導師府の戦力を滅する』の方針にしたがい、永久に口を閉じさせてもらったよ。
二人共――『ナユタ』だっけか? その子の名前と、君の名前を死の間際まで口にしてたがねえ。惜しい人材をなくし、心からお悔やみを申し上げるよ、ブラウハルト」
ゼノンは――。
意趣返しの思いつきで、ブラウハルトを挑発する意図で、云った。
ダンとラウニィーの死を告げれば、ブラウハルトが冷静さを失い、決着できるだろうと。
ラウニィーを殺したのはフレアだが、裏切りの事実を隠し彼女を潜伏させ続けたいゼノンとしては、自分の仕業にして何ら問題はない。
嘘を取り混ぜているが、効果は絶大だろうと思った。
だが彼はすぐに――そのことを口にしてしまった己の行為を後悔することとなった。
異変が、起きていた。
ブラウハルトの肉体が、「巨大化」していたのだ。
現実に巨大化した、わけではない。そうとしか認識できぬぐらいに――。
魔力の波が「巨大化」し、盛り上がった筋肉の密度が「巨大化」し、闘気が、何よりも殺気が極限まで「巨大化」していたのだ。
明らかに、一寸前のケルベロスの魔導生物とは違う「もの」がそこにいた。
洞穴内に響き鼓膜を裂くような歯ぎしり。大地に突き刺さる爪。浮き上がる血管と、弾ける筋肉が発するビキ……ビキ……という身を凍らせる低い音。
赤く血走った眼でゼノンを射抜き、ブラウハルトは「腹」から「喉」から呪いの低音を発していた。
「貴様……よくも……よくもおぉぉ……!!!!
ダンを……ラウニィーを……殺した……というのか……その汚らわしい手で……!!!
許さぬぞ、小僧ぉ……殺してやる……その頭打ち割り……目をくり抜き……臓腑を引き出し……!!!!
忌まわしい口を塞いでくれる!!!! 地獄に堕としてくれる!!!! 未来永劫、底辺の牢獄で苦しませてくれる!!!!
殺ス!!!!! 殺シテクレル――!!!!!」
「――ひっ――」
不覚にも、女のように怯えた声を発してしまったゼノンの目前で――。
地獄の守護者、魔犬はついに動き出してしまった!




