第二十八話 死峰アンドロマリウス(Ⅸ)~決意の守護者
ディトー・エルディクス。大導師府の師範代として、序列第五位という地位を持つ男。輝かしい経歴と清廉なる人格をもって知られる存在が、実は――。
サタナエルの将という悪の一角に他ならぬという、その事実。
ディトーを見下ろす将鬼ゾイルは、さらに厳かに続けた。
「お前はこれまでの数年間、実に役立ってくれた、ディトー。
内部の人間として入り込み、大導師府の情報を逐一正確にサタナエルに流した。不穏な動きを未然に防止するにも、気脈の封印の動きを掴むにも、最大限の貢献を我が組織にもたらしてきた。
そんな忠義の士であるはずのお前の、今の行動の真意を聞こうか。ディトー」
ディトーに近づくゾイルは、その詰問口調が象徴するがごとく――。
より増強する魔力の刃を、彼に突きつけてくる。
「お前は此度の探索任務において、ヘンリ=ドルマンとブラウハルト、および気脈の封印者の監視を担っていたはず。ここに至るまで、それは見事に完遂しておった。
だが今、自らが封印を担おうなどという愚挙を実行しようとし――。および封印を成した実力者たるその小娘を救おうとしたことは、大いに我が組織への反逆たりうる行為。
真意を、述べよ。それ如何によっては、お前を処さねばならぬ」
その言葉を受けたディトーは――。
毅然たる鋭い視線を崩さぬまま、主を正面から見据え、云った。
「なれば我が身は間違いなく、処断の対象となるでありましょう、ゾイル様。
今や私は、はっきりと己の心の在りようを悟っております。
私はサタナエル副将である己よりも――。清き偉大なる魔道士の府にて、彼らの弟子であり師であり、『仲間』であるという己を強く望んでおりまする」
「――貴様――!!」
「ゾイル様には、故郷ボルドウィンで命を救われた幼き頃より授かりし、報いきれぬほどの大恩あれども――。
もう己の心を偽ることができませぬ。
大導師も師兄らも、もはやそれ以上に私の大切な存在。もちろん許伝の可愛い子らも。恩知らずとの非難、甘んじて受けましょう。
偉業をなしとげたこのナユタが、私の道を示してくれました」
ディトーはゆっくりと立ち上がり、手に持つロッドに最大の技、氷結魔導を充填させ始めた。
「先刻ある裏切り者の女も、私の秘密と引き換えにこの子を殺せと脅してきましたが――。断じてそのような真似はできませぬ。
大陸の未来の光となるべき可能性を――俺は命をかけて、守ってみせる!!!
“死花零雪波”!!!」
ディトー最大の魔導技は、瞬時に前方に展開した極低温の波を、主に向けて放たせていった。
しかし、ゾイルは一分の動揺すら見せず冷静に、強力極まる対処を実行した。
「“雷槍災撃”!」
主が得意とする、雷撃魔導だった。決して上級とはいえぬ技だが、サタナエル最強クラスの魔力はその威力を馬鹿げたものに昇華していた。
手すら振らずに発動した雷撃の巨大槍は、ディトー渾身の氷雪と正面からぶつかり、巨大な衝撃光を発した後――。
跡形もなく消滅させ、自身の威力を弱めながらもディトーと、気を失ったナユタとランスロットに迫る。
しかしディトーはその状況を完全に予測していたと見え、すでに耐魔に移行を完了していた。
張り巡らされた氷雪系耐魔は、針鼠のようなつららの結晶を何十本も外に向かって形成し、威力を弱めた雷撃魔導を消し去ることに成功した。
ゾイルは不敵に笑い、ディトーに言葉を放った。
「相変わらず器用であるな。貴様の氷雪魔導は、この氷山内において攻撃の役には立たぬが、防御においてはむしろ効力を強化させる。それを見越して防御に徹するつもりなのであろうが――。
サタナエル将鬼という存在を前に、そのような策が何の役に立つ!? 時間稼ぎでもするつもりならば、見くびられたものよな!!」
嘲笑うがごとく、ゾイルは両手を左右に突き出し、己の周囲に強烈な磁場を発生させるほどの雷撃を蓄え――。
恐るべき数の雷槍に姿を変えたエネルギーを、一気にディトーに向けて発動させる!
歯を食いしばり、耐魔を極限まで強化させるディトーに、それらは完全に容赦なく、降り注いだ。
雷槍は氷雪を突き抜けて幾本も彼の身体に突き刺さった。
「がっ――はっ――!!!!」
目を剥き大量の血を吐き、身体から血飛沫を噴くディトー。頭の右をかすめ耳を削り取り、左の腿、右肩、右腕、左脇腹に深々と突き刺さった死の槍は――。戦闘続行困難な重傷を彼に与えた。
しかし、その背後に横たわるナユタらには、かすり傷一つなかった。
ディトーは大部分の魔力をナユタの周囲に割いたがゆえに、己の身体を襲う槍を防ぎきれなかったのだ。
その様子を見たゾイルの貌が、一転して怒りに染まっていった。
「――愚か者が、この腑抜けめが!! 己の身を犠牲にしてまで、その小娘を守りよるだと!!
この我自慢の弟子として目をかけてやった貴様が、なにゆえにそこまで血迷い、堕することになったのだ!!! 理解ができぬ!!! 何が貴様に、そこまでさせるのだ!!!!」
怒りに身を任せ、身体の前面に雷撃を収束するゾイル。それが主の最大奥義の動作であることを、ディトーは理解していた。
苦しみから一転、むしろ安らかなまでの静謐さに変化を遂げた表情をたたえ、ディトーは脳内に強い思いを巡らせていた。
(俺はずっと、サタナエルの一員であることを誇っていた。数え切れぬほど、殺しにも手を染めてきた。
だがそれは無知ゆえの過ちにすぎなかった。人としての温もりを知らぬまま育った、愚かな近視眼だった。
皆は、そんな俺という外道を少しずつ人間にしてくれた。光を、くれた。
アリストル大導師。ヘンリ=ドルマン師兄。ブラウハルト。あなた方は偉大な先達として、未熟な俺を導き、教えを授けてくれた。
ナユタ、ランスロット。ラウニィー、ダン、ニナ。お前達との鍛錬と戦いの日々で得た絆は、何物にも代えがたい俺の宝になった。
皆と出会えたことに、心から感謝したい。そして皆の結晶といえるナユタを俺は、絶対に守ってみせる――)
「“魔神雷槍災撃”!!!!」
ついに、“魔導”将鬼ゾイル・エレ=ヴァーユの最大奥義が、ディトーに襲いかかった。
全身全霊の耐魔をもって、それに相対するディトー。
「ぬうううううああああああああ!!!!!」
絶叫とともに弾ける魔導絶技の衝撃。
音と光が交錯した後に、開けた視界で展開されていたのは――。
無情な、現実だった。
ゾイルの奥義は、弟子たるディトーの耐魔を打ち破り――。
収束した白い稲光は、ディトーの胴体を貫通して、恐るべき鮮血を噴き上げていた。
さらなる大量の血を吐き、スローモーションのようにゆっくりと両膝を着くディトーの背後でしかし――。
ナユタとランスロットにだけは、絶技が届くことはなく、無傷だった。
「大導師府師範代」ディトー・エルディクスの意地の耐魔は、最も大切な存在を守り抜いたのだ。
「ハアッ、ハアハア、ハアアア……!」
途切れ途切れに荒い息を吐く、ディトー。そこへゾイルが胸をそびやかしつつ迫る。
「終わりだ、ディトー。残念であったな。
長年の誼で、せめて最後は苦しみを絶ち、永遠の眠りにつかせてやろう」
ローブから右手を出し、雷撃を充填させるゾイル。
それを頭上からディトーに振り下ろそうとするが――。
攻撃が届くことはついに、なかった。
ディトーの後方から頭上を越えてゾイルに到達した――。
ある巨大な影が放つ、剣のような尾の鋭い一撃によって。
「なっ――何!!!! くっ!!! ぐっ――あああああああああ!!!!」
その一撃は、ゾイルの障壁に阻まれ急所は外すも――。完全に不意を突かれた彼の、喉から顎までを無残にえぐりとる重傷を与えたのだ!
次の瞬間、敵の背後に地響きとともに着地した、紫色の巨大生物。
「ディトー!!! 大丈夫か!!!! 遅くなって済まぬ!」
それは――まさにディトーが待ち焦がれた存在。
時間稼ぎをしたのも、「彼」もしくは「彼ら」が間に合ってくれると、信じていたから。
その存在、ブラウハルトが向ける三つ首を見極め、ディトーは安らかな表情でとうとう、地面に倒れ込んだ。
「ディトー!!!! サタナエル――この――クソ野郎が!!!!」
悲痛な叫びと罵声を発したのは、もう一人の存在、ヘンリ=ドルマンであった。
洞穴の入り口に到達した彼は一瞬で状況を見極め、ゾイルに向けて魔導を放った。
「“束高圧電砲!!!! ”」
ブラウハルトとの鍛錬の末身に着けた奥義を放つヘンリ=ドルマン。
太く眩い光を放つ、強力無比な雷撃は――。どのようにして見ても、サタナエル将鬼であるゾイルのそれを明らかに上回る魔導だった。
「おおおおおお!!! ぎががが(貴様ら)!! ぎががが(貴様ら)ああああ!!!!」
喉と顎を大きく損傷したゾイルは、言葉にならぬ声を上げ――。
重力魔導を駆使して、大きく上空に飛び退った!
将鬼のプライドも何も全てをかなぐり捨てたゾイルの、全力の回避は功を奏し、対象を失った雷撃は外れ気脈の手前でその勢いを消し滅した。
「おおおお、えええええああああああ!!!!」
何を叫んでいるかわからぬ、ケダモノのような騒音を発しながらゾイルは、死にもの狂いで天上の洞に到達、姿を消していった。
岩壁の向こうに逃げられては、それを破壊する恐れのある追撃はもうできない。
ヘンリ=ドルマンは舌打ちするも、より重大な状況が待つ方へと、即座に意識を転換した。
「ディトー!!! ブラウハルト、どうなの! ディトーは、彼は――!!」
ヘンリ=ドルマンが向かった先では、すでにブラウハルトがディトーの傍らに伏せって必死の法力を発していた。
だがその表情は、あまりに険しかった。そして中央の首を主に向け、ゆっくりと、二度だけ首を横に振った。
「そんな――!!!」
もはや法力の手が及ばぬ、手遅れだと、いうのか。
駆け寄り手を握るヘンリ=ドルマン。その彼にわずかに開けた目を向け、ディトーは笑顔を見せた。
そしてブラウハルトを見上げ、苦しそうに言葉を発した。
「ブラウ……ハルト。お前には、聞こえた、ろう……。
俺は……俺は裏切り者だ……。サタナエル、だったんだ……。本当に……すまない……。
師兄……おわびを…………申し訳、ありません……」
「ディトー。そうかも知れぬがお前は、最後は俺たちを選んでくれた。こうしてナユタ達を、己の命を賭してサタナエルから守り通してくれた。お前自身がどのように思っていようがお前は……大導師府のディトー。それ以外の者ではない」
必死の表情で語りかけるブラウハルトに続いて、ヘンリ=ドルマンも悲痛な表情で云った。
「そうよ! サタナエルだったとしても、貴男は内心、苦しんでいたんでしょう? 心はずっと以前から、アタシ達とともにあった。そうでなければ、事実が明らかになってアタシ達が、こうして貴男に心を寄せていられるはずはない! ナユタを守ってくれるはずがない! 最初は違ったとしても、貴男の真の姿は師範代のディトー。貴男はアタシ達の、仲間よ!!」
尊敬する彼らの、心からの言葉を聞いたディトーは――。
見ている方が心が洗われるかのような、安らかな微笑を浮かべ――云った。
「……ありが…………とう…………」
そして、かすかに開けられた目は、完全に瞬きを止め――。
ディトー・エルディクスは死んだ。
「……ディトー……!」
「……くっ!! ううう……!!」
ブラウハルトは自らの中央の頭をディトーの亡骸に寄り添わせ、ヘンリ=ドルマンは涙をにじませながら手でそっと、開いたままの彼の目を閉じた。
悲しみに暮れる二人であったが――。
それに浸るような猶予は、彼らに与えられては、いなかった。
「ブラウハルト……。分かっているわね……」
「ああ……分かって、いるとも……。
すでに、全身の毛が逆立つかのように、間近に感じている。
『奴ら』だ。
奴らが、そこにいる。手前の洞穴の中に。異常な魔力が、そこに渦巻いている。
これこそが、奴らが企んだ罠。俺たちを奥深くに誘い込み、大導師府の戦力を削ぎ、あわよくば皆殺しにし、最終的に穢れた存在であるこのブラウハルトを滅する。それが奴ら――サタナエル“法力”ギルドの、目的」
ヘンリ=ドルマンは――その言葉を切ったブラウハルトの、異常な魔氣を感じて、はっと貌を上げた。
ブラウハルトは――激怒していた。
人格者たるカール・バルトロメウスの性質を移植され、滅多なことでは怒ることなどないブラウハルトが、身体中に血管を盛り上がらせ、恐るべき音を立てながら歯ぎしりし続けていた。
三つ首にある六個の目は、充血しながらぬめり身震いするような眼光を放っている。
その様子は、紫の聖獣から完全に、地獄の底を守護する凶悪なる魔犬へ変貌を遂げていたのだった。
「ふざけ、おって――!! 許さぬ、決して、許さぬ――外道どもが――!
我が同胞に、将来ある子供達にまで、手をかけおって――!!
鏖に、してくれる。このブラウハルトの手で、血一滴、塵となるまで擦り潰してくれる!!!」
そしてヘンリ=ドルマンのマントをかけられ、未だ気を失っているナユタに強く視線を送った後――。
ブラウハルトは、地響きを立てて4つの足で立ち、主とともに向かっていった。
最後にして最凶の敵が待ち構える、最悪の戦場へと――。




