第二十六話 死峰アンドロマリウス(Ⅶ)~許されざる者ども
大導師とナユタに許伝最強と認められた才媛、ラウニィー・グレイブルク。
表面上は決して光り輝くことない自分を象徴するかのように、炎でも光でも雷でもない、華やかさに欠ける風魔導に己の才を見出し、一心の努力で磨き上げてきた。
己が持っていた奥義をさらに急激進化させた彼女は――。魔力にも変化を生じていた。
限定解除だ。
ラウニィーのもつキーは、「献身の心」。己の身を投げうってでも大切な存在を守ろうとする苛烈なまでの心が、ここにおいて魔力の爆発的増加を実現したのだ。
それはフレアが恐怖とともに強く感じたように――。自身の現時点の魔力で太刀打ちできないとすぐさま直感した事実を、残酷なまでに現出させていた。
絶技、“真空破壊旋嵐・収束”は、死の破壊力と切れ味をともなって、宿敵を一蹴するべく威力を発揮したのだった。
「ぐっあああああ!!! きゃああああああ!!!! ああああああああ!!!!」
フレアの悲痛な悲鳴が洞穴内に木霊する。彼女は毛皮とローブを切り刻まれ、その下の白い肌と肉を切り刻まれ、眼鏡を飛ばしながら血しぶきを噴き、苦悶の表情のまま大地に崩れ落ちていった。
この瞬間、ラウニィーはフレアに勝利したのだ。
重力魔導において最強クラスの技であり、防御を兼ねる万能の技“斥力磁場”がなす術もなく弾き飛ばされ、真空波の帯がフレアを切り刻み寸断しようと襲いかかった。さすがにフレアほどの術者の魔導を弾いて無傷というわけにはいかず、威力は削がれてこそいたが完全に、攻撃を届かせることに成功していたのだ。
ラウニィーは、普段の彼女からかけ離れた冷酷な表情のままフレアに歩み寄り、見下ろした。息も絶え絶えに苦しみ血を流しながら倒れ、どうにか両手で上体だけを起こし見上げるフレアに対し、ラウニィーは宣告した。
「勝負あったわ、フレア。
私は――残念だけどあなたにだけは欠片も、情けをかける気にはなれない。人を殺める罪を犯すことは苦しいけれど、沢山の人を殺めてきたであろうあなたの、罪深い魂を消し去るために耐えるわ――。
とどめよ、さようなら、フレア!!!」
「――ハア、ハア――ハアッ、グッ――!!!」
己を殺害するべく魔導を発動しようとする宿敵を、恐ろしい悪魔の形相で睨むフレア。目を合わせるだけで呪い殺されるかと思うほどの敵意を絶やさない彼女に、鉄槌が振り下ろされようとしたその瞬間――。
背後から、初めて聞く男の声が、鋭くかけられたのだった。
「そこまでだよ、黒い女魔導士!!!
魔導を、収めろ。仲間のこの冴えない男の命が惜しいのならばね」
「ぐっ……!! す、すまない、ラウニィー……!」
驚愕の表情で振り返ったラウニィーの視線の先で――。
仲間の男、であるダン・リーザストは――。
一人の見知らぬ男によって後ろ手にがんじがらめに自由を奪われ、首を締め上げられているところだった。
「――ダン! くっ――!!」
歯噛みしながらも、選択肢はなかった。ラウニィーはフレアの目前で発動しようとした魔導を、瞬時に消した。
突如現れた男は、この極寒の環境の中で毛皮もまとっていなかった。
真紅のローブともバトルスーツともとれない独特の戦闘衣装に身を包んでいる。背は高く筋肉で引き締まった身体をもち、クセ毛の長い金髪の下の貌は、絶世といって差し支えない美男子だ。
その男、サタナエル“法力”ギルド副将、ゼノン・イシュティナイザーを目にしたフレアは――。
世にも恐ろしい、地獄の魔姫としかいえぬ邪悪な笑みを浮かべ、ゼノンに向けて云った。
「遅かったじゃ、ない――ゼノン。ハア、ハア――。
もう少しで本当に――。このバケモノ女に殺されるところ、だったわよ――」
「いやあ、久しぶりだね、会えて本当に嬉しいよフレア。
すまないね、約束の時間に遅れて。ちょっと『地獄の番犬』退治の準備に時間がかかってしまってねえ」
ゼノンはそう云うと懐を探り、拳大の巾着袋をフレアの足元に投げてよこした。
フレアは震えながらそれを開け、中の光輝く石灰の粉状のものを、首や胴など出血のひどい箇所に死にもの狂いで塗布した。
すると微かな光とともに――。フレアの出血はみるみる止まり、傷はふさがった。
「効くだろう? 僕の特製の法力を込めた、止血灰のプレゼントさ」
「すごいわね……ゼノン。貴方、サタナエルに入って2年たらずでここまで。
もうとても私がかなうレベルじゃない。負けて、られないわね……」
まだダメージを残しながらも、フレアはゆっくり立ち上がり――。
胸をそびやかしながらラウニィーに近づいていった。
「さて……どうかしらラウニィー。土壇場での逆転劇、を実現された今の気持ちは。
この私が何の保険もなしに、ナユタとダンを誘い出そうとしていたとでも? あちらはサタナエル副将、ゼノン・イシュティナイザー。私のお友達なの。ナユタ達が従わなかった時のためにここで待ち合わせる手筈だったのよ――!」
ラウニィーの目前まで迫ったフレアは、凄まじい憎しみと力を込めて、彼女の頬を平手で殴った。
「うぐっ……!!」
「よくも、やってくれたわね……! 貴方は只では殺さないわよ。特別な死を、与えてあげる!」
そう云うとフレアは、片手に充填した重力魔導を、ラウニィーの腹めがけて打ち込んだ。
「“斥波”!!!」
叫びとともに発生した重力波は、ラウニィーの鳩尾を中心にしたたかにヒットし、彼女の身体を吹き飛ばして後方の岩壁に叩きつけた。
「がっはあああ!!」
内臓が損傷したのか、ラウニィーが苦悶の表情で大量の血を吐く。そして、完全に力を失い壁を背にして崩れ落ちていく。
「そうね……無残に潰された上、仲間にも絶対に発見してもらえない岩の中に、永久に閉じ込められるというのはどうかしら?
朽ちて骨となり、薄汚い雪ネズミに食い荒らされて、影も形もなくなっていく。……いいわね。すごく惨めな死だわ。それに決めた」
嗜虐的な、邪悪の極みの様相のフレアに、ダンが必死に叫ぶ。
「やめろ!!!! やめるんだ、フレア!! ラウニィーを殺さないでくれえ!!!
おれが、おれが身代わりになるから!! 君にわずかでも良心があるなら! 一緒に過ごした彼女の命を奪わないでくれ!!!」
フレアは――ぞっとするほど酷薄な目でダンを見下ろし、これに答えた。
「あら? 貴方自分で云ったじゃない、ダン。私が、自分のことしか考えない人非人だって。なら、私が貴方の言葉に耳を傾けるかどうか、云わずとも明白でしょ?」
「ダン、ありがとう……。もう、いいのよ。
フレア……! いいわ、覚悟はできてる……どうぞ私をそうやって惨めに、殺しなさいよ。気が済むようにね」
負傷ゆえに低く、苦しげではあるが――。
ラウニィーが言葉を発した。それにダンが、悲痛な声を上げる。
「ラウニィー!!! そんな!!!」
「あなたは……決して、思いを遂げられないわ、フレア。予言して……あげる。
最後には必ず、あなたの野望は阻止されることになる……。
ナユタの、手でね」
「……」
ラウニィーの貌は――無念を囲いつつも決然と死を覚悟した人間の、おそるべき意志と迫力に満ちていた。その眼光の云いしれぬ力に、余裕を漂わせていたフレアもたじろぐような表情を見せた。
「あなたは絶対に、ナユタに勝てないわ。いくら小手先のもので上回ったように見えたとしても、彼女はあなたよりずっとずっと上。いつか必ず……彼女があなたを殺すわ、フレア!!!!!」
「もういい!!! 今すぐ!!!! 死になさい、ラウニィー!!!!!
“瞬動斥力波”!!!」」
ついに放たれたフレアの魔導は――ラウニィーの頭上の岩壁に広範囲に命中。
影響範囲と衝撃をコントロールできる重力魔導ならではの、正確無比な作業によって周囲の洞穴内部に衝撃を与えることなく、2m大の巨大岩石をいくつも分離。
それを――無慈悲に。
あまりにも無慈悲に、一気に落下させていった。
(……ごめんなさい、お父さんお母さん。お師匠や師兄、皆。ニナ……。
ナユタ……必ず、生きて。そしてきっと望みを、叶えて……。さようなら)
頭上を覆い尽くす岩石群の下のラウニィーは、最後まで――。
気迫の表情と、フレアへの視線を絶やすことなく――。
轟音とともに、大量の岩石の下敷きになっていった!
「――ラウニィーイイイイイイイッ!!!!!」
涙を流し、悲痛な叫びを上げる、ダン。
彼は嗚咽をもらし、がっくりとうなだれた。
ラウニィーが潰された岩石の、間から――。
一条の、少なくはない血の流れが、発された。
彼女の身体が、痛ましくも潰されてしまった、証左だった。
フレアは――嫌悪する宿敵の死の証拠であるそれを見て、止められないかのように凄絶な笑いを浮かべた。そして喉でクックッと笑いを発しながら、ダンのもとに歩みよった。
「クク……いや、仮初めにも仲間と呼んだ相手の死に、笑うのは不適切だったわね、ククク……。
ダン、とても名残惜しいけれど……今度は、貴方の番よ」
無慈悲に宣言するフレア。そう、わかりきったことだ。いくら人質にとっていたところで結局、ラウニィーに告げたとおりにダンを助けることなどありえないのだ。敗北した時点でそれが死を意味することは、ラウニィーもダンも当然理解していた。
だが二人はあくまで、人間だった。人間として正しく互いをかばいはしたが、ここに及んでは殺される以外の道はないことは覚悟の上。そして……。
貌を上げたダンの眼光は、怒りでも恐怖でもない、別のものに染まっていた。
「憐憫」だ。
「……何なの、ダン。その目は?」
「君は……本当に憐れな人だね、フレア」
「……」
「君の、過去のことは知らない。でもきっと、とても酷い、可愛そうな過去だった、おれはそう想像する。だからそうやって、絶対的に自分を愛してくれる人間を求めるんだ。
けど……矛盾、しすぎているんだよ。君の行動は。
求めながら、与えてくれる人を傷つけるんだ。
ナユタと友達になりたかったんだろ? おれもその代わりとはいえ、求めてはくれたんだろ? 他にも、君と友達になりたがった仲間はいたんだよ? 君は――その人達の思いを受け入れて、自分も思いを返してお互いを大切に思いさえしたら、すぐにでも絆を持てたんだよ。
なのに君には――自分の思いや、欲望しかないから、他人を道具としか思ってないから、簡単に、それも決定的に人を傷つけることになるんだ。
おれは神は嫌いだが、彼がもし天上から見ているなら――云える。
このままの君でいれば必ず、神から天罰が――! ッ!!!!」
そこまでが――。
ダンの現世での、最後の言葉に、なった。
ダンの背中から胸の中央まで、背後にいたゼノンの手刀が正確に心臓を通して貫通したからだ。
ダンは声を発することもできずに大量の血を吐き――。
白目を剥きながら、地面に倒れ伏し――。
絶命した。
それを見下ろして立つ、長身のゼノンの頂きの表情は――絶世の美男子の面影もなく――。
フレアから見ても、身を凍らされるほどに極限の憤怒に歪みきっていたのである。
「罰当たりな、異端のクソ魔導士ごときが――神の名を語るな!!!
天罰だと? 貴様らごとき汚れた魂の安い器が口にして良い言葉では到底ない。
それらを現実に口にして良い者が地上にあるとすれば、それは神の第一の下僕である、このゼノン・イシュティナイザーをおいて他にはないのだ!!!!」
怒りの咆哮を上げたゼノンはしかし、すぐに大きく深呼吸をし――精神を整えた。
その後には狂信的怪物の面影を微塵も残さない、いつもの柔和な表情のゼノンの姿しか、なかった。
「――フレア、君が誘おうとしてた子だったね。僕が手を下してしまったけれど、良かったかい? 君自身が決着をつけたかったとしたら、申し訳ないことをしてしまったかな?」
フレアは――。地に倒れ骸となった、自分が愛していたはずの少年の姿を今一度見つめた。
その貌は――険しく、かすかな苦悩を感じさせた。
ダンの死に、悲しみを感じたから――では、全くない。
むしろ逆。驚くほどに「悲しみを一欠片も感じない」自分に対して困惑を覚えたのだ。
しかし――感情を伴わないその困惑は、わずかな時間で泡のごとく霧散してしまった。
フレアはもはや一切の興味を失った、とでもいうかのようにダンから目をそらし、笑顔さえ浮かべてゼノンに云った。
「いいえ、ありがとうゼノン。これで私の秘密を知った者は全て始末された。
仲間を増やすことができなかったのは残念だけど、『絶対破壊魔導』にたどり着くまでの障害を減らすことができたわ。
私は何食わぬ被害者の貌をして師兄どののもとに戻り、罪人ジュリアスを討伐したこと、戦友ラウニィーとダンの痛ましい戦死を報告することにするわ」
「そうか、わかった。なら、女魔導士にやられた裂傷はきれいに治すことだね。そして光魔導にやられた状態を偽装しておくことだ。そうしないと嫌疑をかけられるよ。何なら協力するかい?」
「……そうね。ご忠告、ありがとう。お言葉に甘えて治してもらおうかしら?
貴方はこれから、どうするの?
書状にあったサタナエルの計画に従い、『奴』を殺しに行くの?」
「ああ、そのとおりさ。奴、ブラウハルトは生かしてはおけない。今回サタナエルが計画を立案したのは、すべて奴を葬り去ることこそが目的。組織にとっては脅威の排除の意味合いもあるだろうが――僕にとっては、神の大敵たる異端の排泄物を滅殺するという、神の第一の下僕としての義務がある。それを必ず、遂行する……!!」
「そう……。じゃ、その大仕事の前に悪いけど、よろしくね。
その後は――いずれサタナエルで合流する時までのお別れ、ということで」
そう云って、まずズタズタに切り裂かれた右腕を差し出すフレアに、苦笑しながら法力をかけるゼノン。
――正しき心を持ち、正しき使命に向かっていた若き魔導士二名。
ゼノンが敬愛するという神は、彼らを見放し無残な結果をもって報いた。
その無情なる空間の中で、絶対悪の笑い声だけが、虚しく響きわたり続けたのであった――。




