第二十九話 死峰アンドロマリウス(Ⅹ)~神を騙る者
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愛弟子たちが、最後の決戦に臨もうとしていた、その同じ頃。
弟子全員と二手に別れ、単身気脈の封印に向かっていた大導師、アリストル・ダキニ・クロムウェルは――。
ナユタからわずかに遅れて、封印を果たしていた。
そこはアンドロマリウス連邦の北東の険、ダーレイ山。
その最奥部の洞穴にて、炎と光魔導で照らしながら雷撃と風魔導を打ち込むという、彼にしかできぬ離れ業で見事、巨大な気脈の乱れを収めていたのだった。
途中の怪物どもも単身で虫のごとく蹴散らし、大導師の名に恥じず全く危なげない探索任務を展開した。
巨大な気脈による収束の余波についても、アリストルにとってはそよ風のようなもの。多少の頭痛と気分の悪さを自覚したぐらいで、ほぼ体調に問題がなかった。
ルヴァロン山と同様の巨大洞穴の中央で、しぱしぱする目をこすっていたアリストルは――。
途端に眼光鋭く、背後の洞を振り返って云った。
「この儂を――追いかけ回すなどという行為は、若い淑女限定にしてもらいたいものだがな。
そろそろ出て来てはどうだ? サタナエルの御仁よ。途轍もない魔力をお持ちのようだし、儂も貴殿に興味津々なのでな」
飄々としながらも、鋭い殺気のこもった言葉を受け――。
洞から歩みよってきた、男の影。
それは、若い男ではなかった。
60前後と思われる、老境だ。豊かで真っ直ぐの長い髪は真っ白で、髭もなく引き締まった細面の貌は、無数の険しい皺で覆われている。
鋭利さと若々しさを感じさせるものの――。確実に年齢を重ね、そして年輪以上の叡智を感じさせる「偉大さ」に満ちている。同時に、アリストルが相対したことがないほどの強力なる魔力を内包、放出させている人物。サタナエルには違いなかろうが、相当な大物であることが伺い知れる。
男は、不敵な笑いをもらしながら言葉を返した。
「私は貴殿を追いかけ回しも、隠れていた積りもない。心外な云われようだな。
私はサタナエル“七長老”が一人、“第一席次”と申す者。以後お見知りおきを願いたい」
「プライドをお持ちで冗談の通じぬ、儂と一番馬が合わぬ御仁のようである意味安心した。
何と、サタナエルの“上帝”たる“七長老”の主席であられるとは。
実質この大陸の支配者に相違ない、偉大極まる存在にお目通りかなうとは、まったくもって光栄の至り」
本来皇帝に対して行うべき最上位の礼を、わざとらしい腰つきで行うアリストル。
それに全く反応することなく、“第一席次”なる男は続けた。
「アリストル。まず断っておくが私は、貴殿と交戦する積りは毛頭ない。
貴殿は我が組織に従わぬ忌々しい存在ではあるが、同時にまだ大陸になくてはならぬ人物であるとも認識している。
ここへ参ったのは、此度の件に関する我が組織の思惑と、貴殿への警告を伝えるためだ」
「貴殿にその積りがなくとも、儂が貴殿に危害を加える可能性は考慮しておらんのか?
弟子を幾人も、直接間接問わず殺しておる貴殿らを、儂が憎悪しておらぬとでも? “第一席次”」
「くだらぬ。そのようなこと、出来る訳がなかろう。
貴殿から私に危害を加えるような事態になれば、それは正真正銘のサタナエルへの反逆。
大導師府も、ノスティラス皇国も、我が組織の本気の粛清を受けることになる。貴殿一人だけは実力で生き残れる可能性はあるが、それは全く望むところではなかろう?」
「……ご明答、だな」
「此度の気脈の乱れに始まる一件は、気づいてはおろうが我が組織が意図的に起こしたものだ」
「で、あろうな」
「ダーレイ山は私が法力で、ルヴァロン山は“第二席次”が魔導により気脈を曲げた。
二箇所起こした理由は、勿論貴殿が確実に弟子らと分断されざるを得ない状況を作り出すため」
「それも、想像はついておった。確かにそれ以外で儂を完全分断する方法はなかろうが、まさか本当にここまで大げさで馬鹿げた行為を実行するとは思わなんだ」
「それをさせた最大の理由は――。大導師府最強の魔導生物ブラウハルト、将鬼と同等の強さを持つという奴を、確実に滅ぼすという目的を達する、そのためだ」
――やはり、か――。
アリストルは無念のあまり黙して強く歯噛みした。
「私は敬虔なるハーミア聖職者の家系の出でな。そも魔導生物が神の力である法力を用いるなど、『断じて』認められぬことと考えておる。我が組織に命じ奴を慎重に観察し、罰を処す機会を伺ってきたが――。
先日交戦したレヴィアタークの報告によって、倫理上の理由以外に純粋な力の脅威となりうる存在であることが明らかになった。よって、サタナエルとして捨て置く訳にはいかなくなり、組織を上げての処断に及んだという訳だ」
アリストルもブラウハルトからの報告で彼が狙われている事実は掴んでおり、“法力”ギルドに対しては最大限の警戒をしていたはずだった。
だが誤算は、サタナエル頂点の権力を持つ存在こそが、ブラウハルトに個人的憎悪を持つ法力使いだったこと。組織の総力を上げてなりふり構わぬ作戦を展開しうる首領が、本気を出して潰しにかかるなどという事態になられては、さすがに対抗のしようがない。
「“法力”将鬼メイガンを主とした勢力をアリストル、貴様が向かわなんだ山に展開し、殲滅をはかる計画だ。他ギルド全てにも協力を命じているゆえ、今頃あの穢れた魔導生物の誤てし命の火も、風前の灯火であろう」
――その瞬間。
抑えに抑えていた激情をこらえ切れず、恐るべき憤怒の形相に変化したアリストルからついに――。
魔力が魔導の形態をもって、周囲に発散された。
巨大な黒い球のごとき、不気味な波動。それが瞬時に拡大し、数十mの距離ある石壁まで一気に到達し――。
何と、まるで削り取るかのごとく、数m分の厚さの大量の岩を「消滅」させてしまった!
同時に、それに反応してか――。
“第一席次”の周囲からもまた、法力の爆発的なエネルギーが立ち上り――。
天井から、10本にもおよぶ巨大な木の根が降り、“第一席次”の前面に超堅固な格子を形成した!
しばらく、魔導と法力の超絶技の応酬の余韻の間の後――。
口を開いたのは、“第一席次”だった。
「素晴らしい――! 初めて目にしたが、それが封印されし究極の魔導、“絶対破壊魔導”か――!
物質の元素を操り、消滅までさせうる空恐ろしい威力、とくと目にさせてもらった。
しかし、よくぞ理性で耐え抜いたな。私に攻撃を届かせるには至らなかったゆえ、反逆とまではみなさず大目に見ようぞ」
アリストルは歯ぎしりしながらも、低く唸るような言葉を発した。
「貴殿も、さすがはかの組織の首魁。恐るべき法力を使う。
だが――そのようなもの捻り潰し、ズタズタに引き裂いてブチ殺してやりたいという儂の怒りも、存分に理解は頂けただろうな?
覚悟、しておるが良い。今ではなくとも必ず、その取り澄ました面を恐怖に歪め
、死を与えてくれる。それは貴殿だけではなく、無論組織もだ。大陸をいいように操るおのれら外道、殺人者どもを決して野放しにはせぬ。たとえ儂でなく――その弟子であっても。必ず、だ!!」
身震いするほどの怒気の波にも臆することなく、“第一席次”は笑みを浮かべながら踵を返し、軽く手を振りながら洞穴を後にしていったのだった。
アリストルは、魔導を収めながらも厳しい表情を継続し、南西の方角に向けて呟いた。
「皆――儂の愛しい子らよ。決して、死ぬな――! 頼む、生きて、帰ってきてくれ……!」
*
アリストルの思いが届いてか届かずか――。
常ならぬ魔力を発散させながら洞穴の裂け目をくぐったヘンリ=ドルマンとブラウハルト。
気脈の乱れがあった洞穴とほぼ同程度の大きさを誇る巨大空間には、二人が予想していた景色が展開されていたのだった。
「ようこそ、地獄の底へ。ヘンリ=ドルマンならびに魔導生物ブラウハルト。
最高のゲストに我らサタナエルが、最大限のおもてなしをさせて頂こう」
やや芝居がかった口調で語りかけきた壮年の男は、洞穴石壁の中央部の高台に立っていた。
短めの金髪の下は非常に精悍な美男子で、筋肉に覆われた肉体に白銀鎧を身に着けている。身長は195cmを越えているだろう。長い手足を持ち、距離あるリーチの両手を広げ、表情には満面の笑みが讃えられえていた。
「拙僧は元法王庁司教にしてサタナエル“法力”統括副将、デュオニス・ルービンだ。
我が後方に控えるは、すでにお見知りおきだろう将鬼メイガン様。
そちらは、“投擲”ギルド将鬼、ヘイムハウゼン・グラント様。
さらに“七長老”の“第五席次”様」
すでに石壁に沿って、ヘンリ=ドルマンとブラウハルトを取り囲むように展開する4人のサタナエル超越者たち。
実力の一端を垣間見ているメイガンに加え――。巨大クロスボウを携える獣のような黒い長髪の大男と、魔導士に対し相性の良い“斧槌”ギルド出身と思われる、巨大メイス二刀流の巨躯の老人がふてぶてしい眼光でこちらを射抜こうとしてくる。
それに対し激情の収まらぬブラウハルトは、統括副将デュオニスに言葉を返そうとしたが――。
背後からかけられた、なめらかな口調の若い男の言葉に遮られたのだった。
「おっと、ブラウハルト。この僕も、間に合ったよ。君が必ず殺すと宣言していた敵である――“法力”副将、ゼノン・イシュティナイザーもね。
興味、あるねえ。サタナエルでも10本の指に入るであろう我ら強者相手に――。しかも、2対5という圧倒的劣勢を前に、君がどのような戦いを見せてくれるのかが。
もちろんどのように抵抗しようが足掻こうが――。最終的に外法の存在である君の死をもって終わるという結果だけは、神によって定められていることだけどねえ!!」
背後に邪悪な気配とともに立つ、赤い衣装の美青年――ゼノン。
この場の邪悪な将どもの誰よりも、危険な狂気を内包し危険視する怪物を、ブラウハルトは恐るべき眼光で睨みつけ、前足の全ての爪を突出させて戦闘態勢に入っていたのだった。




